きみが片翼 -You're my better half- vol.5



順調に進んでいたはずの生物学者の夢の栽培が完全な失敗に終ったのは突然だった。

(オーウェンっ! そっちはどうだっ)
(参ったな。こっちも枯れてるよ、仁。いったい何が起きたんだ……?)

 種から育てたガイダルシンガーが念願の蕾をつけ、喜び勇んで笑いあったのは先日のこと。
一週間も立たないうちに、どの栽培室のガイダルシンガーもまるで示し合わせたかのように枯れるとは誰も予想していなかった。

 三十株すべてがひとつ残らず一斉に茶色に変色する。
その現実を目のあたりにしても最初は信じれらなくて、まるで狐に化かされたように開いた口が塞がらなかった。

 だが、 仁とオーウェンが呆然と立ちすくんだのは一瞬で、ふたりはすぐさま行動に移った。

(感染症の可能性は? 部外者の出入りは当然チェックしたんだろうな?)
(さっき確認したけど、おかしいところは何もなかったよ。
うー、それにしても参ったね……、こう見事に枯れちゃあどうにもならない……)

 それぞれ離れた栽培室からα類テレパシー・コミュニケーションを使って、おのおののプランターの様子を逐一報告し合う。
どちらの声にも時折、困惑と苦渋の呻(うめ)きが混じっていた。

 数時間後、現状を調べた限りではウイルス感染や病原菌によるものでもないとふたりは判断を下すのだが、そうなると不審感はますます膨らんだ。

 枯れる兆候は今までまったく見受けられなかった。
日照時間や気温、水の量、土壌などいくつかのパターンに分けた上、個別の場所で栽培していたのだ。
これだけ条件を変えて栽培されていた三十株すべてが同時に枯れてしまうなど、これはもう異常としか言えなかった。

「こんなこと……、まだ信じられないよ。ダメになる気配なんて全然なかった。突然どうしてなんだ……。
いったい、何が悪かったんだ?」

 いくら調べても調べても不自然な点は見つからなかった。原因の糸口すら掴めない。

 ふたりは愕然と肩を落として、泥で汚れた自分たちの作業靴を見つめた。

「つい昨日まであんなに元気に白い蕾をつけてたってのによっ! クソッ!」

 床を蹴ると靴底の土が飛び散って、周辺の機器の銀板に大小さまざまな黒い水玉模様がついた。

「これではもう、どんな花が咲くんだろうって夢見ることすらできやしないよ」

 ふたりの手に残されたのは、朽ち果てたガイダルシンガーの無残な残骸だけだった。

 それに、失ったのはガイダルシンガーだけではない。
生物学者としての夢や希望も枯れたと同時に奪われてしまった。

 それでも、ふたりは項垂れてばかりもいられなかった。
ガイダルシンガーの残骸を細胞検査にまわし、枯れた原因を突き詰める作業を続けたのだった。

 ELGたるもの、いつまでも消沈しているわけにはいかないのだ。

 そして、一連の作業を終らして資料室に戻る頃になると、ふたりの口数は滅法少なくなった。

──俺たちの苦労なんて、そんなの水の泡になったところであいつのに比べたらたかが知れてる。
だってよ、同じレベルじゃ計れねえだろ。まったく何て言やあいいんだよ……。

 回廊を渡ってくるセリーア人はとても少ない。
その少数の中、リリアは大量のガイダルシンガーの種子を後生大事に抱えて回廊を渡ってきたのだ。

 リリアに何と報告したらいいのか、ふたりの脳裏には適当な言葉が浮かばなかった。
可憐な顔が頭にちらつくたびに、申し訳なさでいっぱいになってますます気が滅入ってしまう。

 ガイダルシンガーのことをリリアは、「使徒星では雑草のようなものよ」と言うが、こちら側に持ち込むのはそれほど簡単なことではないのだとELGのふたりはよく理解していた。
だからこそ、ことの経緯(いきさつ)すべてをリリアにきっちり報告する義務の重さをも、ふたりは身に染みて感じていた。

 ふたりがガイダルシンガーに何が起こったのかを自分たちが得ている情報すべてリリアに語ると、その残念な知らせに対してリリアは、
「簡単に枯れるなんておかしいわ。これ、使徒星ではそこらへんに咲いている花なのよ?
雑草のようなものだから、そんなヤワじゃないはずなのに」
案の定の、想像の範囲内の言葉を返してきた。

 それは責める口調でも罵る態度でもなく、ただ枯れたことへの純粋な驚きが含まれていた。

 だから、ある程度罵倒される覚悟していた仁たちは、その穏和なリリアの態度を意外に思いながら、胸のつかえが半分なくなったことに安堵した。

 そのリリアだが、ふたりの前で彼女が平然としていられたのは、あらかじめこの結果を予測していたからではない。
青い顔をして資料室に戻ってきた男たち同様、彼女も昨日まではガイダルシンガーがこのまま順調に咲くものだと信じて疑っていなかった。

 ただ、彼女の場合、ふたりに比べて「歌姫」の異名を持つガイダルシンガーにそれほど深い思い入れを抱いていなかった。
その分、立ち直りが早かったのだった。

「ほらほら、いつまでもうじうじ未練を残してるんじゃないの。枯れた以上は仕方ないでしょ。
悔しかったら、この失敗を踏み台にして次の成功を掴めばいいのよ。そう思わない?」

 まだ種子は二百七十粒あるじゃないの、とふたりのELGの背中を痛いくらいに強く叩くリリアは、誰もが見惚れるほど凛々しい女の子だった。

「しっかりしなさい。こんなことでへこたれるんじゃないわよっ」

 そうやって明るくふたりに発破をかけるリリアだったのだが……。

 そのリリアの励ましも、さすがに二度目となると随分効果は薄かった。

 結局、失敗は一度では済まされず、六週間後に行われた二度目の実験栽培でも、続けてガイダルシンガー三十鉢がすべて全滅。
最初の失敗で検討を重ねた仁たちが、新たに環境を変えて再度栽培に取り組んだにもかかわらず、蕾までは順調に育ちつつも前回同様、ガイダルシンガーは開花直前に突然すべて枯れてしまった。

 二度目の失敗ともなれば、さすがに一度目のそれよりも、仁たちへの精神的打撃は大きかった。
一度目の悪夢を踏まえて、極力問題点を解決して臨んだはずの実験栽培だったからだ。

 セリーア人の協力のもと、ガイダルシンガーに関する共同研究を始めてもうすぐ三ヶ月が経とうとしていた。

 何らかの進展があるならまだしも、三百粒の種子のうち六十粒を無駄に費やす、といった体(てい)たらくなこの現状に、さすがにリリアも先行きが見えないこの現状に不安を覚え始めた。

 セリーア人のひとりとして、ガイダルシンガーの栽培、繁殖はリリアの希望だった。
リリアの最大の目的は、同胞たちが銀河連邦側から再び使徒星へ帰還する際に必要なガイダルシンガーの種子の確保にあった。

 セリーア人にとって、およそ二センチほどのやや細長い面のとれた四面体のガイダルシンガーの焦げ茶色の種子は、能力強化、持続力アップを促進する効果抜群の精力剤だ。

 瞬間移動能力に長けたセリーア人でも、ガイダルシンガーの種子なしで回廊を渡りきるのは難しい。
かつて、ガイダルシンガーの種子の手持ちがないために故郷に帰れず、銀河連邦側に残留となった同胞が過去に存在したとも言われている。
銀河連邦側にいるセリーア人にとって、ガイダルシンガーの種子の確保は切実な問題だった。

 昨今では、過去の反省をふまえて、多めの種子を準備して回廊を渡るようになり、なおかつ、余った種子は厳重と信頼に関して銀河連邦一を誇る民間銀行のセリーア人専用の貸金庫へ保管することになっているので、今ではガイダルシンガーが入手できずに故郷に帰れないセリーア人はいないに等しい。
帰還の際は、種子を貸金庫から最小限の必要な数だけを持ち出す工夫をしているので、余剰の余地も充分にある。
当座は困ることはないというのが正直なところだ。

 それでも、ガイダルシンガーの栽培が成功した暁には、銀河連邦側よりも使徒星側のほうに多くの利点をもたらすだろう。

 銀河連邦側でのガイダルシンガーが栽培が可能になれば、使徒星から持ち込んだ種子を確実に増やすことができ、安定した種子の確保に繋がる。
それは使徒星側にとって至極魅力的な話だった。

 そのガイダルシンガーは、使徒星においては、見飽きるほどにそこらに咲いているただの雑草だけに、どんな荒地でも育つ強靭な生命力を持つ植物のはずだった。

 だからリリアも、ガイダルシンガーの開花にこれほど困難を極めるとは、まったく予想していなかった。

 加えて、使徒星への帰還に必要な種子というのがこのガイダルシンガーに対するリリアの認識で、こちらでは、生物学者、特に植物学者の夢とも呼ばれるこの植物の開花に仁たちほど特別な感情を持ち合わせていない。

 例え今回提供したガイダルシンガーの種子すべて失くしても、自分の帰路の分くらいは手に入るだろうと、リリアは安易に考えていたのもあって、仁たちに比べ、失敗に対する喪失感や緊張感がとても薄かった。

 が、そうは言っても、リリアがこの無残な結果に何も思わないわけではない。

「蕾までうまく育っておきながら、あともう一歩というところで呆気なく枯れるのが気に食わないわ。
あれだけ期待させておいてそれはないんじゃないの?」

 文句のひとつくらいは言ってもいいわよねえ、と彼女は仁たちに同意を求めた。

「もっと簡単に咲くと思っていただけに、さすがにこれほど失敗続きになるとは予想外ね」

 今まで四十八パターンの環境変化で栽培したが、結果としては枯れて失敗に終ったとはいえ、どのプランターも蕾までは元気に育っていた。
環境が合わないわけでもないように見受けられる。

「どこがいけないのかしら。
あともうちょっとってとこで、こうも突然見事に枯れちゃうってのが無性に腹立たしいわ」

 芽も出る。葉も茂る。蕾もつける。ただ、花だけが開かない。

 行き場のない燻る想いが気持ち悪い。

「ああん、悔しい〜」

 だが、やる気満々だからと言って、限られた数しかない貴重な種子である。
むやみやたらに実験を繰り返すわけにもいかない。

 結局、今後の栽培実験は改めて検討することにして、残り二百四十粒の種についてはひとまず保管することで、三人の間で話はまとまった。

 基本的にガイダルシンガーの実験観察は、主にELGのふたりが交代して担当している。
生物学の専門家である仁はもちろんのこと、オーウェンもベテランELGとして植物にはそれなりに詳しいので、植物に関して言うならば、三人の中ではリリアが一番の素人となる。

 だが、彼女は使徒星の住人という強みがあった。
仁たちが知りえない使徒星の情報を持っている以上、彼女の協力は必要不可欠。
実際の栽培はELGたちが担当していたが、実験の想定段階から環境設定にはリリアも立ち会っていた。

「こうなったら、絶対原因を突き止めてやるわよ! 見てなさいっ!」

 リリアの意気込みは相当なものだった。
彼女の協力があれば、いつかはきっと花も咲くだろう。

「リリアの言うとおりだ。皆で協力してどうにか突破口を見つけよう。やるしかないよ、仁」
「ああ」

 リリアの気迫に感化され、仁やオーウェンの研究者魂にも今まで以上に火がついて、今後への期待も膨らんだ。
だが、頑張ろうとする一方で、仁の憂いはより深くなる。

 複雑な心境に仁の胸はキリリと痛んだ。

 ひとつ残らず枯れてしまったガイダルシンガー。
仁の腕の中にあったはずの瑞々しい生命が、ある日、突然失われてゆく。

 その感覚が身に染みて。
どうにかしたいのにどうにもできない自分自身が情けなくて、怖かった。
喪失感が大きいほど、その瞬間の訪れがまた来るかもしれないと思うとそら恐ろしい。

 仁はしばらく自分の手のひらをじっと見つめた。
昨日触れたガイダルシンガーのギザギザの緑の葉の感触を思い出そうと試みる。

 けれど、懸命に思い出そうとすればするほど、触れた途端にぽろぽろと崩れてゆく、茶色の干からびた葉のそんな感触しか思い出せなくて、ぎゅっと拳を握り締めた。

「何か……、これっていう決め手が欠けてンのかもしんねえ。
使徒星には満ちていて、それでいてこっちに足らねえモンって何だ……?
もしかすると、そいつが『歌姫』を咲かす手掛かりになるのか?」

 植物が成長するに必要な要素はすべてパターンを変えて試したはずなのだ。
だから、きっとそれ以外の開花条件に必須の、こちら側では考えられない別の要素が欠けているに違いないと仁は考えた。

 使徒星との大きな違い。
それを三人は顔を寄せ合い考えたが、その日はこれといった成果が出ないまま日が暮れた。

 何の進展もないままに一日が終っていく。

 明日こそは何か手ががりが掴めたらいい。

 恒星ガリオが地平線の向こうに沈んだ途端、ひとつふたつと星空が、彼らの行く先を照らすようにきらめきだした。

 明日もきっと晴れるだろう。

「そうさ、まだ明日という時間が俺たちにはある」

 仁の呟きが今にも闇に消えそうな淡い影に吸い込まれる。

 その日、三つの影は重い足取りで帰路に着いた。





 明けて翌日、リリアは朝からあまり機嫌がよくなかった。

「ここしばらく、オエライさんたちのお付き合いを断わってたじゃない? そしたら泣きつかれちゃって」

 嫌になっちゃうわ、と顔をしかめながらも、連邦政府とのいざこざは避けたいから本日の接待に応じたのだと彼女は語った。

 仁とオーウェンもその日は健康診断の受診日で、最寄の指定医療機関に出掛ける予定があった。

 でも、夕方までには終るはずだからと言って、
「俺たちはあっちの用事が片付き次第、研究所に戻ってくるつもりだ。
こうなったら、もう一度、過去のデータを見直してやるさ。もしかしたら何かヒントが見つかるかもしんねえからな」
そうして互いに一日のスケジュールを伝え合って、三人は一旦、解散することにした。

「一日中振り回されるなんて冗談じゃないわ。だから付き合うのはランチだけって条件出したの。
つまり、そういうわけだがら。チビ、夜はさっぱりしたものをよろしく頼むわね」
「何がそういうわけなんだっ! わけわかんねーよ。
さっぱりだろうがこってりだろうが、俺の知ったこっちゃねえ!」

 だが、仁の必死の訴えはリリアに綺麗に流された。
あくまで自分の食事担当は仁だと言わんばかりに、「こんなのがいいわねえ、いやいや、あんなのもいいわあ」と、リリアは今夜の夕食の献立を次から次へとペラペラ並べてゆく。

「そんなに食うのか! さっぱりはどうした!」

 約束していた外務省からの迎えがやってきたのは、まさに仁が食道楽のセリーア人を一喝していた最中だった。

「ささ。どうぞお急ぎを。お召し替えをなさるのでしたらホテルにてなさるのがよろしいかと。
不躾ながら用意のほうは整っておりますので」

 黒いスーツの男たちを従えた初老の男が歩み出て、ふたりのELGから引き剥がすように、やや強引にリリアを外に連れ出した。

 その態度はいかにもおまえたちは邪魔だと言わんばかりのものだったので、オーウェンはリリアの行先を心配したのだが、仁のほうは「ほっとけほっとけ」とそっけない。

「本当に大丈夫かなあ」

 オーウェンに呟きに誘われるように、仁は資料室のモニターをちらりと見た。
そこには外部の現在の様子が映し出されている。
今まさに、政府の要人の安全確保に手段を選ばない男たちがリリアと迎え役の初老の男を囲んでいた。

 彼らが銀河連邦政府の旗を掲げる車に乗り込むと、リリアの白くて長い頭髪はまったく見えなくなった。
車の中の様子は外からは伺え知れない。そこは完全なる密室だった。

「ま、あいつはああ見えて、歩く凶器だから心配するこたないさ」

 リリアを乗せたリニアカーがあっという間に小さく遠ざかってゆくその様子を目で追っていた仁は、車が完全に見えなくなってから、胸につかえていた何かを吐き出すように深く息を吐いた。

「それによ。セリーア人を籠に入れようとしてもそんなの無駄だ。逃げられるのがオチさ。
やつらは自分の意思でないことを強要されるのをもっとも嫌うようだからな。
籠に入れたいのなら納得させるのが一番だろう」

 セリーア人は誇り高い種族である。
人であるのに翼を持つ彼らは自分の心にとても正直だ。
嫌なものにははっきりと嫌悪を示し、好きなものにはとても目がない。

 まるで世間をあざ笑うかのようにおのれの心のまま自然に振舞う、大胆でおおらかな彼らは、その魅力的な気質と魅惑的な外見の両方でもって人々の心を魅了して放さない。

「野生の鳥を無理強いして籠に入れようとしたら最後、二度と人間を信用してくれねえってこと。
上のヤツラ、ホントにわかってんのかねえ」

 政府がどれだけ現場を理解しているかは甚(はなは)だ疑問だ、と仁とオーウェンはお互い顔を見合わせて笑った。

「特に彼らでは大変なんじゃないかな。
警戒している相手を懐かせるのは、確かに餌付けが一番の常套手段なんだけど……。
リリアの場合、すでに仁が餌付けしちゃってるしね、その手は使えないだろう?」

「何だそりゃ。俺は餌付けなんてしてねえぞ。俺はあいつが勝手に引っ付いてくるから……」

 だが、その後に続くべき言葉が言葉にならない。

 仁はもぎゅもぎゅ……と口の中で言葉を濁しただけで、はっきりとは口にしなかった。

 だけど、それで充分だった。

「わかってるよ。仁はただご飯を作ってるだけなんだよね」

 そう。オーウェンにはわかっていた。

 この相棒は、「ん〜、おいしいっ」と手料理を手放しで褒められたところで、気に食わない相手のために、「特にコレは絶品ね」と絶賛された料理を二度、三度繰り返して作るような男ではない。

「同じモンばっか注文すんじゃねえ」とリリアにぼやきつつも楽しそうに腕を振舞う姿を見ていれば、言わずもがな気付いてしまう。

 仁はただ料理をするだけ。それは確かにそうかもしれないけれど。
料理人がおいしい料理を作る時は食べる人の笑顔を思い浮かべているものなのだと、自身でも料理をするオーウェンは料理人の心を知っていた。

 仁は、「おいしいっ!」と言って喜び弾けるリリアの笑顔を思い浮かべながら料理をしている。
きっと、それだけは間違いない。

 そして、おいしい料理の決め手は愛情という名のスパイスだということも、仁とは長い付き合いのオーウェンにはわかっていたのだった。





 ムク材の一枚板の扉がそのレストランの格調の高さを物語る。
重々しさと感じさせないのは、明るい楓材だからだろう。

 最上ランクのトップに名を連ねるホテルに併設されたそのレストランは、ホテルの最上階に位置し、素晴らしい料理と並んで海が見渡せるその見事な傍観も定評があった。

 ヒールを受け止める絨毯の感触はとても柔らかく、溜息さえ包み込んでしまいそうな優しさに溢れていた。

 奥の個室に案内されると、まず視界に飛び込んだのが部屋の中央に置かれた大きな円卓だった。
その円卓を、今、七人の男たちが囲んでいる。

 リリアの姿を認めた男たちは瞬時に緊張の息を呑み、誰からともなくリリアを迎えるために席を立った。

「ようこそいらっしゃいました。ミズ・セリアナン。私はチャールズ・コナーと申します。
現在、外務省におきまして条約締結を主に対外行政事務を取りまとめております。
そして左隣りのこちらは、環境庁ELG派遣局の副局長しておりますトーマス・ウインツ。
その隣りが銀河連邦軍情報部のセルジ・ツェン少将です」

 残り四人の男たちもひとりづつ紹介を受けたが、リリアの記憶に彼らの名前は残らなかった。
なぜなら、今までの接待とは今回はどうやら様子が違うようだと早くも察し、この七人の中で自分が相手をしなければならないのは外務省のチャールズ・コナー、環境庁ELG派遣局のトーマス・ウインツ、銀河連邦軍情報部のセルジ・ツェン少将の三人らしいとさっさと目星をつけ、残り四人は雑魚と判断して馬耳東風を決め込んだからだ。

「それで? わたしに何か用かしら。今日はただのお食事会ではないようね」

 好きこのんでここに来たわけではない。
さっさとおいしいものを食べて帰ろう。

「うだうだ遠まわしに言われるのは好きじゃないの。スパッと要点を言ってちょうだい」

 リリアは早々に申し出た。

 そのきっぱりしたセリーア人の態度に情報部のセルジ・ツェン少将が苦笑いしながら、リリアに手を差し伸べて、「セルジ・ツェンです」と挨拶をした。

「頼もしいお嬢さんですね。
セリーア人の方には私は初めてお会いするが、こんなにかわいいお客さまならいつでも我々は大歓迎ですよ」

 セルジ・ツェン少将は頭髪に白いものが見え隠れしていたが、肌には張りがあり、目尻に小じわもない若々しい将校だった。

「あら、かわいいなんて褒めていただけて光栄だわ。ちなみにあなたはおいくつですの?」
「私ですか? 私はこれでも四十六でしてね。少将にしては若いほうです。
あなたにはもっと年齢が上に見えましたか?」

「いえいえ、充分お若いですわ」
「いやはや、こんなお嬢さんから若いと言われては参りましたな。
これでもあなたくらいの部下を何人も従えている身なんですよ」

「それは大変ですね。そんなお忙しい方がわざわざどうしてここに?」
「実はですね。リリア・ティナ・セリアナン嬢。
あなたがもし、我が銀河連邦側で伴侶をお探しであるなら、我々としてはそのお手伝いをぜひさせていただこうと思いまして。
今日、この席を用意したのですよ。
聞くところによると、あなたは一介のELGと懇意になさっておいでだとか?
残念ながら彼では身分違いも甚(はなは)だしい。
セリーア人であるあなたに彼はまったくもって相応しくありません。
我々は連邦政府、連邦軍ともに協力して、あなたにぴったりなお相手を紹介したいと思ってる次第なのです」

 情報部では、仁に食事を作らせたり彼の部屋に泊り込んだりしているリリアの言動をすでに把握していると言う。

「何かいけなかったかしら?」

 一介のELGだろうが、料理の腕前はホンモノなのだし、何よりリリア好みの味付けなんぞ滅多にこちらではお目にかかれないのだから別にいいじゃないか、とリリアは言いたかった。

 仁はリリアを「若作り」と呼ぶ。
だからつい、こちらも「チビ」と言い返してしまうが、それがまたいい気晴らしになった。

 セリーア人だからと遠巻きに見物する人たちとは仁は違う。
セリーア人だろうが、地球人種だろうが、おそらく彼には関係ないのだ。

 仁はリリアをリリア個人として見てくれる。
だから、彼と一緒にいる時はここが銀河連邦側だという緊張感から逃れることができた。

 そんなリリアの心情にお構いなく、今度はELG派遣局副局長トーマス・ウインツが言葉を挟んだ。

「相良仁……、銀河連邦での個人登録名はジン・サガラ、でしたね。彼は確かに優秀なELGです。
ただし彼には大きな問題があります。なので、あなたが彼に興味を持つことはお勧めできません。
確かに、ELGは連邦内でもエリートに入ります。
α類ですが精神感応力もできますので、セリーア人の方につきましてはお話をするのもほかの者に比べ、コミュニケーションしやすい部分があるやもしれません。
優秀なELGに目を付けられた点につきましてはお目が高いと言いたいところでありますが、ELGがお好みでしたらほかにもこちらに素晴らしい人材がおります。
ですので、ここはどうでしょう。ひとつ、若い方同志でお話をしてみては。
年寄りがどうこう言ってもこういうことはご本人たちの気持ちが大切ですし」

 そうですな、と真っ先に席を立ち上がろうとしたのは外務省の取りまとめ役チャールズ・コナーだった。

「私ども、年寄りがいては何かとお邪魔でしょう。
先ほども紹介しましたが、外務省、環境庁のELG、連邦軍第十三艦隊の凄腕のパイロット、連邦政府第三席のお孫さま。
この四人はご実家はもとより、それぞれ本人自身が素晴らしい方々です。
どうぞごゆるりと食事でもなさりながら、おしゃべりを興じられてみては?」

 ここまで露骨な態度で表されてはリリアも彼らの真意を読み違えることはなかった。
これは完全なお見合いだった。
だが、どうして自分がこの場にいなければならないのか、リリアは不思議に思ってしまう。

「お見合いなら最初にお断りしておきます。
申し訳ありませんが、私の伴侶候補としてこちらの四人をご紹介してくださったようですが、私は彼らに興味などありませんから」

 だが、リリアの整然とした態度は男たちにとって青天の霹靂だった。
年長者の男三人が難色を示し、年少者四人は憮然と目を吊り上げた。

 リリアのお見合い相手たちは、まだ一言も自分たちと話もしないで「興味などない」は、相手がセリーア人だとしても失礼にもほどがあると言いたいらしい。

「われわれ地球人種は礼儀を重んじます。
どうぞセリーア人としてあなたも我々と少しの間だけでもおしゃべりを楽しんでいただけませんか?
もしかしたら興味深い話が我々の口から聞けるかもしれませんよ?」

 お見合い相手その一である「外務省」はさすがにその職業柄口達者らしい。

 リリアは相手が言うところの「地球人種としての礼儀」とやらに興味を惹かれて、それならば、と四人と向き合う姿勢を見せた。
こちらの「礼儀」には重石のように胸につかえる思いすら今まで散々味わってきたリリアなのだ。
その釈明なりを少しでも聞かせてもらえるなら、この数時間は我慢してやってもいいと思ったのだった。

「ただし、あなた方三人にもここにいて頂きます。わたしを食事を誘ったのはあなた方でしょう?
わたしは食事をしに来たのです。どうぞおいしいものを出して頂きたいですわ」

 内線で連絡を受けた給仕たちが早速料理を運んできた。

「ここの総括料理長は去年の星間料理チャンピオンに輝いた料理人です。
最後まで素晴らしい料理を堪能できると思いますよ」

 セリーア人の美食は知る人ぞ知る嗜好だった。
さすがに外務省勤務、チャールズ・コナーはセリーア人の好みを心得ているらしい。

 食事が始まったところで、一番手に名乗りを上げたのは「孫」だった。
「孫」はリリアにとって身近な話題から話を切り出して、彼女の興味を惹こうと試みた。

「今回、ガイダルシンガーの栽培にご協力をして頂いていると聞きました。本当にありがたいものです。
セリーア人の方と共同研究する機会に恵まれるなんて、とても素晴らしい。
しかし、あなたのようなうら若き女性が土いじりとは大変ではありませんか?
私の母も花を育てるのは趣味でしていましたが、バラなどはしょっちゅう病気になったりして、まるで子供のように手間が掛かると嘆いてましたよ」
「お母さまは園芸がご趣味ですの?」

「ええ、今はもう花を育てるのは庭師に任せっきりですが。私の実家にはそれは見事なバラ園がありましてね。
そうそう、あなたのその髪の色のような優しい感じの白色の一重のバラが絡んだアーチもありますよ。
朝露に濡れた白いバラ園の女主人には、あなたのような方が相応しいと思ってます。
私の祖父は今は第三席ですが、将来は主席の座を期待されています。
私も今はしがない州知事ですが、いずれ祖父の後を継ぐつもりです」

 そう、「孫」が言うのを、リリアは笑って受け応えた。

「素敵なバラ園なのでしょうね。それにあなたのお祖父さまたはたくさんの後継者に恵まれてお幸せね」
「たくさんの後継者?」

「ええ、だってあなたにはお兄さまがいらっしゃるのでしょう?
それに従兄弟の方も十三人もいらっしゃるようだし」

 リリアが事実を明かした途端、どうしてそんなことを知っているんだと「孫」は顔色を失った。

 セリーア人はα類、β類の両方のテレパシー・コミュニケーションを操る。
特にβ類での精神感応力は使徒星の住人たちの言葉である。

 テレパシー・コミュニケーションそのものに不慣れな者は精神防御を普段からしていないので、リリアは簡単に男たちの記憶や感情を読み取ることができた。

 さすがに環境庁のふたりの男たちはα類テレパシー・コミュニケーションの使い手だったため精神防御をしていたが。

 そして、リリアが「さすがね」と内心驚いたのは、外務省のチャールズ・コナーと情報部少将のセルジ・ツェンのふたりに対してだった。
彼らは精神防御をするのではなく、強い精神でこちらの精神波を撥ねつけていたのだった。

 その後も食後のデザートが運ばれてくるまで、「戦闘機乗り」が小惑星郡の飛行の困難さを声高々に話し、自分はこれでも小隊でトップの腕前なのだと自慢した。
彼が属する第十三隊は少数気鋭のパイロット集団らしい。

 だが、リリアはそれについても笑顔で話を聞いてから、にこにこと容赦なく事実を語った。

「わたし、旅客船のような大きな船になら乗るのは構わないんですけど。
ほら、戦闘機のコックピットってとっても狭いし、おいしい食事どころか、珈琲ひとつすら出てこないでしょう?
わたしだったら速く飛ぶことにこだわるより、ゆったりとリラックスして旅行したいわ。
移動距離を稼ぎたいなら自分で翔べばいいことですもの。
そうね、いっそ今度あなたの戦闘機と競争でもしてみましょうか?
でも、きっとわたしのほうが先に目的地点に着いてあなたを待つことになると思いますわ」

 そうして、「戦闘機乗り」は出端を挫かれ、あっという間に墜落の憂き目にあった。

 地球人種の礼儀を持ち出して、リリアの気を引いた「外務省」はその点、利口だった。
セリーア人のことを少しは勉強してあるのだろう。
セリーア人が精神感応力同様、念動力や瞬間移動もお手の物だと知っているらしかった。

「外務省」は仁よりひとつ年上の二十八歳だと紹介された。
だが、勉強熱心なのはいいことだが、惜しいことに、精神防御をするにはまだまだ外交官としての修行が足らないようだ。

「こちらでは結婚は本人の意思でしますが、あちらでは違うのですか?」

 銀河連邦憲法は個人の自由意思での婚姻を謳っているが、実際、政略結婚で無理強いされるものもいれば、身分違いで望んでも結婚できないふたりもいる。
それらを薄いベールで綺麗に隠して、使徒星の慣習はどうなのか、と訊いてきた「外務省」だったが、リリアはそれには「こちらと似たようなものです」と応えて薄ら笑いを浮かべてみせた。

「外務省」はこれを皮切りにその手の方向に話を持っていくつもりだったようだが、精神防御の甘さが彼の命を縮めることになった。
ほかの三人の候補者よりもセリーア人についての知識があった分、それが裏目に出たのだ。

 婚姻は挙式するだけでは終らない。
生涯の伴侶としてともに生き、愛情の先に子を儲け、育ててゆくことも意味する。

「外務省」は「結婚」の二文字を意識して、翼を羽ばたいて空中で睦まじくクルクルと絡み合うセリーア人の恋人たちの姿を、朧気にだが脳裏に描いた。
自分がセリーア人の女性の夫となった暁には、いずれ空から地上を見下ろす機会もあるだろう。
そんな甘い夢を描き、目の前のかわいらしい女の子の天使再来の翼を拡げた姿を脳裏に浮かべて弄んだのだった。

 セリーア人は心で会話をする種族である。
「言葉を発したわけではない」は言い訳にならない。

 精神防御すらできない男が、自分の伴侶に名乗り出ることすらおこがましいわ、とリリアは冷笑を浮かべてすっくと立ち上がった。
途端、デザートナイフが「外務省」の眉間目掛けて一直線に飛んで行く。
リリアの所業に驚いたのは「外務省」本人だけではない。
残りの男たち六人が身の危険を感じて腰を浮かせ、「外務省」から離れようとした。

「ひぃぃっっ!」

 悲鳴と同時に振り払われた手がグラスに触れて、中身の水を円卓に撒き散らした。
カタカタと歯を鳴らす「外務省」に、男たちの六組の視線が集中する。
そこには宙に浮かぶデザートナイフがあった。
「外務省」の眉間に突き刺す手前で、薄皮一枚分を残してデザートナイフがピタリと停止している。

 が、彼の不運はそれだけではなかった。
彼は彼なりに自分の何がリリアの気に障ったのか知ろうとして、またもや想像してしまったのだ。
自分には非はないはずだ。翼を見せてくれとも、一緒に翔んでくれとも自分は何も言ってないぞ、と。

 その瞬間、彼の身体はガラスを隔てた向こう側に消えていた。

 上昇気流が「外務省」の前髪を逆撫でた。
スーツが下からの風に煽(あお)られていくつもの皺が揺らめいた。
伺うように視線だけ下に向ければ、緑豊かな広場を中心に蜘蛛の巣のごとく放射線状に広がる道路を、玩具のミニカーのように見える小さな車がいくつも走っている。
「外務省」はおのれが今いる場所を一瞬後に理解して、思わずゴクリと唾を飲み込んだ。

 唖然としたのは当の「外務省」と環境庁のふたりを除いた残り四人である。
「外務省」は失神寸前、頭の中は真っ白で何も考えられないでいた。
残りふたりのELGたちは唖然というより驚愕している。

 そんな中、一番最初にハッと我に返り、咄嗟に、「リリアさま! ここは穏便にっ!」と叫んだのは、当然ながらELG派遣局の副局長トーマス・ウインツだった。
かつて現役ELGとして活躍した時の経験が、彼を瞬時に平常心に戻したのだった。

「リリアさま、どうかお怒りを鎮めてください!
彼も悪気があってあのようなことを心に描いたわけではないのですっ」

 精神感応力が使えるELGは、普段ならば他人の心の内を読むような無礼なことをしない。
だが、「外務省」はセリーア人相手のお見合いの席であまりにも緊張していたため、心の声が大きくなってしまっていた。
大声で叫んでいた、と言ってもいいほどに。

 よって、元ELGのトーマス・ウインツには、聞く気がないまま自然と聞こえてしまったのだ。
そういうわけだから自分から覗いたわけではい。
余談だが、後にこの日を降り返る時、ELG派遣局の副局長トーマス・ウインツは、そう自らを弁護することになるのだった。

 だが、このトーマス・ウインツという分別のある人材がこの場にいたことが、「外務省」の命を救ったとも言える。

「お願いしますっ。リリアさまっ」

 そして、その人名救助には、ここにいない仁も実は一役買っていたのだった。

 かつて仁は、「見せてやれ」とリリアに言った。無礼な態度をしてきた相手には格の違いを見せてやれ、と。

 だからリリアは、仁の言葉どおり、充分力の差を見せつけた後、「外務省」を無事に部屋の中に戻してやった。

 恐る恐る絨毯の感触を確かめては何度も床が存在することを確認する「外務省」の顔は蒼白で、いまだ自分がどこにいるか、はっきりとわかっていないようだった。

「あなたたちの人を見る目は当てにならないわね。そんなんでよくもわたしに相手をあてがう気になったことだわ。
わかったでしょう? ただの地球人種にわたしたちの相手が務まるわけないのよ。
言われてもらえれば、そちらの環境庁の方々はまだましね。同じ席に着くくらいは認めてあげましょう。
でもこちらの三人とは二度とお会いしたくないわね。
この瞬間から私の視界にその顔を見せたら約束不履行されたものとして容赦はしないから。
いいわね、よく覚えておきなさい」

 リリアの激昂にあてられた「戦闘機乗り」と「孫」、そして「外務省」の三人は、項垂れるようにして給仕に付き添われながら別室に連れて行かれた。

「これで話せる人たちだけが残ったようね。さて、ELGのこちらの方に早速だけどお聞きしたいことがあるの。
さ、あなたが恋人にしたい女性の年齢的許容範囲を言ってみてちょうだいな」

 二十歳になるかならないかほどにしか見えない相手から突然そう切り出された「ELG」は、一瞬言葉に詰まった。
顔は童顔好みです、年齢はこだわりません、とでも言っておいたほうがこの際無難だろうか。
本来ならば上は五歳、下は十歳だが、まさか真実は言えない。
その許容範囲から外れでもしようものなら、リリアの性格を考えれば、「あら、ならわたしは駄目ね」とばっさり切り捨てられてしまう。
女性に年齢を尋ねてはいけないと幼い頃より母親から口が酸っぱくなるほど言われて育った彼であった。
だから初対面で「きみ、年いくつ?」などと尋ねたことはない。
女性と付き合った経験がないわけではないのが、今までは自然と相手の年齢を知る機会に恵まれてきた。
だから、改めて女性の年齢を知りえる苦労を特別にしたことはない。
それに、今まで付き合った女性は当然ながら、すべて自分と同じ地球人種の女性だった。
童顔もいれば大人っぽい美人系の女の子もいたが、想像した年齢と実際の年齢の誤差は最高五歳だった記憶がある。

 それをもとに考えれば女性の年齢はある程度わかりそうなものだが、自分よりも下に見えるからと言って、相手はあのセリーア人。
実際の年齢など簡単には想像できない。

 かといって、五十歳離れていようが自分は大丈夫です、と言って信じてもらえるか疑問だった。
それに、このお見合いが破談に終ったのち、「この人にちゃんと五十歳年上の女性を世話してあげてね」とリリアがにっこり笑って、お偉い方の三人に頼みでもしようものなら、本当に即日紹介されそうな気がした。
紹介者が紹介者である。断わることはできないだろう。そうなったら自分の人生は終ったも同然だ。

 考えて考えて、慎重に答えなければならない。

「ねえ、何とか言ったらどうなの? あなた、好みはないの?」

「ELG」は冷や汗を掻きながら「どうしよう」と悩みに悩んでいた。
その「ELG」の窮地を知らずに隣りに座る副部長が、つんつんと、「早く答えんか」と肘で突っついてくる。

「そんなに難しいことを訊いたわけじゃないのに……」

 そして結局、「ELG」は何も言えないまま、
「わたし、優柔不断な男って好みじゃないのよね」
そうリリアにきっぱり最後通告され、すごすごと退室するに至るのだった。

 これでお見合い相手はとうとうひとりもいなくなってしまった。

 そうして部屋の中の人口密度が減ってしまうと、その場の雰囲気はわずかに明るくなったように感じられた。
男たちは相変わらず緊張感を拭えなかったが、リリアの表情に穏やかな笑顔が戻ったからだ。

 だが、笑みは零れてもリリアの目は決して笑ってなどいなかった。

「さて、そちらの用件は済んだようだから、今度はわたしの問いに答えていただきたいわ」

 この言葉を皮切りに、リリアの顔から笑みが綺麗に消えた。
目を幾分細めて、真剣な顔で身を乗り出す。

 ごくん、と三人の地位ある男たちがそれぞれに唾を飲んだ。
何を要求されるか、不安が入り混じる。
それはそれぞれの覚悟を決める音だった。

 その後もリリアの質問はひとりの人物に関することに集中した。

「さっきあなたは言ったわね」

 ELG派遣局副局長トーマス・ウインツを乳白色の鋭い視線が射抜いた。

「すっ呆けないで、仁のことよ。相良仁は確かに優秀なELGだけど大きな問題がある。
わたしが彼に興味を持つことはお勧めしないとあなた言ったでしょ? あれはどういう意味かしら?
わたしにもわかるように説明してちょうだい」

 トーマス・ウインツは「は、はあ」と額の汗を手の甲で拭いながら、リリアの視線に耐えかねたようにおずおずと答えた。

「相良仁は確かに生物学者としてもELGとしても、この十年、素晴らしい実績を重ねています。
私自身、本人と何度か面識がありますが、確かに口は少々乱暴ですが根はいい男だと思いました。
本来ならば、ELGとしてももっと活躍させてやりたいのですが、彼はその……」
「何か問題があるの?」

 問い詰められて言いよどみながら答えた。

「その、彼には本当に不幸としか言いようがないのですが」

 そう前置きしながら、とても言いにくそうに。

 それでも、トーマス・ウインツの次の台詞は、とても明瞭にリリアの耳に届いたのだった。

「相良仁はあと五年の命なのです」

 はっきりと聞こえたのに、それは聞き違いに違いないと、思わずリリアは自分の耳を疑った。

「五年? ……まさかでしょ?」
「本当です」

 信じられなかった。
仁はいつだって元気いっぱいで全然病人には見えなかった。
死臭も感じなかった。健康体にしか思えなかった。

 リリアは以前、「二十年後、あんたが禿げたら笑ってやるわ」とすら言って、彼をからかったことがある。

 それに、リリアはこんなふうに失敗続きのELGを慰めてあげようかと思っていたのだ。

『ガイダルシンガーの研究の進み具合がうまくいかないのなら、ゆっくりやればいいじゃない。
地球人種の平均寿命が百三十年っていうなら、あと百年くらいは充分やれるはずでしょ。
人生がガイダルシンガーの開花に懸けるのもいいじゃない?
そんだけ気長にやるつもりで頑張れば、きっと解決策が見つかるに決まってるわ。
それくらいなら、わたし、こっち残って研究に付きやってもいいわよ──』

 仁と楽しく口喧嘩して過ごす未来をその気百パーセントで描きながら。

『百年くらい、銀河連邦側にいるのも悪くないかもしれないわ』

 胸の奥底がほんわかと温かくなって、溢れる気持ちが止められない。
お礼は料理でいいからねって言ったらどんな顔するだろう、と想像するだけでドキドキして……。



 なのに、あと五年?

「チビの寿命があと五年? そんなの、嘘よ……」

 そのあとトーマス・ウインツが何を言おうが、リリアの耳には聞こえなかった。
音が聞こえない。心にも響かない。何も伝わってこない。

「……ですので、あなたが彼に興味を持てば、あなたも辛く哀しい想いをしなければならなくなります。
だから、私たちはあなたのために……」

 どういうこと? あと五年って本当なの?

 そればかりが心の中で反芻(はんすう)して。
リリアの意識は外部と遮断されたままだった。

 じっと口を引き締めて黙り込んだリリアを案じて、三人の男たちが声を掛けようとした。

 瞬間、リリアはキッと空を睨んで、ばさりと翼を拡げて天井に向けて飛び上がった。
三人の往年の男たちが「あっ」と声を挙げた途端、リリアの姿は消え、いつの間にかガラスの向こう側で宙に浮かんでいる。

 リリアは自分の心に従って、仁がいるだろうと思われる技術開発生物研究所の方向に乳白色の真摯な視線を向けると、大きく羽ばたきながら一気にそちらに向かって翔んで行った。

「まさに、天使だ……」

 リリアの翼に度肝を抜かれながら、男たちが口々に呟く。

 だが、彼らが目にした天使は決して慈悲ある者には見えなかった。
それは当然かもしれない。

 かの天使は、とにかく怒りに満ち溢れていたのだから──。



illustration * えみこ



えみこのおまけ




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