きみが片翼 -You're my better half- vol.4 |
それは、相良仁がガイダルシンガーの種子を植えたプランター十個のうちの七個目の観察データを入力している時のことだった。
両手に小鳥を乗せたオーウェンが突如、資料室に飛び込んで来て、安堵の笑みを浮かべて叫んだ。
「リリアっ、やっぱりここにいたのか! よかった……。きみ、専門は動物だったよね。
これ、診てくれるかい?」
仁のかたわらで液晶画面に映し出される数値と格闘していたリリアが何事かと顔を上げると、オーウェンの手のひらの上で小さなツグミがピクピクと翼を動かしていた。
「いったいどうしたの、この子。かわいそうに怪我してるじゃないの」
「どうやら鷹にやられたようなんだよね。
このあたりは特に植栽が進んでて野鳥も多種多様に放たれているから……。
それより、この傷口なんだけど、きみの力で何とかならないかな」
鷹の鋭い釣爪に引き裂かれたのだろうか。
ツグミの腹の羽毛は真っ赤に染まり、二センチほどの裂け目からは中の内蔵が見え隠れしている。
ガリオ星系独自の生態系を持つ第三惑星リオとは異なり、ここ第四惑星ショルナは四百年前の地球型惑星開発以来、地球の動植物を積極的に輸入して、地球に酷似した環境を作り出している。
かつて地球上に生存した多くの動植物は絶滅に瀕し、消え去った。
だが、その後の遺伝子工学の発達により、地球において絶滅した野生動植物たちは地球型惑星開発した他星系の惑星にて息衝いた。
惑星ショルナは千年前の地球の自然をテーマに惑星改造された。
できるだけ地球の自然そのままに開発されたため、食物連鎖の一部でもある弱肉強食の非常な世界も当然存在することになる。
リリアは即座に空いた机の上にタオルを乗せ、その上に真新しいビニール袋を敷いた。
その上にツグミを優しく横たえると、
「ここの研究所に医療用の糸や針ってあるの?」
仁とオーウェンに手当てに必要なものを用意させている間、リリア自身は手のひらをツグミにずっと当てていた。
「おまえのそれは何か効果があるのか?」
リリアの行動に不審を抱いてそう尋ねながら、仁は棚から取り出した簡易救急箱を引っ掻き回すように漁った。
が、しかし、目ぼしいものといえば止血テープと消毒薬、鎮痛剤シールくらいで手術用具になりそうなものは見つからなかった。
そうこうしていると、別室からオーウェンが戻ってきて、
「役に立ちそうなものがあったよ」
息を弾ませながら、紅潮した頬を緩ませた。
仁は軽く頷いてオーウェンに場所を譲ると、再び不思議そうにリリアの手元に目を向ける。
すると、仁のマネをするかのようにオーウェンもまた首を傾げるのだった。
「それは治癒能力かい?」
オーウェンもリリアの様子に懐疑心を抱いたようだ。
「違うわ。セリーア人の中には確かに治癒能力を持つものもいるけどね。残念だけど、わたしにはないのよ」
「じゃあ、何をしてるんだい……?」
「ここは植物専門施設でしょ。麻酔があるとは思えなかったから、とりあえず仮死状態にしようと思って」
会話中、リリアは一度もツグミから目を逸らさなかった。手のひらに意識を集中しているのが見て取れる。
「だって、麻酔なしで傷口を縫うのはかわいそうじゃない。
それに心臓の動きが緩慢になれば出血もある程度少なくて済むもの」
そうして、ツグミがぴくりとも動かなくなると、そっと仰向けにして裂けた傷口を少し拡げるように内部を伺った。
「よかった。臓器は傷ついてないみたい」
これなら傷口を縫うだけで済む、とリリアは嬉しそうにオーウェンと仁を振り返る。
細い糸を取り出して、小さな針に糸を通した。
ピンセットで針を摘むリリアの所作は流れるように滑らかだ。
「ふたりはお湯で絞った布を用意して。固まった血を拭うのに必要なの。
ハンカチでもふきんでも何でもいいわ。でも、タオルのように毛が立つのはできるだけ避けてね」
リリアは仁たちに次々と指示した。手もよく動けば、口もよく動く。
その様子はまさに熟練の獣医のようだった。
真っ赤に染め上がったツグミの腹部に固く絞った熱い布を優しく当てながら裂け具合を再度よく確認すると、別の消毒液を浸した布で傷口を軽く拭って、一本の針を持ち直す。
そして、針穴に通った細い糸をリリアはしげしげと見て言った。
「それにしても、よくこんなのがここにあったわねえ」
「宿木の研究用のやつだ。これなら自然に溶けてなくなるし、わざわざ抜糸しなくて済むから便利だろ」
「理由はどうあれ大助かりだわ。……さあ、縫うわよ」
一瞬にして、リリアの笑顔が真顔になる。すでにツグミは死んだように動かなくなっていた。
「すげーよなあ。ホントに止まっていた心臓がちゃんと動き出すんだもんなあ」
三時間後、リリアのセリーア人の能力を見せつけるように、ツグミの足がぴくんと動いた。
リリアの施術が成功したのだ。
「心臓を完全に止めたわけじゃないもの。実際、ゆっくりとだけどツグミの心臓はずっと動いてたのよ。
確かにわたしにとって完全に心臓を止めることなど雑作もないことだけど、それではツグミは本当に死んでしまうじゃない。
生きたまま動かないようにしたいのなら体温を下げればいいのよ。
一定のところまで体温が下がると自然と心臓の動きは鈍くなる。
一分間に数回の鼓動状態になると、ほとんど死んだように見えるわ。
でもね、それでもゆっくりだけどちゃんと血液は全身をめぐっている。
この子は痛みも感じないまま、眠っている間に治療が終わらせることができるって寸法よ。
荒療治だけどこの際仕方がないわ。即効性の麻酔薬がここにいない以上これが最善策だもの」
そうして、はにかんだように頬を上気させながら、温度を上げたり下げたりする力は念動力の応用なのだとリリアは笑顔で明かした。
「回廊を渡るためには瞬間移動が必需だけど、それだって元をただせば念動力。
生物学と化学を身につけた能力者ならば必要な分子を繋げて受精卵も作れるわ。
ただし、繊細な力の配分ができればの話だけど。
……なぁんて言ってもね、そもそもそれって基本的には違法行為、やってはいけないことなんだわよね。
だって大っぴらにそういうことしてたら使徒星は生物の無法地帯になってしまうもの。
そんなの収拾がつかなくなって困るじゃない?」
「そりゃそうだ。当然、独自の生態系を壊すことになるしな」
リリアの言葉から伺える使徒星での倫理と銀河連邦側の遺伝子工学における倫理とでは重なる部分多いようだった。
──それにしても……。
確かにすべての物質はさまざまな分子から構成されているだろうよ、と仁の思考はその原理にわずかに苦みを滲ませた。
この自分の目の前にいるセリーア人はおのれの言葉の重要性に気がついていないのだろうか。
仁は科学者の端くれとして、どうにも恐ろしさを感じられずにいられなかった。
現に果たして、今の銀河連邦側の科学力で、必要な分子を集めたところでこの世に生命を生み出すことが可能だろうか。
いや、倫理を抜きにすれば理論的には充分可能かもしれない。
だが、一般に適応されるほどに、確実に生み出せるに至っているかと言われれば、否としか答えられない。
専門の能力者とは言え、たったひとりのセリーア人と同じこと成すために、こちら側の最高水準の科学力を集結しなければならない歴然としたこの能力の差。
これは銀河連邦政府にとって脅威以外にないだろう。
そんなことを頭の隅で仁がつらつらと考えていると、
「でも実際はね、法の抜け穴である公然たる特例が存在するのよ」
リリアは得意そうに、地球人種には到底考えつかないセリーア人の常識をとくと説明しだした。
「こっちじゃどうだか知らないけど、使徒星ではね、セリーア人の婚姻は同性同士でも認められているの。
正式な婚姻を結んだ相手との間に子孫を残したい場合だけ、抱卵申請を提出して許可が下りればだけど、合法的に自分たちの卵を作る権利が得られるわ。
同性カップルでも不妊に悩むカップルでも、医療専門の優秀な能力者がふたりの遺伝子を確実に掛け合わせてくれるから、三十ヶ月後にはふたりによく似たかわいい赤ちゃんを抱けるのよ」
性別問わず、公的に認められた二親さえ揃えば卵が成せる。
リリアは「素敵だと思わない?」と晴れやかに笑って問うのだが、仁とオーウェンは咄嗟に互いの顔を見合わせてしまった。
何だそりゃあ、の世界である。
それは、分子から生命を生み出せるのであれば当然実現可能な話ではあるのだろう。
しかし、ふたりの男たちにしてみれば、地球人種の常識が邪魔をして違和感しか抱けない。
「リリア、つかぬ事を訊くけれど、その……セリーア人の赤ちゃんは卵で生まれてくるのかい?
それも抱卵期間が三十ヶ月?」
オーウェンがおずおずとセリーア人の生態を確かめた。
仁は仁で、二年半も卵を温めるのか……と思わずセリーア人夫婦の多大な苦労に敬意を抱く。
──俺だったら絶対無理っ!
日柄一日、卵を抱いて暮らすおのれの姿を想像しただけで途方に暮れるほどの偉業だと仁は唸った。
「三十ヶ月って言っても抱卵は専門家がいるから、実際は卵は彼らにお任せで、たまに面会に行く程度よ。
うちの子はちゃんと育っているかしらって具合にね」
「何だ、それならラクチンなんじゃん」
男というものは現金なものだ。
他人任せでいいとなると抱いたばかりの敬意さえもいつの間にか泡と消えている。
「チビあんたねえ、何てこと言うのよ。ラクチンなんてとんでもないわっ。
卵を生むまでどれほど大変か、あんた全然わかっちゃいないわよ。
卵生を選択してから最低でも二ヶ月間、カルシウムとかがぎっしり詰まった総合卵生栄養剤を必ず飲まなきゃならないし、そのあとうまく受精したとしても産卵するまで更に四ヶ月間、ずっと飲み続ける必要があるのよ?
準備期間を入れて最短で産卵まで六ヶ月、抱卵に三十ヶ月かかるんだからっ。
両親にとって待ちに待った赤ちゃんとの対面は、そりゃあ感動の一言では尽きないわよ」
そのリリアの力説を目の端に入れながら。
──子供を作るのに準備期間だけでそんだけかかるとなると、あっち側じゃ当然、できちゃった婚なんてありえないんだろうなあ。
などと仁が不謹慎なことを考えた途端、精神防御が甘かったのか、仁の心の声をリリアが拾って、「けっ」とはしたなくも声を吐き出して蔑むような視線を送ってきたものだから、仁も「うへえ、怖ぇ」とつい小さくなる。
「男ってホント嫌よねえ。あんたも結局、逃げられなくなって結婚するタチ?」
リリアの挑むような視線に仁は思わず小さい身体をより小さく縮めながら、
「だってよー。こっちじゃそういうのアリなんだから、つい考えちゃってもしょうがねえだろ……」
弁解がましくぼそぼそと呟いたが、すぐさまリリアにギロリと睨まれて敢えなくばっさり切り捨てられた。
「そりゃ胎生で子供を生む人も中には確かにいるにはいるわよ。それこそ、『できちゃった婚』でね。
でも、世間体が悪いから普通は避けるわ。
総合卵生栄養剤を飲まずに済むと言っても胎生は卵生に比べて母体の負担も大きいし、例え元気な赤ちゃんが生まれたとしても、父親のほうは一生『後先考えない男』の烙印を押されるから肩身が狭いの。
胎生の場合は十二ヶ月で生まれてしまうから、すぐ『できちゃった婚』だってバレちゃうし。
隠しようがないのよねえ。
つまり、子供がほしいならちゃんと準備期間を持って抱卵するのがわたしたちの常識なのよ」
十二ヶ月の間、母体で育まれるセリーア人の胎生は、およそ十ヶ月──正確には四十週で生まれる地球人種のそれと比較しても、それほど大きな違いはないらしい。
──抱卵とか産卵とか言うからセリーア人ってのはやっぱり鳥に近いンかなあと思ったけど、そういうわけでもねえようだな……。
宇宙は広い。種族ごとや地域の数だけそれぞれ文化があり常識が存在する。
「じゃ、いずれリリアも元気な卵を産むわけだ」
オーウェンにしてみればまさにそれこそ他人事だったので、まさか自分がその子育てにいずれ係わることになるとは露知らぬまま、この時は笑顔で「頑張るんだよ」と軽くリリアを応援した。
一方、
「こんなじゃじゃ馬、貰い手なんかあンかねえ」
オーウェンの社交儀礼的な応援を綺麗さっぱり無駄にしながら、止せばいいのに横から仁がちょっかいを出すものだから、いつもの言い争いが勃発してしまう。
「もいっぺん言ってみな、チビっ。
わたしだってこれからうんといい男を見つけて元気な卵を産んでみせるんだから。
そん時ゃあんたをベビーシッターに雇って、毎日離乳食を作らしてあげるわよ!」
リリアも興奮していて、自分が何を言っているのかわからないようだ。
「だからせいぜい環境庁をクビになってもわたしが拾ってあげるから安心おしっ」
卵をこちらで産んでも抱卵する技術がないため、卵を孵すためには回廊を渡って使徒星に帰らなければならないのに、リリアは仁に離乳食を作らせようとしている。
仁を使徒星に連れて帰ることなどあり得ないのに「安心おし」もないだろう。
「俺は家政夫じゃねえっつってんだろがっ!」
リリアの言葉の意味することなどそっちのけで、仁は「俺はELGなんだっ」と叫んだが、十年来の付き合いで仁の家事能力の優秀さを実際知っているオーウェンは、この相棒だったら充分勤まるだろう、とリリアの提案に思わず大きく頷いていた。
「そういや家政夫って言えばさ。リリア、きみ今、仁のとこに世話になってるんだって?」
そのオーウェンの言葉に一番驚いたのは仁だった。
リリアとの怒鳴りあいで乾いた喉を潤そうとお茶を啜っていたところだったので、思わず拭き出しそうになった。
一応根性で押し止めたのだが、幾度となくむせてしまう。
その仁がやっとの思いで叫んだ台詞は、「何でそれを知ってるっ!?」だった。
胸を叩きながら、オーウェンのその情報源はいったいどこのものなのか、仁は噂の根源を問いただそうとしたのだが、喉は痛いわ、気持ちは焦るやらで、情けないことにまともにしゃべれない。
その仁の肩をオーウェンは慰めるように幾度となく叩きながら、
「仁、今更遅いよ。もう、みんな知ってるって」
いかにも同情しています、の視線を送って、
「この二日間、仁がセリーア人に扱き使われてるって話は今頃、尾ひれが付いてものすごいことになってるよ。
怒らないなら教えるけど。聞きたいかい?」
念を押してくるところが仁の気性を知り尽くしているオーウェンらしいと言えた。
仁は、聞きたいよーな聞きたくないよーな、どうすっかなあ、と悩んだのだが、結局気になって教えてもらうことにした。
すると。
「私が知ってるだけでも、リリアが仁のところに押し掛け女房に行っただの。
セリーア人が独身寮を奇襲しただの。
挙句の果てには、セリーア人が三ツ星レストランの料理長に秋刀魚の塩焼きを注文して、
出された秋刀魚にいちゃモンつけて料理長に『修行しなおせ』と活を入れただの……。
ま、そんなとこかな。さすがに最後のは限りなく本当っぽいよねえ」
そう言って、仁の年上の相棒はおのれに災難が降りかかっていない分、ひたすら余裕で苦笑しながら、
「人の噂も七十五日って言うからさ。それまで大人しくしてれば大丈夫だよ」
この件に関してあくまで楽天的に考えて仁を励ました。
だが、当の仁にしてみれば、のほほんとしてなどいられない。
「大人しくって言ってもな……。そいつは俺じゃなく、こいつに言ってくれよ!」
大人しくしていないのはこいつだろう、と仁は噂の元凶を指差しながら、「いい加減、勘弁してくれよ」と自分の置かれた今の境遇の即日改善を願って真摯に訴えた。
その仁が示す指の先では、「あはは〜」とリリアが大笑いしている。
避けんばかりに大きく開いたリリアの口。
その笑い方は実にアッパレなほど豪快で、仁の耳には、「がぁはは、がぁはは」とイボガエルの鳴き声によく似た、まるで呪い暗唱のように聞こえた。
勘に障って仁がギロリと一矢を報いる視線をリリアに送りつけても、案の定軽くかわされてしまう。
「そんな目で睨んだってダメダメ。あんたの言い分もわからないではないけれどね。
だぁって、いくらわたしがじっとしてたってそんなの無駄なんだもの。
どうせわたしの行動なんて四六時中監視されてるんだから。
ホント、まるで動物園の檻の中の動物の気分よ。わたしは見せモノじゃないのにね。
周りはそうは思ってくれないから困ったものだわよ」
愚痴る機会を得たのが余程嬉しかったのか。
遠目にじろじろ見られるのはまだマシだ、とリリアは続けて愚痴を零すとますます口の滑りはよくなって、「先日こんなこともあったわ」とムッとしながらしゃべり出した。
「出会い頭に見知らぬ人から、翼を見せてくれよって言われたの。思わず殴り倒してやろうと思ったわ。
さすがにこっちが先に手を出したらまずいから、その時はぐっと我慢したけど」
常識外れもいいとこよ、失礼にも程があるわ、と震える拳を握り締めるリリアはその時の屈辱を今更ながらに思い出したのか、目を涙で潤ませた。
それは怒りゆえのものなのか。それも、悔し涙なのか。
理不尽な物言いへのわかってもらえない情けなさからなのか。
「飛んで見せて、とかも言われたわね。
これは相手が子供だったから、笑って『今度ね』って言えたけど……。
ねえ、チビ、オーウェン。ものは相談なんだけど。
成人男子に突然呼び止められて、『ヘーイ、かわい子ちゃん。このボクとお空でランデブーしない』って言われたら、わたしの対応はどこまでなら許されるものかしら?」
乳白色の髪と瞳のセリーア人はとても目立つ。
地球人種以外の種族そのものが珍しい上に、セリーア人の場合「天使」の異名を持つ種であるから、周りの興味はまさに尽きることがない。
地球人種たちは自分たちが信仰する天使のそのものの姿を見たくて、つい「翼を拡げたセリーア人」を求めてしまうのかもしれない。
親しい間柄ならともかく、見知らぬ者からのそれらの言葉はセリーア人たちにとって侮辱以外の何ものでもないのだとも知らずに。
リリアが受けた仕打ちとは、地球人種の女性が知らない男から、「跪(ひざまず)け」だの「結婚してくれ、って言えよ」などの暴言を道端で突然吐かれたに等しい。
この暴言に対し報復処置はどこまで許されるのか、とリリアは仁たちに尋ねたわけだが。
これにはさすがに彼らも一瞬言葉が詰まってしまった。
見知らぬ誰かから突然そんな理不尽な暴言を言われたら、怖くなって慌てて逃げるのが普通の女性の反応なのである。
仮に、かよわくかわいい女の子が被害者になりやすいのが現状だとするならば、それらの儚げな女の子たちの中で、報復に出る、もしくはその実力を持ち合わせる度胸ある者など滅多にいないもんだ、がふたりの合致した意見だった。
だが、現にここに、超美少女でありながらその度胸と実力は地球人種の猛者に劣らないリリアという存在が実際いるわけで……。
それでもオーウェンは大人の見解で問題が大きくなってからでは遅いと判断して、「一応、そういう時は警察に言うんだよ」と世間一般的な対処方法をリリアに伝えるに至ったのだが。
反して仁は相手の男への対応に否応もなく手厳しかった。
「そういう男は裸に剥いて、思いっきりヒールの踵で踏みつけてやれ。
噴水や水路が近くにあるなら放り投げてやるのもいいな。
そうすれば少しはトチ狂った頭が冷えるだろうよ」
この具体的な助言は、報復を行使するにあたり、リリアには充分な実力と情状酌量の余地があると判断した結果だったわけだが……。
セリーア人と地球人種の意識の相違点を最近無性に感じ入る彼は、一応こんな助言も付け加えたのだった。
「ただしな、若作り。
相手の男には、『セリーア人についてもっと勉強してから出直せ』くらいは言ってやれよな。
そいつは自分の犯した罪の重さすら、多分わかっちゃいねえんだろうからよ」
過激なのか親切なのか、オーウェンですら判断しきれない助言をリリアにとくと与える仁。
オーウェンが唖然とした顔で仁の顔を見つめていると、
「俺、間違ってるか?」
不思議そうに仁が首を傾げる。
だが、仁はオーウェンに伺いを立てたとしても、自分の言葉に不安があったわけではない。
ただ彼はオーウェンの同意がほしかった。それだけだ。
その証拠に、仁は相棒にむかって「リリアの被害者として権利」を説きだした。
「普通の女だったら泣き寝入りしなくちゃなんねえところだが、こいつには強い念動力があるからな。
被害者のお嬢さん方の鬱憤をひとくくりにして、こいつが代表して無礼千万の男をのしたところで相殺だと俺は思うぜ。
警察は各確たる証拠が出るまでは動いてくれねえ。事件が起こったところで被害がなければ同じことだ。
侮辱罪で民事で争うなんてそんな面倒なことしなくても、傷ついた本人が納得すればそれでいいんじゃねえ?
だったら、証拠なんてそれこそ出っこないんだから、少しくらい懲らしめてもいいじゃんか。
こいつ自身は『手を使わない』で相手を懲らしめるわけだから、こいつがした確証など誰も証明できっこないしさ。
それくらいは被害者の権利として認めてやってもいいと俺は思うけどな」
その一方で、仁は、
「ただし、問題を起こしたら無罪放免が決まっているにしても、おまえは渦中の人になるぞ」
リリアにぴしゃりとそう言い聞かせた。
「だから、今度もし、誰かに翼を見せてくれって言われたらさ。若作り、おまえも黙って見せてやれな」
これにはオーウェンもリリアも驚嘆した。
「仁、それは……」
「何ですってぇ! あんた、さっきと話が違うじゃないっ」
資料室が一瞬揺れたように感じたのはふたりのELGたちの気のせいではないだろう。
震源地が「ここ」の地震速報が出たらどうしよう、と思わず惑星ショルナの気象庁に謝罪の連絡を入れるべきか、オーウェンが一瞬当惑するほどの揺れだった。
「おいおい、若作り。興奮してないで最後まで聞けって」
「だって、見せてやれってチビ言ったじゃないっ!」
リリアはすでに涙声になっていた。
わあっ、と机に突っ伏して泣いてしまう。
仁もまさかリリアがここで泣くとは思わなかったので、この突然の女の涙には困惑してしまった。
泣いてる女の慰め方なんかわかんねーよ、と胸中、ぐさりぐざりと突き刺す痛みに耐えながら、仁は「よく聞けよ」とリリアの頭にそっと手を伸ばして、幼い子供をあやすように優しく撫でた。
「俺が見せてやれって言ってるのは格の違いだよ。別に翼を見せる必要なんかねえよ。
そんなことしなくたって方法はいろいろある。
例えばだ。おまえ、瞬間移動はお手のモンだろう? その場で消えて見せてやればいいじゃんか。
念動力を使って相手の男の目ン玉狙ってそこらの石を投げつけてやるのもいい。
ただし、俺ン時のように寸前で止めろよ? 怪我させたらおまえが加害者になるからな。
そんで格の違いを見せつけてから、『おまえみたいな男がセリーア人の女を口説こうなんて百万年早いわよ』とでも言ってやれ。
子供相手なら翼を見せてやるのはいいんだろう?
もしも相手がコンチキショーってなクソガキで、駄々を捏ねられて見せたくないのに見せなくちゃならねえ状態になっちまったら、そしたらおまえは諦めて翼を見せてやれ。
ただし、それはガキに言われたから見せるんじゃねえ。
おまえが翼を広げたいと思ったその場にたまたまガキがいて、たまたまそのガキは幸運にも翼を見れたんだ。
勘違いするな。おまえは自分の意思で拡げるんだ。相手に言われてどうこうするわけじゃねえんだぞ」
わかったな、と乳白色の髪を撫でていた手を、仁は最後にリリアの頭をポンと軽く叩いて引っ込めた。
むくりと起き上がったリリアの顔は涙でぐしゃぐしゃに崩れていたが、それでもELGのふたりには充分かわいい女の子に見えた。
「わたしの意志で翼を拡げるのね?」
「そうだ。だからおまえの誇りは一ミリたりとも傷つけられねえ。
仮にほかのセリーア人がその場でその様子を見ていようが、おまえは自分の意思ですることなんだから胸を張って拡げればいい。
そんで、『あら、見られちゃったのねー』くらいに済ませとけ」
ELGは多種多様な動植物に触れる機会がとても多い。
昆虫や魚介類、その範囲には限度がない。
言葉の通じない生きとし生けるもの相手に日夜、奮闘しているのだ。
文化や慣習の違いなど、それに比べれば何ほどだろう。
相手と意思の疎通ができるなら打つ手はいくらでもあるし、相手に不愉快な思いをさせてしまった折には、その時は自分の非を素直に認めて心から謝ればいい。
リリアたち使徒星側のセリーア人と銀河連邦側の地球人種の感覚にズレや違いがあってもそれは当然なこと。
生まれも、環境も、言葉も、文化も、環境も、能力も違う。
違いを挙げれば数限りない。
けれど、自分たちは言葉が通じるのだから、いつかはわかり合えるだろう。
「チビ……」
「あン? どうした、若作り。日頃の元気が鳴りを潜めてるぞ」
「今だけだけど。あんた、すっごくいいオトコに見えるわ」
「悪かったな、今だけでっ!」
リリアが心から仁を褒めても、仁はからかわれていると受け取って本気にしないのと同様に。
「料理上手なチビも、さっきみたいなチビもわたしは好きだけど。
それでも、わたしはわたしを対等に扱ってくれるチビが一番好き」
リリアの「好き」も恋愛の情なのか友愛の情なのか、いまひとつ計りかねるところがあって、ふたりを傍(はた)で見ていたオーウェンは頭をぽりぽりと掻くしかなかった。
「大好きよ」
そう言って、「離れろっ!」と喚いて暴れて逃れようとする仁の首に抱きつくリリアは、わざと嫌がらせをしているようにも見える。
仁のほうも本気で抗っているようでそうでないようにも見えてしまうから、ふたりの関係は甘いようで酸っぱいように見える。
それはまるで、好きな子を苛めるガキ大将の幼い恋のようで。
「まさか、ふたりとも初めての恋……なわけないか」
娘と息子を見守る父親の心境だな、とオーウェンの口元がわずかに笑みで震えた。
ふたりの口ケンカやじゃれ合いさえも、「微笑ましい」の一言に尽きる。
このまま時間が止まればいい。このまま、みんなして笑って日々を送れたら……。
オーウェンは胸元をぎゅっと握り締めて、黙ってふたりから遠ざかった。
期限はあらかじめ決まっていた。
今、この瞬間にも刻々とその時に近づいている。
生きとし生けるものはすべて、この世に生を受けたその瞬間から、確実に終焉に向かって生きているのだ──。
オーウェンはそう自分に言い聞かせながら、ひとり資料室を出て行った。
illustration * えみこ
えみこのおまけ
この作品の著作権は、文・moro、イラスト・えみこにあります。
当サイトのあらゆる内容及び画像を無断転載・転用・引用することは固く禁じます。
|