きみが片翼 -You're my better half- vol.2



いつも昼時になるとお偉方に誘われて会食に出掛けるリリアが、今日はぼんやりと呆けた顔で机にうつぶせになっている。
視線の定まらない乳白色の瞳がこちらをじっと見ているのが気味が悪い。

 はあ、と何度目かわからない溜め息をその柔らかそうな口からもらす。

 時折、リリアが腹部を抱えるのを見咎めて、仁は訝しく思った。

「腹でも下してんのか、若作り。連日の外食はどうした?」
「キレイなお姉さんに向かって『下す』はないんじゃないの?
あんたのその口の悪さ、いい加減何とかしないと嫁の来てがないわよ?
それでなくったって、あんたは条件が悪いんだから。少しはお上品な態度を身につけたら?」

 日頃、「チビ」だの「ボウヤ」だの言われ続けてきた仁であったが、今日はまだ禁句を耳にしていない。

 ふたりの会話を少し離れたところで聞いていたオーウェンが、今日のリリアは仁を挑発する気がなさそうだ、平穏万歳、仲良きことは美しきかな、とホッと安堵の溜息をついた──その直後。

「おまえ、具合悪いのか? もしかして、下痢ピーなんだろう?」

 これまた寝た子を起こすような台詞を無二の相棒が吐くものだから、思わず焦って、
「そりゃリリアだってたまにはゆっくりしたくなる時もあるさ。そうだよね、リリア?」
疲れが溜まっていたとしても、それはセリーア人の目立ちようを考えれば当然だろうと弁護に向かわずにいられなくなった。

「そんなんじゃないわ。ちょっと食欲がないだけよ。
ここんとこ、油っぽいものばかり口にしていたから胃がもたれちゃって。
こっちの食べ物って重いのよ。時々食べるのは平気なんだけど、こうも毎日じゃ……ね」

 ふう、と肩を上下に動かして息を吐くリリアは、
「朝も夜もホテルの食事でしょ? 昼はオジサマ方のお付き合いだし。たまに薬草を煎じたくなるってもんだわ」
連日の豪華な料理に胸焼けを起こしているのだと目を伏せながら語った。

「あのよ、おまえらって普段どんなの食べてんだ?」
「普段って?」

「えっと、その、向こうでさ。……使徒星での食事はこっちのとそんなに違うのか?」
「そうねえ。豪華な料理はやっぱりそれなりに『重い』のが多いわね。
やっぱり見栄えがするじゃない? そういうのはこっちのホテルの料理に似てるわ。
でも、それはあくまで御馳走であって、毎日食べるものじゃないのよ。
とにかく、こっちのよりももっと野菜料理が多いわね。
魚介類や肉類も食べるけど、何て言うか、もっとシンプルなのよ。
塩だけの味付けだったり。焼いただけだったり。素材の味がもっとわかりやすいの。
そりゃあね、こってりソースで食べる時もあるわよ?
だからトクベツ苦手っていうわけじゃないんだけど、毎日だとちょっとねえ……」

「へえ、結構、セリーア人って粗食好きなんだなあ」
「粗食とは違うわ。素材の持ち味を活かしているって言ってちょうだいな。
それに野菜料理をおいしく食べるには手間も時間もかかるんだから」

 話していて故郷の味を思い出したのだろうか。
リリアは遠くを見るように目を細めて、口の端で微笑んだ。

「微妙に違うの。
素敵なレストランでのお料理って確かにおいしいとは思うんだけど、ちょっとずれてるのよねえ。
そのちょっとのズレが惜しいから悔しいの。わかるかしら。塩味加減にしても、ほんの少しの味の差なの。
そのわずかなズレがわたしたちには辛いのよ」

 セリーア人のその掴みどころのない気持ちを、少なくともオーウェンは理解していた。
セリーア人に関連する能力をほとんど持たないオーウェンだったが、こと味覚に関しては別だったからだ。

「そんなにお腹は空いてないの。でも食べたいの。もしくはお腹が空いているんだけど食欲が沸かないの。
これと言って食べたいものがないのよ……」

 リリア自身、自分でも何を言いたいのかわからないのだと言いながら、
「うまく言えないんだけど。身体が受けつけたくないって叫んでるのよ」
最後にはまたもや、はあ、と深く息を出して、ぷいっと顔を背けてしまった。

 それは昼時にはほんの少し早い時間のことだった。

 今日はオーウェンが卵を買ってきたので、仁は緑黄野菜を使った卵料理を一品作ろうかともともと考えていた。

 ふと思いついて、仁が席を立つ。
資料室の扉の向こう側に消えた仁が再び部屋に戻ってきた時には、小鍋をひとつ持参していた。

「これ、食えるか?」

 黄色のドロドロとした中に細かく刻んだ緑の葉が混ざっている。
白い粒々が黄色のドロドロに浮かぶように、ふわりと湯気を上げていた。

 小鍋にはスプーンが無造作に突き刺さっている。
片手鍋ごと抱えて食べろ、とでもまさに訴えているかのようだ。

「何なのこれ。食べもの?」
「俺の故郷じゃ食べ疲れた時、こういうのを食べる。胃を休めるためにな。
試しに食べてみろよ。『おかゆ』って言うんだ」

「ホントに食べれるの?」

 リリアが再度確かめるように尋ねた相手はオーウェンだった。

 訝しげな視線を投げかけて、念を押すように、
「大丈夫なんでしょうね?」
一番信用できそうなサードに仁の料理の保障を求める。

「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。仁の腕前はホンモノだから。多分、セリーア人の舌に合うと思うよ」

 サードである彼の言葉を信用して、
「お皿をちょうだい。これじゃ熱くて食べられないわ」
意を決したりリアは、仁が再度調理室から運んできた朱塗りの椀に粥をよそると恐る恐る口にしてみた。

 白い粒が入った黄色のドロドロは米と卵が材料だった。
糊状になるまで炊かれた粥がとろけるように喉に流れ落ちる。

「思ったより……おいしいわ」

 見た目に反して、味はさっぱりしていた。塩加減もちょうどいい。

「お粥は量があるようでないもんなんだ。今、腹いっぱい食ってもすぐ腹が減る。
少しのご飯でたくさんのお粥ができるからな。卵粥、これなら食べれそうか?」

 無論だった。返事もそこそこに、リリアはパクパクと口に粥を運び続けている。

「仁の料理は抜群だよ。それは私が保証する。リリアも外食に行かない日には私たちと食べるかい?」

 仁の味付けをリリアが気に入ったように見えたので、仁の料理に魅せられた同胞としてオーウェンは心からリリアを誘ったのだが、
「俺は別にいいぜ。ふたり分も三人分も作る手間は一緒だからな」
一方、仁のほうは社交辞令のつもりで言っていた。

 ふたりの言葉は似ているようで、心つもりはまったく違っていた。
だが、そんな多少の違いなど、リリアには関係なかった。
リリアは細かいことに気にしない性質(たち)だった。

「考えとくわ」

 そう淡々と応えて、最後の一掬いまで綺麗に食べると、「ご馳走さま」とにっこりと微笑み返した。

「ふたりはこれからお昼なの?」
「そうだよ。今日は秋刀魚を焼くんだ」
「オーウェン、おまえ、大根おろし用意しろよ。秋刀魚は俺が焼くから」

 十年来の年上の相棒にそう言いつけて、鍋の底まで綺麗に見える小鍋を片付けながら、そそくさと部屋を出て行こうとする仁を、リリアが、「ねえ、チビ」と咄嗟に呼び止める。

「わたしも食べる。三人分にしてちょうだい」

 そうして、仁の背を追うようにリリアも調理室へと向かって行った。

 オーウェンが栽培室から大根を取ってくる間に、調理室では仁が本日のメインである秋刀魚をまな板の上に取り出す。

「若作り。おまえ、ワタ食べられるか?」
「ワタ?」

「ああ、ハラワタ。内蔵のことだ。ちっと苦ぇけど通のヤツは好きなんだよ。
俺はワタは苦手だから取り除くけど、オーウェンの奴は好きだから、あいつの分はわざと取らねえんだ。
で、おまえはどうする?」

 まな板の上に乗っている銀色に光る魚はリリアが初めて見る魚だった。
味がわからないから返答に困るというのが正直なところだ。

「全部で六尾あるからな。ひとり二尾ずつだ。
初めて食うんなら一尾はワタとって、残りはそのままにしてみるか? ま、試しにさ」

 仁は三尾の秋刀魚の内臓を手早く取り除くと、切れ目をいくつか入れて塩を擦り込んだ。

 六尾すべてに軽く塩をふりかけて秋刀魚の下準備を済ませると、
「それ、持ってこいよ。食うならちっとはおまえも手伝えよな」
リリアに秋刀魚を乗せたトレーを持たせて、自分は下の戸棚から円柱のモノを取り出して運ぶ。

 資料室を通り過ぎ、途中、大根を手にしたオーウェンにご飯と味噌汁を用意しとくよう言いつけて研究所の裏庭まで行くと、
「ここで焼くから。秋刀魚はそこに置いとけ。スカモン採って来てたら焼き始めるぞ」
仁はリリアを連れたままその足で、今度は柑橘類ばかりを植えた栽培室に向かった。

「いい香りね」
「わかるのか?」

 セリーア人は味覚だけでなく嗅覚もするどいようだな、と仁は改めて感心した。

「この樹──こいつはスダチとカボスとレモンを掛け合わせたヤツなんだ。
俺たちは『スカモン』って呼んでる」
「安易なネーミングねえ」

 センスがなさすぎ、と呆れたようにリリアが笑った。

「うるせー。ほかのと区別できりゃ今んトコはいいんだよ。そのうち、ちゃんとした正式名称がつくんだから」

 そのスカモンの樹には黄色い柑橘系の実がたくさん実っていた。
ただし、すべて高い位置にあって、手を伸ばして取れる場所に実はひとつもない。

「どうして上のほうばかり生(な)ってるの?」
「採ったからに決まってんだろ。俺とオーウェンで下のほうのは採り尽したんだよ。
だから、今日は上のヤツを採るしかねえ」

 だが、周りを見渡してもここには梯子もなければ踏み台になるものがない。
ジャンプして採ろうとしてもそうやすやすとは届かなかった。

「オーウェンのヤツ、マジに届くとこのは全部採り尽くしやがったな」

 一息つきながら仁がじっとリリアを見た。

 リリアは、「おまえだったら採れるだろう」とセリーア人の能力を頼われることをどこかで覚悟していた。
回廊を渡ってきたセリーア人が念動力が使えるのは周知の事実だったからだ。 

「おまえ、採れよ」

 仁の投げやりな命令口調に、やっぱり、とリリアは思った。

 だが。

「俺がおまえを持ち上げるから三個くらい採っとけ。ほら、やるぞ」

 それはリリアの念動力を当てにしたのではなく、ふたりで協力してもぎ取るぞ、の意だった。

 仁が突然、腰に手を回してリリアの身体を持ち上げようとする。

「おまえ、重すぎ! 何キロあるんだ!」

 持ち上げようとしてよろける仁という男は自分の非力さを嘆く前に、女性の体重を尋ねてくる失礼な男だった。

「わたしは普通よっ! あんたに力がないだけでしょっ」

 少しだけ感じる恥ずかしさを勢いで誤魔化しながら、
「そういうチビはどうなのよ」
リリアは仁の体重を尋ね返した。

「あん? 俺か?」

 その素っ気なく返された仁の答えがリリアをぐっと唸らせる。

 だが、リリアはそんなとこで項垂れるようなか弱い女ではなかった。

 仁が述べた体重がリリアより一キロ少ないものだったことに悔しさを抱きながら、
「なら、わたしがあんたを持ち上げるわ!」
言うに事欠いて、そんな提案をする始末だ。

「おまえなあ。それでも女か? 男が女に持ち上げられて嬉しいわけねえだろうが!」
「これもそれもあんたが軽いのがいけないんでしょ!」

 それより何より背が低いのがいけないのだ、とあとから言い返すべきだったと思い直したところで遅かった。

「おまえが重いから悪ぃんだろが!」

 話の話題は身長から体重へとすでに移ってしまっていたからだ。

「じゃ、どうしろってんのよ」
「んー、仕方ねえな。樹に登るか。俺が登ってスカモン落とすから、おまえ受け取れ」

 あくまで自力でもぎ取ろうとする仁の姿勢に、リリアは思わず、仁は自分をセリーア人と認識してないのかと疑問を抱く。

 セリーア人ならばどんなに高いところに実が生ろうと問題ではない。
念動力で実を落とすこともできるし、翔(と)んでいって直接もぎ取ることも簡単にできるからだ。

 なのに、仁はセリーア人の能力をまったくと言っていいほど当てにしない。
「手伝え」という言葉は命令口調であっても、「俺の手伝いをしろ」であって「おまえがやれ」ではなかった。

「木登りするのはやめときなさいよ。落ちたらそれこそ大変よ。
まったく、こんなことしてたら晩御飯になっちゃうわよ」
「そうだよなあ。そんならちょっくら隣りのドームまで行って梯子でも持ってくるか」

 そう言って、仁はやっぱり自力で頑張ろうとする。

「その必要はないわ」

 自分を当てにしない男のためではないわ、わたしが必要とするから実を採るのよ、と自分自身に言い聞かせて、
「どの実が食べ頃か教えてよ。わたしが採るから」
リリアはバサリと大きな羽音を幾度か羽ばたかせると、
「さ、早く済ませましょ」
スカモンの樹の天辺まで一気に舞い上がった。

 仁が目を見開いて自分を見るのが何だか辛い。
リリアは、仁とは違う自分が今になって急に嫌に思えた。

 だが、仁が目を見開いたのは一瞬だけで、すぐさまニヤリと人の悪いいつもの笑みを浮かべると、
「助かったぜ。そういうことなら上のほうの黄色いヤツ、できるだけ頼むわ」
百個くらい、と調子に乗って言ってくるから、
「百個? そんなに使うの?」
リリアのほうが驚いてしまう。

「立ってる者は親でも使えって言うだろ?
おまえ、せっかく翔んでんなら、ついでに採ってくれたっていいじゃんか」

 その代わり今度また魚を焼いてやる、と偉そうに言ってくるので、リリアも急に気が楽になって、
「そんなに焼き魚ばかり食べるの?」
くすくす笑いが漏れてしまった。

 スカモンの実はどれも綺麗な黄色をしていた。

「風呂に入れてもいいかもなあ。きっといい香りするぜ」

 もぎ取ったスカモンの実を、リリアは思いつくまま仁目掛けて「えいっ」と投げてみる。

「痛ぇ! てめえ、投げんじゃねー。大事な食いモンだぞっ!」

 食べ物を大切にする男が、ついでにもぎ取ったスカモンを湯に浮かべてみようかなどと思案するだろうか。

 仁の言いようが矛盾しているように思えて、百個のスカモンを採り終わった後、仁に訊いてみると、
「ああ。風呂の楽しみ方にそういうのがあるんだよ。自然の香りを楽しんだ。
別に粗末にしてるわけじゃねえんだぜ。風呂の楽しみにちゃんと役立ててんだからよ」
決して無駄遣いをしているわけではないのだと仁は真剣に力説してきた。

「ふうん。お風呂ねえ。それってお湯の中に浸かるのよね?」
「当ったり前だろ」

 仁が調理室から運んできた円柱のものは、「七輪」という焼き物に使う道具だった。
円柱の素焼きの七輪の中に炭を入れて火を起こす。うちわで叩きながら空気を送り、火加減を調節した。

 網の上に乗せた秋刀魚は三尾。

 煙がたくさん出て、
「何これ、ほんとに大丈夫なのっ?」
リリアはゲホゲホ咳きこみながら仁の手元の秋刀魚を案じた。

「秋刀魚ってのはこういうもんなの。いいから大人しく待ってろって」

 ぱたぱたとうちわを左右に動かしながら、風を起こす仁は笑顔だ。

「仁、こっちの用意はできたぞ。秋刀魚のほうはどうだい?」

 オーウェンが裏庭に顔を出してきた。

「おー。もう焼ける。おまえら、先に食べとけよ。焼きたてのほうがうまいからさ」

 俺はあと三尾焼いてから行く、とあとの仕事をすべて引き受けようとする仁の姿はそうすることが当然だと言わんばかりの自然体で、先にオーウェンやリリアを食べさせようと、真実、心から仁が願っているのだと知れた。

「わたし、待ってるわ。だから、チビも一緒に食べましょ」
「あ? 冷めるぞ? せっかくの熱々なのに」
「なら、こっちにご飯と味噌汁、持って来ようか? 行儀悪いけど秋刀魚の魅力には勝てないだろう。
いいよね、仁?」

「俺はいいけど。惑星探索の時はいつもそんなんだったしな。けど、こいつがなぁ。
……おまえはどうする、若作り?」

 リリアは当然のように笑顔で頷いた。

 そうして結局、その日の昼は三人仲良く七輪を囲んで地面に腰を下ろして食事を採った。

 焼きたての秋刀魚にスカモンの黄色がリリアの乳白色の瞳に眩しく映った。
辛味が効いた朱色の大根に絡めて食べる魚は熱々で、リリアは一口食べて目を輝かせた。

「なあ、ワタどうよ? おまえ、平気?」

 秋刀魚の内臓はリリアには少し苦かった。

「ワタは地球人種でも好きなヤツって少ないぜ。オーウェンは食い意地張ってるから食うけどよ」

 そう言いながら、仁がぬっと箸を突き出してきて、リリアの皿の上の秋刀魚一尾を持ち上げた。
代わりに内蔵を処理した秋刀魚を自分の皿からリリアの皿に乗せてくる。

「……ありがとう」
「どーいたしまして」

 戸惑いながら礼を述べるリリアに、「仁は口は悪いが悪いヤツじゃないだろ」と隣りでオーウェンが笑った。

 本日の昼食は、秋刀魚の焼き魚にご飯と味噌汁を添えただけのシンプルメニューだった。
リリアがここ数日口にしてきた食事に比べれば、それは粗食と言えるものだったのかもしれないが、焼き魚の塩加減は抜群で、ご飯も味噌汁もとてもおいしかった。

 味覚のズレがこの食事には感じられないのがとにかく嬉しかった。

 回廊を渡ってきて以来、食事中、噛み締めるごとに違和感と戦ってきたリリアにとって、今日の昼食は心から楽しめる食卓となった。

 煙に涙を滲ませた仁をからかいながらの食事は豪華とは到底言えないが、久しぶりの賑やかな食卓はリリアの身体から緊張という名の余分な力を抜くことに成功させ、連邦政府側が誠意をこめて接待してきたにもかかわらず一度も彼女に与えることができなった安らぎの空間をかもした。

「ホント、おいしいわ」
「そりゃよかったな」

 机も椅子もない三人の食卓は、リリアにとって久しぶりに安心して食べられる食事となった──。





 リリアが仁の料理の腕にほれ込むのに時間はかからなかった。

 翌日、仁特製のロールキャベツを一口食べて、リリアは「あ……」と驚いた。

 実はリリアは昨夜の夕飯、三ツ星レストランでロールキャベツを食べたばかりだった。
だから、その味の違いがより明確にわかってしまった。

 レストランのロールキャベツはそれなりにおいしいと思った。
こちら側にしてみればマシな部類の一品だった。

 キャベツはとろけるように柔らかく、ブイオンスープの加減もいい。
惜しいことに少しだけ、リリアには味が濃かったのが悔やまれた。

 薄味が好みというわけではない。
料理によって、その都度、食材によっても微妙に変わるのが味付けである。

 仁の料理がなぜおいしいかというと、リリアの味覚にぴったり合ったからだ。
味覚は個人差がある。育った環境で変わるし、生活環境でも味覚は変化する。

 仁の味付けが薄く感じる者も中にはいるだろう。
だが、リリアにとって仁の味はまさにちょうどいい味付けだった。

 それに、仁のロールキャベツに驚いたのは、種にチーズが入っていたからだ。
ナイフで切った切った途端、とろりととろけたチーズが挽き肉と玉葱をおいしく絡めて視覚に飛び込んできた。

 加えて。

「これ、もしかしてご飯?」

 仁は挽き肉に思いがけないものを混ぜていた。白いご飯が挽き肉のぱさつきをほどよく補っていた。

「この中にはね、実は味噌も入ってるんだよ」

 オーウェンが種明かしをするように、調味料をひとつひとつ挙げてゆく。

「醤油と味噌とチーズが隠し味なんだ」

 トマトベースのスープに柔らかく煮込まれた仁のロールキャベツは、特別綺麗な皿に盛られているわけでもない。
豪奢なレストランで優雅な雰囲気の中で食べているわけでもない。
スプーンも昨日の粥を食べた時と同じものだ。

 けれど、仁の料理は絶品だった。

「俺のは行き当たりばったりのサバイバル風。かしこまって食うもんじゃねえよ」

 仁はそう言うが、この先、リリアの味覚に合う料理にこちら側でいつ出会えるかなんてわからない。
やっと見つけた納得する味を逃すものか、と切実にリリアは心に刻んだ。

「チビ。わたし、あんたの料理に惚れたわ」

 以後、食事時が近づくと仁のそばをうろつくリリアの姿が頻繁に環境庁の職員たちの目に映るようになったのだが、
「俺は仕事があるんだ! 勘弁してくれ!」
銀河広しと言えど、セリーア人の女性に纏わりつかれて悲鳴を上げる男の姿というものも滅多に見られるものではない。

「いいじゃない、ケチ!」

 一週間後には、仁手製の昼食に大満足したリリアは、朝食も夕食も作ってほしい、と三度の食事の世話を仁に頼み込む有り様だった。

 そうして、リリアを振り切るために仁があちらこちらの部署にちょこまかと逃げ惑う日々が続き、環境庁ではそれが日常化しつつあった。

 セリーア人に追い掛け回されるELGの話はのちに逸話となって環境庁の官吏たちの間で語り継がれることになるのだが、それはしばらく先の話……。

「俺はおまえの料理番じゃねーっ!」

 天使に惚れられたELGの逸話は、その後も留まることなく増えてゆくのだった──。



illustration * えみこ



えみこのおまけ




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