きみが片翼 -You're my better half- vol.1



「官吏」と一口に言っても、その職種は多種多様に存在する。
そして、職種によっては特殊な能力を求められるものも少なくない。

 銀河連邦政府環境庁自然保護局環境近衛隊もそのひとつで、憧れる者は多いが、熱意と努力だけでは就けない職種でもあった。

 ELGの略語のほうが世間に知られている環境庁自然保護局環境近衛隊は、ふたり一組で行動するのが原則である。
すべてのELGたちがα類テレパシー・コミュニケーションの精神感応力を要し、その能力はしばしば未知なる惑星への探索に向かう彼らの危機回避のための生命線として役立っていた。

 ELGは本来、銀河宇宙政府の非加盟惑星国家の星にも自由に入出国できる権利を持つ各自治体警察同様の権限使用許可証を指すが、通常、その許可証の所持者の俗称に用いられている。
ELGに正式に採用された者は、その認証式で、自身の血液を採取して作られた赤い丸玉のピアスを手渡させる。

 環境庁自然保護局環境近衛隊はカード式のパスポートを持たない。
その紅玉の認証ピアスこそが環境庁自然保護局環境近衛隊の公式認可証となっていた。
 
 だが、ペアを組んでいるELGは普段、自分のピアスを自身の耳に飾ることはない。
自分の耳に飾るのはパートナーの血液を閉じ込めた紅玉のピアスであり、自身のピアスはパートナーの耳にあるからだ。

 実際、個人データが入ったメモリーチップが組み込まれているのは留め金部分である。
本人が自身の留め金さえ身に着けていれば、惑星の入出国検査も何ら支障なく素通りできた。

 この独特のピアスの交換の慣習は、昔のELGたちが負傷したパートナーにピアスの血液を用いて迅速な処置を施したその名残り、もしくは、九死に一生を得たその幸運にあやかっての厄除けだとも言われている。

 ペア解消の時にはピアスを返してもらうため、ペアを組んでいないELGはおのれの耳に自身の紅玉のピアスを飾っているが、現役のELGのほとんどがパートナーのピアスをしているのが現状だ。
紅玉の認証ピアスの交換の儀式は、相棒に自分の生命を預けるという信頼の証しでもあった。

 職業柄、ELGは生物学を専攻した者が重宝される。
獣医学者や医学者なども所属しているが、やはり動物学者や植物学者などがとても多い。

 三十年弱、叩き上げのELGとして活躍してきたオーウェン・レトマンの二十四歳年下の相棒、相良仁もそのひとりで、植物生態学において博士号を持つ彼は、新種の植物を前にすると子供のように目を輝かせる男だった。

 仁は、口の悪さと威勢の良さ、そして、男にしては小柄な百六十九センチの身長のせいか、どこか猿を思わせるところがあった。

 襟足につくほどの固めの黒い髪は、いつもどこかしらが跳ねている。
個体登録されている瞳の色も髪と同様に黒色。
黒い瞳と個体登録指標されていても実際深い焦げ茶色のものが多い中、しかしながら、彼の瞳の色はまさに漆黒で、草木を見つめる真摯なそれはまさに宇宙の色とも言える黒に近い深い紺色にも見えた。

 地球人種の日本州出身。オーウェンとペアを組んで十年弱。
中堅ELGとして実績もあり信用もある。
勤務態度は真面目で熱心な、華の独身ELG。

 彼と一緒にいれば食に困ることはない、とオーウェンが多大な信頼を寄せるほどの料理上手。

 料理ができるのは一人暮らしが長いから、と仁は言い訳をするように謙遜するが、彼の出身地である地球の日本州が美食家が頻繁に訪れるほどの繊細な味付けと多彩な料理が自慢の土地柄であることを考慮すれば、否も応もなく、「日本の味を知り尽くす者」という付加価値がついても仕方がない、とオーウェンは確信している。

 祖母の実父がセリーア人という「サード」であるオーウェンの敏感な味覚をもってしても舌を唸らせるほどの絶妙さ。
ペアを組んで以来、オーウェンは、仁の料理の熱烈ファンであり、時間があれば仁に料理の手ほどきをしてもらっている。
それほど仁の料理の腕前は素晴らしかった。

 その相棒兼料理の師匠に対し、オーウェンは常々、どう見ても二十七歳には見えんと内心思っているが、命が惜しいので決して口には出さない。

 日本州出身者には多い童顔が、仁を軽く五歳は若く見せているのは真実だったのだが──。

「仁のヤツ、へたすりゃティーンエイジャーにしか見えないぞ……」

 仁の場合はもしかすると十歳鯖(さば)を読んだところでばれないかもしれない、とちらりと思ったとしても、それはオーウェンが悪いわけではない。

 事実、仁と同じ日本州出身者でさえ、仁の実際の年齢を聞いて、「まさかだろ?」と耳を疑うほどなのだ。
彼の筋金入りの童顔は周囲の保障つきだった。

 だから、セリーアン系から回廊を渡ってきたばかりの使徒星からの使者がELG本部の廊下を歩いていた仁を、
「そこのボウヤ、長官室はどちらかしら?」
そのように呼び止めたところで彼女に非はないというのがオーウェン個人としての見解だった。

 ところが、仁のほうはどうやらそうは受け取らなかったようだ。
ナイフの刃のような切れ味鋭い目つきの悪さで、くるりと振り返ったところを見ても、米粒ほどの情けや慈悲を抱こうなどどは考えていないらしい。

 突然、声を掛けて来た彼女は一目でセリーア人とわかる乳白色の髪と瞳をしていたが、仁は怯みもせず相対すると、「何だ、このアマ」と今にも口に出さんばかりに、じろりと睨みつけて威嚇した。

 一生に一度、出会えたら幸運とされている「天使再来」のセリーア人はELGという特殊な任務に就いていてさえも、滅多に会える相手ではない。

 ましてや、リリア・ティナ・セリアナンと名乗る彼女は象牙色の長い髪をもつ美少女で、その美貌はおいそれとそこらへんで出会えるような秀麗さではなかった。
その軽く波打つ長い髪が綺麗というよりはかわいらしい感じの容貌に、より一層の柔らかい雰囲気を印象付けた。

 百八十センチメートルのオーウェンよりもやや目線の低い程度のところに彼女のかわいいつむじがあるところからして、彼女の身長はオーウェンよりもおよそ七センチ低いと推測できる。

 この場合、仁より四センチほどリリアのほうが背が高いとしても、それは断じて彼女のせいではない。

「えっと、オチビちゃん、長官室ってわかるかしら?」

 ただ、仁の気にしている弱点というべきところをグサリと突いてしまったのが彼女の不運と言えよう。

「何だとぉ? もいっぺん言ってみろ」

 この場合、仁が誰もが認めるほどの童顔だったのもこれまたまずかったのだろう。

「えっと、ボウヤが何を怒っているのか、わたしには見当がつかなんだけど。
あのね、わたし、長官室に行きたいのよ。わかる?
……もしかして言葉が通じてないのかしら? 見れば、随分幼いようだし」

 うしろ姿から声を掛けられただけならばともかく、面と向かって真正面からさえも「ボウヤ」と呼ばれ、まるで大人が小さい子供に対する物言いをされた上に、「幼い」のトドメの一撃を食らった仁は、その顔をすぐさま真っ赤に染め上げて仁王のように立ち塞がった。

 これにはオーウェンもさずがに「こりゃマジにヤバイ」と焦った。

 絶滅危惧種に登録されているセリーア人は銀河連邦の賓客でもある。擦り傷ひとつつけられない。
相手が天下のセリーア人である以上、所詮しがないお役所勤めでしかないELGの仁とオーウェンである。
問題を起こしたことが上にバレれば、即刻、辺境地域への転勤が明日の辞令で決定的になってしまう。
これは極めていかにもな左遷。できればご遠慮願いたい。

 左遷で済めばまだマシかもしれない。懲戒免職になる可能性だってある。

 だが、これも年の功のなせる業なのか、明日以降のおのれの身の振り方を案じているのはオーウェンだけのようで、当の仁は、今日、この場での応戦で頭の中はいっぱいらしい。

「二十七の成人男子を捕まえて、『ボウヤ』呼ばわりするのが使徒星の流儀なのか?」

 仁が地響きするほどの低い声でうめいた。

 その怒濤のような仁の迫力を軽く流して、これまたリリアがこれっぽっちも悪気がなかった風情で、
「え? 二十七? あら、ごめんなさい。てっきり小さかったからもっと若いと思っちゃったわ」
またまたトドメの追撃を突いてしまったものだから、オーウェンは思わず額に手を当てて天を仰いだ。

 およそ十四歳から三百五十歳が壮年期の、平均寿命四百歳のセリーア人の感覚からすれば、二十七歳の仁を「ボウヤ」と呼んだところで何らおかしくない。

 それはわかる、わかる気がする……のだが、それはリリアの使徒星における常識でしかないのだ、とオーウェンは懸命に目で訴えた。

 セリーア人は地球人種のおよそ四倍長く生き、老化の進み方もまったく異なる種族である。
だからと言って、長寿のセリーア人が、種族の理(ことわり)として百年そこそこしか生きられない地球人種を、年齢をいう概念で比較し見下すなど言語道断。
種族の相違があるからこそ、おのれとは異なる種族の在り方を認めなければならないと広く認識されているこの世情である。
許されるべきことではなかった。

 それなのに、相手のセリーア人は、仁を外見で判断して、二度も「ボウヤ」呼ばわりをしてきたのである。
仁は聞き逃すことができなかった。

 一見、リリアの外見はどうみても二十歳そこそこの小娘にしか見えない。
仁にしてみれば、視覚的にも感覚的にも自分が格下である必要などない、というところなのだろう。

 第一、失礼なことを言ってきたのは向こうが先だ、が仁の自論で。
ELGともなれば常識として、セリーア人が見た目で判断してはいけない種族だということも当然知っていたのだが、この仕打ちにはさすがに黙りかねたようだ。

 本能で相手に察するところがあったのか、「天敵」という二文字がふたりの間に浮かんでは消えていった。

 仁には身体的特徴を原因とする暗い思い出がいくつもあった。
この低い身長と童顔のせいで、過去、どんなに辛酸を嘗めてきたことか。
逃がした恋もあれば、からかわれたこともあるし、嘗(な)められたことも少なくない。

 この御時世だ。日本州出身だからといって、仁のように黒い髪に黒い瞳の者ばかりではない。
今では逆に、仁のようにいかにもな日本州出身者としての目立つ特徴を外見に持つ者のほうが少ないくらいで、だから尚のこと、仁の低い身長と童顔は目を引いた。

「俺をボウヤと呼ぶくらいなら、そちらさんのほうは余程のご高齢なんだろうなあ?」
「ご高齢だなんて失礼しちゃうわね、これでもわたしは四十九歳よ。地球人種の常識で判断してほしくないわ。
ボウヤと呼んだのがお気に召さないのなら謝るわよ、オチビちゃん」

 妙齢の女性に年齢の話はいつの世でも禁物である。種族が違えば許されるという話でもない。

 地球人種とセリーア人では寿命も違えば老化も違うし、成長の仕方も違う。
およそ十四年という短い幼年期と五十年の老年期に比べ、三百年を越す長い壮年期を持つセリーア人である。
リリアの四十九歳という年齢を地球人種の枠にはめて考えるのは難しかった。

 だが。

「四十九年も生きてることには違いねえだろが、この若作りっ!
俺をボウヤだのチビだのと言うのなら、てめえこそ若作りのオバサマなのも事実だよなあ?」

 種族が問題なのではない、俺は生まれてこの方まだ二十七年しか生きてないのだと、生きた年月の「若さ」で勝負に走った仁は年下の強みを逆に利用して応酬した。

「わ、若作りですってっ! あんたこそ、五十に手が届く頃には頭のテッペン薄くなってるんじゃないのっ!
ええ、ホント、二十年後が楽しみねえ!」

 リリアの反撃に即座に返して、仁は指で耳栓をする。

「女のヒステリーは種族なんてカンケーねえみたいだな。ああ、ウルサイウルサイ」

 そんな仁の態度がリリアの理性という名の施錠をカチンと外した。

(嘗めるんじゃないわよっ!!!)

 空気振動では効果が得られないと察したリリアは、「絶対聞こえる方法」を使ってきたのだ。

 一部の地球人種が使うα類テレパシー・コミュニケーションで突然リリアが怒鳴ってきたものだから、偶然その場に居合わせたオーウェンは堪ったものではない。

(上等だっ! このクソアマァ!)

 ELGの条件には、α類テレパシー・コミュニケーションでの精神感応力があることが求められる。
もちろん、仁も当然のごとく精神感応力で返し、一見、ふたりは黙りこくって睨み合う形となった。

 今後、ふたりが同僚として絶滅危惧種の研究や資料作成に協力し合い、レッドリストファイルの手直しに着手することになろうとは、この時、誰が想像しただろう。

 当の仁もリリアのふたりも、そしてオーウェンも想像だにしていなかった。

 仁とリリアのこの出会いこそが、ことのほか深い三人の繋がりの始まりであったことを、二年後、オーウェンは知ることになるのだが……。

「天使」とも呼ばれるセリーア人のリリアでさえ、ひとかけらの予感すら感じていなかった。

 この瞬間、時間(とき)が新たな出会いに向かって動き出したことを誰も知らない。

 時間の流れはもう止めようがなかった──。





「そこのメモリーチップ取ってよ、クソガキ」
「ほらよ、若作り。年寄りはちっとでも身体を動かすの面倒がるよなー」

「うら若き乙女を捕まえて、何が『若作り』よ!」
「けっ! うら若きオトメねえ、どのツラ下げて言ってンだか。
五十に片足突っ込んでるババアのくせに甚(はなは)だオカシイわ」

「年齢を重ねるごとに備わる魅力というものはお子ちゃまにはわからないわよねえ。かわいそーに」
「二十七の男に向かってガキ呼ばわりするほうがどうかと思うぜ。
二十歳以上も年上だからって焦るのもわかるけどよー。若作りはホドホドにな」

「わたしのは若作りじゃないっつってんでしょうがっ!」
「知ってるかい? 年をとるほど女ってのはピンクを着たがるもんらしいぜ? レースのひらひらも同様。
ファッションに頼らないとやってけないトコがつれーよなー」

 セリーア人のリリアはその乳白色の目立つ外見を差し引いても、公道を歩けば誰もが振り返るほど容貌が整っている。
ぱっちりと開いた二重の大きな目。長い睫が乳白色の瞳をぱさりと隠すと、しっとり吸い付くような透明感あふれた肌が目を惹く。
薄い唇が一度噤めば、優しげで穏やかな雰囲気の気品が漂うおしとやかなお姫さまの誕生である。

 だが、それも中身の元気さが表に出た途端、その印象はガラリと変わった。
くるくると変わる表情が生き生きと輝き、生命力がみなぎった元気ハツラツのお転婆娘に変身するのだ。

 だが、天下一品のかわいらしさはそのままだから始末が悪い。

 オーウェンはふと思った。
もしもリリアを道端に立たせたら、彼女の周りには砂糖に群がる蟻のようにすぐさま男たちが集まるだろう。
そして、下僕と成り下がり、彼女の気を引こうとあの手この手で甘い囁きを口にするだろう──と。

 リリアに憧れ、焦がれる男たちの数はうなぎ上りに増えていくのが目に見えるようで、「ホント罪作りだねえ」とオーウェンはリリアと同席するたびに感慨に耽る。
仕事中、むっつりと口を一文字に引き締めていようが、彼女の場合、それすらもかわいい表情にしか見えなかった。

 そんなリリアに対し、一歩も退かない仁をアッパレに思う。
男なら、これほどの美少女を前にして毅然とした態度を貫くのは、理性で考えるより実際はもっと難しいことだろうからだ。

 それを仁は実行している──と言うより、同等に相手にしている。
それがたとえ「口ケンカ」という土俵であったとしても、確かにふたりは同等の立場で相対していた。

「改めて感心しちゃうよ。仁って面食いじゃなかったんだなあ」

 リリアのかわいらしさの威力に負けない仁に、オーウェンは心から拍手を贈りたくなった。
そんな時、おのれの相棒が相手の外見や立場で態度を変えるような、そんな軟弱な男でないことを改めて知って思わず誇らしく思う。

 仁とオーウェンとリリアの三人はこの三日間、技術開発生物研究所内の一角にある資料室と文献室、そして、いくつかの栽培研究所を往復する生活を繰り返している。
資料室には個々に机を持ち、ひとり三台のキーボードを駆使する忙しさだ。

 今回、リリアは回廊を渡ってくる際、生物学者の夢とも呼ばれる幻の花「ガイダルシンガー」の種子を使徒星から三百粒持参した。
リリアのお陰で今まで不可能だった生物学者の夢の花の生態研究の進展が期待されている。
技術開発生物研究所において、その研究チームの一員としてリリアと協力し研究結果をまとめるのが、今回、仁とオーウェンに与えられたELGの任務だった。

「ガイダルシンガー」は使徒星の植物であり、リリアの協力は不可欠だということはで植物学者の仁は骨身に染みて知っていた。
リリアの専門は本来、動物行動学らしいが、回廊を渡ってくるセリーア人が極端に少ない以上、畑違いなどとは言ってられないのが実状だ。

 リリアは職場に私服で通ってくる。
本日は白いレースの襟が特徴ののピンクのブラウスに、薄い水色の細いストライプの入った長めのフレアスカート。
乳白色の長い髪を薄いピンクの花の髪留めがリリアにとてもよく似合っている。まだ早い春の息吹が伺えた。

 オーウェンはリリアと二歳違いの五十一歳。
年齢的にはオーウェンと同年代に括られるリリアであるが、彼女のオーラや雰囲気には「若さ」がみなぎっているので、オーウェンの感覚ではリリアは娘世代の若者にしか思えなかった。

「おーお。ピンクのひらひら、お似合いですこと」

 イヤミ以外の何ものでもない仁のその言いように、
「おーほっほっほ、弱い犬はよく吠えるって言うものねえ。
誰にも相手にされないからってわたしで時間つぶしをするのは止めてちょうだいな、ボ・ウ・ヤ!」
リリアも決して負けてはいない。

──仁の口の悪さに負けない女性がいるとは。この世の中、広い広い……。

 オーウェンはずずず……と緑茶を口に含んだ。
三日もこの調子が続けば、これはもう、「今の若いモンは元気がいいねえ」と縁側で茶でも啜りながら、隣りのおじさんは大人しく若者たちの熱血バトルを見守っててあげるね、という心境にもなろうというものだ。

 言い争うのがわかっているのなら仕事部屋を変えるとか、出勤時間帯をずらすとか、方法はいくらでもあるだろうに、このふたりはそうしない。

 こっちが退く必要などない、とふたりがふたりとも自分の意見を貫くものだから、当然ながら堂々巡りに陥ってしまう。

 それでも、食事時になると、さすがにリリアは各省庁のお偉いさま方から誘われて、あちらこちらへと会食に出かけて行くので、一日に数時間は平穏な時間が仁とオーウェンの上に訪れた。

「相手は女性なんだから。仁もここは大人になって少しは優しくしてあげたらどうなんだい?」

 この日もリリアが外出してから、年長者の務めとして年下の相棒にやんわり言ってはみたのだが。

「サードだからってあの若作りの肩を持つなよ、オーウェン。
ファーストならともかく、サードは地球人種だぞ? おまえは俺の陣営だろうが」

 仁のほうは聞く耳持たない。

「陣営って……。仁、きみねえ。異種間戦争じゃないんだから」

 ELGのパートナーの仁と祖先と同郷のリリアのふたりに挟まれて、オーウェンはどちらにつくこともできず、はあ、と溜息をつきたくなった。

 オーウェンの祖母はセリーア人と地球人種のハーフで、俗に「ファースト」と呼ばれる一世代だった。
その孫であるオーウェンは三世代、つまり「サード」と呼ばれるが、実際セリーア人の末裔としての能力は二世代の「セカンド」ですらほとんど地球人種と変わりない。

 まれにセカンドやサードの中にも、ファースト同様、セリーア人特有の言語とも言われているβ類テレパシー・コミュニケーションでの精神感応力をしたり、共鳴能力を保持する者もいるようだが、オーウェン自身はそういう特殊能力は一切なかった。
強いて言えば、α類テレパシー・コミュニケーションの送信能力がELGの中でも特に優秀であることくらいだろうか。

「この間さ、リリアから使徒星の話を聞いたんだけど。
リリアの故郷は山合にあって、それはそれは夕焼けが見事らしいよ。
リリアは黙識(もくし)族出身のようだし、きっと屋敷も立派なんだろうね。
地元では『朱金の城』と呼ばれ親しまれるくらい、夕陽に照らされた景観は綺麗なんだって」

 リリアの故郷は回廊と呼ばれる宇宙空間の向こう側にあり、地球人種がたどり着けないところにある。
強力な念動力とβ類テレパシー・コミュニケーションの精神感応力を要さなければ、セリーア人でも回廊を渡ることはできない。

 そして、銀河連邦側のこちら側から使徒星側に行けるチャンスは、セリーア人が来訪した時だけ。
複数のセリーア人と一緒になら、ひとりほどなら使徒星に連れて行ってもらえる可能性があった。

 だが、実際は、回廊を渡る地球人種などいないと言ったほうが早い。
セリーア人という種族は滅多にこちら側の人間を連れて翔(と)ぶことを良しとしないからだ。

「使徒」や「天使」の」言葉で遇されるように、セリーア人はその白い翼を用いて大空を羽ばたく。
だが、普段の彼らは翼を仕舞ったままで、地球人種たちと同じように大地を歩いた。

 彼らは、自らのために翼を使うことは惜しまないが、他人のために使う気はさらさらないのである。

 もしも他人のために翼を拡げる機会があるとすれば、子供や病人のように自分より弱き者のためか、または相手に服従の意を示す時にほかならない。
それには「求婚」の意も含まれた。

「オーウェンは使徒星に行ってみてえのか?」

 何気にオーウェンの話を聞いていた仁が、フライパンを揺する手を止めて、すっと視線を合わせてくる。

 栽培室や鑑賞室がそろったドームの中には調理室も完備されている。
仁とオーウェンは研究用として余った野菜が食用に適しているかの実験を兼ねて、ほとんど毎日、一日一度は調理室にこもって料理人と化していた。

 レッドリストファイルの「ガイダルシンガー」に関する資料が続々と送られてくる中、昼食時やほかの急ぎの仕事の進み具合を見ながらの料理は、新種の食用植物の美味しく食べる料理法の研究もを兼ねている。

 それは仕事のひとつでもあり、いい気晴らしでもあり、自分たちの食事の用意でもあったため、ふたりは毎日楽しんで料理法や味付けを工夫していた。

 これまでも任務によってはサバイバル生活を余儀なくされてきたふたりである。
お互い独身であったため自炊はお手のものだった。

 ましてや、仁もオーウェンも根っから味に煩い。
そして、真の料理人は材料を無駄にすることはしないのである。

 ゆえに、仕事の一環でなかったとしても、研究用として入用がなくなったまだ充分食べられる野菜を、毎日無駄に廃棄することなど仁が見逃すはずがない。
「もったいない」根性で何でも料理してしまう仁は最後まで食材を使い尽くすという信念にのっとり、瞬く間に剥いた皮まで材料にしてゆくのだった。

 仁が調味料を取り出した。醤油とみりんの香ばしい匂いがオーウェンの鼻をくすぐった。
本日のメニューは人参と大根を交配させた新種の「ニンコン」を甘辛ソースで照り焼きした、野菜ソテーがメインだった。

「おまえのひいじいさん、まだあっちで生きてんだろう? 行けば会えるんじゃねえか?」

 使徒星訪問の理由なら、オーウェンには確かに存在した。
だが、妻の寿命が尽きた途端、故郷に帰ってしまった祖先とは一度も面識はない。
身内にセリーア人がいるという感覚がとても薄く、オーウェンの個体登録も「地球人種」となっている。
強いて言うなら、特記欄に「サード」がおまけのように記されているだけだ。

 個体登録に「混血種」とわざわざ記されるのは、片親が地球人種以外の場合のみが銀河連邦の通例である。

 特にセリーア人と地球人種の間に生まれる「ファースト」は、他の種族の混血種と分けて珍重されている。
また、セリーア人たちは彼らを「羽根なし」と敬称で呼び尊んだ。
能力に個人差があるらしいが、すべての「羽根なし」はセリーア人さえ持たない共鳴能力を生まれながらにして持つからだ。

 加えて、「羽根なし」とセリーア人との間に生まれた地球人種系クウォーターは、純血のセリーア人と外見や能力がほとんど変わらない上、わずかながらも「羽根なし」しか持たない共鳴能力を合わせ持つため、有能な子孫を残す意味でも「羽根なし」はセリーア人たちに手厚く歓迎されるのである──と、レッドリストファイル資料のセリーア人に関する項には記されていた。

 サードとはいえ地球人種と自負しているオーウェンは、セリーア人や使徒星に特別な感慨はなかった。
それに、五十も過ぎれば、こちら側に友人や知り合いも多くいる。
今更、セリーア人の祖先に会いたいという理由だけで今の生活を捨て、命をかけて回廊を渡ろうなどとは思わなかった。

 無謀な夢を抱くにはオーウェンは年を取り過ぎたのかもしれない。
もしくは、「彼」との面会にそれほど魅力を感じなかった、と言うべきか。

「私は行くつもりはないね。それほど使徒星に魅力を感じないしね。
小さい頃からの私の夢はELGになることだったから、今の状態で満足しているよ」
「俺もだ。ELGは俺の夢だった。だから、ELGになったことに後悔はしてないさ」

 オーウェンは、「本当に?」とつい訊き返したくなる気持ちをぐっと堪えて、
「なら、お互い夢は叶ったわけだね」
にっこりと笑って皿を並べてご飯をよそった。

「……リリアさ。いつ向こうに帰るんだろうね」

 リリアとて単独で回廊を渡ってきたわけではない。回廊はひとりで渡るには危険すぎる難関だった。

「あいつだってあれでも一応『ティア』なんだから、自分で何とかするんじゃないのか?」

 リリアの名前の一部である「ティア」は女性専用の特殊な称号で、黙識族を意味している。
黙識族は能力の高い血族であり、その身分は使徒星においてはこちらの「貴族」に相当した。

 仁はELGに就任して以来、地球人種以外の人種との出会いを何度か経験していた。
先月も仕事で猫目族に会ったばかりだ。

 だが、それらの少数人種とセリーア人は同列にはならない。
セリーア人の故郷である使徒星が宇宙船で航行できない場所にある以上、自由に行き来できず、交易も使節団の派遣も儘(まま)ならないからである。

 もちろん、使徒星は銀河連邦になど加入してないので、連邦法も彼らには無効である。
つまり、使徒星は、立場的には銀河連邦と肩を並べる位置にあり、その外交使節となれば治外法権を持ち、連邦の外交官が対応する賓客にほかならなかった。

 今回、リリアが環境庁の仕事を手伝っているのは、こちら側に渡ってくる同胞のためである。
ガイダルシンガーの種子は彼らにとって精力剤となり、回廊を渡る時には必要不可欠なため、今後、使徒星に帰還する同胞たちが確実に往路を翔ぶためにも、リリアは栽培適応環境の報告結果を持ち帰る必要があった。

 ガイダルシンガーは使徒星の一年草だ。
俗称「歌姫」を持つその花を咲かせるにはセリーア人の協力が不可欠だとこれまでの研究成果が物語っている。

 もしセリーア人がいなければ、生物学者の夢の花であるその種子を手に入れたところで、蕾もつけずも枯らしてしまうのがオチ。

「くっそ。芽は出るのになあ。どうして蕾をつけないんだっ」

 植物学者でもある仁が「あんな女の協力がなくったって!」と言いたいのを喉からあふれそうになるのをやっとの思いで留めながら、天敵であるリリアと共同研究に甘んじている理由はそこにあった。

 事実、歌姫が咲くところを実際見たことのある地球人種は数えるほどしかいないと言われている。
植物学を専攻する仁にしてみれば、セリーア人が同席しての共同研究は「開花間違いなし」が約束されている絶好の機会であり、滅多にない機会でもあるので幸運以外の何ものでもない。

「この際、あのウルサイ女は我慢するさ」

 研究熱心な相棒の独り言に、オーウェンはくすりと忍び笑いしながら、
「そうそう、今度の定期健診は来週末だそうだよ。
職員の一年に一度の健康診断で予約がいっぱいらしくてね、少し早めてやるそうだ。
仁、ちゃんと予定に入れておいてくれよ」
今後のスケジュールを伝えると、突然、真摯な眼差しを仁に向けて、
「大丈夫かい?」
葉の裏側を確認するかのように、探るように尋ねた。

「ああ、平気さ。俺は大丈夫だよ。オーウェン、おまえも年寄りの仲間入りかぁ?
細かいことを一々聞いてくるんじゃねえよ」

 バシッと背中を叩かれて、じんじんと感じる痛みに文句を言いながらも、
「仁が大丈夫なら私はいいけどね」
オーウェンの口からは安堵の溜息がつい漏れてしまっていた。

「さあ、食おうぜ……。おっと忘れるところだった。今度、ロールキャベツを作るからな。
オーウェン、挽き肉用意しとけよ」

 ペアを組んで早十年、慣れ親しんだ男の声は今日も元気いっぱいだ。

「今度は秋刀魚も焼いておくれよ」

 このプロの料理人顔負けの腕前を持つ相棒は、オーウェンがリクエストすれば笑顔で「いいぜ」と応じてくれる。

「ただし、おまえがちゃんと買ってくるならな。大根はこの間の赤いヤツにしようぜ。
あの唐辛子入りの改良のヤツ、結構うまかったからさ」

 その笑顔が眩しくて、オーウェンは思わず目頭が熱くなった。

「やられたよ、玉葱が目に染みてしまった」

 隣りで笑う男が「ほら、ちゃんと洗えって。玉葱を馬鹿にしるなよ、痛ぇぞ」とどこまでも明るく笑うから、オーウェンはいつまでも彼に笑っていてほしくて、泣き顔を見せられなくなった。

 水道で顔を洗って目元を拭う。それでも、顎に伝う水滴は流れ落ちた。

「おまえには秋刀魚を焼くの任せられねえな。煙はもっと目に染みるぜ?」

 途端、仁が袖を乱暴に押し当ててきた。
二十歳以上も年の離れた長身のオーウェンの顔を見上げるようにしてごしごしと拭う。

「心配するな。俺は平気だ。さ、うまいもん食って午後も頑張ろうぜ」

 こんな時、オーウェンはこの相棒の潔さが憎らしくなる。

「ああ、食べよう」

 その潔さが哀しくなる。

 戻れるならば、二年前に戻りたいと切に願いたくなるのだった──。



illustration * えみこ



えみこのおまけ




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