眠れる卵 vol.7



 それは人目を気にしての移動になった。

「ルティエさんがロザイ侯の養い子だとしても、その瞳は村の者には目の毒なんだから。
くれぐれも人目につかないことだよ」

 その助言を神妙に受け止めつつ、ムスタムの家の裏手に広がる森で風精の召喚を行うためにぼくらは動いた。

 道中、森までの道行きの半分も来たところで、ステラがシンとぼくの間に入り込み、
「ルティエさんが大事なら、早くこの村を出ておいき。
あのトリューナンのドラ息子の言動に振り回されて村長はいらだっている。
今、この村を守ることで村長はとにかく必死さ。
ロザイ侯の目を盗んで、無関係なこの子を売り飛ばそうと考えても別に驚きやしない」
ムスタムやカリ・エラから隠れるように、そう囁いてきた。

「オッドアイの価値はカリ・エラの比じゃないよ。
売り飛ばすまではしないとしても、精霊の恩恵を村にもたらそうとルティエさんを引き止める輩が出てこないとも限らないんだ。
ルティエさんの使い道は多いよ。とにかく、出て行くのは早いに越したことないんだからね」

 息子の恋人を気に入ってないわけではない。それどころか幼い頃から見知った娘だと言う。
ステラがカリ・エラのことを助けたいと思わないはずがない。

 ぼくらに親切にも忠告してくれるその経緯には、ステラの中で多くの葛藤が渦巻いただろうにと、何よりも苦渋の選択をしたと言わんばかりのその難い表情が物語っていた。

『オッドアイは精霊の愛し子の証し』

 カリ・エラの台詞に、生き神さまみたいに崇め奉られていたカンギール・オッドアイの瞳を持つ人の子の話が頭を過ぎった。

 自然に愛されたオッドアイ。その瞳によってもたらされた村の豊饒。
五十年以上も前の裕福さが語り継がられている限り、カルバ村はカンギール・オッドアイを抱く者を求め続けるのだろうか。
まるで亡霊にしがみつくように──。

 何だか、すべてが悲しかった。
村の人たちも。かつて、村のために生きることを余儀なくされたカンギール・オッドアイも持つ者も。

「早いとこ、ロザイに帰ったほうがいいんじゃないか?」

 そんなぼくの心を読んだかのように、ぼくの決心を確かめんとシンは呟く。

「こんな状態ほっといて?」
「オッドアイを見つけたら何するかわかったもんじゃない。
追い詰められた兎は怖いんだ。危険に身を晒してまですることじゃない」

「でも……」
「おまえに恩や義理はないんだ。お遊びはここまでにしておいたほうがいい」

「でも、放っておけないよ。知らずにいたのならともかく、知ってしまったら──」

 目を瞑るなんてできない……。

「おまえ、ホント変わんないな、そういうとこ。
そうやって周りが自分のこと遠巻きにしてるの知っているくせに、困ってる奴は放っておけないところ。
ほんとルティエ、変わってないよ」

──違うよ、シン。ぼくは変わったよ。

 見ない振りをしながら盗み伺う人たちの態度に、今はもう諦めに近い感情しか持てないほどに慣れてしまった。
思い切って近付いたところで、散り去る人たちを追いかける気力はもうないに等しい。
期待して裏切られるより、最初から期待しないほうが楽だから。

 でも、カリ・エラやステラは彼らとは違う。
興味本位に陰口叩いて、遠巻きにぼくの様子を伺う彼らとは違うんだ。

「あの人たち、ぼくを恐れないよね」
「この地では、精霊の愛し子のイメージが強いみたいだな」

「背に腹はかえられない?」
「いや。精霊の愛し子のイメージが大き過ぎて、オッドアイ本来の力への認識が希薄になっているんだろう。
例えば、白昼の月を思い浮かべてみろよ。改めて空を見ない限り、なかなかその存在には気づかない。
陽の光が余りにも強烈だから、月の光が目立たないんだ。それと同じだよ。
自分たちの生活を潤していた愛し子としてのオッドアイのほうが、ここの村人たちの生活に密着しているんだろうな」

「彼らは知らず知らずのうちに、自分に都合のいい解釈をしているって言うの?」
「加えて、王宮と違って腹の探り合いなんてないんだろうさ。あってもあそこまで陰湿じゃないんだろ?」

「要は単純ってこと? 毎日の生活が根本になってて」
「まあな。そういうこと」

「シンは中級以上の魔導師を探していたよね。あれはどうして? さっき訊いてたでしょ?」
「ああ。あの手紙に施された細工は初級の奴には無理だからな」

「細工って……、そんなことまで母さまが?」
「何事も情報収集は怠らない性分でね」

「情報って言えば、どうして霧の調査だなんて嘘つくのかが不思議だった」
「だった?」

「うん。でも、シンがそこに目をつけた経緯がわからない」
「そうか。ま、最初はカンかな。
この村がオッドアイに敏感だって気付いた時点で、『オッドアイの呪いについて教えて下さい』の直接攻撃は無駄だとわかったからな。
オレの身分を明かしたところで人身売買らしき非道なことを公にされたくない連中には逆効果でしかない。
そんなことをしても余計口を閉ざすだけだ。
例え、オッドアイの呪いのせいだとしても、それはやっぱり褒められた行為じゃないだろう?」

「確かにそうだよね」
「村に有益で、かつ、正当な理由でもっての調査ってのはなかなか賢かったろ?」

「自画自賛だね。でも、咄嗟に考えたにしては的を得てたよ。
でも、つまり、……ってことは、シンは例の呪いと霧は関係ありって思ってるんだ?」

「まあ、とりあえず、呪いの影響、もしくは手段に霧を用いたんだろうな、とは推測しているかな。
こう、手を振って風を起こしても、生命の息吹が風にないのが不自然過ぎる。
村での風の流れがほとんどないのも不自然だけど、風精がまったくいないのは絶対おかしい。
ルティエはそう思わないか? 本来、風精は隙間さえあればどこにでも入り込めるんだぞ?」

「つまり隙間がないかもしれない? それって」
「ああ。結界だ。この霧が結界の檻で囲まれてるとしたら風精を召喚しても無駄だろう。
ただ、召喚が失敗したらしたで結界の存在が確認されるわけだから召喚は無駄にはならない。
結界が張ってあるのなら力尽くで破って、籠ってる霧を外に掃き出してやればいいんだ。ま、何とかするさ」

──優しいね、シン。

 結果的には、ぼくに付き合う形になってしまったのに、文句も言わずに協力してくれる。

──変わらないのはシンのほうこそ、だ。

 いつだって無謀にでしゃばろうとするぼくの背を見守ってくれてた。
拒絶され、傷ついたぼくにいつでも手を差し伸べて慰めてくれた。

「シン、は……。昔のまんま、だね」

 ぼくは自然とシンに向き合い、微笑んでいた。

 そんなぼくの黒く染めた髪を一筋指に絡めると、
「まずはやれることをやるしかないだろ?」
シンは行く手の森に視線を向けた。

 大丈夫、樹々がきっとカルバ村の村人たちからぼくらの姿を隠してくれる。

 そんな漠然とした安堵が、ぼくの中に広がっていた。





 単に大きな風を起こす場合、風精の力の強弱よりもその数が問題となる。
風精が集まる分だけ、ここに向かって四方から風が吹くからだ。

 ムスタム、カリ・エラ、ステラ、そしてぼくの四人はシンがこれから行う魔道の発動の邪魔にならないよう、シンから離れて立っていた。

 ステラひとりが落ち着きなく、
「大丈夫かねえ。うまくいけばいいんだけど」
ムスタムやカリ・エラに何度も伺ってはそわそわ不安そうに気を揉んでいた。

 そんなステラに、
「一応、駄目もとで風を呼ぶ」
シンが振り向いて一声掛ける。

「駄目もとって失敗するってことか?」

 ムスタムが仏頂面を隠さずに尋ねてきたので、
「黙って見てて。シンを信用して」
シンの心を乱されたくなくて、それ以上の彼の言葉をぼくは制した。

 そんなぼくに、シンはひとつ頷いて見せると、
「彼方より集まれ、風精の子らよ」
気を高めたあと、静かに風の呪文を紡ぎだした。

 昔、何処かで聞いたような懐かしい子守歌のような召喚呪文が綴られてゆく。

「眠れるこの地に集いて清涼なる風をもたらし、大地に息吹を与えよ。
生命を運ぶ風の子らよ、我が声に応えん」

 シンの召喚呪文が終った。だが、風は吹かなかった。

 シンは二度続けて唱えたが、すべての召喚が失敗に終わった。

「結界が召喚呪文の邪魔をしている。こうなったら結界の境界を探し出して性質を究明するしかないな」

 シンは遠く広がる森をゆっくりと見渡してから、ぼくらのもとへやって来て、これからすべき方向を指し示した。

 一縷の望みを期待していたステラは、「やっぱりダメかい」と肩を落とし、彼女の息子のムスタムは、「それ見たことか」と踵を返して走り去ってしまった。

「ごめんね、カリ・エラ。こうなる可能性があるってことわかっていたのに、へんな期待させちゃって。
でも、この召喚は……、結界の存在の確認には必要だったんだ」
「いいのよ。気にしないで。私、落ち込んでなんかいないもの」」

 カリ・エラは強い。固く信じるものを持って揺るぎがない。
その強さの根本に何があるか、ぼくにはまだわからないけど、カリ・エラの強さに惹かれてゆく気持ちは止められなかった。

「ルティエ、召喚呪文が発動する場所を探すぞ。その近くに結界の境界線があるはずだ。
多分、この霧が教えてくれると思うが……」

 シンは、霧と結界の関係をずっと気にしていた。
確かに、この状況は常識では考えられないことで、とても不自然だ。
これほど長期間、特定の地域だけが一度も晴れることなく霧に覆われ続けるなんて奇怪な話、噂好きの貴族たちが知ったら絶対見逃すはずがないだろうに。
社交界を敬遠しているぼくはともかく、どうやらシンも初耳だったようだ。

──とにかく、今は結界を破ることだけを考えよう。

 そのためにはまず、結界の境界線を特定しなければならない。
結界の境界線を探すには、そこかしこで地道に召喚呪文を繰り返すしか方法がない。

 結界内では召喚が効かない。それは今、シンが実験してみせたとおりだ。
つまり、召喚呪文が発動したところはすでに結界の外ということになる。
シンは、呪文が発動するところと発動しないところの境目にあたる場所を探そうとしていた。

「ねえ、二手に分かれようか?」

 個々に探したほうが能率がいい。人手があるに越したことはない。
召喚の呪文は知らないが、ぼくにもできることはあるはずだ。
少しでも、ぼくがみんなの役に立てるなら──。

 だが、シンは、ぼくの提案に首を振った。

「止めとこう。おまえの身を案じながらじゃ、オレのほうが風の吹く境界探しに本腰を入れられそうもない」

 笑いながら片目を瞑っておどけるところなど、昔のシンの面影が色濃く残っていた。
何の表情もないと冷たく見える綺麗すぎる容貌も、こんなふうに笑みを浮かべるだけで優しさで包まれた穏やかな印象に変わる。

 王宮にいた頃、シンはぼくを見る時、いつもこんな微笑みを向けてくれていた。
それは今でも、なのかもしれないけれど。

──シンのこの微笑みをいつまでも見ていたい。

 湧きだす想いに、ぼくは自分の弱さをはっきりと感じるのだった。

 自分を簡単に許してしまおうとする、ぼく自身のこの弱さがとてつもなく嫌だ。
楽なほう楽なほうと逃げ惑うぼく。カリ・エラの強さと相反している……。

「この近くで霧が晴れている場所があれば知りたい。案内してくれないか?
それと、わかる範囲で構わないから霧の籠る地域の詳しい地図がほしい」

 シンの言葉に従って、カリ・エラに現地点から一番近くの霧のない場所を案内してもらい、その間、ステラには一度家に戻ってシンの欲する地図を持ってきてもらうことになった。

「できるだけ急いで戻るよ」

 そう言い残して、ステラは足早に家路につく。

「さあ、こっちも出発しよう」

 シンの誘いに、カリ・エラとぼくは強く頷いた。






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