十二月の贈物 vol.4



  「今日はひとりで滑らなくても済むかなあ」

 内心、初心者コースなら何とか滑れるようになった嬉しさもあって、四人揃ってコースを回れたらいいな、と淡い期待を抱いていた。
が、それもペンションから出るまでのこと。送迎バスに乗り込む時には、すでに望みは泡と消えていた。

 前日の噂を早くも聞き付けてきた女の子たちや練習熱心な奴らたちが和義のまわりに集まって、「教えてっ」の重奏を始めたからだ。

 徳永や悟のところも、ターン技術を伝授してもらおうする連中でいっぱいになっている。
学校主催のスキーツアーにしては基礎を教えてくれるスクールなどの用意がない。

「それがいい」と言って申し込むこの三人みたいなのもいるんだけれど、俺やほかの初心者連中にしてみけば、「自由気ままに滑りなさい」は少し厳しいものがあった。
結局、「誰かに縋りなさい」ってことになるからだ。

 かくしてその日、和義たちを中心とした即席スクールが開催された。それも、前日とは打って変わっての大人数で。

「一応記事になるかしらね」

 仕事熱心な鮎川は数回シャッター音を響かせながら、俺と徳永の脇にやってきた。

「よくカメラを持ちながら滑れるね。感心しちゃうよ」
「慣れよ、慣れ。こんなこと、そっちの徳永くんたちなんかお茶の子さいさいにやってのけるわよ。
克己くんだって頑張ればできるようになるって」

 昨日に比べてすごく上達してる、と評価されては頑張らざるを得ない。
一応自分でも少しずつ滑れるようになってるんだってわかるし。
スキーが少し好きになってきたってところかな。

 さっきも一度休憩したあとに悟たちが俺を中級コースに連れて行ってくれて、相も変わらず俺はボーゲンしかできないけど、初心者の俺でもひととおり、初・中級コースなら何とか行けるんだなってわかった。

 これはすごい進歩だ。ほくほく顔になってしまう。

「さ、そろそろ今度はシュテムターンを練習しようね。
斜滑降で行って、ターンはボーゲンみたいに八の字。じゃ滑ってみて」

 徳永はひとつの斜面だけはうしろから追って来たが、次からは先に行って、下で俺を待つ方法をとった。

 だから、滑ってる時はひとり。側には誰もいない。
転んでも自分で起き上がらなくてはならない。涙が出てしまうような孤独感さえあった。

「ちゃんとできてるよ。あとは慣れだね。重心移動を身に着ければ大丈夫。
克己くんは綺麗な滑りをしてるよ」

「綺麗な滑りって言ったって、俺はこんなに転んでるのに」
「あはは。綺麗ってのはね、癖がないってことなのさ。
もう少したってパラレルに移る時、癖があると苦労するんだよ。
克己くんはその点ではいい感じになってる。目一杯二日滑ってここまでくればまあまあだね」

 夕方、終了時間が近付く頃、俺と一緒にいたのは徳永だった。
ほかにも俺同様の実力の連中が同じようにシュテムターンを練習していた。

 徳永、悟、和義の三人が実力に合わせて連中を振り分けた結果、俺は最初、悟のとこにいたんだけど、途中から徳永のこのクラスに加わったのだ。

「和義たち、上のほうにいるのかなあ」
「気になる?」

 雪山を見上げた俺に徳永がすかさず訊いてきた。

「パラレルの練習は適度に角度があったほうがいいしね。
そんなに上のほうに行ってないとは思うけど……。何なら一緒に探そうか?」

 この旅行でひとつ気付いたことがある。
和義より悟や徳永のほうが俺への態度が柔らかいのだ。

 なぜだかわからないが、和義は俺といるのを避けている。わざと一緒の時間を減らしている。

「スキーって同じレベルの人と滑ってたほうが楽しいもんかなあ」
「まあね。同じくらいか、自分より少し上手なくらいがベストだね」

 だからかな。俺が下手だからかな。たまたま滑るコースが違うから擦れ違ってるだけなのかな。

「みんなもそろそろペンションに帰るみたいだし。どうする? 克己くん次第だよ」

 少しは和義とも滑りたい……。待っているだけじゃ駄目なんだ。だったら俺から行くしかない。

「そうだよな。うん。じゃ、探しに行こうよ。徳永、目星ついてる?」
「おおよそのコースは聞いてるから、まあ安心して。ちゃんと連れてってあげるよ」

 ナイターは雪が凍るし、俺の身体にもあまり良くない。だから俺は日中しか滑らなかった。
和義たちも同様だ。夕飯後はゲームに勤しむことにしてる。

 俺と徳永は夕暮れで空きだしたペアリフトに乗り、次々とリフトを乗り継いでコースを渡っていった。

 途中、ペンション村隣接のゲレンデに向かう何人かの知った連中に会い、俺たちはその中に悟をみつけた。

「ああ。あいつらならこの先にいたぜ」

 またひとつリフトを上がると、いまだ熱心に教えている黒のウエアが見えた。

「いた。あそこだ」
「やってる、やってる。へえ、すこし瘤があるんだね。克己くん、頑張りなよ」

 瘤の存在を馬鹿にしていたわけではないが、「ちょっと盛り上がってる程度」の軽い気持ちでいた俺は愚かだった。
板の自由が全然利かなく、スピードも簡単に出てしまうのだ。

 徳永が少し進んでは「そこを曲がって」と指示してくれるのだが、どうしても怖くて端から端に横切ってしまう。
ターンをするとすぐ転ぶし。マジに参った。

「よくこんなところで練習なんかしてられるよ」

 この先続く瘤に、はあ、と諦めの溜息をつく。

──とにかく、地道に滑り降りるしかないな。

 そのうちやっと和義たちの声が聞こえてきて、俺はほっと胸を撫で下ろした。助かった、と言わんばかりにである。

「やっほー、そっちの上達振りは? 俺のほうは結構進んだよ」

 シュルシュル……と滑っていく徳永は瘤を瘤とも思ってない。

──何だか悔しい。

 そんな拗ねたくなる俺の気持ちなど露知らず、
「ほかの連中ももうあがってったから、カズたちもそろそろ終りにしたら?
せっかくこうして迎えに来てあげたんだしさ」
徳永が赤らむ空を指した。

 俺も会話に入りたくても、瘤に挟まってどこの道を通って降りるか思案するので精一杯でおしゃべりをする余裕などなかった。

「おまえ、克己まで連れて来たのか……」
「悪かった? 克己くんが行くって言うからね」

 ふたりとも気楽そうに立っていた。手持ち無沙汰の退屈しのぎにストックで瘤を突きながら削ってるんだ。

 その余裕が羨ましい。少し分けてくれ、と言いたい……。

「やっ……た。追い付いた……。ここ怖いな、俺にはまだ早いみたいだ」
「克己くん、頑張ったじゃない。フォームは崩れちゃうけど初めての瘤にしちゃすごいよ」
「あと少しで瘤も終りだ。あとは安心して滑れるだろ? 克己にしちゃよくやったよ」

 へへへ。照れるな。

「じゃ、先に行くから」

 まわりには五人くらいの人がいた。中のふたりは、昨日、和義に声を掛けてきた娘たちだった。

 彼女たちも次々と滑っていく。たまにぐらつきながら……。でも転んではいない。

「退いてっ、そこぉっ! きゃ──っ!」

 上方からの絶叫に、余裕がないのは俺だけじゃないんだな、となぜか安心感を持ちながら、「さて、どこを通ろう」と俺は通り道を選び抜いていた。

「あそこには瘤があるから、と……」

 ちゃんと考えてから行かないと地獄を見るのはしっかり身体で知っていた。
初心者マークの俺としてはスピードより確実性を狙うべきなのだ。

 雪の削られる冷たい音が近くに迫ってくる。俺に上を見る余裕などない。
悲鳴の主を助けてあげたいのはやまやまだが、そんな実力は持ち合わせていないのは身に染みてわかっているので、心の中で「許せよ」と詫びつつ、目先の瘤に集中した。

 ところが──。

「克己っ、そこどけっ!」

 弾丸のような早口の、和義の声が突然聞こえた。

 でもその時にはもう遅かった。俺もその彼女と一緒になって谷に向かって加速度をつけていたのだ。

 彼女は途中で転んで、それに引っ掛かった俺も倒れ込んだ。

 でも、勢いが勢いだったからそのまま速度も減速にはならず、真下に向けて一目散と落ちていく──。

 悲鳴など出なかった。『落ちてる』という感覚しかなかった。
落ちながらも他人事のように、「そのうち止まるだろう」なんて軽く考えていた。でも止まる気配がない。

 斜度がさっきよりきつくなっていると気付いた瞬間、手足が動かなくなっていた……。

 堅いものが当たって痛みを知った。身体が痺れる。雪にめり込むのがわかった。

 瞳を開けるとそこは新雪。

「しっかりしろ。どこか怪我したか? おい、克己っ」

 息苦しいのは和義の重みのせいだった。襟足に触れる雪が冷たい。

「おーい、生きてるぅっ?」
「ああ!」

 斜面上方から聴こえる徳永の声に和義が応えた。

 ふと周りに目をやると肩近くには樹木の太い枝があり、それが折れていることに今さらながら驚く俺。

「ここ……どこ? さっきの瘤のコースの下?」
「下は下でも滑走禁止場だ。あのコースのあとにはコーナーがあってそれを曲がらなくちゃいけないんだ。
それを直進して落ちるとここ。おまえ、怪我はないんだな?」

「う……ん。ちょっと肩が痛いけど大丈夫だと思う」
「一応見せてみろ」

 和義は俺の腕を少し動かして痛み具合を確かめた。
枝にぶつかっただけで異常はないと判断すると、お互い落ちたところまで登らなくてはならなくて、ほとんど無言の世界だった。

 和義は自分のストックと板を捜し出してから担いで登った。
俺のはここに落ちる前にどうやらどこかに散ってしまったらしい。

 和義の白い息が俺の息と重なって、こんな状況なのに俺は嬉しくなってしまった。
今日はほとんど和義と顔を合わせていないのだ。
こんな場所ででもふたりでいられるのなら俺は嬉しい。

 世界は輝いてるんだなあ、などど思ってしまったりして、俺はついほくそ笑んだ。

「和義、明日はイヴだね」
「おまえ元気だなあ。自分がどこに落ちたかわかってないようだな」

 重くて歩きづらいスキー靴のせいで、俺と和義の時間は増えている。
雪原というには急斜面だったけれど、ふたりでいられるならここも素敵だ。

「ね、キスしてよ」
「ここで?」

「うん」

 一瞬頭を傾げると、和義はふたつ板を揃えて地面に刺した。
俺の唇に暖かいものを押し当てる。

「おまえって以外と度胸が座ってるんだな。こんなとこでキスねだる奴だとは思わなかった」

 だってずっとひとりで滑っていたんだ。人恋しくなるのは当然じゃないか。

「こんな俺は好きじゃない?」
「そんなことないよ。俺としては安心した。それに嬉しいな。
同じベッドで寝てるのに平気な振りするのは辛いんだぜ。徳永がいなけりゃ押し倒してるよ」

 そして深い口付け。けど、長くは続かなかった。

「何やってんだよー、ふたりともぉーっ。早く上がってこいよーっ」

 一見、善人に見える黒い悪魔はあそこにもひとりいたのだ。

 一方、俺に触れてる悪魔といえば,、黒く尖ったしっぽを揺らして、徳永を無視して俺の顎に舌を這わせてる。

 しかし、
「カズーっ、お楽しみは夜にしよーねーっ」
仲間の悪魔のその言葉に「ちっ」と舌を鳴らし、和義は再び雪坂を登ることしたようだった。

「徳永の奴、他人の恋路を邪魔すると、そのうち自分の時に大泣きするぞ」

 悪魔同志はあまり仲がよいとは言えないらしかった。



 和義に避けられてる──それはどうやら気のせいのようだ。
よかった。和義は俺の側にいてくれている。

 そんなふうにほっとしながら、俺は他人に突き飛ばされたわりには上機嫌でコースまで上がっていった。

 そうして無事登りきると、そんな俺の様子に何か感じるところがあったのか、徳永が和義に蠅のように付き纏って、
「カーズっ。俺ってば寂しいな。千葉だって寂しいよ、きっと」
まわりの女の子に話しかける機会を与えない。

 ペンションの明りが見えるまで和義が無言でいたのをほかの連中は不機嫌に取っていたようだった。

 確かにその通りなんだろうけど、俺としては笑うしかない。

「やーらしいな、克己くんっ。ひとり笑いはスケベな証拠だよ」

 徳永は今度は俺に白羽の矢を当てることにしたらしい。

 雪に囲まれてのキスは、冷たさと暖かさが混じってた。
暖かいだけのキスよりほんの少し、しゃきっとした感じを受ける。

──雪を溶かすくらいに、もうしばらくふたりで……。

 それは俺だけが思っていたことじゃなかった。

 あのキスが、俺にそう教えてくれた。






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