午後、和義はリフトを三つも乗り継いでまでして別のコースに俺を連れ出した。
確かに雪質はいいみたいだけど、そこはずいぶん傾斜があるように見えた。
「あの……工藤くん。あたしたちにも教えてくれない?」
一本滑って、再びリフトに乗った。
そして再度挑戦……って時に、華やかなウエアのふたり連れの女の子たちが、ふたりいる工藤に対し和義を選んで声を掛けてきた。
「今、シュテムなんだけど、今ひとつ先に進めなくて」
ちらちらっと俺に目配せしながら、その娘たちは甘い撫で声でそう言った。
和義はストックを雪地に刺すと何か言いかけ──。
しばらく考えてから、「いいよ」と返事をした。
当然、彼女たちにとって俺という存在は邪魔者となる。
その雰囲気作りは見事なもので、とうとう俺は、
「少しひとりで練習して来る」
そう言わなくては状況に追い込まれた。
けど、俺だって本当は不愉快だったんだ。何も言えなかったけれど。
去年同じクラスだった鮎川小百合がそんな俺のストックを拾ってくれたのは和義と離れてすぐのこと。
これ以上もないくらい派手に、俺が銀世界に乱れ散った時だった。
板もストックも耳当ても、ゴーグルさえ飛ばして転んだ際、
「克己くんたら、しっかり初心者してるぅ」
知識のない俺でさえいいカメラだとわかる、いかにも高そうなそれのシャッターを切りながら新聞部の彼女は軽やかに言った。
「残念。お義兄さん奪られちゃったね。こっちも商売上がったりだわ」
和義の写真は闇値で相当売れるのだが、女の子が一緒だとやはり売れ上げが落ちる、と鮎川は語った。
「克己くんのも売れるのよ。何たって知る人ぞ知るあの『KATSUMI』だものね。
工藤くん……あ、今は君も工藤だっけ。
あっちの……和義くんと克己くんのツーショットってそういう意味じゃネガ代浮くのよ」
「俺、初耳だよ。新聞部って写真部みたいなことしてるんだな」
和義の写真……ってのは売れるのがわかるけれど、俺のってのは理解しがたい。
「STEP」の隠れファンが買っていくのかな。
「あら、あたし写真部にも入っているのよ。知らなかった? 趣味と実益を兼ねてるの」
鮎川は俺を起き上がらせてくれると、飛び散ったものまで集めてくれて。
俺はこんなふうに女の子に世話してもらうだけで何もできない自分が情なかった。
ま、拾おうとすると、ずずず……と落ちていく俺の哀れなその姿が、彼女を動かしてしまったわけなのだが。
「あたしね、将来出版社に勤めたいの。編集がしたいのよ。
だから新聞部と写真部の両立は将来への肥やしになるわけ」
「ふうん、もう将来のこと考えてるんだ。鮎川さんって偉いなあ」
「偉い……ったって。克己くんたら何言ってるのよ。君のすぐ近くはいい例がいるじゃない。
『STEP』なんかモロ夢に燃えてるって感じするわよ」
「『STEP』が? 悟は何も言ってないけどな」
「プロデビュー狙ってるんじゃないかな、彼ら。意気込みがね、伝わってくるのよ。
克己くんはあの『KATSUMI』なんだから、そんなことくらい気付きなさいよ。
軽音部で特別光ってるのも、ほかのバンドとじゃ真剣さが違うからよ。夢を追ってるってわかるもの。
あたしがそうだからかもしれないけどね」
「そっかなあ」
ひとつ間違えればコメディバンドに転びそうな連中なんだけどね。
「あーあ、せっかくの被写体が……。あの娘たち、早く行っちゃわないかなあ」
すでに抜かされ、ずっと下のほうで豆粒となっている黒のウエアを鮎川は見ていた。
そして次に、俺の雪塗れの無残な姿に目を移し、「見た感じじゃ、よっぽどあの娘たちより克己くんのほうが指導員を必要としてるのにね」などと口にして笑ってる。
「どーせ、下手だって意味だろ?」
「一目瞭然の結果が目の前にあるからね」
まるで雪だるまように無残なまでに雪まみれの真新しいはずオフホワイトのスキーウエア。
その証拠品に視線を飛ばされては、もう何もいい返せない俺だった。
俺たちの学校企画のこのスキーツアーはペンションを何件か借り切っていた。
男女別に部屋が別れてるくらいでペンション内では男女共に乱れ歩いている。
俺はあの上級者の三人と一緒に二階の四人部屋が割り当てられていた。
ペンションに泊まるのは、俺は初めてだ。
小さな可愛いホテルって感じの、でもすごく家庭的な温かさを持ったそれは、ちょっとどころか、俺は結構気に入った。
お風呂などの設備は我が家のとそれほど変わらない。
居間みたいなところでみんなでゲームをしたりして楽しく過ごせるのが良かった。
修学旅行で泊まるホテルとは違った楽しさがある。
一日目の今日の朝、俺たちはペンション村に着いてすぐ着替えてスキー場への送迎バスに乗り込んだ。
それからは各自で滑っていたものだから、一息付いたのは居間で盛り上がった十五人のとんでもないババ抜きから解放されてから。
多分、午後十時半を回っていた頃だった。
いつもなら寝るなど考えられないこの時刻、俺の瞼はふたつの錘(おもり)をぶら下げて、今にも閉じようとしていた。
「克己。これじゃ、おまえ寒いだろ?」
そうして自分の分の布団を俺のベッドの上に重ねて、すかさず俺の横に入ってくる和義を止められなかったのは、すべてこの睡魔のせいだ。
「おまえらね、俺たちが一緒だってことわかってんだろうな」
「俺は別に構わないよ。怪しい声が聞こえても聞こえない振りしてあげるね」
そんなこんなの会話がスネークアウトしていく。
「ふたりとも勝手に騒いでろ。俺は寝るからな。おやすみ。明日は六時半に起きろよ」
「あれっ、カズ、もう寝ちゃうの? 夜のお勤めは?
午後なんて克己くんをひとりぼっちにしてたんだろう?
俺たち、ほんと驚いたんだよ、雪だるまと化した克己くん見た時は。
おまえが見知らぬ娘たちといたのにも驚かされたけどね」
「おい。克己の身体、あの時すっごく冷たくなってたんだからな」
眠……い……。
それでも、悟の通る声はまだ耳に届いてきた。
「嘘だね。あれだけ動いたら、こいつの身体は熱くなってたはずさ。
セーターだって着せたんだ。冷たいなんてはずはない」
「ちっ、バレてんの」
「でも、疲れてるみたいだよね。明日熱を出さなきゃいいけど」
「大丈夫だとは思うんだけど、一応冷えるとヤバイからな」
「それで一緒にベッドインってわけ? カズも相変わらずだね」
「そう言うなよ。二律背反の心境なんだから」
和義の心臓の音が聞こえ、喉の動きに俺の髪が揺れた。
でもそれも薄れてゆく。
ゆっくりと、ゆっくりと……。
「突き放したい、が、そうもいかないって奴、ね」
「こいつ、きっと泣くぜ」
和義の「それでも……俺は……──」の声で俺はブラック・アウトした。
夢見が悪かったのは、まどろみの中で聞いた会話が頭にこびりついていたからだろう。
俺は翌日みんなより一足先に目が覚めた。
額に触れると熱は出ていない。俺はほっと安堵の溜息をついた。
一日ペンションに置いていかれるのは、やっぱり嫌だったから。
徳永と悟、そして一番近くで聞こえる和義の寝息が耳に気持ちよく聞こえた。
だから、今度はいい夢が見られるだろうかと思いつつ、俺ももう一度眠ることにした。
時計の針は午前四時を指していた。
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