十二月の贈物 vol.2



  俺は雪原を眺めていた。陽の光に輝いて眩しいくらいだ。

──なんて呑気に感慨に耽ってる時じゃないっ!

 怖いんだよっ、滑るんだよっ。

「克己、おまえねえ。一時間で十メートルって……。それはないんじゃない?」
「しょうがないだろっ。すっごく滑るんだからっ。そのまま滑って勢いついたらきっと止まんないっ!」

「へーき、へーき。転んだって痛くないから。ほらっ、思い切って滑ってみな」

 悟は簡単そうに言うけれど、これがなかなかどうして思うように身体が動かない。

 こんな重い靴を履いて、こんな長い板までくっつけてリフト乗った時なんか、マジに脚が抜けてしまうかと思った。

 信じられない。どうしてこんな重たいものを女の子までも軽々と操れるんだ?
重力制御装置でも隠し持ってるんじゃないか?

「何だ、こんなとこにいたのか。克己、何本くらい滑った?」

 俺をこんなところに連れてきた張本人が、シュッと雪を散らしながら俺と悟の斜め前に止まった。
サングラスをかけた姿はどこぞのファッション雑誌に出てくるモデルそのものだ。

 和義は全身ブラックのスキーウエアを着ていた。
黒はスキー上手に見せる効果があるらしいが、ウエアの助けがなくても和義は充分上手い。
小学生の頃からずっとやっているって言っていたから、並外れて上手いんだと思う。

 悟は真っ赤のウエア。郵便ポストのように赤かった。

 そして俺のはオフホワイト。

 ウエアを買いに行った時、「これだったら恥を晒しても目立たないだろう」と踏んで選んだのだ。
今更ながら俺の選択は正しかったと思う。

「克己くん、もしかしてまだ全然転んでないとか?」

 和義に少し遅れてやってきたのは徳永。
バスケ部の副部長であり、和義の親友。

 徳永もブラックのウエアだけど、所々に紫のポイントが入っていた。
ふたり並ぶと迫力さえある。いかにも「上級者」なのだ。

「千葉、まさかと思うが克己のこれ……、まだ一本目か?」

 黒のふたりは俺の雪のついてない綺麗なままのウエアを見て、呆れ混じりに、その実力のほどを判断したようだ。

 つまり、全然滑れてない……と。

「一本も何も……。情けないことに、まだたったの十メートルさ。
参るよ、克己ったら度胸のドの字もないんだぜ」
「それは慎重ってことだけど、この場合しっかり仇になってるねえ」

 徳永が千葉に頷きながら俺を見た。

「だろっ?」と同意を求める悟は、理解者を得て本当に嬉しそうだ。

 ふん。みんなはいいよ。すいすい滑れるんだからさ。

「悟、おまえも滑ってきていいよ。俺に付き合ってたらいつになっても滑れないだろ? 
俺、適当にここらへんにいるから」
「俺がいなくなったら滑らないで立ってるつもりなんだろ。そんなんじゃ上達しないぜ、おまえ」
「なら、俺が代わるよ。しばらく徳永と滑ってくれば? この二つ上のコースなんかなかなかイケるから」

 そうして和義は悟に手を振って、ふたりを笑顔で送り出した。

「さて、と。では扱くとするか。鍛え甲斐がありそうだものな」
「う……。和義、優しく教えてくれよ。俺は初心者なんだから」

「おまえのは初心者とは言わないな。まだ滑ってないんだから。ではまず一本。ほら、頑張れよっ」

 馬鹿っ。ぽんっと背中を押したりしたら、俺の身体は──。

「わあああぁああ……。ひぃっ……うぇええええっ………」
 ずずず……と落ちていく。

 やはり重力には逆らえないっ。

「板を八の字にするんだ。ほら、こうっ」

 何でっ、滑りながら他人の脚を触れるのおっ!?

「こっ、怖いぃっ! 和義っ、止め方っ、止め方ぁっ」
「そのまま内側のエッジを立てるんだ。両足の親指に力を入れてごらんっ。
そう……そうだ、ほら止まっただろう」

 信じ、られな……い。なんて奴。
止め方も知らない俺を突き落とすなんてっ!

「おまえっ、俺が止まらなかったらどうするつもりだったんだよっ。
止まったからいいようなものの、このまま落ちてったら死んでたかもしれないんだからなっ!」

「大袈裟な奴。死にっこないだろう、こんななだらかなコースで。
克己、谷のほうに身体を向けてればスピードは出ないし、さっきのやり方さえ覚えれば止まれるんだ。
ほら、もちっと滑ってみな」

 ひぃっ!

「和義の馬鹿っ、この悪魔ぁ──っ!」
「何とでも叫べ。全制動回転をマスターしたら聞いてやるよ」



──まったく。この秀麗な悪魔はこのツアーに参加する時、何て言った?

「克己はスキーしたことないんだろ。俺はおまえに視野を拡げてほしいんだ」

 そう、あの時は口付けに甘い吐息が混じっていた。

「でも俺の身体は出来損ないだから迷惑かけて終りだよ」
「最初から諦めるなよ。熱出たらボツになるからか? 行きたいんなら熱を出したって行けばいいだろ。
俺が看てやるよ。だから一緒に行こう、な。俺は克己と行きたいんだから」

「でもウエアもない……よ」
「買えばいいだろ、そんなもの」

 そんなものって……。意外と高いのを俺は知っているんだぞ。

「でも……」
「俺へのクリスマスプレゼントだと思って行ってくれよ。
来年は受験だからな、今年しかスキーに行けないんだよ」

「クリスマスプレゼント?」
「そ。その代わり俺もおまえに楽しい旅行をブレゼントするから」



「……なぁにが、楽しい旅行だぁっ! も、帰りたいっ!」

 叫びながら滑っていたら息切れがした。
ぎゅっと目をつぶるようにして脚に力を入れると、身体の加速度運動が止まっ……た。

「あ……れ?」

 ちゃんと止まってるんだよな。ほんとに自力で止まってる。

「そら見ろ。克己にだってやればできるんだ。少しは度胸をつけて転ぶくらいに滑ってごらん」

 板を平行に揃えて颯爽と和義が滑ってきた。

「でも……。マジにそんなに勢いつけて止まらなくなったら?」
「おまえのビンディングはちょっと転んでも板が外れるようになってる。だから骨折することはないさ」

 それから一時間みっちり突き飛ばされて、お陰で俺はボーゲンの形らしきものができてきた。

 悟と徳永などは「う〜ん、愛の力っ」とほざいていたが、和義の教え方を知らないふたりに俺の気持ちがわかって堪るものか。

 和義より悟のほうが教え方が優しいってのは詐欺だっ。



 午後一時、俺は昼食のカレーライスをスプーンでつっ刺していた。
疲れ果てた俺を残し、上級者コースを軽々と降りてくる三人の滑りは、見れば見るほど嘆息ものだった。

 込み合うレストハウスの中、知ってる生徒はいなかった。
スキー場自体がすごく広いのだろう。

 あとから合流した三人が少々の休憩を挟んで、またゴーグルを手にする。

「さて。午後も頑張るとしますかっ」
 徳永が立ち上がった。

 数日後には、このゲレンデも倍の人数で賑わうことになる。
それを踏まえて、どこでも自在に滑れる奴らはいまのうちに堪能するつもりらしい。

「克己、行くぞ。早く来いっ」

 イヴは明後日に迫っていた。






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