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黒塚古墳から大量の三角縁神獣鏡

 1998110日、奈良県天理市の黒塚古墳から三角縁神獣鏡と呼ばれている鏡が32面出土したことを新聞各紙が大きく報じた。後に1面が追加されて合計33面になった。三角縁神獣鏡の出土数としては、京都府相楽郡山城町の椿井古墳から出土した32面を上回る最大のものである。この三角縁神獣鏡は魏志倭人伝に記されている邪馬台国の卑弥呼に与えられた鏡であるとの学説があり、邪馬台国の所在地論争と結びつけた大報道が繰り広げられた。

邪馬台国の所在地については大和を中心とする畿内にあったとする「畿内説」と、北九州にあったとする「九州説」が有力であるが、結論がでていない。この畿内説の有力な根拠として「三角縁神獣鏡卑弥呼の鏡説」が上げられていた。ただ肝心の大和で三角縁神獣鏡が出土されていないことが弱みとなっていたが、今回の発見によって畿内説の学者から「黒塚からの出土ですっきりした」との感想が出ている。一方、九州説の学者からは出土数の多さから「これで国産とはっきりした」との見解が示され、また畿内説の学者の中からも「これは大和王権の作成した鏡であって卑弥呼とは関係ない」という意見がでるなどして三角縁神獣鏡を邪馬台国所在地論争から切り離す機運が高まっている。しかし考古学、日本古代史関連の要職にある一部の学者が強く「卑弥呼の鏡説」を唱えており、それにニュースバリューを感じるマスメディアがとびついて「邪馬台国畿内説有利に」などの報道を展開した。