7フィートハーシェル鏡の複製(5)



酸化セリウムでの研磨1時間で半光沢になった鏡面

鏡面を覆う無数のピンホール(再研磨の砂擂り中)。右下の鬆の長さは約1.7mm。

ベンガラ研磨で金属光沢に

レモンピールで像が細かく乱れる

25cm反射赤道儀へ取り付けた金属鏡

25cm反射赤道儀に口径13cm用の斜鏡を取り付け

 12月も下旬になってピッチ研磨を開始しました。ピッチ盤研磨では鏡と盤との全面一致が不可欠ですので、ストーブの温風でピッチ盤を暖めて軟化させ、石鹸水を塗った鏡を重ねて1時間ほど放置して鏡と盤をなじませました。さらにストーブを利かせた部屋で10分ほどごく薄い酸化セリウム液で研磨をした後、ピッチ盤の溝の不具合を修正しました。やや高めの気温の状態で酸化セリウムによる研磨を2時間行い鏡の周囲10mmほどを除きほぼ全面が金属光沢を放つようになりました。ガラス鏡より早く研磨が進むので、案外楽に研磨が進行していくかのように思えました。ところがここに大きな落とし穴が2つも待ち受けていたのです。その1つは焦点距離の短縮で、2つ目はきれいな金属光沢が得られないことです。ガラス鏡のピッチ研磨では焦点距離が何cmも短くなることはありません。それが2時間の研磨で3cmも短くなったのです。そして、金属光沢となったとはいえいま一つすっきりした光沢面に仕上がらないので、さらに5時間研磨を続けたところ焦点距離はさらに3.5cmも短縮されてしまいました。この5時間の研磨は焦点距離の短縮を防ぐために気温は予定の12℃で鏡の直径の1/4以下の短い前後運動をするという注意を払っての作業でした。ピッチ研磨の合計時間が7時間になっても金属光沢は鈍いままで、鏡の裏面の方がむしろ良い光沢を示しています。鏡の裏面は砂擂り作業中に手でこすられ続けていたので、かなりツルツルになっていました。半光沢状態の鏡面をルーペで見てみると、あたかも深成岩の等粒状組織のような粗粒の構造が見え、その粗粒の中にはさらに微細な結晶構造のようなものが見える二重構造の組織となっています。鏡の裏面の金属光沢の部分ではこの微細な構造が淡くなっていて、これが金属光沢と半光沢の違いのように感じられました。

 研磨作業が長引くにつれて、鏡面が鏡端1mmほどで急にダレさがるターンエッジが発生してきます。同時に鬆や無数のピンホールの周辺もターンエッジ同様に掘れてきて、レモンピール状態となってきました。この段階まできてようやく今までのガラス鏡研磨の方法が金属鏡には全く通用しないことに気づいて、現在のままで鏡を完成させることを諦め、砂擂りへもどることにしました。しかしこの失敗を失敗のままで終わらせず、ここで金属鏡研磨の手法を探求することに利用しようと、ホワイトアランダム#6000や#8000(粒径は可視光の波長以下)、ベンガラ(四三酸化鉄)等でピッチ研磨を試行しました。現在ではベンガラをガラス研磨に使うことはほとんど無いと思いますが、たまたま昔の研磨材を保管していた段ボール箱の中に375g(尺貫法の百匁)入りと書いてある古いながらも上質なベンガラがありました。これらの試行の結果、ベンガラが金属光沢を得るのに最も有効だと分かった頃には年も明けて2004年となっていました。

 ここで少々寄り道ですが、イタリーへの格安ツアーヘ急遽行くことにしました。目的はローマのカンポ・ディ・フィオーリにあるジョルダノ・ブルーノの銅像やフィレンツェにあるガリレイのお墓の写真を撮ることおよび同じフィレンツェにある科学史博物館に展示されているガリレイの望遠鏡とレンズ等の見学です。この科学史博物館には思わぬものが展示されていて、撮影禁止であるのを係員に頼み込んで、1枚だけという条件で撮影を許可してもらいました。その展示品というのはあのハーシェル7ft望遠鏡とそっくりの望遠鏡で、はじめハーシェル作と思いましたがフィレンツェの天文学者で特殊なプリズムなどの考案者として有名なG. B. アミーチ(1786〜1863)の作品でした。アミーチによるハーシェル望遠鏡のデッドコピーと思われます。

 再び研磨作業の話にもどりますが、カーボランダム#500で焦点距離を予定の長さにもどし、レモンピールとターンエッジの除去を図りました。しかし、ここで奇妙なことに気がつきました。ガラス鏡では中擂り以降でほとんど用いない円運動の反転研磨を行っても一向に球面半径が長くならないのです。鏡ではなく盤の方は球面半径が長くなり往復運動にひっかかる感じがでてきます。今までの経過とこの結果から一つの仮説が浮上してきました。それは「盤の材料のアンニールを行わなかったので、盤材は周縁部より中央部の方が軟らかいのではないか?」ということです。鋳型の中で金属が冷えるとき、鋳型の砂に接している外周部は早く冷却されるが中央部はゆっくり冷えてアンニールに近い状況となったではないかと推察されたのです。その理由はどうであれ、わずか6〜7cm焦点を延ばして、仕上げ擂りを完了するまでに15時間近くかかりました。

 1月27日、木村精二さんと2人で村山定男さんのお見舞いと現状報告にまいりました。村山さんは病後の回復がご自分の予想より遅々としたものであるらしく、お言葉の上では気落ちを見せる感じがありましたが、研磨作業の報告については重要なポイントについて的確で鋭い判断をなさって下さり、頭が下がる思いでした。良い金属光沢を得るためにはUSA製の高級な酸化セリウムを用いてはどうかというような提言も頂きました。昨年暮れの研磨テストで手許にあったEdmund Scientific Co.(ニュージャージー州)の製品を使って見なかったのは少々残念なことでした。

 立春も近づきましたが大寒波の到来があるというので、ピッチの硬さを気温10℃前後で適当な硬さとなるように調整して、3回目のピッチ盤作成を行い、今度ははじめからベンガラでの研磨を行いました。今度は2時間もかからずに光沢面が得られたので、レモンピールとならない間に早く仕上げられるかなと一瞬の安堵がありましたが、なかなか簡単には終わらせてくれないようです。昨年暮れの経験によると、金属鏡はピッチ研磨で焦点距離が短縮していくので、これを短時間の研磨で予定の長さに保ち、しかもレモンピールができやすい泡入りの素材で良好な面を素早く仕上げるというのは、かなり高度な要求になります。金属光沢が得られてから後の作業は息詰まる思いの3日間でした。第1日目の作業である程度の面ができたと思いましたが、これはレモンピールによるフーコー像の見にくさに加えて自宅の低いテーブルの上で無理な姿勢による検査のために誤った判断をしたためでした。翌日鏡の温度が安定した状況下で、作業机5台を並べられた広い場所での精査ではターンダウンつきの双曲線と判明し、翌3日目に再整形を行いました。ピッチ研磨に時間がかかればかかるほどレモンピールが激しくなるので、最終的にはこの鏡材による整形での妥協点といえる程度の面精度で一応の終了とすることにいたしました。焦点距離は2,199±1.5mmと予定の2,200mmに大変近いものになっていましたが、修正途中で中止したためターンダウン傾向の鏡でしかも端に軽いターンアップも見られます。レモンピールはフーコーテスト時にも邪魔だと思えるようなひどい状態となり、さらに表面に細かな擦り傷(スリーク)が多数できています。この擦り傷はガラス鏡と同様の研磨方法で生じてしまったので、これらが今後の課題として残りました。何とも口惜しいところです。

 2月12日に村山定男さんのところへこの金属鏡とそのフーコー写真を持って2回目の報告にまいりました。村山さんは「これは義経の弓だな」とおっしゃり、イギリスへ持っていっても早い時期に良鏡と取り替えなさいという示唆でした。さらに細かな傷についても、私がある程度想像していたように「粗いベンガラによるものであろう」と、ベンガラの濾過や水分離を指示されました。

 2月19日にこの金属鏡を自宅の赤道儀に取り付けて金星・土星・木星の観望とシリウスの星像検査を行いました。レモンピールのため像のコントラスト・解像力ともに極めて悪く、180倍の倍率では欠点が拡大されるだけで120倍以下であれば我慢して観望ができるかなといえる程度の不満足な像でした。「7ftハーシェル鏡の複製(3)」(協会ニューズレター第125号)のはじめの部分で記した予想の中での最悪のケースと云っていいでしょう。

 はなはだ残念ですが今回はハーシェル博物館へこの鏡を試作品として持参いたします。ただし、ピンホールのない良い鏡材で自分が納得できるまで整形を行った完成品を可能な限り速やか作成して、それと今回の金属鏡を交換すること、および平面鏡を研磨して主鏡とセットとすることが緊急の課題となりました。

日本ハーシェル協会ニューズレター第128号より転載
2004年7月、原稿の一部を訂正


7フィートハーシェル鏡の複製(6)

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