帆足万里『窮理通』にある天王星と
その衛星についての記述


上 原 貞 治

1.序

 
以前、「『日本におけるハーシェル』初出の探索」[1]と題して、江戸時代に日本で書かれた暦学や蘭学関連の文献に現れる「ハーシェル」の名前を探した際に、帆足万里の主著『窮理通』について言及した。『窮理通』は、ハーシェルの名前こそ出てこないものの、天王星やその衛星についてのデータと解説を載せた書物のうち日本でもっとも古いものの一つであり、また、幕末から明治の初期にかけて用いられた日本の理学書の中でも最重要のものの一つと言ってよい。その天王星や衛星に関する記述についてまとめておくことは意味があるだろう。本論は[1]の3.1節の内容の詳説である。

  『窮理通』は帆足万里(1778-1852)によって書かれた理学全般を扱った啓蒙書である。豊後国日出藩の儒学者であった帆足は、多数の蘭書(オランダ語で書かれた本)や蘭学資料に基づいて、天文、宇宙、物理学、地学、地理学、化学、人体などについて包括的な解説をした。帆足がオランダ語を読み始めたのは1820年頃と考えられ、その自序が書かれた1836年頃に『窮理通』は一応の完成をみたらしい。この間に彼は藩の家老になっている。刊行は帆足の死後の1856年から始まったが、生前から写本が出回っていたとされる。


2.『窮理通』にあるハーシェル発見の天体に関する記述

 帆足万里は『窮理通』の執筆にあたって、多数の西洋書に目を通し、そのリストを巻頭に掲げている。この中で天文学について重要なのは、「繆-仙-武-羅-骨(ミユセンブロク)窮理説」と「臘-蘭-垤(ラランテ)天文志」とされ、それぞれ、Petrus van Musschenbroek の「一般の人々のために書かれた自然知識の階梯」"Beginsels der Natuurkunde, Beschreeven ten dienste der Landgenooten" (大分県立図書館所蔵は1739刊)と いわゆる「ラランデ暦書」(de Lalande の著書の蘭訳本 "Astronomia of Sterrekunde"、1773-80刊)を指す。ほかに、志筑忠雄の「暦象新書」(1798-1802)も本文で引用され重要な位置を占めている。しかし、これらはいずれも天王星発見以前の天文学成果しか含んでいない(ラランデ暦書の仏語改訂版を当時の日本人は見ていなかったとして)。従って、『窮理通』にある天王星に関する記述はもっと新しい資料に拠っているとしなければならない。

 『窮理通』の天王星とその衛星に関する言及は限定的である。その「小界第三」にある太陽系の惑星表「日及緯星大小遠近表」と天王星の衛星の表である「由剌尼斯星侍星表」、それに加えて短文の天王星の衛星に関するテキスト(本文)のみである。さらに、ハーシェルが発見した土星の2衛星のデータのある「土星侍星表」もこれらの同列に加えて良いであろう。  近年の研究[2]によって、上に述べた『窮理通』の惑星・衛星データが Jacob de Gelder (1765-1848,オランダ)によって書かれた蘭書『一般地理誌』"Algemeene Aardrijksbeschrijving"(1803-08刊)によるものであることが解明された。帆足万里はこの書を「缺-兒-的-兒(ゲルテル)地球窮理説」としてリストに挙げていたが、これまでその正体が識別されていなかった。


3.天王星と衛星のデータ

  『窮理通』の天王星と衛星のデータの対応については、[2]で詳しく検討されているが、ここでもそれを確認した。以下の数値は、筆者が、『窮理通』(日本科学古典全書版)[3]と『一般地理誌』(高橋景保-蛮書調所本。国立国会図書館蔵)[4]で比較したものである。ただし、帆足が引用した版と景保本が同一の版であるかは確認していない。『窮理通』は元々は漢文体で書かれているが、[3]では仮名交じりに書き下されており、それに従った。漢字は適当に新字体に置き換えた。全書版の誤植と思われるところは、早稲田大学古典籍データベース所蔵本を参照して修正した。

○『窮理通』天王星データ 「日及緯星大小遠近表」より抜粋
 由剌尼斯星(*1)
  日ヲ隔タル遠近       六万五千五百六十零万二千六百里
  円径             一万二千四百一十里
  立積             地球ヨリ大ナルコト八十三箇
  行輪半径          一千九百十八万三千四百七十五
  出心線大小各其ノ行輪半径ヲ以テ百万ト為ス 
                  四万六千六百八十三
  一周時日          三万零六百八十九
  行輪、黄道ト斜角ヲ為ス  四十六分二十五秒
  自転             未詳
  矮立円長短径       未詳

○『窮理通』天王星の衛星のデータ 「由剌尼斯星侍星表」(全)(*2)
          行輪半径         日ヲ周ル (*3)
    本星ノ半径ヲ以テ率ト為ス
第一  十三箇千分箇ノ百二十     五日千分日ノ八百九十三
第二  十七箇零二十二         八日七百零七
第三  十九箇八百四十五       十日九百六十一
第四  二十二箇七百五十二      十三日四百五十六
第五  四十五箇五百零七       三十八日零七十五
第六  九十一箇零零八         一百零七日六百九十四

○『窮理通』土星の衛星のデータ 「土星侍星表」よりハーシェルの発見のものを抜粋(*4)
           行輪半径         日ヲ周ル (*3)
      本星ノ半径ヲ以テ率ト為ス
第一  三箇千分箇ノ零八十      無日千分日ノ九百四十三
第二  三箇九百五十二         一日三百七十  (以下、第七まで他の5衛星が続くが略)

筆者注
 (*1) 後述のようにテキスト中の「由剌尼斯」には「ウラニユス」とルビがある。『一般地理誌』では、天王星は、「URANUS または HERSCHEL」 と記載されている
(*2) このうち第二と第四は、それぞれ今日知られている「ティタニア」と「オベロン」であるが、残りの4衛星は、今日までハーシェル以外の観測がなく、またそののちに発見されたどの衛星とも対応せず、誤認によるものとされている。
(*3) 「本星ヲ周ル」の(おそらく帆足による)ミス
(*4) 第一、第二は、それぞれ「ミマス」、「エンケラドゥス」

 これに対応するGelderの『一般地理誌』(オランダ語)の数値は以下の通りである。オランダ語は筆者が短く意訳した。 

『一般地理誌』の天王星のデータ 「我々の太陽系の表。惑星の径、それぞれの相対的大きさ、太陽からの平均距離、軌道の長軸、離心率、公転周期、ほか、加えて衛星の距離と周期を含む」からの抜粋

 天王星
  太陽までの平均距離(オランダマイル(mijlen))   655,602,600
  それぞれの直径(オランダマイル)              12,410
  それぞれの大きさ(地球との比較)           83倍大きい
  軌道長半径(地球軌道との比較)            19.183475
  軌道の離心率(軌道長軸に対して)           0.046683
  惑星の公転周期(日の1/10〜1/1000の桁まで)   30689.000
  惑星軌道面の傾き(地球軌道面に対して)       0°46' 25"
  それぞれの惑星の自転周期                不明
  直径のいびつさの数値的比率               不明

『一般地理誌』天王星の衛星表

           距離      周期
第1       13.120      5.893
第2       17.022      8.707
第3       19.845      10.961
第4       22.752      13.456
第5       45.507      38.075
第6       91.008     107.694

『一般地理誌』土星の衛星表 からの抜粋

          距離      周期
第1        3.080      0.943
第2        3.952      1.370 (以下、第7まで続くが略)

  数値は完全に一致しており、対応に特に問題になるところはない。太陽からの距離で、『窮理通』は地球のそれを百万としているが、『一般地理誌』では、数値の3桁毎の区切りと小数点がどちらもコンマで表されているので、1.0とも100万とも解釈できる。『窮理通』は、オランダマイル(mijlen)の数値を日本の「里」に換算せずに直接「里」としている。『一般地理誌』にオランダマイルは4302.56メートルと附記されている。『窮理通』には別の複数箇所で単位の換算の詳述があり、オランダマイルについてもある程度の精度で日本単位への換算が知られていたようである。日本の「里」(3927.27メートル)に比較的近い距離であることは見当がついたであろう。


4.衛星についてのテキストの記述

  驚いたことに、『窮理通』のテキストに天王星の発見事情やその物理的特性の解説は一切出てこない。「由剌尼斯<ウラニユス>星尤も外に居る。」(<>内はルビ)とあるのみである。これは、天王星が太陽系の9惑星のうちもっとも外にあることを述べているに過ぎない(当時の惑星は、水星〜天王星の7個とケレス、パラスであった)。 また、その衛星については、「由剌尼斯<ウラニユス>星に六月有り、以て其の光を助く、尚別に四月有りと。是れその至遠を以て誤認せるなり。」とだけ書かれている(*5)。6衛星の発見者ハーシェルについては触れられていない。また、土星の衛星についてのテキストの最後に「土星の月、波意玄斯始めて其の一を見、餘は皆加支泥測出せしなり。」とあって、これは上の天王星の衛星の記述の直前の文になっている。これはホイヘンス、カッシニ発見の合計5衛星に言及するのみで、ハーシェル発見の土星の2衛星は無視されている。これら衛星についての記述には大いに問題があるので次節で議論する。『窮理通』のテキストは、衛星にまで立ち入っているわりには、ハーシェルの発見について極めて冷淡な扱いになっている。

 最大の問題は、『一般地理誌』に、天王星の発見がハーシェルによることを始めとして、その発見事情の詳細、さらに彼が土星の2衛星と天王星の6衛星の発見したことがはっきりと書かれていることである。帆足がこの部分をまったく読まなかったとは考えにくいので、あまり印象に残らなかったか、わざと引用しなかったかどちらかであろう。筆者は、帆足が、最新の知識である数値データは別にして、天文学の学術的内容については、より専門的な「ラランデ暦書」に意識的に依拠しようとしたためだと推測する。それでも、小惑星セレス(ケレス)とパルレス(パラス)の発見事情や地理学や地学に関する部分のテキストには『一般地理誌』からの引用があることが[2]で指摘されている。

 (*5)「以て其の光を助く」は、天王星の衛星が本星の表面を照らして明るさを増すのに貢献していることだと解釈できる。(下の『一般地理誌』の和訳部分を参照)


5.衛星に関する議論の問題点

  上述の土星の衛星に関するテキストは表の内容と矛盾する。表にはハーシェル発見の2衛星が含まれているからである。(これでは何も知らない読者はカッシニが土星の衛星を6個見つけたものと誤解することになる)これは、テキストが『一般地理誌』ではなくもっと古い内容の文献、つまり、ハーシェルが土星の2衛星を発見する1789年以前の知識に基づく文献によっているということである。また、このような矛盾を書き残したということは、帆足が『一般地理誌』本文にある土星の新衛星の記述(下に引用)を読まなかったのかもしれない。

 いっぽう、天王星の6衛星については、その記述があること自体、1790年代以降の文献に基づいていることを示している。ハーシェルが合計6個の衛星の存在を主張した「天王星のさらなる4衛星の存在」についての論文[5]を発表したのは1798年であり、それはおもに1790〜94年を中心とした期間の観測に基づいていた。つまり、土星の衛星と天王星の衛星についてのテキストは、連続していても違う年代の文献に基づいているということになる。カッシニ以前の土星の5衛星は1684年までに発見されていて、日本に入っていた18世紀前半の西洋文献に載っているので、おそらくはテキストの天王星の衛星の記述だけが19世紀の未知の情報に基づいているのであろう。「未知」というのは、後述のようにそれが『一般地理誌』に基づいていないからである。

 ここでの問題は、「尚別に四月有りと」の部分である。天王星に誤認された衛星がさらに「別に」4個あったという事実は知られていない。この「別に」は間違いで既述の6衛星のうちの4衛星が誤認であるという今日の真実を述べた可能性については、西洋で誤認の見方が確立したのが19世紀中葉以降になるので、帆足の執筆中にはそのような指摘はあまりありそうにない。ここで解釈に困ることになるが、いずれにしても、『窮理通』のテキストの4衛星は[5]に発するものとしか考えられないので、「別に」というは誤りなのであろう。「誤認」は結果的には真実だが、時期からして、帆足の何らかの勘違いか、あるいは、1820〜30年代の西洋に一部存在した先駆的あるいは懐疑的な見方を反映したものということになるだろう。もし後者ならば、帆足は西洋の最先端の天文学情報を得ていたことになるが、そのような情報源があり得たかどうかについては何とも言えない。

 『一般地理誌』では、天王星の6つの衛星のうち4衛星が疑わしいとか、これ以外の衛星の報告があるということは書かれていない(*6)。参考のために、『一般地理誌』の関連部分の一部を抜き出す。オランダ語の和訳は筆者による。

『一般地理誌』第1巻11ページ
 「土星は1つのリングのほかに7つ−−そのうちの新しい2つはハーシェルによって発見された−−を持っている。そして、天王星(Uranus)は6つのこの著名人によって認識されたものを持っている。これらのすべての天体は、...(略)...衛星あるいは月と呼ばれている。」

 同12ページ
 「地球が月に照らされていない時に天王星は肉眼で見られる。その6つの衛星は、天王星に伴って、それにある輝きを与え、かつ、それに我々の太陽系の大天体として最適な場所の一つを示しているように見える。」

 同「天王星の衛星とリングについて」
 「この有力な人は、1783年に我々から遠い惑星を発見したが、ある時、この惑星も土星のようにリングを備えているだろう、と正しく予想した(*7)。この予想は、その後の観測によって確認された可能性がある。非常に明白に、彼はすでに6つの衛星を認識し、それらの距離や周期を決定した。  (ここに上記の天王星の衛星表がある)
 推測するに、遠い距離のため、これ以外にも容易に存在を発見できないものがあるだろう。惑星本体と第1衛星の間の広いギャップはこのような推測の理由を与える。」

(*6)ただし、筆者が確認したのは、『一般地理誌』のうち、太陽系天体を扱った最初の12ページとそれに付属する表のページだけである。
(*7)天王星の発見時を指すなら、それは1781年でなければならない。あるいは、1783年に天王星にリングが存在するという仮説を提唱したという意味かもしれない。ハーシェルの天王星のリングの「発見」は1789年の観測に基づくとされる。


6.まとめ

  『窮理通』所載の表にある天王星を含む惑星、天王星の衛星、土星の衛星などの数値データは、野村による研究[2]の通り、Gelderの『一般地理誌』にある表に基づいている。いっぽう、『窮理通』のテキストにおいては、これらの天体に関して『一般地理誌』からの引用は一切ないようである。また、テキストの天王星の衛星に関する記述は、よく知られたハーシェル発見の6衛星とは別の「4衛星」の「誤認」という事案に触れており、それは1798年よりかなり後に成立した未知のソースからの情報に由来するものと考えられるが、知られている歴史的事実と合致しにくい点がある。


 謝 辞 : 当時の西洋で報告されていた天王星の衛星の観測や確実性の状況、衛星の数と輝きに関する解釈について、日本ハーシェル協会の角田玉青氏に教えていただきました。ここに感謝します。『一般地理誌』の複写の許可をくださった国立国会図書館に感謝します。


 <文 献>

[1] 上原貞治「『日本におけるハーシェル』初出の探索」 日本ハーシェル協会 デジタルアーカイブ (2009),
   http://www.ne.jp/asahi/mononoke/ttnd/herschel/a-text/Herschels_in_Japan.html
[2] 野村正雄 「『窮理通』の主要典拠ながら忘れられていた蘭書」科学史研究. 第II期 41(224), 193-202 (2002),
  日本科学史学会.
[3] 帆足万里「窮理通」1836序. (日本科学古典全書第1巻、朝日新聞社、復刻版有り。今回引用した第一巻は
  「早稲田大学古典籍データベース」にもある)
[4] Jacob de Gelder「一般地理誌」"Algemeene Aardrijksbeschrijving" 1803-08, Amsterdam (国立国会図書館
   http://www.ndl.go.jp/zoshoin/zousyo/bibliography/syosi.html#17_2
[5] W.Herschel "On the Discovery of Four Additional Satellites of the Georgium Sidus", Phil. Trans. 88
   (January 1, 1798) 47-79, R. Soc. Lond. (The Philosophical Transactions, 集冊版18, 1796-1800, (1809)
   グーグルブック)


デジタルアーカイブのトップにもどる

日本ハーシェル協会ホームページ