ハーシェル関連史料
カロライン・ハーシェルが発見した彗星(4)


[5] カロラインが5番目に発見した彗星

第5図 1792Iの経路
 ウィリアムが観測をしないときは、カロラインは彗星探しに専念することができた。1791年12月15日の夜はそのようなときであった。彼女はとかげ座に7等の彗星を発見し、その30分ばかり後でウィリアムは焦点距離7フィートの望遠鏡でこの彗星を観測した。彗星の動きは大変速くて、一日の運動は赤経で+3m、赤経で-20°になるとウィリアムは観測した。16日には焦点距離20フィートの望遠鏡で観測し、コマ直径約5′、北の方向に長さ15′ぐらいの幅の広い尾が見えたと記している。1月13日にはボーデ (J. E. Bode, 1747-1826) も観測していて、1月28日のメシエの観測が最後となった。このとき彗星は9.5等であった。軌道はエングルフィールド (Englefield) やメシェン及びフォン・ツァッハ (F. X. von Zach, 1754-1832) が計算した。近日点通過は発見の翌年であったので、1792Iの番号がつけられている。


[6] 1793年にカロラインも独立発見した彗星

 1793年9月27日の夜、メシエはへびつかい座の西部に6等級の彗星を発見した。M13に似ていたという。カロラインはこの発見を知らないで、10日後の10月7日に独立してこの彗星を発見した。そしてその翌日ウィリアムも観測して確認したが、すでにメシエが発見していたので、この彗星はメシエ彗星と呼ばれている。メシエは10月11日にも観測したが、彗星はだんだん太陽に近づいて行きやがて見えなくなった。軌道は10月11日までの観測を用いてサロンが計算し、12月初めに位置予報を計算した。この予報に従って12月29日にメシエは再びこの彗星の観測に成功し、翌年1月8日まで観測を続けた。この彗星は9月27日から翌年の1月8日までの103日間のうち、わずか24日間しか観測されなかったことになる。そしてメシエが再観測に成功した後の観測を用いた軌道は計算されていない。

 山本一清氏はカロラインが独立発見した彗星はこの彗星ではなく、1792IIであるとしている(「48人の天文家」恒星社厚生閣 1959 pp. 154-159)が、これはガレ (J. G. Galle) のCometenbahnen (1894) のp. 181の記事による誤りであろう。

第6図 1793Iの経路

日本ハーシェル協会ニューズレター第103号より転載


カロライン・ハーシェルが発見した彗星(5)

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