ハーシェル関連史料
カロライン・ハーシェルが発見した彗星(3)


[3] 1790年1月の彗星

第3図 1790Iの経路
 カロラインはこの年の1月7日の夜、ペガスス座の東の端に彗星を発見し、1月9日にウィリアムが位置測定を行った。コマ直径は5′から6′であった。1月18日にこの発見を知ったメシエは、早速ペガスス座を探したが、もやのため彗星を見つけることはできなかった。しかし翌19日にやっと観測することができ、球状星団M15に似ていて、ちょうどその頃くじら座に見えていたタットル彗星よりは明るいと記録している。21日にはメシェンも観測し、同夜カッシニ (J. D. Cassini, 1748-1845) が位置を測定した。そして1月9日から21日までの4個の位置からサロン (J. B. G. B. de Saron) が軌道を計算しているのみで、正確な軌道はわかっていない。

[4] カロラインが発見し、最もよく見えた彗星

 1790年4月18日の朝、カロラインはアンドロメダ星座のアルファ星とデルタ星の間に彗星を発見した。彼女にとってこの年2回目の彗星発見である。7等級であった。この発見を知ったオーベルトは4月21日に双眼鏡で見ている。マスケリンは25日に観測したが、パリのメシエは30日に発見を知り、5月2日の朝アンドロメダ星雲の近くにこの彗星を観測した。まだ肉眼では見えなかったが、明るい中央集光や尾が見えたという。この彗星は5月17日頃からカシオペア座の中を通り、4等級になって長さ2°ぐらいの尾が見えるようになった。そして6月中頃まで夜半の北の低い空に、晴れておれば毎夜、肉眼で見えていたはずである。そして5月29日に天の北極に最も接近し、赤緯は+74°になった。地球からの距離は6月4日に最短になって、0.63天文単位であった。そしてこのころが最も明るくなった。しかしなぜか中国や日本にはこの彗星の記録がない。地平線からあまり高くならず、あるいは天候も良くなかったのかとも思われる。6月4日頃からは、肉眼では見えにくくなった。この頃彗星は北斗七星の下に見えていて、メシエは6月13日の薄暮の中で肉眼で見ている。コマ直径は6′、中心に明るい核があったが尾は見えなかったという。6月29日、メシエは地平線から約6°上にあった彗星の位置観測を行っている。

第4図 1790IIIの経路

日本ハーシェル協会ニューズレター第102号より転載


カロライン・ハーシェルが発見した彗星(4)

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