恒星天を外から見る
 〜セラリウス ― トーマス・ライト ― ハーシェル〜


上 原 貞 治

0.プロローグ 〜天球儀〜  

 天球儀という物がある。全天の星座すなわち恒星天を球面上に描いたものである。星座をびっしりと描いた天球儀がいつ頃から作られ始めたのか私は知らないが、それが西洋で盛んに作られるようになったのはルネサンス期であり、全天の星座を描くことが明瞭に意図されたのは大航海時代以後の16世紀後半以降ということになる。

  さて、天球儀は、球面の「外側」に星座を描くため、実際に我々が夜空で見る星座と様子が異なっている。我々は、常に「内側」の球面に星座を見ているからである。それで、多くの場合、天球儀の星座は実際に見るのと比べて左右がひっくり返った鏡像になっている。つまり、我々が星座を見ている天球をそのまま外側から見たという意匠である。

  外側の球面に鏡像でない(地上から見たのと同じ向きの)星座を描くことも可能で、そういう天球儀も実在する(現代の物でしばしば見かけるが、伝統的な天球儀にそういうのがあるかどうかは知らない)。そういう天球儀であっても、通常の(鏡像の)天球儀と比べて非常に違和感があるというほどのことはないので、それも許容の範囲内という気がする。

  さて、鏡像の伝統的な天球儀は、はたして、積極的に宇宙の外側から見た恒星天を想像して描いたものなのであろうか。それとも地上から見た星座を便宜的に球の外側に載せただけなのであろうか。これは、歴史的な天球儀に作者の解説がついていない限り誰にも解らないことである。おそらくは、ただ伝統に従って描いているだけの天球儀作家もあったであろうし、中には、宇宙の外側に鎮座する神になったつもりで鏡像の星座を描く作家もなかったとは言えないであろう。

1.セラリウス 〜大宇宙の遠近図〜

 天球儀を見ただけで作家の魂胆に迫ることは困難であるが、17世紀の地理学者アンドレアス・セラリウス(Andreas Cellarius 、1596頃 - 1665)の希有の書『大宇宙の調和』(Harmonia Macrocosmica)[1,2]に収められているいくつかの図では、恒星天を外から見ていることが明瞭である。外から見た天球儀が半透明になっていて中に地球が見えているからである(図1。模式的には図2のような構造)。地球が天球面のさらに奥に見えているので、見る者の視点は明らかに恒星天の外にある。セラリウスは、なぜこのような図案を載せたのか、それは、現実的には、全天の星座とともに地球上の地図をも表現したかったからであろう。当時は、全天の星座よりも、地球上の全世界の地図のほうが正確な情報を集めにくく、価値としても高かったであろう。


                          図1 セラリウス『大宇宙の調和』第25図(文献[2]より複写)


        図2 図1の模式図(筆者による)

  さて、『大宇宙の調和』には、画家に描かせた29枚の宇宙図が収録されている(当時の慣例のように、画家の名前は残されていない)。その図版のうち、25,26, 28, 29番がscenographia(遠近画法)と呼ばれているここで取り上げた特に画期的な天球図である。真ん中に天球儀のような星座図が大きく描かれており、その星座と星座の間の空間から、世界地図の描かれている地球がこれまた大きく描かれている。おもしろいことに、図によって地球の大きさが2種類あるが、どちらも天球と比べてそれほど小さくない。そして、その天球全体は、どこかの街の地面の上に置かれていて、人々がそれを支えたり、眺めたりしている。この天球に外にいる人々や街がどこなのか、地上の市民なのか(そうだとすると地球が天球の内と外に2つあることになる)、天の神の一族なのか、私の想像の及ぶところではない。

  おそらく、セラリウスは、まず天球儀をヒントにして恒星天を実際に外から見ることを考えたのであろう。そして、それを発展させて、地球を含めた当時知られていたすべての宇宙の範囲をコンパクトなサイズに包み込むことができるというアイデアを具現化したのであろう。『大宇宙の調和』においては、太陽系宇宙の様々なコンポーネントがいろいろと工夫された意匠によって有限のサイズに描かれている。この大宇宙の遠近図は、その中の最たるもので、セラリウスは作図技法の模索的な工夫によってこの視点に到達した可能性が高い。

2.トーマス・ライト 〜球殻の中で〜

  トーマス・ライト(Thomas Wright、1711 - 1786)はイギリスの航海学の教師であり、アマチュア天文家である。彼は、著書『宇宙の新理論・新仮説』(1750)(An original theory or new hypothesis of the universe)[3,4]で、天の川がなぜ円環状に見えるかを議論した。彼の考えは、恒星の集中する宇宙は球殻状をしており、その球殻の部分に太陽を含めた星が集中しているとするものであった。ここで、球殻とは、薄いけれどもある程度の厚さを持った球面のことで、英語のspherical shell に対応するものである。こういうものを考えると、太陽系に近い球殻の面方向には多くの星が重なって見えることから、銀河のように円環状の星の集中が観測できることになる(図3、4)。

 
図3 トーマス・ライト『宇宙の新理論・新仮説』第25図(文献[4]より複写)

 
          図4 球殻内から恒星天を見た場合の模式図(筆者による)

  トーマス・ライトは、なぜこのような考えに至ったのであろうか。彼は、同書で、複数の宇宙モデルを提起している。上の考えは、球が最も完璧な形状であり、その中心は至高者の場所である、また、かつては不動と思われた大地が太陽の周りを回っているのが真理であったように、太陽も宇宙の周圏(つまり球殻内)にあることがふさわしい、ということで有力の考えの一つとしたようである。さらに、天の川の形状が説明できるのも、その大きな長所である。

  このトーマス・ライトの案は、球殻の中心から見た宇宙は等方的であっても、球殻内から見ると等方性が破れる、という数学的なアイデアを利用している。彼は、さらに別の「銀河宇宙」の存在の可能性も考えていたようで、これによると、大宇宙は多くのしゃぼん玉(球殻)が浮かんでいるような構造をしていることになる。

  トーマス・ライトのモデルによると、我々は多数の恒星が形作る球殻の中にいて、その比較的近くに球殻の「外」の空間が実在し、さらに、その外側の空間にも、天体(系外銀河)がある、という構造を持つ。また、それは、宇宙に、同様のパターンを繰り返すフラクタル的な階層構造を持ち込んだという意味も持っている。

3.ハーシェル 〜宇宙の形を観測する〜

  ハーシェル(William Herschel, 1738 - 1822)は、夜空の星を数えることによって、宇宙の形を知ることができると考えた。彼は、まず、彼の持つ大望遠鏡は、我々の太陽が属する星の集団(つまり銀河系)の外側の境界の星々まで見通せると仮定した。さらに、その星の集団内部の星の密度は一定であると仮定した。そうすると、星空のそれぞれの方向において観測される恒星数の密度の立方根が、星の集団の外側の境界までの距離に比例することになる[5]。ハーシェルは、夜空のいろいろな方向について星の数を観測したのちに、天の川にほぼ直交する大円を一つ選び、それに近いところのデータを用いて、星の集団の境界までの距離を図示した。それは、彼の論文に発表されている[5]。(図5)

 
                                                 図5 ハーシェルの銀河図(文献[6]より複写)

  ここで注目すべきことは、彼が測定したのが、銀河系内部から測った銀河系周縁までの距離であるにもかかわらず、得られた図は、銀河系の断面図であったことである。断面図は、その物体を遠くから眺めた形に等しい(※)。つまり、ハーシェルは、銀河系の内部で観測をすることによって、銀河系を遠く離れることができたのである。

  セラリウスとトーマス・ライトの仕事は思考上のものであった。しかし、ハーシェルが実験的方法をとった時、彼は実質的に銀河系を飛び出すことができたと言える。観測と科学的論理が思索を越える実力を持つことを示したという点で、ハーシェルは模範的な観測家であり、自然科学者であったと言えるだろう。

※ ハーシェルの図[6]については、これは正確ではない。その断面は銀河中心を含まないものだからである。一方、銀河系を遠くから見た形は、中心を含んだ断面に相当する。ハーシェルの方法で、銀河中心を含む断面図も作図可能であるが、彼は観測地の制約のためそれができなかった[4]。

4.結語

 宇宙の中にいながら、外から見た宇宙について考える、それは戯れであれ真剣な思考であれ、極めて頼りない人間の観念の挑戦である。また、我々が実際に恒星天の外に出ることは、今後、科学技術が急速に発達したとしても、想像の及ぶ将来に可能になることではない。しかし、その思いが数百年の歴史を重ねると、やがて確固とした科学的推論として発展していく、そういう場合もあることをこの取り留めのないテーマは科学史のなかで示しているように思う。そして、我々は、おそらくこの実績の恩恵として、将来の自然科学の発展に対する期待を有限の範囲に閉じ込めておくことを強制されずにすんでいるのである。

 

<文 献>

 [1] Atlas coelestis seu harmonia macrocosmica. Andreas Cellarius, Amsterdam (1660).

[2] The finest atlas of the heavens, Cellarius harmonia macrocosmica. Introduction and texts by Robert H. van Gent, Taschen GmbH (2012).

[3] An original theory or new hypothesis of the universe. Thomas Wright of Durham, London (1750).

[4] An Original Theory of the Universe (facsimile reprint). Introduced by Michael A. Hoskin, American Elsevier Publishing (1971).

[5] 現代の星表を用いた「ハーシェルの『銀河図』の作製]. 上原 貞治、日本ハーシェル協会、デジタルアーカイブ(2013). http://www.ne.jp/asahi/mononoke/ttnd/herschel/a-text/Delineation_of_Galaxy_based_on_modern_data.html

[6]On the Construction of the Heavens. W.Herschel, Philosophical Transactions of the Royal Society of London, 75, 213–266 (1785).  http://archive.org/details/philtrans02233147


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