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緑の国スロベニア

クロアチアもスロベニアと同じように良好な貿易港を持つがゆえに古くから絶えず大国の侵略を受け、人々は抑圧されて来たのだろう。そして、更に言語、宗教、民族などさまざまな要因が入り混じっての内紛の歴史も持っている。
1991年6月激しい抵抗で勝ち取った独立の後もセルビア人との内戦が続き、1995年やっと国際社会に復帰できたが紛争によって沢山の人達が犠牲となり、街は壊滅状態となってしまった。
かって豊かな農地だった平地には今も地雷が埋まって居る場所も有るそうで放置されて雑草の花に埋もれていた。
紛争を逃れ他国へ逃げ出したセルビア人やクロアチア人の崩れ落ちて廃墟と化した村々を目の当りにしてそうした状況の中で暮らさ無ければならなかった人々の恐怖と苦悩に思いを巡らしながら戦争の悲惨さと今も世界のあちこちで繰り返されている報復の連鎖の意味(効果)を考えずには居られなかった。
どの町や村に行っても沢山のお墓と慰霊塔が有りましたし、建物には無数に砲弾の後が残っていた。世界遺産といえども例外ではなく何処に行っても修復中で今まさに復興の最中といった感じでだった。
そうしたこの国の事情は私たち同一国家、合一民族さらには宗教の自由と特別な世情(世界的に見て)で育った私たちには到底理解できない問題であると感じられた。
其処かしこで声を掛けても微笑み返す程度で人々の顔に弾ける様な笑顔は無く、バスの窓から一生懸命手を振ってもいぶかしげに見つめている感じでそれもまたこれらの国々の人達が完全に立ち直れて居ない現実として悲しく思えた。
今回の旅行で一番残念だったのはこの国の子供たちの写真を撮影できなかった事。何枚かの子供たちの写真はおそらく両親と一緒に旅行中の子供達だろう。この国の人達に早く明るい笑顔が戻る事を願わずには居られなかった。
しかし、2004年6月からEU加盟の候補国となり、街も確実に復興を続けていた。
海岸線には北欧の人々のセカンドハウスが建ち並び沖合いには大小さまざまの細長い島が折り重なるように点在していて美しい景色を堪能できた。
そして、訪れた場所で見たアドリア海特有のサファイアブルーの海と切り立つ石灰岩の岸壁、復興されてオレンジ色に輝く町並みと目を見張る程の豊かな自然。すべてに魅了された10日間だった。


7月8日 快晴 

エリカの町

内陸部の町リュプリアーナからアドリア海沿岸の町エリカに入る。
途中スロベニアとクロアチアの国境を通過する。国境ゲートは日本の高速道路の料金所のようだった。運転手だけがバスから降りて手続きに行く。日本のツアーだと言うと直ぐに通してくれるらしく5分と掛らなかった事に驚いてしまった。と言うのも、以前シンガポールから乗り合いバスでマレーシアに渡った時は国境ゲートでは全員荷物を置いてバスから下ろされ麻薬検査犬を連れた検査官が物々しく社内を検査し、入国書類を記入してやっと通過できた経験が有ったから。

エリカはこれと言った産業の無いクロアチア共和国にあって一番大きな産業都市であり、驚いたことに神奈川県の川崎市と姉妹都市になっている。リュプリアーナの快適さに比べここは地中海気候の沿岸部、気温34℃物凄く暑くて蒸し暑い。みんな観光どころでは無いらしく競って日陰に入る。

海岸では人々が海水浴に興じていた。アドリア海沿岸は石灰岩で出来ているため砂浜が無い。それゆえ海水浴場と言えども大人も子供も岸壁から飛び込むのがこの国流海水浴らしい。7月からのクロアチアはヨーロッパ特に北欧に向けて観光客誘致の大々的キャンペーンを行っているそうで海水浴場の殆どの人達はそうしたバカンス客らしかった。そして建売セカンドハウスの建設ラッシュだった。

バスはアドリア海沿いに南下してセンニの街から内陸のプリトビチェへ向かって疾走する。
途中、廃墟となっている戦火を逃れて行ったセルビアの人達の家が点在するのを目にした。巨大なハンマーで屋根を打ち抜かれた様な廃屋、崩れたブロックの家状態になっている廃屋、車体の半分を吹き飛ばされた車もあった。そして、誰も居なくなった廃墟の村に新しい墓地が作られ数十個の真新しい墓標が並んでいる。国道の傍の岩山の中腹にも小さな十字架が立っている。村や町の中には慰霊塔が建てられ花輪や蝋燭が供えてあった。街の建物には無数の銃弾の後が残り修復されずに放置されていた。そうした中で人々が家の修復に力をあわせているのも其処かしこで見かけることが出来た。

7月9日 快晴


世界遺産 プリトピチェ国立公園

(内戦によって破壊された公園は人々の努力で元の自然を取り戻しつつ有った)
1991年セルビア人とクロアチア人の内戦はこの場所から始まった。
ブレッドから約370キロ独立戦争を戦った人達の事、戦火の中を逃げ惑ったであろう女性や子供たちの事を想って沈んでいた心が癒されてなお余りあるすばらしい景色のこの自然公園は長い年月を掛けて石灰岩の斜面を流れ続けた水によって石灰華が出来、川を堰きとめ湖が出来、そうしてまた溢れ出した水によって川が出来る。この自然の連鎖を繰り返してたたぐい稀な自然の造形美が出来上がったのだそうだ。湖水に沈んだ倒木や木の葉には石灰華が付着し温泉の湯の花の様になっていた。石灰を含んだ水を上から見ると浅い所はスカイブルーに深い所はサファイアグリーンに見えるのだとか。



 
プールでは有りませんよ
海水浴場には砂浜が当たり前の日本人には
意外な感でしたがエリカの街の海水浴場です
海水浴場のレストラン
水着の人達は外のテラスで食事している
バスの車窓から見た廃墟と化した村
デジカメ未熟のため数え切れない位
シャッターを押してまともに撮れいたのは
これだけ(泣)
この景色の何処かに
今でも地雷が埋まっているのと言う
無数の弾痕が残った小さな町のアパート
この建物は
一部がこのままの状態で使われていた
プリトビチェ湖群国立公園
公園の入口に建つホテル<JEZERO>
1991年この場所から
セルビア人とクロアチア人の紛争が勃発した
全壊したホテルは立派に建て直され
私たちは此処に泊まった
世界遺産になっている公園の景色
エメラルドグリーンの湖水と
大きく垂れ下がった苔を伝って
清らかな水が溢れ落ちるさまは
まさに神秘的であった
山側の湯歩道から湖水群を見下ろす
湖から溢れた水が階段状に湖を
形造って行った様子が見て取れる
戦争によって破壊された公園は人々の努力
によって甦っていた。
徹底した自然保護がなされていて、
乗り降り自由のこの無料電気自動車を
利用しながら人々は広い公園で
思う存分自然を楽しめる
遊歩道を行く人々 遊歩道で出会った休憩中の子供たち
草むらから引っ張り出されて驚いている
トカゲ。この後彼(彼女)?は
無事草むらに戻された
アドリア海から吹いてくる
暖かく強い風<ユーゴ>
この日もユーゴが吹いていて
大木の下に落ちていた花?