今日の一枚    第31回〜

 第31回
●Franz Joseph Haydn
 Sinfonie D dur Hob.I:101 “Die Uhr”
 Sinfonie B dur Hob.I:102
 
Sigiswald Kuijken/La Petite Bande
 *BMG: 05472 77859 2

 秋も深まり、肌寒く木枯らしが吹きぬける日々となってまいりました。このような季節には、無性にバロックや古典派の音楽を聴きたくなってきませんか? 特に古楽器(オリジナル楽器とも呼ばれる)のふくよかでありつつも硬質な響きに耳を傾けたくなってきます。バッハ、ヘンデル、ヴィヴァルディ、コレルリ、モーツアルトなどの作品も良いのですが、最近何故か人気に陰りが見られるハイドンの交響曲なんぞは非常に味わいがあって良いのではないかと思います。特にハイドンのロンドン音楽界デビューへのお膳立てをした興行師の名前にちなんでザロモン・セット(ロンドン交響曲集)と呼びならわされている第93番から第104番の交響曲などは、「驚愕」(第94番)、「奇蹟」(第96番)、「軍隊」(第100番)、「時計」(第101番)、「太鼓連打」(第103番)、「ロンドン」(第104番)といった表題で知られていて一般にもなじみの深いものが多いので、まずはここいらへんから攻めても良いでしょう。これらの中でも「驚愕」と「時計」の第2楽章は最も有名ですが、やはり聴くのであれば、第1楽章から第4楽章まで通して聴いてもらいたいものです。
 私が今回お薦めするのは、ジギスムント・クイケン指揮ラ・プティット・バンドによる第101番「時計」と第102番の演奏です。フランス・ブリュッヘンと18世紀オーケストラ、クリストファー・ホグウッドとアカデミー・オヴ・エンシェントミュージックなどに比べて知名度はかなり低いのですが、NAXOSの常連演奏家たちと同様に「有名ではない=大したことない」という図式がまったく当てはまらない実力派の演奏家です。ブリュッヘンやホグウッド、ピノックといった有名どころと比較しても遜色のないみずみずしく伸びやかで、古楽器特有の音の響きを思う存分楽しめます。時々、ハイドンの交響曲を遠慮がちに演奏するものを耳にしますが、ここは不完全燃焼することなく思いきり良く強弱をきっちりしたものが好ましいと思います。そういった点でもクイケン/ラ・プティット・バンドはベストといえるでしょう。
 なお、このCDは現在ドイツ・ハルモニアムンディのバロック・エスピリ・シリーズの中の一枚として発売されていて、900円前後で手に入ります。
(2002.11.5)
 第32回
ヨハン・セバスティアン・バッハ
 ゴールドベルク変奏曲 BWV988

 カール・リヒター(チェンバロ)
 *ポリグラム:POCG-90074

 カール・リヒターは、1960〜70年代のバロック演奏、特にバッハの楽曲の解釈と演奏の権威として世にあまねく知られていた人物です。彼は指揮者およびチェンバロ・オルガン奏者として活躍し、一世を風靡していましたが、現在ではあまり話題に上らなくなってしまいました。それは彼の後をうけて、1980年代からニコラウス・アーノンクールやフランス・ブリュッヘン、トン・コープマン、トレヴァー・ピノック、クリストファー・ホグウッドなどの新進気鋭の演奏家の活躍が目立ってきたためではないかと思われます。特に彼らはオリジナル楽器(古楽器)での演奏によって多くの注目を浴び、やがてバロック音楽は、オリジナル楽器で演奏することが当たり前となっていきました。そういった中で彼の演奏も忘れられつつあるのかもしれません。しかし、今一度過去にしまい込まれている演奏を紐解いて耳を傾けてみると、また新たな演奏に出会ったような気がしてくるものです。リヒターのゴールドベルク変奏曲は、バッハらしいいぶし銀の世界を体感できます。冒頭のアリアと第1変奏は、ちょっと足元がおぼつかないヨタヨタしたような感じでちょっといただけないとの印象を抱いてしまいますが、徐々に先へ先へと進んでいくうちに調子が出てきたのかリヒターがノって演奏しているのがわかります。でも、技巧的に危ういところがなきにしもあらず。私がわりと気に入っているズザナ・ルージチコヴァ(エラート盤)と比較すると少々見劣りするところもありますが、これがバッハだという彼の解釈は良く伝わってきます。作曲家の作品に対する確かなヴィジョンが演奏に反映されているからこそ、リヒターはバッハの権威として多くの人々に支持されて来たのだと思います。リヒターを知らない人も、リヒターを知っていても長らくお蔵入りで最近お目にかかっていない人も、是非これを機会に彼の演奏に耳を傾けてみてください。
 ちなみにゴールドベルク変奏曲はピアノで演奏されることも多いのですが、私自身の好みの問題ではありますが、やはりピアノよりチェンバロのほうがよいと思います。チェンバロの独特な音色こそがゴールドベルク変奏曲の持ち味を生かすスパイスといえるでしょう。
 それにしても、この曲は通しで弾くと70分以上かかる大曲なんですよね。これをライブでやったとすると、これだけでプログラムが終わってしまううえ、並の演奏家では通しで弾くのはかなり大変です。だから、体の弱いグレン・グールドは継ぎ接ぎでこの曲を録音したのかと妙に納得をしていたりします。
(2002.11.13)
 第33回
Arnold Schönberg
 Pelléas et Mélisande Op.5
 Verklärte Nacht Op.4

 Giuseppe Sinopoli/Philharmonia Orchestra
 *DG: 469 487-2

 アルノルト・シェーンベルクといえば、20世紀の前衛音楽の基本的な音楽理論として知られる12音技法を確立した新ヴィーン楽派の親玉としてよく知られています。しかし、彼も最初から12音技法(半音を含めた1オクターブのすべての音階=12音階を平等に扱うことを基本とするかなり自由度の低い表現法)などというものを唱えていたわけではなく、当初彼もマーラーやリヒャルト=シュトラウス同様にロマン派を地で行く作曲家でした。でも、彼はロマン派の作曲家には珍しく理論家でありました。そのせいか「12音技法」などというものを考案してしまい、その後の難解な、言いかえれば聴いていて訳のわからない「現代音楽」と呼ばれた分野への道を開いてしまいました。シェーンベルクにしてみれば、既存の音楽秩序とはちがった新たな音楽の体系を作り上げようとしたのでしょうが、それがかえって体系となるどころか、百家争鳴の混沌とした時代の扉を開いてしまうことになりました。
 ある意味、それがクラシックという分野の幅を広げることになったというプラスの考え方もできますが、一方では巷に溢れかえる騒音も音楽であるという極端な思想をも生み出す結果となったことも事実です。非常に過激でありながらも繊細な側面を持った前衛音楽(いわゆる現代音楽)に染まっていった作曲家たちも、最近では徐々に古典への回帰(古典的な音楽技法を見なおそうとする傾向)へ立ち至っているようです。シェーンベルクが始めた壮大な実験も、結果的には彼らが登場する以前に延々と築かれてきた伝統的な音楽技法(民族音楽のような地域密着型の音楽を含む)が人間に1番しっくりくるということなんでしょうか。
 前置きがかなり長くなりましたが、本題の「ペレアスとメリザンド」と「浄夜」ですが、この作品はシェーンベルクがまだロマン派の作曲家だった頃の代表的な作品として、彼の作品の中で最もよく演奏されています。しかし、すでにこの作品では12音技法を予感させるフレーズがそこかしこに現われてきます。特に「ペレアスとメリザンド」は冒頭からそれらしい雰囲気を十二分にたたえております。暗く耽美的なイメージをうまいこと表していて、オスカー・ワイルドが大好きという方には特にお薦めですね。
 そして、この曲を演奏しているのが、先だって54歳という若さで急逝したイタリアの指揮者ジュゼッペ・シノーポリです。彼の演奏はかなり癖があるため、多くの人々から支持されることはなかったのですが、こと新ヴィーン楽派の演奏については比較的支持されていたようです。このCDの演奏ではかなりシノーポリ流ロマンティシズムが色濃く出ていて、少々くどいかなあとは思います(緻密で理性的な演奏がお好みの方にはお勧めはできません)。それでも、暗い情熱と耽美的な雰囲気が濃厚なので、かなりこの2つの作品の本質を衝いているのかなあとも思います。
(2002.12.16)
 第34回
Camille Saint-Saëns
 Symphony No.3 in C minor Op.78 "Organ"
 Eugene Ormandy/Philadelphia Orchestra
 Michael Murray (org)
 *TELARC: CD-80051
 サン=サーンスの代表作として有名なオルガン交響曲ですが、この曲を得意にしていたオーマンディは手兵であるフィラデルフィア管弦楽団と3回にわたって録音を行っています(すべてソリスト=オルガニストは別人)。
*1962年10月(CBS=Sony Classical)、オルガン:エドワード・パワー・ビッグス
*1973年12月(RCA=BMG)、オルガン:ヴァージル・フォックス
*1980年2月(TELARC)、オルガン:マイケル・マレイ

 最初の1962年の録音は、フィラデルフィア管弦楽団の演奏がぎこちなくノリも今一つで、残響音が乏しく録音もあまり良くはありません(これは録音年代が古いからという理由だけでなく、CBSの録音技術の問題もあるでしょう)。それにもまして、この曲で活躍するオルガンがパッとしないのです。余計なところで目立つように音を出しているくせに、肝心なクライマックスでは音を絞っているのが私としては納得がいきませんでした。
 その点1973年盤はかなり良い仕上がりで、年を重ねるごとに良い演奏になっています。ソリストのヴァージル・フォックスの演奏もすばらしいと思います。しかし、この録音もフォルテで音が濁り、ちょっと音質で難があるところが残念でなりません(アナログではオルガンの音の再生にはかなりの制約があるようですね)。
 この1973年盤をしのぐ名盤が今回紹介する1980年盤です。さすが音質には定評のあるTELARCレーベルで、原音に近くオケの音に奥行きが感じられ、オルガンもダイナミックに響き渡っています。オーマンディの解釈は前回の73年盤とほぼ同じですが、より深みと艶やかさが増したように思います。ソリストのマイケル・マレイもヴァージル・フォックスと並ぶ名演奏を披露しています。第1楽章後半で静かに奏でられるソロは朗々とオケに溶け込むように演奏されますが、しっかりと控えめながらも自己主張しているところが聴き取れます。この部分について73年盤ではよく聴き取れないところがありましたが、80年盤は非常に鮮明です(デジタル初期の録音ですが、同じ時期の他社レーベルの録音と比較してみればいかにTELARCの技術レベルが高いかがお分かりになると思います)。第1楽章では控えめに演奏されていたオルガンが大活躍する第2楽章後半では、水を得た魚のように生き生きと思い切り良く奏でられる様は非常に気持ちが良く、かといって自己主張ばかりして浮き上がってしまうことがなく、マイケル=マレイはオケとの駆け引きが非常にうまい円熟した奏者であることを伺わせます。
 私もこの曲の演奏をいくつか聴いてきましたが、80年盤をしのぐ演奏には今だかつてお目にかかったことがありません。初めて聴かれる人にも、すでに何種類もの演奏を聴かれた方にも共にお薦めできる決定盤です。
 第35回
Edvard Hagerup Grieg
 In Autumn - Concert Overture for Orchestra Op.11
 Piano Concerto in A minor Op.16
 Symphony in C minor

 Ole Kristian Ruud/ Bergen Philharmonic Orchestra
 Noriko Ogawa (p)
 *BIS: BIS-CD-1191
 グリーグといえば、イプセンの戯曲「ペールギュント」の付随音楽とピアノ協奏曲が有名ですが、彼の作品にはまだまだ注目すべきものがたくさんあります。その中のひとつが、今回ご紹介する交響曲ハ短調です。堂々とした風格があり、ドイツ系の交響曲にひけを取らない素晴らしい作品に仕上がっています。グリーグがただこの1曲だけしか交響曲を残さなかったのは非常に残念です。恐らく、2番以降の交響曲も1番に劣らない名曲となったことでしょう。さて、このグリーグの交響曲をノルウェーの若手指揮者のオーレ・クリスティアン・ルードとベルゲン・フィルが、重厚でスケールの大きい、がっちりとした体格の体育会系の男性のような音楽となっております。同曲の演奏では、ネーメ・ヤルヴィ/イェーテボリ交響楽団(DG)のものが有名ですが、ルード盤はこのヤルヴィ盤が軽いノリの音楽に聞こえてしまうくらい低音を強調する演奏です。ヤルヴィと比べてかなり若い指揮者(とはいえ御歳45歳で中年の域に達してはいますが)ではありますが、その演奏は既に巨匠の風格を漂わせています。テンポが他の指揮者の演奏と比べるとゆっくりめなので、最初聴いたときは少々違和感を感じましたが、これが聴きこんでいくうちにだんだんと良くなっていくんですねえ。ちなみに、私が持っている3種類の演奏のタイミングを参考までに以下に記してみます。
演奏者 第1楽章 第2楽章 第3楽章 第4楽章 トータル
ヤルヴィ/イェーテボリso(DG) 12:30 7:16 4:32 7:49 32:07
キタエンコ/ベルゲン・フィル(Virgin) 12:53 8:13 5:17 8:23 34:48
ルード/ベルゲン・フィル(BIS) 12:20 7:33 5:15 8:34 34:00
 ヤルヴィ盤と比べてみると、ルード盤は第1楽章を除いてすべてゆっくりです。特に第3楽章と第4楽章が顕著ですね(第4楽章などは、キタエンコのとろい演奏よりもさらに11秒も遅い)。ヤルヴィ盤は颯爽としてかっこいい演奏ではありますが、ルード盤と比較するとやはりカルく聞こえてしまいます。もし、この曲に堂々とした威厳を求められるのであれば、ルード盤は最適ではないかと思われます。ただし、あまり重い演奏がお好みでない方には少々鼻につくかもしれません。ちなみに、キタエンコの演奏は少々ゆっくり過ぎて、しかももったりしているのであまりお薦めできません。
 カップリング曲の演奏会用序曲「秋にて」も重厚です。なお、ピアノ協奏曲は小川典子がソリストとして演奏していますが、この演奏も悪くありません(第3楽章のコーダが少々くどい気はしますが・・・)。ただ、小川典子は何故か北欧音楽のファンの間からはあまり評価が高くありません。どうしてなんでしょうねえ。
(2003.6.17)
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