可燃物な日々

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5月15日(水)

 寝不足でダルかったが、支払日だし、いろいろ問い合わせもあるだろうしと思って、いつもよりなんとか15分遅れくらいで出社。
 
 「○○社(支払確認で振り回されいる某大企業)から電話がありました」
 と言われて、「ぎょぎょ。今日振り込んだのに、足りなかったか?」と思って慌てて折り返し電話したら「9時半の段階では入金が確認できてない」とのこと。
 
 そんなはずは・・・・・「とりあえず、調べてみます」ということにして、振込先登録などにミスがなかったか(支店名や口座番号相違だと送金が戻ってきてしまう)どうか確認しようとしていたのだが、その後も昨日と同じく他の2名からも「まだ振込みが確認できません」と電話があり、その対応しているうちに、銀行からFAXで「支店名相違」のお知らせがあった。
 みずほ銀行に登録しなおしたときに、私が支店番号を間違えていたのであった。
 すぐに、「再振込み」の手続きしなければ、と印鑑を管理している本部(親会社)の経理に行くと、印鑑責任者は接客中だったのだが、相手は銀行だったので、割って入って、

 「すいません、急ぎなんです。この1000万が振り込まれないと、○○は潰れるみたいです!」

 と、言うと、責任者が「はあ?」という顔をして、

 「だって、○○じゃない」(そんな大企業が1千万で潰れるって?という顔)
 「でも、朝から、まだか、まだかと、もう3本も電話入っているんです。そういうのって、潰れそうな会社のやることでしょ?」

 書類を揃えて銀行にファックスしようとしてたら、また電話。「まだ、確認とれませんか?」「すいません、組み戻しで戻ってきてしまいました。午後いちには処理されるかと・・・・・」と平謝り。

 まあ、そもそも私が悪いのだが、あまりにも対応が横柄なので、「このやりとりを録音しておいて、ネットで公開してやろうか?」という気分になる。
 だって、「まだ入金が無い」って問い合わせだって、そこの本社と支社に振り込んでいるのだが、戻ってきたのは本社向けだけだったので、支社の分は入っているはずなのに、支社の担当まで「まだですか?」と言ってくるから、今日付けで送信した他の会社への振込みも全部エラー?と思って一瞬真っ青になったではないか!

 そんなんで寝不足なのに朝からドタバタしてしまい「もーやだ」という気分だった。

 しかも、その後なんの連絡もなくて、逆にまだ「まだですか?」と担当者が言ってくるので、「もう確認されてもいいころなんですが、まだ入らないのでしょうか?うちはもう手続きしたので、あとは銀行間の処理の問題なのですが?」というと「じゃあ、経理本部に確認してみます」などと言う。とにかく3人でよってたかって「まだか、まだか」と攻め立てるばかりなのだ。
 いいんだけど、せめて1人にしぼるとかしないと、みんなでそんな電話を重複してかけまくっているのは時間の無駄なのでは?そんなだからギョーセキ悪化すんだよ、バーカ!・・・・・・という怒りがこみあげる。

 しかも、夕方5時くらいになって、昨日から何度も電話してくるうちの総括担当らしき人物からまた電話があり、今一度「送金が遅れた理由を説明しろ」と言う。
 もう、何回説明したんだろう・・・・あなたにだって2回くらい説明したはずだ、とうんざりするが、仕方ないからもう一回繰り返すと、それでも納得してくれない。「今まではそんなことなかったのにここ最近はおかしい」と絡んでくる。信用してくれないのなら、電話なんかで済ませないでほしい。

 それにうちの会社はそこから仕入れもしているが、うちの備品や保守料として、月々数百万支払っている客でもあるのだ。そう思ってたから、「あ、月末払い忘れちゃった。でもいいか○○だし」と思っていたのは事実。そんなこと言えないから、私の説明も歯切れが悪くなってしまったのかもしれない。
 未払い金額が多かったらしいので(1千万で?)、調査対象にマークされたらしく、担当者もちゃんと調査して本部に書類でも書かないといけないのだろうけど、だったらさあ、

1.担当者が私の話を信用してくれて、うちの会社が資金繰りに困っているとは思ってない場合→担当者が適当に創作して書く。
2.担当者が私の言い訳を信用できない場合→会社まで来て、うちの責任者を交えてちゃんと話を聞き、必要ならばうちに正式な書類を書いてもらうように要請する。

 という行動をとればいいと思うのに、その辺の態度がはっきりしないまま、「なんでなんですか?」と問い詰めるばかりでは時間の無駄ではないか?子供じゃないんだから、上が「なんでなんだ!ちゃんと調べろ!」と言うのをそのまま私にぶちまけても、そっちがどういう対応を必要としているのか私にはさっぱりわからない。
 それに「ここ最近おかしいですよ?なんでなんですか?」と言われて気が付いたのだが、「ここ最近、支払担当者である私はそれ以外の仕事がむちゃくちゃ急がしかったので、請求書に記載してある支払約束日なんていちいち確認している暇もなく、とにかく支払日までに集計することしかやってなかった」というのが、ほんとなのだが、そんな内部的な事情を説明すればいいってもんでもないだろう?

 あーめんどー、こんなに揉めるのがわかっていたら、最初からくどくどと本当のことを説明していたことがバカバカしくなる。ほんとに単純ミスなので、説明するたんびに落ちるしよ〜。だったか、「すいません、私が支払いをまとまているのですが、最近、恋をしてしまって、仕事がおろそかになってました」とか、言っておくんだった。そしたら、きっと「なんで恋をしてしまったんですか?相手は誰なんですか?」とか言ってきそうな勢いだったもんな(笑)

 冗談はさておき、うちの営業担当者も「いや、気にすることないよ、放っておいていい。最近あそこはほんとにおかしいよ。」と言っていたので、こんな思いをしているのは私だけではないらしい。
 繰り返すが、私の凡ミスで起きたことだが、その対応のボンクラさ加減は並みはなかったので、ほんとにびっくりした。経理を長年やっているから「まだ支払われてないんですが?」という問い合わせは日常茶飯事だが、あんなにギャースカ言われたことは初めてだ。
 いや、前にもあったな。前に勤めていた会社の社長からいつもなにかしらタカっていたサギ師みたいな奴が、自分の会社の資金繰りのために、うちの会社から1千万くらい送金させたのだが、社長が経理に「今日中に振り込むように」とは言わなくて、「これ払ってやってくれ」とだけ言ったので、こっちも急ぎだとわからなくて、翌日の設定にしておいたら、外から経理あてにそのサギ師から電話があって、「まだ振り込まれてない!どうなってるんだ!」とギャーギャー叫んでた。

 どうやら、その送金がないと、不渡りが出るようだった。
 しょーがないから、慌てて窓口に行って時間ぎりぎりだったが無理を言ってなんとか送金したのだが、私が銀行に出かけている間もずっと「まだか、まだか」と怒鳴っていたらしい。

 今日の○○の対応もそんなだったな。
 とりあえず、私は今後一切個人的にあそこの会社の製品を購入することはないだろう。そんで、友達があそこの製品と他社製品のどちらを購入するか迷っていたら、他社製品を勧めるであろう。「あそこはダメみたいよ?外部にあんな対応しかできないんだもん。製品だっていいわけないじゃん」
 あの会社にとって、個人としての私はたいした客ではないのだろうけど、でも同じようなミスをした得意先にあの調子でやっている可能性は大きいと思うので、いくら高い金払って売れっ子タレント使ってイメージ・アップをしても、そういう「口コミ」でかなり相殺されちゃうだろうなあ。

 てゆーか、「日本有数の大企業」にボコボコにされて、ボコボコにへこんだ、中小企業の経理のおねーさんとしては、自分の友達や親戚に対して「いじめられた〜」と言いまくって、狭い範囲での「不買運動」をしていく決意を固めて憂さを晴らすのであった。(あくまでも私のミスが引き起こしたトラブルであるので、会社名をここで書いたりしないくらいの理性は一応働いているらしい。今のところ)



5月14日(火)

 昨日「4月末に支払われてない!」(100万円じゃなくて1千万円でした)と言ってきた某大企業が、物量作戦に出たらしく、各担当者経由でも問い合わせをしてきてその対応に追われて、かなりへこむ。

 夕方になって、社長が「食事に行こう」と言い出したらしいが、メンツが揃わないようなので、「じゃあ、私もちょうど酒でもくらいたい気分なので、付き合うよ」とついて行ったら、しゃぶしゃぶだった。いきなり機嫌よくなる。

 仕事していると「いいこと」も「わるいこと」もあるもんだ。
 帰宅したのが11時半くらいだったが、「さて、サッカーどうしようかな?(観るOR寝る)」と思ってたら、きょうみちゃんから電話がかかってきて、またフダラダラと喋っていたら、サッカーが始まり、横目で見つつ、話に夢中になってたら、いつのまにかサッカーは終ったというのに、電話は終らず、3時過ぎまで長電話してしまった。



5月13日(月)

 明日が支払の送信日なのに、今日になってドカドカと請求書が届く。も〜いいかげん、「月末締め、翌月15日支払」ちゅう、きっついサイトやめようよ〜資金繰りじゃなくて、支払をまとめるのが大変なのです。
 他の仕事で忙しくて、回ってきた請求書を放置しておいたら、けっこう「4月末支払予定」というのがあったみたいで、先週末には「まだ振り込みがされてない」という問い合わせが数件あって、「もー、忙しいんだから勘弁してよ〜」とキレかかっていたが、なんとか「GWの休みで処理が滞っておりまして」と嘘800並べて取り繕う。中小企業なら慌てて支払うが、一部上場企業が100万くらいでガタガタ言うなっつうの。まあ、機械的に問い合わせているだけなのもわかるので、聞き流す。このくらいの豪胆さがないとやってけないわ、こんな仕事。(経理は几帳面じゃないとできないというのは嘘です。几帳面だと過労死してしまいますって)

 そして、ガシガシと支払をまとめて、夕方5時くらいにはなんとか形になり、6時半には無事終了。ああ、月曜日からこんなに働いちゃって・・・・・

 そんな合間にもシステムの人が「請求書出さないといけないのがあって」というので「明細をくれれば処理します」と言ったのだが、その意味がわかってくれなかったらしくて、いろいろグチグチ言ってくるので、「だから私が売上伝票打って、請求書も出力して相手先に郵送しますんで、送付先を教えてください」「送付先って?」「名刺とか、ないんですか?」「あるけど」「コピーして持ってきてください」

 コピー持ってきたが、「でも、この人宛てじゃあないんです」「だったらどの人なんですか?この人じゃないって言われても私にはわかりませんよ」、結局、その場で調べさせたが、もー、こんな簡単なこと一発でやってくださいませ。なんかこういう単純な事務手続きが苦手な人多いような気がするけど、私の説明が悪いんですかね?(反語。そんなわけぜってーないと信じている)

 帰る途中でドトールに寄って新製品の「ロイヤル・ポーク・ベーグルサンド」という「なにだロイヤルなんだ?」なもんで夕飯を済ませ、帰宅したら留守電にメッセージ「F君だったら嫌だな」と思いながら再生したら、Aだった。「帰ったら電話ください」という6時10分のメッセージ。
 彼女は今日はオフだから、ご飯でも食べようって話かな?もう食べちゃったけど、電話してみると「どこ行ってたの?」「どこって・・・・・会社だよ。今日も忙しかったぜ」「え?日曜日なのに?」

 「あのねー、思いっきり月曜日だと思います。だいたい、あんたが休みの日は、土日じゃないんでしょ?」
 「あ、そっか・・・・いないから、デートでもしているのかと思ってた」

 ですと。働きすぎで曜日感覚を喪失しているらしい。ネクタイ締めたサラリーマンが往行する都心にいるというのにそれに気がつかないとは立派である。全然周囲が見えてないな。
 結局、下北で会うことになり、ラフな格好に着替えて9時に合流。
 どうやら、昼間は彼氏と会っていたらしいのだが、夕方から彼氏がバイトだったので、それが終るまで暇を持てあましていたらしい。ほー、そーですか、中継ぎなのね。まあ、でも、こうやって友達に便利に使われるのは構わない。私もちょっと喋りたかったし。

 そして、1時間半くらいカフェでダベってたら、仕事が終った彼氏から電話が入り、Aが「下北にいるから来て」と言って、11時すぎに彼氏君登場。
 Aからは「だんだん人前でイチャイチャするのに慣れてきた自分が怖い」とは聞いていたが、ほんとにイチャイチャしとるなあ。
 目の前でブッチュブッチュされると、ちょっと困ることは困るので、これは人によっては「いちゃいちゃしてるの見せ付けやがって」と思うのかもしれない、というよりも普通思うだろうけど、今の私には「偉いなあ。私にはとても真似ができない。」というのが本音。

 で、11半くらいまでいたが、その後、Aは彼氏の家に一緒に帰って明日はそこから出勤するらしい。すごいなあ。ボロボロだけど、愛は守るのね。やはり私には絶対真似ができない。愛のために睡眠時間を削ることはできないのである。 
 元「ハッピー・マニア」Aの、その底力を目の当たりにして、「ちょっとテンションあがりすぎなんじゃないか」と少々心配になったが、友達として私ができるのは「ちゃんと休養もとって体壊さないようにね」とお祈りすることくらいである。

 「ほんとに大丈夫か?」と思うが、同じバカなら後ろ向きの人間よりも前向きの人間のほうが、会って話しても悪い気はしないし、そのエネルギーの放出の仕方が理解不能でも、「ある意味尊敬できる」のである。



5月12日(日)

 10時に目覚ましを掛けたが、眠くて眠くて起きられず、結局11時過ぎになんとか起き上がり支度して溜池山王の全日空ホテルへ。
 九州から上京しているNちゃんと会う約束。彼女がそこに宿泊しているので、ロビーで集合だったのだが、昼時のホテルのロビーは人の往来も多く、ティールームには行列。
 テレビでは連日「日本の景気は♪Woo Woo Woo Woo」(モー娘の「ラブ・マシーン」の節でどうぞ)と唄っているが、「いったい全体、この光景を見て、景気が悪いと言われても、どこの何が悪いのだろう?」と首を傾げる。(金曜日にタクシーが捕まえられなかった恨みも加算)

 Nちゃんとは数年会ってないはずだが、私がロビーを歩いてきた彼女に手を振ると、不審そうな顔して「ミヤノ・・・・ちゃん・・・ですよね?」と自信なさげなので、「あたし別にそんなに変わってないでしょ?」と言うと、「なんか、眼鏡をしてない顔を見慣れてなくて」と言い訳するのだが、つうことは、私がコンタクトを復活させたのは、前の会社を辞めたときだったから、5年くらい会ってないということだな。
 しばらくしたらHちゃんも来た。Hちゃんが結婚してすぐに一回会っているが、「新婚ほやほやのゴールデンウィークに会ったきりだよ?」と言うと、「じゃあ、2年半ぶりくらいだ」とのこと。
 みんな久々だが、この年になると、そういう友達も多いし、みんなそれほど変わるわけでもないので、久しぶりという気もしない。

 お昼を食べに行くが、全日空のほうはかなり混雑しているようなので、裏のオークラに行くことにする。Nちゃんが「安いところがあるから」というが、オークラで安いというはたかが知れていると思ったけど、やはり「料理と雰囲気はファミレスだが、値段は2倍」というところだった。
 ま、Nちゃんのそういうスノッブさは健在だと思っていたので、覚悟はしていたけど、今は薬もちゃんと飲んで安定しているみたいだし、食後もちゃんと薬を飲んでいたので、おおむねおっとりと話をしていた。

 でも、そういう友達にはできるだけ「そうだね。そうだね」と聞いてあげないといけないということはわかっているのだが、私はどうにもそういうのが苦手でついつい、つっかかってしまう。
 「私もこのままだと働けない人になっちゃうだろうし、親が死んだら、ほんとに路頭に迷っちゃうよ。私が貧乏になっても友達でいてね」
 とオークラのカフェで言われて、素直にうなずけるほど私は人間ができていないのだ。
 「だったら、ここのランチ代2000円を貯金しておいて、コンビニでおにぎり買えば?」
 とか憎まれ口を言ってしまう。
 
 友達で変な不安症の子がいるが、その子はNちゃんと同じように将来に不安を抱えているので、「食費は一日500円以下」と決めて、質素な生活しているよ。あれはあれでビョーキだが(栄養失調で肺炎になって入院した。その治療費のほうが高かったらしいので、目覚めてくれるといいのだが)、同じビョーキなら、具体的行動に出ているほうを私は支持する。

 Nちゃんと話していて、少し気に障ったのは、「私はこうやって誰とも会わないで引きこもっている状態だから、ほんとに世間知らずで」と言ういいわけが多いことだ。
 職探しの話になって、彼女は東京に戻りたいのだが、私はキッパリと「でも、あなたには職歴がないから厳しい」と言った。職歴は真っ当なはずな自分ですら、かなり苦労したので、「地方より東京のほうが仕事はあるのは確かだけど、まともに就職したことのない30代女性が、一人暮らしできる給料をもらえるような仕事に就くのはよっぽどのコネでもなければ無理」というのはほんとだろう。
 たしかに、話を聞くと地方都市には「バイト」もないようなので、それは一時期、北海道の地方都市にいたHちゃんも「ちょっとしたバイトにも人が殺到するし、みんないい仕事はなかなか辞めないからね」と言っていた。

 Nみたいに、体力の無い人はフルで働くのは厳しいだろうから、週に3日とかいうバイトのほうがいいと思うのだが、そういう職場環境があまりないらしいので、そうなると働き口を見つけることは難しい。
 そんな話をしていたら、Nが「この先、日本も賃金格差が激しくなっていくのかなあ?」と言うので、「まあ、そうなるかもしれないねえ」と喋っていたら、急にNが「でも、私、普段、人とこんな話しないし、私の情報源は恥ずかしいけどほんとに朝日新聞だけなので、世間知らずだからよくわかんないんだけど」と言うので、朝日新聞で得た「経済の知識」を恥じるのは勝手だが、そんなこと言われても、私だって、ロクに新聞を読んでないし、ロクにニュースも観てないし、毎日観てるのは朝のワイドショーだったりするし・・・・・「私だって、こんな話は、普通しないけど?」「でも、今してるじゃない?」「会社でこんな話なんてしないよ。それに、あなただって、今してるじゃない?」「・・・・・」

 世間知らずな人が、ほんとにいかにも「あんたは世間を知らない」ということを言ったら、はっきりそう言うよ。「新聞にはそう書いてあるかもしれないが、現実は違うんだよ」とかなんとか。でも、相手を世間知らずだと断言できるほど私だって広い世間で活躍しているわけではない。「双方、そこそこ世間知らず」という前提で自由に意見を交換したって誰にも迷惑かけるわけじゃないし。
 
 たぶん、彼女も「部分否定が全体否定」型なんだろうなあ。「なんかバカなことを言ったら軽蔑される」ということに対して怯えているのだろうか。
 まあ、今回の母親付き添いの旅行は、病気の伯父の見舞いもかねていたみたいだが、本人的には「東京に出られるかどうかを考える」という旅行らしいが、それに関しては私は全面否定して、彼女は「今は翻訳の勉強をまたしようと思う」とか言っているので、「だったら、ネットではみんなそれ目指して頑張ってるよ。どうせ暇なら、地道にがんばってみれば?」とアドバイスをしたが、「でも、どうもパソコンが上手く使いこなせなくて・・・・学校でも行こうかな」と言うので、「いや、パソコン・スクールに行かなくても、あなた程度の知能があればなんとかなるでしょう?」と言ってみたが、「でも、いっつもわけわかんなくて、画面が固まっちゃうの・・・・・」

 私の周囲の20代後半〜30代の女性で、「ある程度パソコンを使える人」と「いつまでも使いこなせない人」の差はなにかというと、「できる人」というのは、フリーズや「警告ダイアログ」を「マイクロソフトもしくはアップルがボンクラだから起きること」だとわかっているが、「できない人」は「自分がなにかマズいことをやったから」だと思ってしまうのだ。
 「自分が不勉強だから」と思い込んじゃっているので、先に進めないのである。たしかにMSのOSなどは、「不正な処理が行われたので・・・」などと、「あんたが変なことをやったから、プログラムを強制終了しますわよ〜ん」なことを言うので、自分に自信の無い人はそれを間に受けてしまうのだろう。私などはいつも「え?あたしがいつ不正を働いたっつうの?いいがかりもいい加減にしろまったく!あちゃー、せっかく入力したデータが台無し!バッカヤロー!」と、たとえほんとに私の不正だったとしても、「私は悪いことをしていない。みんながやっているようにやっただけ」という辻元・元議員のような態度に出てしまうから、「不具合」は全て「マイクロソフトがスカタン」だと自分のいいように処理しているのだが・・・・

 だが、「自分がバカだから」という方向に行ってしまう人にいくら「私だって、いつも強制終了しているよ」と言い聞かせても無駄なので、パソコン・スクールに高い金払ってください。そもそも、パソコンを使えないで就職活動しようとするのも無謀なので、「パソコン検定」でも受けて自信をつけるのはいいのではないでしょうか、私の金じゃないし。

 いや、わかっているのです。彼女が求めている反応は「あなたは頭もいいし、ちゃんと勉強すれば、パソコンも使えるし、体が丈夫だったら東京でも働けるのに、病気だから可愛そうね。」といっておけばいいのです。「かわいそう」「かわいそう」「そうだね」「大変だね」と言っていればいいのです。
 でも、頑張れば彼女は頭の悪い人でもないし、そこそこなにかいい仕事が見つけられると本気で私は思っているし、世の中、彼女よりももっとバカな人間が悠々と仕事しているのも知っているので、ちゃんとプライドを持って生きてほしいと思っているのです。逃げてばかりいるのも辛そうだし、たぶん、きちんと他人から認められたいという意思は強いと思うので、だったら苦労してでも「すごいと他人から評される自分」を作るために努力もしてくれないと。

 私自身はそれなりに自信があります。東京近郊に生まれたのはラッキーだったとしても、たとえ地方に生まれていても、そこでもちゃんと働けただろうし、「地方じゃ仕事がないな」と思ったら、東京に出てきても今と同じくらいには働けたはず。一人暮らしを始めたときにも親からは一銭も援助してもらわずに、なんとか「個人的大失業時代」も生き延びたし。今でも生活するのがやっとだし、「自由な時間」をかなり削ってはいるけれども、それでも「自分で自分の生活を維持する」ということに固執しているので、これでいいのです。

 「日本経済は斜陽」と言っても、先日の中国での北朝鮮の家族の亡命映像を観ていると、「国を捨てないとならない不幸に比べれば、今の生活で不自由はないわけだし、ずいぶん恵まれているな」と思います。
 それにしても「亡命」って凄い言葉ですよね。
 私は割と文字を読むのには苦労しなかった子供で、幼稚園のころから新聞がだいたい読めましたが、「亡命」という言葉の意味はなかなか理解できませんでした。子供のころ旧ソ連の「ミグ21の乗員が飛行機ごと亡命」という記事を見て、漠然と「亡」は死亡の「亡」で「命」の意味はわかっていたので、「亡命」というのは「死ぬよりすごいこと」だと子供心に判断していたのです。

 それにしても、北朝鮮の家族はどうして日本大使館に飛び込んだのでしょううか?私が「世間知らずではない亡命志願者」だったら、日本大使館は選ばないなあ。イタリア領事館のほうが女性に優しいような気もするし・・・・・婆さんだろうが、オバサンだろうが、女性が困っていたら、イタリア人やスペイン人のほうがまともな対応してくれそうです。相手が中国の武装警官だろうがね。

 あ、今ニュースを見ていたら、「アメリカ領事館は警備が厳しかったので、隣の日本領事館にした」という情報が入ったようです。
 でも、北朝鮮から中国に入るのも大変だと思うし、亡命者が目白押しの状態のようなので、今後厳しくなるだろうなあ。
 ただ、ああやって亡命にチャレンジできる北朝鮮の家族というのは、そこそこのコネを持っているはずですよね。たぶん、一般庶民は「亡命」という観念自体思い浮かばないと思われ。北朝鮮政府にしてみれば、亡命者が相次ぐことは「北朝鮮の内部が荒れている証拠」になってしまうので、必死で防ごうとするはずだし、今後どうなるんだろう。

 グローバル化が促進されて、「住む国も、職業と同じように自由に選べる」ようになったらどうなるのかなあ?
 今のところ、「国籍を変える」には結婚が手っ取り早いというか、それしか方法がないと言ってもいいけど、会社より国のほうが、個人に教育費もかけているし、年金や保険の問題もあるから、手軽に国籍変えられたりしても困るのかもしれないし、企業とちがって「いい人材だけ採用する」という方法がとれないけど、それでも「転職者」みたいに「転国者」が当たり前になるような未来はあるのだろうか?そういう世界はどんなだろうか?

 生まれたときには国籍は決まってなくて、日本の就職活動みたいに「所属国家」に面接に行って採用してもらえるように頑張ったてたらおかしいな。
 「○○くんはアメリカ一本で絞るみたいだよ」
 「とりあえず、チェニジアに内定もらったんだけど、まだフランスの最終面接があるから」
 「日本は内定者囲い込みしてて、北海道の施設に閉じ込められてるらしいよ」
 「ドイツとオーストリアに内定もらってるんだけど・・・どーしよー」
 
 で、「国籍浪人」とかがウロウロしている。
 アメリカ5浪とか普通だったりして(笑)
 そんで、各国は優秀な人材を確保するために、説明会を開いたり、アフリカなどは東京ドームで「合同説明会」を開催したりするんだな。

 「アルゼンチンはドル通貨が実現したら、けっこうイケるんじゃないか」などと、学生たちの間でもいろいろ怪情報がかけめぐり、「アメリカ」に就国した人が「自分の実力を生かすために、パナマに転国しました」などという記事が日経ウーマンに掲載されたり・・・・・

 なんだか楽しそうだから、私の生きているうちにやってみてほしい。「就国活動」



5月11日(土)

 昨晩は家に帰ったら12時だったが、その後「真夜中は別の顔」の一週間分再放送を観て「なんだか、つまらない話になってきた。シドニー・シェルダンってこんな話書いてるの?」と思いながらも、結局最後まで観てしまい、そのあと、うっかり「ダーマ&グレッグ」の結婚したてのころの再放送まで観てしまい、気が付いたら3時。「ああ、明日仕事なのにーーーー」自己責任。

 いつもとほぼ同じ時間に起床して、10時10分には出勤。今日も仕事は山積みだけど、倉庫の掃除も手伝わないとならなかったので、中断してサクサク手伝い、また夕方仕事に戻って、結局「この程度までやっておけば、月曜日の地獄の炎の温度が少し低くなるだろう」というところまで片付けたのが8時だった。あーあ、土曜日だっちゅうに10時間も働いちゃうのって、腐るわ。

 家に帰ったらもう9時過ぎで、ビール飲みながら昨日の分の日記を書いていたら眠くなってダウン。
 12時前には寝ていたと思う。
 電話が鳴ったので、反射的にとったら、「ハーイ!」とF君だった。「起きてたよね?」とか言ってたような気がしたが、とっさに英語が出てこなくて無言でいたら、「あ・・・寝てた?ごめん、ごめん、お休みなさい」と慌てて切ってしまった。

 いや、いいんだけどさあ。夜中に電話するときにはそれなりの覚悟を持って電話してくれたまえ。
 ちゃんと用事があるのなら、こっちも頭をリセットするのだが、「寝てた?ごめん」で切られると、「いったいなんなんだ?そんなヤワな用事で夜中に電話してくんな、バカヤロー」と思うではないか。

 なんかこーゆータイミングの悪い人っているわよね。
 逆に不気味なほどタイミングのいい人もいて「私の生活、隠しカメラでモニターしてない?」というくらい、「ちょっと嫌なことがあって誰かに喋りたいな」と思っているときに電話してくれる友達とか、元上司の霊感あるらしい女性は、2年ぶりくらいに電話してきて「どう?元気?」という1週間前に私は仕事が見つかったときだったので、「なんでわかるんですか?」と気味悪くなったりしたが。



5月10日(金)

 仕事は相変わらずバタバタしているが、なんとか残業30分で切り上げて九段下へ。イメルダ君の誕生会、兼、フランスで彼が購入してきたトリュフをレストランに持ち込んで、お任せで料理を作ってもらうというゴージャスな企画。もう1人参加した方が、ボルドーのワインを持ってきてくれた。わたしはあんましワインの味わからないのだが(そんなにいいのを飲んだことない)、わりとクセがなくて、香りもちょっと今まで知らないかんじだったので「はあ、なるへそ、田崎真也などが、○○の香りなどというのはこういう、これがワインの香りなの?という香りのことなのだな」と納得。

 そして料理は前菜から、デザートまで全てにトリュフが散りばめられるという豪華バンバンなものであった。
 ふーん、トリュフってこういうのなんだ。キノコよりも歯ごたえがあって、細かく砕くとナッツみたいだ。ほんのりと香りがあるが、生ではないせいもあるのか、それほど強烈な香りでもない。不思議な食べ物だ。珍味というからもっと生臭い強烈なものを想像していたのが、思ったよりも上品なものでした。

 デザートのプディングの底に入っていたのには笑ったが、もっと驚いたのは、コーヒーのつまみに出てきた干菓子として、クッキーとチョコがあったのだが、丸い柔らかいチョコを口に含むと、なにやらザラザラした食感。ナッツでも入れたのかと一瞬思ったのだが、それもトリュフ。サービス担当の奥さんが「シェフがそれだけはこだわって・・・・」と笑っている。トリュフ・イン・トリュフなのであった。「トリュフ入りトリュフ」など、もう二度と食べることはないだろうな。

 というわけで、「トリュフづくし」を堪能して、その後、ちょこっと神楽坂に行こうと思って、タクシーを拾おうとしたのだが、雨の金曜日の夜ゆえ、空車がないかなあと思ったけど、道行く車を見ていると、けっこう空車が走っている。時刻はまだ11時だから、丁度、「さあ、そろそろ上客をつかまえるぜ!」というモードに入ったころである。九段下→神楽坂では、1メータちょっとだろうが、その移動はこの時間のタクシーには負担にならないだろうし、その方角に空車が流れているから簡単につかまるかなと思ったのだけど・・・・・

 全然ダメ。マーフィーの法則に翻弄されて、「ああ、あっちの道に空車がたくさん流れている」と通りを渡るとピタリと来ないというありがちな状態。傘をさしていても激しい雨ゆえ、10分以上そんなことしてたらズブ濡れになってきたので、「もう、時間も遅いし、明日は仕事だし、今日はやめとこ」と諦めて地下鉄に乗って帰宅した。

 私は滅多にタクシーに乗らない。
 渋谷くらいで終電逃すと歩いて帰ってしまうし、そもそも私の遊び方は「オール」なので、始発に乗って帰ることが多い。
 景気が悪くなったとはいえ、逆に「金曜日集中」があるようで、金曜日に飲みに行くときには気をつけて終電を逃さないようにしている。

 バブルのときはタクシーでは散々苦労したし、バブルがはじけた後でも、タクシーは私の姿を見かけると、スっと車線を変更して逃げていってしまうので、「どうやら私は客とみなされてないようだ。だったら客になってやるもんかい」という意地もある。
 前に昼間仕事で利用したタクシーの運転手さんと、そんな話題になったのだが、運転手さんもちょっと申し訳なさそうに「でも、やはり週末の終電直後にいい客を捕まえられるかどうかで、夕飯のおかずが違ってくるんですよ。」と言い訳しながらも、やはり、「若い女性客はわりと近い距離しか乗らない」というのはほんとなので、そういうのになるべくつかまらないように、中央車線を突っ走り、遠くまで乗ってくれるオヤジ客をつかまえに銀座や赤坂を目指すのだという。

 タクシーというのは、とても特殊な商売というか、経済学的に考えても「需要と供給」のバランスが微妙な経済活動なのではないかと思う。
 需要が曜日で変わるというのは他の商売でもあるし、娯楽系の商売は「平日割引」などをして、週末以外の需要を刺激するが、タクシーの場合は、時間帯や天候で需要が劇的に変化する。詳しいことはわからないが、多分、「昼間流しているだけ」で食えるタクシーはあまりないのだろう。そして、昼間でそこそこ稼げるくらいの台数しかないと、ピーク時には全然供給が足りないことになる。

 それに、バスだったら、「赤字の時間帯があっても、その時間も走らせないと黒字も生まれない」だろうから、その路線の一ヶ月単位の収支が合えば済むだろうが、タクシーの場合は、会社組織にはなっていても歩合の割合が多いので、「空車で走っている車がある程度安定供給されているほうが結果的には利用増に繋がる」という戦略を建てにくいだろう。

 もっと潜在的な顧客はいるはずなのに、「商品」が移動してしまうという性質がある以上、「無駄の無い配車」というのもなかなか難しいだろうし、そうなると私みたいに「必要なときにタクシーは止まってくれない」→「タクシーなんて嫌い」→「ほんとに困らないと乗らないも〜ん」ということになってしまい、昼間の空車がたくさんある時間帯に利用する気なんて起こらなくなる

 それにしても、渋谷のタクシー乗り場で「三軒茶屋」と言うと、運転手ががっかりするのがわかるので、すっかり乗らなくなってしまったが、(約2000円の距離)、運転手の立場になれば、終電直後の行列ができる乗り場で、客を選ぶことができないわけだから「毎晩ギャンブル状態」であるからしょうがないとも思う。
 だが、何回かあったのだが、金曜日の深夜に終電を逃してしまい、「三軒茶屋」から「西麻布」まで乗りたいときでも、ちっとも止まってくれないので困る。
 「あんたら、どうせ、そっち方面に客を拾いに戻ってるんだろーがー!だったら空で走るよりも私を乗っけていけばいいのに!」と思っても、三軒茶屋でポツネンと立つ私は「三茶からおうちへ帰る女性」にしか見えないのだろう。いつもやってやろうと思うだけでやったことはないのだが、ヒッチハイカーみたいに目的地を掲げれば止まってくるだろうにと思う。

 そのうち、携帯電話で「どこからどこまで行きたい」と発信するとタクシーがその情報を拾ってくれるというサービスなどが出現しますかね。
 でも、タクシーが「客を選んではいけない」という原則があると無理だろうし、なかなか難しいなあ。

 そもそも、東京が広すぎるのだと思う。他の国の都市なら、「電車で1時間半」という通勤圏ではないだろうから、せいぜい東京23区内あたりで済むのだろうけど、東京の場合「町と町との境界線」も曖昧なままダラダラとデカいし、タクシーにはテリトリーがあるらしいので、八王子から東京駅まで客を乗せたタクシーが帰りに客を拾ってはいけないとかいろいろあるらしいので、ややこしいぞ。

 まあ、とにかく、久々に「自腹でタクシー」という気分だったのに、ちっとも捕獲できなかったから、ますます「タクシーを当てにしない生活設計」に磨きをかける決心してるだけでございます。イーデス・ハンゾン氏をお手本にして「徒歩が一番時間が確実」というのはほんとだと思うので、健脚をブラッシュ・アップするわ。



5月9日(木)

 昨晩は、さっそくきょうみさんから「(笑)見たよ〜(笑)載せたんだ〜(笑)」と電話がかかってきたので、また高校時代の思い出話に花が咲いてしまった。あのころのクラスメートたちはその後どんな人生を送っているのだろうか?

 さて、私が顔がぼやけているとはいえ、わりと自分の写真を載せたりすることに抵抗がないのは、たぶん私がすっかり「おばさん」になったからなのだろう。少なくとも20代前半までだったら、ぜったいこんなことはしなかった。
 今では自分が美人だろうがブスだろうが、どーでもいーのである。
 元々化粧が得意ではなかったし、なにしろ和風顔ゆえ、「化粧テクニック本」などを見ても全然参考にならなくて、思い悩んだ時期もあったが、めんどくさがりの性格も災いして、20代のころはほんとにスッピンで会社に行っていた。今でこそ一応最低限はやるけれど、それでも私の「化粧品エンゲル係数」は、国際的レベルからしても相当低いだろう。基礎化粧品以外を購入することは滅多になくて、一番最後に買ったのは・・・・・アイブロー(眉を描く鉛筆)を去年の後半に買ったかな?

 頬紅は出版社に勤めるTさんが、読者プレゼントのあまりかなんかをくれたのを未だに使っている。まだ半分くらいしか減ってない。あれは何年前?下手すると10年近いかもしれない。賞味期限はあるのだろうか?口紅も海外旅行の土産や化粧品会社に勤めていた友人がくれたサンプルがゴロゴロしているので、買う気がしない。多分、年間の平均支出は1万円いくかいかないかだと思う。
 よく他人から「肌がきれいですね」と言われるが、自分ではそうとも思っていないのだが、でもファンデーションがどうにも肌に合わないので、もしかしたら「透明感のある肌」を維持しているのはそのせいかもしれない。

 今の若い子のことはわからないが、私の世代以前の女性たちの「容姿コンプレックス」はけっこう微妙だと思う。
 私がそうだったんだけど、「他人から美しいと言われることはない」と思い込んでいた。それでもやはり、ちょっとはきれいになりたいし、せめて自分だけでも自分の顔を愛してあげないとかわいそうだとか思っていたような気がする。
 それは「超美人」でもないのはほんとだが「まあ、10人並み」とは言える自分に限ったことではなくて、友達でもまあまあの美人のほうがコンプレックスが強かったりした。けっこう夜遊びしていたので、それが「ナンパ率が異常に低いテクノ系」だったとはいえ、男の子たちはちょっと話し掛けてみるのにはやはり美人を選ぶ。あまりにも凄い美人は遠巻きにされるが、そこそこの美人はやはり声掛けられ率が高い。だって、私と美人の友達が並んで座っていると、ぜったい美人のほうが話し掛けられるんだもん(笑)。

 私は世の中そういうもんだと思ってたので、「ふーむ。わかりやすい」と納得していたが、美人の友達はそういう納得の仕方を絶対にしなかった。なぜ、わざわざ自分に話し掛けてくるのか理解ができないようで、しまいには「バカにされてる」とか言い出すのだ。しかも男性から「きれいですよね」などと言われた日には、もう怒り心頭らしい。なだめるのが大変だった。

 そう考えて、周囲を見回すと、「きれいに着飾って自己アピール」しているのはたいてい「顔の造作があまりよくない人」だったりする。
 そして、「きれいですね」と言われて単純によろこんでいるのは「10人並み」や「ファニーフェイス」たちであって、私が認める「正統派美人」の多くは「自分の顔のどこがどう気に入らないか」を語らせると止まらなかった。
 「おきれいですね」「いえ、とんでもございまぜん」という「遠慮の美徳」なのだと若いころは思っていたが、ほんとに「そんなこと言われるなんて、とんでもない!失礼しちゃうわ、まったく」であることに気が付いたのは20代後半になってからだった。

 昔、友達がぼやいていて、「ああ、それはあるかもな」と思ったのだが、彼女は自分の親に「おまえはブサイクだから、いいところに嫁に行けないだろう。せめてちゃんと勉強して手に職をつけなさい」と言われて育ったという。
 私の親の世代は「娘を蝶よ花よ」で育てることをあまりしなかったと思う。私に関していえば、うちの母は容姿そのものについてはわりと誉めてくれたのだが、それでも「あんたはダラしないから」とかよく言われたし、「女としての商品価値はイマイチ」という意味のことは言われたと思う。

 親に「不細工」と称されつづけた友達は、ずっとそうなんだと信じていたそうだ。大人になって、自分で判断できるようになってからは、「そんなにマズくもないだろう」と思えただろうし、私から見ればかなりかわいいほうだし、どっちかというと可愛いから誤解されやすいというか、男性から勝手に「僕が守ってあげなきゃ」と思わせるキャラだが、実は性格はかなりしっかししている。

 彼女は自分が幼いころ抱えていた「容姿コンプレックス」に深い恨みを持っているようで、「もし、自分に子供ができたら、毎日のように、かわいい、きれいだと誉めてあげたい」と言っていた。
 その意味がわかったのは、随分前になるが、別の友達と自宅での飲み会の買出しに麻布の「ナショナルマーケット」に行ったときである。あそこは近隣の外人客が多い。今でこそ「輸入食材」も手に入りやすいが、当時はあそこか紀伊国屋に行かないと「おシャレな輸入食材」が手に入らなかった。
 買出しが終って、外に出ると、駐車場のところにベビーカーに乗った西洋人の赤ちゃんがいた。親はその脇で立ち話をしていて、ちょっと離れたところに立っていた。ほんとに宗教画の天使かキューピーットかという、ふっくらしていて、ほっぺはバラ色で、金髪の巻き毛がキラキラと輝く可愛い赤ん坊だった。たぶん、2歳くらいだったと思う。友達が「わあ、やっぱ外人の子はかわいいねえ〜、ほんと、天使みたいだ」と言い、子供があまり好きではない私もその姿を見て「ほんとだ〜可愛い〜」と二人で思わずベビーカーに近づいた。

 その赤ん坊は、近寄る私たちに向かってバッチリと「満面の天使な笑顔」で応えた。
 「・・・・・この子、自分がかわいいのわかってるみたいだね」
 「うん、すごいね」
 と、私らはちょっと引いてしまった。
 なんかそれは、すごく反射的なもので、例えは悪いが皇族たちが「キャー○○様だ!」といわれたとたんに、例の「皇室スマイル」でニッコリしながら手を振るかんじにすごく似ていたのである。

 その赤ん坊も、いつもこうやって買い物兼散歩しているときに、通りすがりの人たちから「あら〜ほんとに天使みたい」と賞賛され慣れているので、誰かが自分に視線を向けたら、反射的にスマイルしてしまうようになっただろう。しかも、西洋人であるからして、その子の父親などは「ハーイ!僕の天使ちゃん」などと毎日呼びかけているだろうから、「自分の存在そのものが他人に幸福感を与える」と信じて疑わない人になるだろう。

 どんな容姿の大人に成長するかわからないが、少なくとも私の美人の友人みたいに、好きな男の子がいても「でも、私なんかに話し掛けられたら、向こうが迷惑するのではないか?」などという、わけわかんないこと言う大人にはならないと思う。(女性に話し掛けられて嫌な気持になる男性はほとんどいないはず。それで付き合うかどうかは別としても、相手が嫌そうな態度をとるのは、自分がちゃんと相手できないというコンプレックスだったりすると思う。自分は上手く女性と会話することができませんぜ、それでもいいんですかい?という意思表示だと思う。と言っても「でも〜私なんかブスだし〜年増だし〜」と言って聞いてくれなかった。)

 なにが言いたいかというと、私の周囲にいるような「蝶よ花よ」で育てられていない女性に向かって、容姿のことを誉めることはタブーであるということ。
 どうやれば効果的なのかは、私にもよくわからないけど(そういうコンプレックス型の美人を口説いた経験ないので。そもそも女性を口説く趣味はない)、たぶん「なんだかわかないけど、あなたにひかれます」という態度をとったほうが有効なのではないかと思う。
 これがなかなか難易度高いから、美人の独身が多い理由なのではないかと思う。
 私が男だったら、そんな捻くれたものに四苦八苦するよりも、「かわいいね」と言われて素直に喜ぶブスのほうがいいもん。

 なんかで「美人の口説き方」というのを読んだが、その人のテクニックは美人をないがしろにすることだという。たしかにそれはかなり有効だと思う。美人は男性からチヤホヤされやすいが、それに慣れているのでそういう男を信用していない。「自分では美人だと思っていない」ので、自分の信じていないものに群がるやつらを信用しないのである。だから、「別にこんなの美人でもなんでもないじゃん」とセルフイメージと相手の態度が一致すると、いきなり相手を信用する・・・・ような気がしなくもない・・・・と、自身なさげなのはあくまでも「美人の友達のコンプレックス」だからであり、自分の話ではないからなんすけど。

 それに女性の考える「美人」と男性が考えるそれとはずいぶん違うような気もするが。
 それとはまた遠い話になるが、以前、派遣で行った会社で、そこの会社の人たちと飲みに行ったとき、他部署の男性も同席していた。彼は40歳過ぎで独身で、おじさんたちが私に「ミヤノさん、あいつに友達でも紹介してやってよ」と冗談まじりでよく言っていた。「ミヤノさん、あいつどう?」と言わなかったは、私が自立して食ってけるくらいの実力がありそうだから、あんなのは相手にしないだろうと、おじさんたちなりに考えたからであろう。まあ、とにかく、冴えないかんじの独身男。

 でも、そんなに感じの悪い人ではなかったので私はそこそこ仲良くしていた。その飲み会のときも彼が私の横に座って、私がわりとサバサバした性格だとわかったみたいだし、向こうも酒がまわってきてリラックスしてきたらしく、変な質問をしてきた。

 「なんだか、睫が上向きですよね」

 一応、派遣だし、それなりにちゃんとしておかないと、と思っていたので私はそのころ毎日ビューラーで睫をクリンと上向きにしていたのである。

 「ああ、でも、これはナチュラルまつげです。マスカラもつけてません。ビューラーっていう睫毛を物理的に矯正する機械を使ってますけど」

 と説明したのだが、どうやら彼は「マスカラ」と「付け睫毛」の区別がついてなかったので、「マスカラ」と「付け睫毛」と「ビューラー」の違いを丁寧に説明してあげたら、「そっか、睫毛がきれいだからって、全部がつけ睫毛じゃないんですね」と納得していた。
 同席していたおじさんの1人がすかさす、「おまえが知ってるような、水商売の女はみんなつけ睫毛だからな」と茶々を入れた。そして、「だいたい、そんな話を女性に根掘り葉掘り聞くのはセクハラだぞ?だからおまえは女にモテないんだ」と言われていたので、それはちょっと違うと思ったので、

 「まあ、たしかに、化粧法などを聞くのはあまりよくないかもしれませんけど、でも、マツゲの話とかは男性はあまり知らないだろうし、興味持つのは普通だろうし、それに、聞かれてもあまり不快でもないですよ。」

 とフォローして、ついでに「でも、『ファンデーションはどこの製品を使ってるんですか?』とかいうマニアックな質問されると、ちょっと不気味かもしれませんけどね」と言ったら、その独身男性が急に慌てたように、

 「え?マスカラはよくても、ファンデーションはダメなんですか?その違いはなんなんですか?そーゆーのが僕わからないんですよ!」

 と詰め寄ってきたので、絶句。
 いや、マスカラが○でファンデーションは×っていう話じゃなくてさー
 でも、それを解説するのもめんどくさくて、「ああ、やっぱりこの人に女性の口説き方を教えるのは難しそう」と思ってしまったのでありました。



5月8日(水)

 先日発行したメルマガで、去年書いた「高校時代の思い出話」を載せてみたら、なにやら評判がよろしかったようで、ついでにきょうみちゃんが「文化祭の話も書いてたよね」と言うので、そんなのも読み返していたら、きょうみちゃんが突然当時の写真をデジカメで撮って送ってくれた。
 文化祭のときの写真と、修学旅行のときの写真があったが、きょうみ曰く「このミヤノの写真が私のお気に入り」と言う写真は、私には記憶の無い写真だ。そもそも、自分の写真なんてあまりマジマジと見ないしね。
  
 適度に顔がボケているので、調子に乗って掲載しちゃいました。(笑)
 なんだかタンポポの綿毛のような・・・・・かなりふっくらしていたのである。体重は今より10キロくらい重かった。
 しかし、自分の昔の写真を自慢したいわけでもないが、これ見てつくづく思ったのだが、今時こういう雰囲気の女子高生って見ませんよね?まあ、田舎の学校だったし、みんな垢抜けてなかったけど、20年前の女子高生はこんなに地味だったという記録。しかも全員髪の毛が黒いし(笑)。
 粗い写真だけど、髪の毛がまるでパーマかけたみたいに見えますが、これが地毛というか、「天然パーマ」なのだ。それも、結わいてまとめていないところを見ると、この当時も「ストレートパーマ」をかけていたはずなので、ストパをかけてやっとこの状態だったのである。

 ま、こうやって見ると、子供のときからあまり顔が変わっていないな。
 ところでこの間、オフ会でお会いした方に「彫刻のモデル向き」と言われましたが、やめといたほうがいいですぜ。
 だって、中学の美術の授業で自分の顔を粘土で作って素焼きにするというお題があって、出来上がりがデスマスクみたいで不気味だったんで、その後あの作品はどうなったのか全然覚えてないんですが、もしかしたら実家の物置に保存されてるかもなあ。
 最初にまず自分の顔をスケッチしたのです。正面と横顔。横顔はどうやって見たのだろう?鏡を使ったのかな?とにかくそれでまず「立体」としての顔をつかんでから、その設計図を元に粘土であらかた形を作り、そして、最終的にはまた自分の顔を鏡で見ながら細かいところを修正していったのだと思う。

 私の作った「デスマスク」は、最初こそ「立体感」があったが、手を入れていくうちにだんだんと「平たく」なってしまった。あのときに、「ああ、私の顔ってほんとにメリハリねえなあ」と納得させられたのである。あれだったら、最初から平らな粘土に、先の尖った道具で目や口の切り込みを入れたほうが、早かったかもしれない。
 古典の教科書の口絵になってる「源氏物語絵巻」を見るたびに、「ああ、このころ生まれていたら、絶世の美女だったはず」と思ったものだ。

 さて、自分の顔のことはさて置いて、電車の中吊り広告で「パンダのAIBOプレゼント」というのがあった。
 AIBOにパンダのヌイグルミをかぶせる仕組みらしい。
 それを見て、私が思い出したのは、実家(昔の家の方)の近所にいたプードルである。そのプードルは、いわゆる「プードル刈」にしてなくて、ウェーブのかかった黒い毛並みはフサフサだった。高校のときだったか、大学のときだったか、私が夏休みかなんかで家でゴロゴロしていたら、母が帰ってきて、玄関から

 「ほら、来て来て!Tさんちから借りてきてあげたわよ〜!」

 と叫ぶから、いったいご近所から何を借りてきたのだろうと玄関に行ってみると、母はそのプードルのプーちゃん(仮名)を抱いていた。どうやら立ち話のついでに借りてきちゃったらしい。「私はこれから夕飯の買い物行ってくるから、あんたはその子と遊んでなさい」というわけで、プーちゃんとお留守番することになった。プーちゃんは好奇心の強い性格らしく、あちこち興味深げに探検していた。勝手に二階にまであがられてしまった。でも小型犬がパタパタと階段を上がったり降りたりする様子は可愛かったし、「なんかあの絵みたいだ」と観察していました。

 1時間ほどで母も帰ってきて、二人+一匹で仲良く遊んでいたのですが、「じゃあ、そろそろ返しに行きましょう」と母がプーちゃんを抱き上げると

 「あら?ちょっと・・・・」
 「あ、ほんとだ・・・・・さっき階段で遊んでたしねえ」

 黒いモップのようなプーちゃんは、埃を吸い取って、白っぽくなっていたのでした。
 母は「あら、これじゃあ、うちが汚いのがTさんにバレちゃうわ」と笑いながら、嫌がるプーちゃんをパタパタはたいて埃を落としました。私も「普通はさあ、部屋犬がいると汚れるからとか言うのに、うちの場合は犬が汚れちゃうわけ?」と爆笑してしまいました。
 その後も、掃除機かけるのが好きではなかったミヤノ母娘は「またプーちゃんに掃除してもらおっか?」などと冗談を言い合っておりました。

 というわけで、「パンダAIBO」を見て私が心配になったのは、パンダの手足は黒いですから、あれで元気良く家中を歩かれると、かなり埃がついてしまうのではないか?ということです。ま、普通のおうちはもっとマメに掃除機かけてるかもしれませんけどね。
 私はペット・ロボットが欲しいと思ったことはないのですが、現在開発中らしい「掃除ロボット」には大変興味があります。そして、「掃除ロボットがペット・ロボットも兼ねる」のだったら、かなり欲しいかもしれない。(あるんですかね、そういうの?)

 プーちゃんみたいに、自らのボディをモップにして掃除してくれるのも可愛いですが、AIBOみたいな子犬ロボットの口が掃除機の吸い口になっていて、あちこちクンクンかぎ回るついでに部屋の隅に溜まった埃も吸い取ってくれないかしら・・・・・そんで、ゴミが溜まると自ら専用トイレに行って、圧縮された埃をお尻から出す(うんちっぽい形にしてね)。それほど吸引力がなくても、ちょこまかとマメにやっていれば随分違うのではないでしょうか?

 欲しい・・・・かわいい子犬なお掃除ロボット。長生きして待つわ。 



5月7日(火)

●多忙な経理のお姉さんの業務日誌

 10時 出社 
 メールを開けると、私のたった一人の同僚である新人嬢が、明日一日、他部署の応援に駆り出されるとのこと。彼女は元々その部署で働いていたバイトさんだったのだが、まあそれはいいとしても、また私が現金出納係りもやるのか・・・・

 11時 会議
 また倉庫整理の話題だったが、その担当の子が現状を図面にしたものを作成してきた。ガラクタをまず片付けないとね、という話にスムーズに移行するが、かなり古い伝票なども大事に保管されているらしい。でも経理で管理している書類はすべて倉庫会社に預けているから、いったいなんの伝票だと思ったら・・・・
 数年前に発掘された納品伝票がそこに保管されているらしい。発掘されたときにも「捨ててもいいと思うよ」と言ったが聞いてもらえなかった恨みの逸品である。今回もまた黙っていられず、ちゅうか、そんなもん置く場所があるのなら、他にもっと保管したい書類がたくさんあるのよ〜と思ったので、
 「いや、それ・・・・もう捨てていいと思うよ」
 「でも、そういう書類って、5年とか10年とか保存しとかなきゃいけないんでしょ?」

 ・・・・・・たしかに、会計上必要な書類の保管期間というのは、なにかの法律で決まっているのかもしれないが、でも・・・・今問題になっている書類というのは、出入り業者がうちに納品した文房具やコーヒーやトイレットペーパなんかの納品書なんすよ!?それはただ単に毎月請求書が来たら、納品書と請求書が合っているか確認すればもう不要だし、請求書にはエクセルのデータも添付してあって、明細だってわかるわけだし、そんなもん10年も保存したって、会計学的にも考古学的にもなんも意味がないと思うのだが・・・・
 それをくどくど説明しても、あまり納得してくれないようなので、「だから、うちの会社に納品した品物の納品書の控えや、仕入れ関係だったらともかく、そんな消耗品の納品書なんて、誰も調べたりしないし、たとえ政務調査が入って、万が一必要になっても、ありません、捨てちゃいましたと言えば許してくれるって」と言ってもわかってくれないので、とうとう、

 「それが必要になる事態が私には全く想像つかないけど、○○(消耗品納入業者)が巨額の脱税なんかして、国税庁でも入ったら、うちに納品書がないか問い合わせが来るかもしれない。でも、そんときだって、捨てちゃいました〜と言えば済むって。だって、普通処分しちゃうよそんなもん!」

 と、声を荒げて説明したら、会議に出席していた全員がキョトンとした。
 「まあ、一応、○○さん(私の上司)に相談したほうがいいかな?」
 「○○さんに聞くとなんでもとっておけっていうから、聞かないで〜〜〜。○○さんが、そうやってわけわかんない謎のダンボールを沢山抱えているのは知ってるでしょ?」
 「そういや、倉庫にも二箱あったわ」
 「そうでしょ?そこにそんなもんあるのを本人が忘れてたら、無いのと同じでしょ?実は金庫室にも二箱あるんだけど、あれも中身がなんだかわからないまま一年以上放置されてんの!」

 などと、また大声で訴えていたので、午前中から消耗してしまう。はあ〜疲れるわ。

 13時 
 食事も済んで、伝票入力。グループ会社に販売している物品の仕入れの請求書の中に見知らぬ品目を発見。
 「あの〜これってまた増えたの?」
 と、担当者に電話した。
 「ああ、そうなんです」
 いつも私が知らないうちに販売品目がだんだんと増えていく。しかも、仕入れ値も売値も決まってないので、毎回私が確認したり、「今までの平均的掛け率」から勝手に売値を設定したりしているのだが、そんなんでいいのだろうか?(グループ会社だからいいらしい)
 しくしく、また品目が増えると、商品登録しないといけないし、棚卸の手間も増えるのだ。
 これは去年から始めた事業で、なんだかよくわからないうちに私が管理することになり、その時も「聞いてねーよ」と思ったが、他にやる人いないから仕方なくやっているが、とにかく分量が多くて、最初にうちの会社で取り扱う品目リストを見て「え?こんなにあるの?」と思ったが、親会社の役員でもあるうちの社長も「これじゃ手間ばかりかかるな。ま、そのうちだんだん整理していけばいい」と言っていたのだが、「整理」どころかだんだん増えていくのが恐ろしい。
 担当部署のほうは、数が増えればそれだけ売上も伸びると思っているだろうけど、それをまとめてグループ会社に請求書を起こしている私の気持もわかってほしいが、わかってないだろうなあ。しかも売値が親会社と叔父会社で異なっていて、ややこしいことこのうえないし、もーやだ。誰か替わりにやって!!。

 14時
 なにか特殊な事情があって、某大手企業に品物を販売した。(その企業ではその品物を直接仕入れられなくて、うちが間に入ることになったらしい。詳細知らず)そこから「支払通知書」が届いたので、開封してみたら、「手形」云々と書いてあるので、「へ?手形なの?」とびっくりして、担当者にも話してみたら「これは失礼だよなあ」とボヤいてはいたが、なすすべもなく、「せめて郵送してくれないかな」と、前にも遠い場所で集金に行くのが手間だったので問い合わせたら、書留料金の切手を貼った返信用封筒を送付すれば郵送してくれた会社もあったので、電話してみたら「関東内は集金に来ていただくことになっております」とすげない返事。

 ええと、潮見ってどこなんだ・・・・・・・ゲっ!?京葉線か・・・・・ゲっ?夢の島のすぐそば?

 うちの会社からだと往復で3時間はかたい。うううう、この忙しいときに・・・・・外出は痛いぜよ。でも、うちの担当もそれは自分のミスだと思ったらしく、そこの部署の人が行ってくれることになった。やれやれ。でも、「別にその手形をその場で現金化しなくてもいいんでしょ?」とか言うし。「あの、小切手じゃなくて手形なんで・・・」(現金化というのは一般的には「割引」といわれる方法で、あれは手形を担保に融資を受けるという意味合いなんだけど。「ですから、その手形のサイトがどのくらいだか受け取ってみないことにはわからないんですが・・・・」「あ、そっか。じゃあ3ヶ月とかいう場合もあるんだよね」「そうですね。そのくらい普通ありますよね」などと会話する。
 大きな企業の場合は平気で手形を振り出すので(業界によってもいろいろ違うようだが)、契約時にはよく確認してくださいね。
 うちの会社の場合、滅多にそういうことがなかったらしく、前に手形が経理に回ってきたときには誰もどうしていいのかわからなかった。「あの〜口座のある銀行に持ち込んで、取り立てに回すと、期日に現金化されます〜」「じゃあ、伝票処理は?」「受取手形っていう科目、うちの会社には無いんですか?」調べたらちゃんとあった。そんで売掛金→受取手形→銀行預金という伝票の流れを説明するハメになった「職能階級最低レベルの中途採用の簿記の資格も持ってない社員」だったのである。ブーブー!

 15時
 急に唄いだしたくなる。ああ、カラオケ行きた〜。
 しかし、なぜか頭の中に響き渡るのは♪San Francisco (giddy up)  San Francisco (giddy up) 〜♪というエラくマイナーな曲。(ちなみに、ブライアン・ウィルソン&ヴァン・ダイク・パークスの「Orange Crete Art」というアルバムに収録されているので、それほどマイナーではないと信じたいけど)
 しかし、どうしてもとにかく今すぐサンフランシスコに行って、「サ〜ンフラ〜ンシスコ〜♪」と高らかに唄いながら、坂道を駆けおりて路面電車と競争しないと気がすまないと、思いつめる。(ちなみにサンフランシスコに行ったことは無い)

 いかん、雑事に追われてどっぴんしゃん、抜けたらドンドコドンの現実逃避モードになっている。
 もっと現実的なことを考えよう。

 カラオケに行きたいといいながら、どこのカラオケにも入ってなさそうな曲を思い浮かべるなんて相当捻くれている。おまえはそうやって「あたしは人とは違うのよ〜」と言うことを主張したいだけに違いない。嫌な奴だな全く。

 というわけで「嫌味な私」なつもりだが、しかもその嫌味すらあまりわかってもらえなくて悲しいから、「ときどき歌詞カード見ながら唄って練習しているのに、ちっともカラオケに入らない曲リスト」を頭の中で作成。

 ビーチ・ボーイズ 「God Only Knows」 (珠玉の名盤「ペット・サウンズ」の中でも最も美しい曲なのだが。「ココモ」はいいからこっち入れろ。江口寿せんせいならきっと賛成してくれるはずだ。)
 ザ・スミス 「Heaven Knows I'm Miserable Now」 (仕事関係でダウナーになると絶叫したくなる名曲。リストラ時代だからこそニーズは高いと思われ)
 アンビシャス・ラヴァース 「Para nao contriar voce」 (「GREED」というアルバム収録のポルトガル語曲。♪ケ ソ エ という出だしの歌詞は「Who am I」という意味らしい。囁くようなポルトガル語がいいです。)
 ルー・リード 「New York Telephone Conversation」 (ロック・クラシックになっている「トランスフォーマー」の中では「ワイルドサイドを歩け」が確かカラオケにも入っていたが、あれは唄い難い。私が歌いたいのは2分に満たないこの曲だ。長電話好きの私としては何度聴いても「す、すいません!」と泣きながら謝りたくなるのである)
 プリファブ・スプラウト 「The Wedding March」 (いい曲なんだけどなあ。こういう甘ったるいメロディの曲をさりげなく爽やかに歌える人に私はなりたい。どさくさに紛れて「結婚式向けな曲」リストに入れてくれないかしら。しかし、アルバム「JORDAN The Comeback」収録というのも地味すぎる)
 MOMUS 「Lifestyles of the rich and famous」 (だんだんほんとにマイナーになってきた。この曲は題名どおりの皮肉っぽい曲なんだが、それを軽やかに美しいメロディで歌うという英国音楽伝統の技が詰め込まれた名曲だと思う。♪When you're up. Everybody wants your baby♪と爽やかに唄いこなせると楽しそうだと思うのだが)
 プライマル・スクリーム 「Come Together」 (ちょっとメジャーなものに戻る。この曲はどっかに入っているらしいとの噂も聞いたが、私は出会ったことがない。プライマルの最近の曲にはあまり興味がなくて、あのへんのラリラリソング達をもっと充実させて欲しいのだけど、「Higher Than The Sun」もかなりイってる)
 ピチカート・ファイブ 田島貴男(現・オリジナルラブ)がボーカル時代のものもカラオケ化してくんないかなあ。「女王陛下のピチカート・ファイブ」は名盤だと思うんだけど)
 ブルーベルズ 「Yong at heart」 (何年か前に英国のテレビCMに使われて、英国ナショナルチャート1位になってびっくり。ネオアコの古典。軽快なヴァイオリンの演奏もすがすがしい「青春の一曲」だ。)
 ジャパン 「Visions of China」 (ジャパンが全然カラオケに入っていないというのも解せない。この曲は私が散歩しながらいつも鼻歌で歌っている曲である)
 カラー・フィールド 「Thinking of you」 (これもサビがあっかるくて好き)
 アズテック・カメラ 「All I need is everything」 (ビートルスの「All I need is love」をもじった題名らしいが、そっちも能天気で大好きだけど、どうせならセットで唄いたいネオアコ・ファンのきもちを誰かわかってほしい)
 スティーリー・ダン 「BODHISATTVA」 (これのおかげでインドに行ったときにガイドの説明がわかった。「菩薩」。♪ボディサッ ボディサッ と大声で歌うとかなりストレス解消すると思うんだけどな)

 真面目にリストアップしていたら、かなり気が済んできたので、また仕事に戻った。
 そんで、今、CD棚漁りながら、このリストを曲名確認しながら書いてたら、やはりかなり気が済んだが、やはり頑張って仕事をして大金持ちになって、通信カラオケの一つでも買収しないと夢はかなわない。

 だから愚痴っている場合ではないのだ。明日もまた頑張ろう。(またよくわからない納得の仕方)



5月6日(月)

 三連休を「昼過ぎに目覚めて夕方出かける」サイクルにしてしまったので、昨晩は全然寝付けず。3時過ぎまで意識があった。
 朝はちょっと辛かったが、強制時差ぼけ矯正して、いつもより10分ほど早く出勤。電車内は、親子連れが多くて、私みたいな通勤客はまばら。朝からすっかりやる気を失う。
 今日から社内便が動くのかと思ってたら、明日からだというので、今日は思ったほど忙しくなさそうだ、でもその分明日が大変そうだ、今日は仕事力温存しとこうと思っていたのだが、午前中に上司が水曜日までに財務諸表を作ってくれと言う。ぎょええ、あれ、入力だけでも一日仕事なのよ。それをまた加工しないとならないから、とにかく今日やっちゃえ。

 つーわけで、連休ボケしとる暇もなく、午前中から鬼のように半年分の試算表の数字をエクセルに打ち直して、夕方にはレイアウトも整えて、終了。いやあ、ほんとは二日かかるんだけどな。終っちゃったよ。こんなにムキになってやることなかったかも。また「明日できることは今日やらない」ができなかった。
 つーわけで、えらく消耗してしまったので(特に眼精疲労)、今日はさっさと定時きっかりに帰った。
 ああ、また長い一週間(土曜日まで出勤予定)が始まるのだ。憂鬱。

●朝の惨劇

 時差ボケ頭で、自動改札を通り、定期を取ろうとしたら、そこには「2310円」という文字が!
 あーやっちゃった。定期じゃなくて、パスネット入れてしまっただ。GW中は定期を使用することがなかったので(下り通勤の悲しいところは通勤以外に定期を使うことが滅多にないことである)定期の上にパスネットを重ねていれておいたのである。そうしないと、入るときにはパスネットを使ったのに、出るときにうっかり定期を入れてしまうのだ。
 「ちくしょー、これはこの場で係員に言えばなんとかしてくれるのだろうか?もしくは、このまま、すぐに改札を出れば最低料金しか課金されないはずだし」と思ったが、そのまま目的地まで行っても220円だったし、めんどうだったのでそのまま乗ってしまった。被害総額220円・・・・・・大きいともいえるし、小さいともいえる。

●夜の困ったちゃん

 帰りにまた駅について、商店街を抜けて鍼灸院に向かっていて、少し道が広くなったところで横切ろうとしたら、「ブロロロロ」と車の音がしたのだが、その道はバスも通るので、バスのエンジンの音だと思って、バスはそれほどスピードを出してないし、そもそもそこは人も自転車も入り乱れる道であるからして、スピードを出す車などいないわけで、であるからして、聴覚で得た車と自分との距離を無意識に計算して「このくらいの速度で道を横切れば余裕」という速度で歩いていていたら、なぜか「ブロロロロロ」が思ったよりも近づいているのが聴こえ、「あれ?」と横を見たら、昔、私の可愛い弟が夢中になっていた、かの「スーパーカー」みたいな、平べったいカウンタックみたいな、ペカペカした赤い車が自分に迫ってして、私の背中というか、やつは車体が異様に低いので体感的には、私の足をかすめるようにして通り過ぎていき、さらに加速して、夕方の買い物帰りのチャリコたちを蹴散らすように、「その先はもっと道路が狭いんすけど〜」な住宅街に飛び込んでいったのだった。

 あれで黒光りしてたら、ゴキブリみたいに平べったい車に乗った君。たしかにその車はかっちょいいかもしれないし、加速もばっちりなのかもしれないが、世田谷の細道の商店街でその加速やステアリング(私をよけたハンドルさっばきは見事だった)を見せびらかしても、ちっともカッコよくないぞー。みんな唖然としてたそー。なんだかその走り去る後ろ姿を見て、想像力逞しい私は、「パンツ盗んだ下着泥棒がチャリに乗った巡査に見つかり、慌てて商店街を逃走しているようだ」と思ってしまったぞー。ざまーみろ。(疲れてて機嫌悪かったOLのせめてもの復讐の言葉)

●怒り治まらぬ気持のまま歩いていたら、心温まるというか、なんというか・・・・

 別になんでもないんですけど、回転寿司屋の看板にマルチーズが繋がれていた。「一皿120円」と書いてあって、魚が跳ねてる写真の看板。
 マルチと回転寿司の看板が妙にマッチするというか、しないというか。飼い主は中でお食事中らしい。
 マルチ君のプライドが傷ついていないか心配になって、顔を覗き込むと、やはりなんとなく面白くなさそうだった。
 まあ、どんな看板だろうが、外でお留守番はつまらないよな。

 それで、どんな看板に犬が繋がれていたら一番笑えるだろうかとしばし夢想にふける。
 歌舞伎町の裏通りの「巨乳天国」とかいうロリロリした絵の看板に繋がれて凛としてネオン街を見上げるボルゾイとか・・・・(せめてロシアン・パブとかにしてくれれば、そっちの趣味と犬の趣味が一致していると褒め称えるところ)
 床やさんの赤青クルクルに繋がれたアフガンハウンドとか・・・・・(おまえも角刈りにしてもらえば?と声かけたくなる)
 「特大ステーキ 500g 1980円」に繋がれた、チワワとか・・・・・(ステーキより軽そうだな、おまえ)

 う〜〜〜〜〜〜ん、と真剣に考えていたら、さっきの車への怒りはかなり静まった。



5月5日(日)

 起きたらもう12時過ぎてた。今日はちょっと蒸し暑いようだ。昨日観た映画の感想を書いてみるが、「宇宙をさまよう映画」について書いていると、自分もさまよってしまうなあ・・・・
 書いてて疲れてきたので、「今日はいっちょ、もっと軽いやつでも観にってみるか」と「黄金週間」と名づけた往年の映画界に敬意を表して、また映画を観に行く。今日は「光の旅人」。

 開演ギリギリに着いたのだが、ほど良く空いていたので、観やすい席を選んで、途中で買ってきたサンドイッチを食べながら開演を待つ。
 映画は、まあまあの佳作といったところ。異星人だと名乗る男が精神病院に収容されるのだが、担当した精神科医も彼がほんとに異星人なのではないかと思い始める。しかし、ついにはその患者を催眠療法にかけて、どうやら彼には記憶を失い、地球人ではないと言い張るほどのトラウマがあるのではないかと気が付いて、調べてみると・・・・・

 結局、彼が宇宙人だったのか、それとも単なる精神病だったのか、とても上手いまとめ方のラストであった。ただ、映画の淡々とした地味さ加減とは裏腹に音楽が派手というか、「イビザ系のチルなやつ」だったので、悪くはなかったが、多少耳障りでもあった。
 まあ、こういう、「ちょっと謎解き」で、「かなり人情」な話って、なにも考えないでいいので安心して観てられる。

 ところで、映画を観るために外出したのはすでに夕方だったが、まだちょっと湿度が高くて、歩いていると汗ばんできたが、住宅街を歩いていると、ときおり濃厚な花の香りが漂っていたが、あれはなんの花なのだろうか。まあ、一種類だけではなくて、花の咲き乱れる季節であるから、そいうのの集合体だったのかもしれない。湿度のせいか、木の香りや土の香りも入り混じって、なんだかエキゾチックな気分であった。

 渋谷まで歩いて、また帰りも歩いて帰ってきたが、こういう季節にぼんやり歩いていると、頭がボーっとなってくるので、一瞬「ここはどこ?私は誰?私には帰る家があったかしら」と心細い気分になるが、なんだかそれも楽しくて、しばらく立ち止まって道路を走る車の流れを眺めてぼんやりしてしまったりする。

 さて、ゴロゴロしまくった連休も終了だ。暦では明日も休日だが、私は出勤。
 そういえば、今日の昼間、地方にいる友人から電話が入り、来週末に上京するので会おうという話。彼女はまた去年から入退院を繰り返しているのであるが、少し元気になったみたいで「田舎にいると気晴らしがなにもないから」と言っていた。「なかなか直らない病気だし」とこぼしていたが(精神科系)、「それは私の腰痛と同じでしょう。持病と割り切って上手く付き合っていかないとね」などと言って励ます。
 「私も仕事が忙しくて最近ちょっと参っててさ」と言ったら、「でも、こうやって働けないでいると、仕事している人がほんとに羨ましいよ」と言われた。

 それぞれが、自分勝手に悩みを持って、この宇宙はぐちゃぐちゃだ。
 しかし、結局、「私の宇宙」なんてもんは、真空にぽっかりと浮いたようなもんでもなくて、他の地主と境界を接するデコボコな土地であるからして、「平坦な土地」を求めたら、それこそ土木機械を駆使して、ブルドーザザザーっな作業をしなければならないらしい。理想は放っておくだけ放っておいて、原生林になるのを期待することなのだが、その原生林だって、外の人が焼畑農業しようと目をつけられたら大変だ。
 勝手に花は咲くし、手入れしても枯れるし、病気になるし、水が足りなかったり、多かったり、ああ、もー手間かかるわね、まったく。



5月4日(土)

 10時には目覚めて窓を開けて空気の入れ替え。Aもそれで目覚めるが、どうやらかなりお疲れの様子で、「眠い〜」とぼやいている。昨日は昼間は家でゆっくりしていたようだが、2日連続で休めない職場なので、疲れが溜まる一方なのだろう。
 過酷な職場だが、それでもなんとかお金の目処はついてきたので「家を出たい」と言っているのだが、同居予定者の収入とVISA問題をクリアせねばならない。(昨日お会いしたKiyotanさんは、そういうのの専門家らしいが、やはり「欧米人はアジア系に比べるとずいぶん優遇されてる」とのことで、たぶん大丈夫なんだろうけど)

 しかし、Aさん、なにを血迷っているのか「中目黒は高いよね、やっぱ」とか言っている。そんなとこ狙っているのか?「いやまあ、あの辺でももうちょっと奥に行けばそんなでもないでしょう」と言っても、東横線の奥のほうにある現在の職場にこだわるわけでもないので、後々のことを考えて便利な場所にしたいらしいのだが、「でも、下北だって高いでしょ?」などと言うし、君は田舎から出てきた大学生か?なセレクトに苦笑。
 たしかに私だって千葉の実家を出たときには「どうせなら下北沢」と思って部屋を借りたし、数年間住んでいたが、20代後半になったら「別に下北に住む意味も意義もなくなったな」と思って、出てしまったし、他の友達だって、東京に出てきた当初はそういう「ステイタスのある場所」(?)にこだわるが、だんだん自分のライフスタイルもわかってくるので、だんだんともっと堅実な居住地を選んで分散していったような気がする。
 今のAの状況だと、真剣に部屋を探す暇もないだろうし、引越しをする余力はもっとないに違いないので、それが具体的になるであろう(このまま順当に行けば)今年の後半にどうなるのやら。その前にまた体調崩したら、全ておじゃんだと思うから、気をつけるようにというくらいしかできない。

 足取りも重く出勤するAを見送り、昨日の分の日記を書いたりしてたが、また眠くなってしばし昼寝。2時過ぎにやっと起き上がって支度して、渋谷まで歩くが、なんとなく足の裏がむくんでいるような気がする。やはり昨日はちょっと飲みすぎたかもしれない。それにまたしばらくスポーツクラブもサボっているので、運動不足もあるのだろう。
 去年、「ゴダールの映画史」を観たときには行列ができていたので、今回は早目に行ってみたのだが、それほど混雑もしていなかった。こんなにお天気がいいのに、こんな映画観ようという人も少ないだろう。

 というわけで、「GW中にやることリスト」筆頭であった、「ゴダールのウィークエンド」を観る。
 やっぱ変な映画。
 終ったあと、「半分以上寝てた〜」と言っている客もいたが、そういう人も多かっただろう。
 別にあれを無理して「おもしろい」という必要はないと思う。私にしたって「おもしろかった」と断言できない。
 ただ、部分的に「すっげえ面白い」ところがあるのは確かだし、他のゴダールの「もっとつまらない映画」よりは、「ウィークエンド」はおもしろいところが多いし、わかりやすいというだけである。

 こういう映画は物凄く曖昧に作ってあるので、観る人によって感想も違うのだと思う。「ハリウッド映画」に対するアンチテーゼだと思えば、「起承転結の無いストーリー」や「登場人物を善悪で二元化しない」というあたりは、「通常の映画で客を魅了する要素を全て取り去るとどういうことになるのか?」ということを考えさせて面白いけど、じゃあだからって「シュワルツネガーが悪に対して闘う」という映画が陳腐だということではなくて、というかゴダールが本物であってハリウッドが偽者ではなくて、デュシャンが男性用小便器を展示して「これだって美術品だろう?」と問題定義(?)したように、ゴダールは「じゃあ、映画ってなによ」ということを追求しているとも言えるが、その姿勢を「カッコいい」と思えるか「単に考えすぎだろう。もっと普通にやればいいのに」と思うかは観客の勝手であり、そこに上下はないということだけははっきりさせておこう。

 などと書くのは「ゴダールの映画はおもしろい」のか「ゴダールの映画をおもしろいと思う自分に酔っている」のか、その区別が自分でもつけにくいのである。
 「ウィークエンド」はかなり暴力的な映画なのだが、その暴力を象徴するのは「暴力的な登場人物」ではなくて、道ばたに散乱する事故車である。でも、映画の主人公の運転の無謀さから思い起こされるのは、「フランス人への悪口」の代表的なものである「あいつら運転が荒い」であって、無理な縦列駐車をするときに前後の車に平気でぶつかって場所をキープするというのは、パリでは日常的な光景らしい。
 そして、そんな「善良な市民」たちが、週末となるとこぞって車で郊外に出かけていくと、どんなことになるかということを強烈に皮肉っている。

 それを深読みすれば、世の中の「暴力的なこと」というのは、たとえばテロリストが画策してビルを爆破したりとかそういうものが本質ではなくて、一般市民が「目的地に5分だけ早く着きたかっただけ」という「小さな欲望」の集合体こそ真の脅威である、と考えることもできる。そう思うと、毎日の通勤電車で恐ろしいのはサリンばらまいたりされることではなくて、「人を掻き分けて電車に乗ろうとする、遅刻に怯える小市民の集合体」であることが思い浮かぶ。

 誤解なきように説明しておくと、私がこんな説教くさいことを思い浮かべるのは、単に私が説教くさい人間だからである。
 こういう皮肉はこの映画にちりばめられており、私はそういうのをいちいち拾ってしまうのである。
 ブルジョア娘と農夫の車が衝突して、二人が大喧嘩している。「階級闘争」という文字が現れるが、そもそも事故現場で階級闘争しても無意味だから、笑ってしまうシーンなのだが、笑っていいのか困ることろでもある。しかし、口喧嘩している二人が第三者に話しを聞いてもらおうと、主人公夫妻に助けを求めると、彼らは「忙しいからかまってられるか!」という態度なので、喧嘩していた二人はその言葉に傷ついて、「なんてひどい」とうなだれるブルジョア娘を農夫が優しくなぐさめるというシーンでは思わず皆笑ってしまうけど、これも考えると深い。
 「争っている二人を和解させるためには、共通の敵を作るのが手っ取り早い」ということか。

 ま、とにかく「自己主張ばかり激しくて他人の言うことなんてさっぱり聞かないフランス人」をパロった映画だとも言えるし、現実の社会の不条理さを揶揄したとも言えるし、政治的な主張や、突然現われる変な詩人たちもよくわかりませんが、それこそがゴダール氏の感じる「世の中というもの」であり、それをそのまま、そうゴッホがグニョグニョな筆致で風景を描くのはテクニックではなくて、「ただああいうふうに見えるから」その通りに描いているのだとすれば、ゴダールも「ただ、こういうふうに見えるから」そのまま、そういう映像をつなぎ合わせて、自分の世界観を発表しているともいえますが、ただ、これは私の個人的は思い入れですが、ゴダールの描き方には「ただこういうもんだから、そのまんまやっているし、映画だからそれをたったの2時間でまとめなきゃいけないから、いろいろ不具合も生じるから、これが全てだとも言えない。映画で全てを表現することはできない。」という非常にクールな視点があるように思えるのです。

 学校の国語の授業で「この作者の意図をまとめなさい」などという問題がありますが、「作者になにか意図があったとしても、そんなもん充分に伝わるわけないし、そもそも作者自身が意図を統一しているわけでもなく、書いているうちにそれは移ろっているはずだし、そんなものを読んだ読者だって、勝手に判断してしまうわけだし」と思いますが、ゴダールの映画を観ていると、「テーマ」というものを信じてないし、変にまとめると皆が誤解するから、最初からそういうのを真っ向から否定したものを作ってしまおうというような気がして、その姿勢に勝手に賛同してしまうのです。

 なにせ「宇宙をさまよう映画」ですから。
 それでも、やはりなにか語りたくなる映画だし、そういう「語りスト」たち(私の仲間うちの言葉。すぐに薀蓄を傾ける人が「カタリスト」で、クラブで激しく踊っている人は「オドリゲス」と呼ばれてた)が何を言ってもいいのだと思うのですが、最初に観たときには、名シーンと名高い「車の渋滞シーン」が心に残りましたが、今回は、田舎町の広場で行われる音楽会のシーンがしびれましたね。
 ただ、カメラがぐるぐると回転して、その風景を360度撮影するだけです。
 そこには「カメラは全てを写すことができない」という皮肉がこめられているような気がしました。たしかに、360度回転すれば、その光景は全てとらえたはずですが、「でも、これは嘘っぱちだろう?」と。

 というわけで、色々考えるけど、あまり上手くまとまらないな。
 映画観終わった後、イメルダ君に会う約束をしていたので、下北でタイ料理食べる。フランスのお土産も貰った。そのあと、ちょっとすったもんだしたけど、なんとか丸く収めてご就寝。



5月3日(金)

 昼頃起きて、布団を干して掃除洗濯。そして、シャワーを浴びて髪の毛を乾かしてから、神楽坂へGO。
 水のほとりというサイトのオフ会に声をかけていただいたので、またフローラ(マチリンのお店)に行ってみました。水のほとりの三ねんせいさんに紹介された鍼灸院に現在通っているので、そのお礼もしたかったのである。
 私がこの日記にも鍼灸院について書いていたら、それを読んだ読者の方が親類の腰痛の人に紹介したみたいで、ネット上の口コミって面白いなと思う。ちなみにその兼平鍼灸院は、女性専用ですので、女性の「ハリ友」は大歓迎ですが、男性はご遠慮ください。

 というわけで、フローラの狭いカウンターにびっしりと客が座っていた。5時くらいに着いたのだが、さっそく持ち寄られたワインを飲み始めて、喋りながらガンガン飲んでいた。職業も年齢もバラバラなメンツでしたが、なごやかに話が盛り上がって楽しかったです。さすがに10時になったら酔っ払ってきたし、Aが深夜にうちに宿泊に来ることになっていたので、退散した。

 赤ワインを何種類かガブ飲みしたので、ちょっと頭痛。テレビをつけたら、「アリー」ではなくて「ER」だった。その後、まとめて一週間分再放送されてる「真夜中は別の顔」を見終わったころ、リキッドのお手伝いをしてきたA嬢がやってきた。彼女は明日出勤なので、ちゃんと寝ないとならないし、私も飲みすぎでグロッキー状態だったので、布団の中でポツポツと話をしていたが、いつのまにか寝てしまった。



5月2日(木)

 このところ、「リンクさせていただきました」というご連絡を何件かいただきまして、とても喜んでおります。
 私はアクセス解析とかできないので、いったいどのくらいの人が定期的にこのページに訪れているのかよくわかりません。トップページには一応カウンターを置いてありますが、あれは1人で何回も叩けるから、「目安」でしかないわけだし、あまり当てにできないのですが、多少回ると「ああ、読んでる人いるんだな」と思うので、そのために置いてあります。
 だから、割と想定読者数も低く見積もっているし、そもそもこの日記自体が「ストレス解消」が目的なので、ときどき「どうせ誰も読んでねーよ」と思って暴走してますが、ときどきこうやって「読んでます」とか「リンクしました」などとご連絡をいただくと、「やっぱ読んでる人いるんだ」とわかるので、とてもうれしいです。(反面、バカなことばかり書いているので、ちょっと恥ずかしくなったりもする)

 しかも「リンクしました」ということは、「これは他人が読んでもおもしろいに違いない」とご判断していただいたということですから、「はー、なんか、そんな人に勧めてくださるなんてー」とびっくりします。
 などと、謙虚に述べていますが、「つまらないものですが、気に入っていただけたら幸いです」と言う気はさらさらなくて、実は私は自分の書いたものが大好きです。ときどき暇なときには、読み返して1人で笑ってますもん。特に怒りのあまりにドワワワーと勢いで書いた日記などは、後で読み返すと、とても自分で書いたものとは思えないほど可笑しい。

 私は「本当の自分」なる言い回しには批判的なのですが、こうやって「怒れる自分」を後で「あーあ、この人すっかり暴走してるよ」と読む自分のどっちが本当かって言われても困るし、人ってたいていそうやって一貫しないものではないでしょうか?自分自身のことを考えても、こうやって日記をつけるとよくわかるのですが、事件が起こった当日と、一ヵ月後では全然違うこと言ってたりしますし、「私はこう思う」と断言しても、それをあっさりと裏切ったりします。

 みんなゆっくり考えれば、「日々移ろう自分」という「本当の自分」がわかると思うのですが、わりとそれをちゃんとわかっている人は少ないような気もします。
 自分がそうだと認められないと、他人が「先週言っていたこと」と「今日やったこと」が食い違うとか言って怒るハメになりますし、そういうトラブルはよくあります。そしてそういう「移ろいやすい他人」を認められない人は、自分にも厳しく一貫性を求めてしまうので、今までの経験だと精神的にすごく辛そうな人が多かったです。

 そういえば、先日も友人とそんな話をしていたのですが、多くの人は(「日本人は」と言いたくなるくらい)わりと個人の中にもいろいろな要素があるということを認めようとせず、「あの人は立派な人だから、あの人の言うことは正しくて、あの人の意見には全面賛成」と思いがちのような気がします。その人の言っていることで賛成できない部分について異議を唱えると、そういう人たちが「なんたることか!」と大騒ぎすることが多いようです。
 別に異議を唱えたり、その人の行動の一部を否定したとしても、その人自身を否定しているわけではないのですけど、「部分的否定」を「全面否定」と考えてしまう人が多い。逆に、部分否定すればいいこところで、全面否定したりします。
 平たい表現で言うと「ワイドショー的」ってところでしょうか?人気タレントを持ち上げるだけ持ち上げて、ちょっと悪さすると「極悪人」扱いってやつ。

 まあ、そんなご大層なことではなくても、その友人はときどき「お友達な雰囲気の掲示板」などで「それは違うんじゃないですか?」とぶちかましてしまい、それでなんだか雰囲気が悪くなったりするのが理解不能のようです。たしかにベタな日本文化な世界では、「議論=ケンカ」と言うような認識があるのかもしれません。たしかに私だって、友達に愚痴ってみたら「それは、あんたも悪いんじゃない?」などと言われたた、ちょっとムっとしますが、私はわりと議論好きなので、「そうやって反論してくるということはちゃんと私の話を真剣に聞いてくれている証拠」だと思って、一生懸命反論します。だって、「ふーん、そうなんだ、たいへんだねー」
という言葉は優しく響きますが、聞き流している人の言葉と区別がつきません。逆に自分が他人の愚痴を聞いたときに、ちょっと異論を挟むと「なんで、そうやってつっかかってくるの?なんでわかってくれないの?」と反撃されても困る。

 そういうのって、相手がなにか話していたら「そうだね、そうだね」とニコニコうなずきながら聞くというのが「美徳」とされる日本文化固有の話かと思っていたのですが、先日、チョムスキー氏(ご存知ない方はこちらに氏の発言が集められています)のドキュメンタリー映画を観ていたら、私の言っていることとは次元が違いますが、「国際的にもそういうことってあるのね」という騒動が描かれていました。
 フランス人の研究者が「ユダヤ人大量虐殺」に疑問を投げる論文を書いたようで、「ガス室なんてなかった」と述べたのだそうです。それが大波紋を起こしたという話はどこかで読んだような気もしなくもありませんが、私は詳しい経緯は知りません。
 その騒動について、チョムスキー氏は「その研究者には自分の論文を発表する権利がある」という主張をしました。そしたら、「おまえはあの論文を擁護するのか?」「おまえもナチだ!」ととばっちりを受けてしまったようです。チョムスキー氏の反論が日本語に訳されているので興味のある方はどうぞ。

 そのやりとりの映像を観て、私は「あー、こういうことってよくあるよな」と思いました。
 そんな政治的云々な話でなくても、軽い気持ちで「まあ、でも、そう言うのはその人の自由だし」と言ったら、「じゃあ、あれに賛成するわけ?」とか言われたりすることよくありますよね。そいういう「敵/味方」から離れた立場で、ただ意見してみただけでも「じゃあ、どっちの味方なの?」と責められたり・・・・
 私も昔、オウム事件のときに「まだオウムの犯行かわかんないじゃん」と言ったら、「なんであんな奴らの味方するんだ!」と怒鳴られて、その友達と結果的に絶交することになってしまいました。別に擁護したつもりじゃないのに・・・クスン。たぶん、凶悪犯の弁護士さんなどは日常的にそういう憂き目に遭っていると思います。「あんな奴を弁護するのか?」って。

 まあ確かに「ガス室はなかった」という論文と「宇宙人はアメリカ国防省が隠している」「富士山は来年爆発する」「アポロは月に着陸していなかった」という記事を一緒くたに「言論の自由」と括っていいのかどうか、判断が難しいだろうし、「言論の自由」と言っても「ミヤノさんはほんとはブスだ」という論文(?)が証拠写真付きで掲載されるとじゃあ私の個人的な尊厳が侵害されないか?名誉毀損だ!という話がどう絡むのか私にはよくわからないのですが・・・・そのへんは私がヘナチョコなあたりです。

 話が逸れますが「歴史修正主義」という言葉もはじめて耳にしましたが、そもそも「確定された歴史」というものが私には理解できない。たとえばJFKの暗殺にしたって、当事者が生きていても「なんであんなことになったのか?」結局はっきりわからないわけだし、それもアメリカ政府が資料を公開しないからだと言えばそれまでなんですが、じゃあ公開すれば全てがクリアになるかっつうと違うと思うし、だとしたら、まともな資料もないようなもっと昔の「歴史的事実」なんて、かなり大雑把でしょう。
 結局、人間なんていくら事実を知っていようが、それは「私が把握している事実」であって、「伝記」と「自伝」のどっちを信じるかって、どっちとも言えないし、せいぜい両方読んで「たぶん、こんな人だったんだろーなー」と読んだ人が想像するしかない。現代はいろいろ映像記録が残ってますから、ナポレオンがほんとはどんな人だったのかはよくわからなくても、ヒトラーがどんな顔でどんな喋り方をしていたのかは残っているので、その情報と文字情報を自分なりに解析して「やっぱ悪そうな奴だ」と判断するのは勝手ですが、それは私が自分のお育ちから学んだ「人というものはだいたいこんなもん」という判断力を使ってやっている個人的な作業であって、西洋文化に触れたこともない人たちに同じ情報を開示しても全く違う解釈をするかもしれない。

 だから私は「公正な判断」というものを信じてないし、それはせいぜいハンコが一箇所抜けただけで受け付けてもらえない役所の書類みたいなもんだと思っているし、今日も電話の譲渡の書類がやっと揃ったので、提出しようとしたら、譲渡する側(私の会社は譲渡される側)の会社の謄本が期限切れ〜〜〜〜〜!いや、その書類はほんとは4月上旬に処理できるはずだったのに、書類にその会社のハンコが抜けていたので、もう一度ハンコをもらうために送り返したら、それが戻ってきたのが一昨日で・・・というバカバカしい作業をしているのであった。でも、謄本の期限というのはルールだからしゃーない。「いいじゃん、1月の謄本なんだから」と言っても、だったらルールそのものが崩壊するから仕方ない。

 だから、今日のニュースで「怒れるアラファト議長」が流れても「まあ、怒り心頭なのはわかるけどさあ」なわけだし、国連の「虐殺疑惑調査団」が解散ちゅうのも、だったらイランや北朝鮮の「査察拒否」と同じじゃんと思うけど、そういうのが全部同じだとも思えないけど、「あれはダメで、これはよし」じゃあ、けじめがないじゃない、けじめが。だったら、私が抱えている期限切れの謄本の立場はどうなるの?という、政治的な問題と、単なるドメスな法務の問題をごっちゃにしてはならんのかもしれないが、そうしないと大勢の人がひしめく地球というのがうまく回らないのなら、やはり無理やり「公正さ」を貫かないといけないんだろうか?

 しかし、人間というか、少なくとも自分は他人には公正さを求めるが、自分自身は全然公正じゃない。
 相変わらずF君は毎日電話をしてくる。彼には電話をする権利があるのかもしれないが、私にも無視する権利がある。しかし、「無視する理由」を言わないのはいけないのではないかと一応ちょっとは思い悩み、メールを書いた。「毎日電話しないでください。あまり気持ちよくないです。そして、そういわなければならないことに疲れました」返事は「君は正しい。わかっているから気にしないように。電話できるときに電話してくれればいいから」

 ・・・・・いや、「気にしているのは、このままでは、あんたが私にとってほんとにうざいうやつに成り下がることなんすけど。だからそれを親切心から阻止するためにこんな嫌なメールを書いたのですが」と思ったのですが、その気持は伝わらないのでしょうか?たぶん向こうの構築している物語と私の中で進行している物語はかなりかけ離れていると思われ。ちなみに、さっき書いたこととやや矛盾するかもしれないが、私は「電話するな」という部分否定で「あんましあなたのこと好きじゃないんですけど」というやや全体否定をしようという技法を行使しているつもりなのだが、向こうはそれを「単なる部分否定」と捉えているような気がしなくもないが、あーコミュニケーションって難しいですね。個人VS個人でこの調子なんだから、国家VS国家なんてもっと難しいだろう。

 と、身近な問題と、政治的な問題をごっちゃに考えるとますますわからなくなりますが、最近の私のお手本は「蓮井ノエル」です。NHKで毎晩11時にやっている「真夜中は別の顔」の瀬戸朝香演じる主人公。野心満々の元大女優っつうだけでもすごいが、もう笑えるんだこれが。最近これしか「連ドラ」観てません。ジェームス三木はやっぱりすごい!原作がどんなだか知らないのだ(あのままだとすると、かなりつまらなそう)が、あのクサいセリフを詰め込んだ脚本には素直にカンドーする。こういうのが本当の「癒し系」だと思うのだが、違います?(異論反論は素直に受け付けます)

 私はあれを観ていると、気持ちよく脱力できるので、「筋弛緩剤並みの効果あり」と思ってます。

 なんだか、最初に述べていたことから遠くに行ってしまった。何を語ろうとしていたのかすでに忘却。ありがち。



5月1日(水)

 親会社もお休みだし、10時に出社しても、私以外にいたのは派遣社員だけ。電話もなくて静かだったので、午前中に黙々と労働保険料の算出。申告書は確定申告の用紙みたいに「(ハ)+I(ヘ)」などと指示が書いてあって、「えっと、これとこれを足したのをこっちに書いて・・・・」とややこしいが、やっているうちに意味がわかってきたので数字さえ書き間違えなければ大したことなかった。親会社の人には「給与の総計さえ出せば、あとは労働基準局に持っていけばやってくれるから大丈夫」と言われたのだが、そんな必要なかった。
 まったく、ほんとに手のかからない社員である。

 まあ、もともとそういう労務関係や社会保険の算出なども、会社設立を手伝ったときに「やったことないけど、しょうがないな、私以外にやる人いないし、人に頼むかねもない」とやってみたら、別に大したことはなかった。ただ、何回か役所に足を運ばなければならないのが面倒だけど、それも最低回数で押えた。わかんないところはたいてい調べればわかったし、自信の無い箇所は電話や窓口で聞けばわかったし。

 そいういえば、あのとき私を雇った人は、かなり変な人で、社員を振り回すのが好きだったというか、そうすることにより自分の威厳をアピールするという困ったちゃんで、資本金300万円の有限会社を突然、「株式会社にするから。もうこれは決定だ。というわけで、ミヤノさんはその手続きを進めてもらいたい」と電話で命令され、「なんで、また急にそんなことを!」と困りながらも、しょうがないから法務局に行って、どのくらいの期間がかかるか確認しに行くはめになった。

 会社を設立したことのある方はご存知だろうが、最初に「資本金」を作らないとならない。記憶がおぼろだが、昔いた会社でも社長が新しい会社を作るのが趣味で、その手続きは税理士さんにお願いしていたのだが、銀行に「資本金証明」みたいなのを作ってもらう。
 そして、たしか「有限会社→株式会社」にするときにも、同様の手続きが必要であることをおぼろに憶えていた。
 だから「株式会社にするんだ」と言われて、会社の通帳もハンコも預かっていた私がまっさきに考えたのは「資本金はどうするの?」であった。だって、その会社はちっとも仕事しない口ばかりご大層な社長のおかげで、残高はほとんどなくて、社員の給料もまともに支払えないし、せっかく私が苦労して加入してあげた社会保険料すら納められなかったのだ。
 マジメな経理のおねえさんである私は、そのことがとても苦痛であった。今までそんな経験したことないし。だから、そのときはすでにその社長にもかなり嫌気がさしていたのだが、友人の紹介だったし、そうムゲにもできなかったし、社長はともかく、社員の人たちとは仲良くなっていたので、「この会社ダメだよ」と先に逃げるのも気がひけた。

 というわけで、そのときにも「資本金はどうするつもりなんですか?」と質問してみたのだが、「それはなんとかするから、とにかく君は手続きをすることだけ考えてくれ」と言われたので、多分、彼は私にあれこれ言われるのが嫌なわけだから、「法務局ではこう言われました」と言わないと納得してくれないんだろうな、と思って、法務局の「ご相談コーナー」で延々と待たされたあとに、職員に質問してみるとやはり「資本証明」が必要と言う。当たり前だ。それで、その会社は大赤字の現状だったので、そのことも質問してみたら、たしか赤字分を埋めてからさらに資本金が残るような設定をしないといけないと言われた。

 「要するに700万円の赤字を出している会社が資本金を700万円上積みしようとしたら、平たく言えば1400万円必要だということですね?」
 「その通りです」

 質問終了。わかりきったことを他人に確認することの悔しさよ。
 それで、すぐに社長に電話して、「まず、現状の決算を出して、そうすると700万円の赤字が出るので、それをちゃらにしてから、さらに700万円投入すればすぐにできるそうです」と言ったら、「ふーん」とか言っていて、その後その話はしなくなった。そもそも、700万円だって無かっただろ?いったい何がしたかったんだ?という話。たぶん、うちの会社の現状を知らない誰かに、(つうか、社長が騙した誰かに)「株式にすればいいのに」とか言われたので、「そうですね、そうします」と答えて、速攻電話してきただけなんだろうな、というのも想像がつくから余計にムカつく。

 まあ、なにが言いたいかというと、私はそんなこんなで役所関係ではエラく苦労したし、「私は無理なのがわかっているのですが、うちの社長はそんなこと聞いてくれなくて」と役所の人に涙声で訴えて、けっこう融通利かせてもらったので、あの分からず屋の社長に比べれば、役所の人のほうがよっぽどちゃんと仕事をしてくれたと思っているし、あれでいろいろ実地勉強になったので、得意ではないが、役所関係の書類もそこそこ作れるようになった。
 今の会社ではそういう苦労をする機会がないので、他の社員は高い金を出して研修に行っているが、一度自分で苦労してみればそんな研修よりも勉強になると思う。上司は今度は私を税務関係の研修に行くようにと言ったで、素直に受けることにしたが、税務だって大体わかってんですけどね・・・・それに自分ではわからないことがなにかわかっているので、そういうときには税理士に質問すりゃいいし、そのために月々高い顧問料払っているのはないのか?

 昔の上司はそのあたりを物凄く割り切って考えていたので、専門的なことは全てプロに任せていた。なにか問題が起こるとすぐにに相談していたし、相手も信頼されていることがわかるからかなり丁寧に答えてくれたし、それでちゃんと働いてくれれば、ギャラアップにも応じた。
 「ちゃんとやってくれるのなら、ちゃんとお金も払うわよ」
が、彼女の口癖だった。ああいうふうに言い切るのには、自分に自信もないと言えないだろうし、かなりの自信家だったと思うが、そういう人に育てられて今に至るの私としては、今の職場でも、他の職場でもそういう確固たる意志の元で働いている人が少ないのがちと淋しいのであった。

 ええと、そうじゃなくて・・・・・月も変わったので、気分を一新して、なにか美しい話でも書こうと思っていたのだが・・・・・ええと、じゃあ、美しい話でも・・・・昔、あるところに
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 美しすぎで、「美しい心を持った人」にしか読めないものになってしまいました。
 いや、実は書いている私にも読めないのですが。

 「美しい話って?ただの空欄じゃん」と言う方は、「王様の耳はロバの耳」と一緒に穴に埋まっていただきます。人を呪わば穴ふたつ。って、真っ先に「穴あけパンチ」を思い浮かべる方は私と同じ「事務職」さんでしょう?私は穴あけパンチのゴミがパンパンになるまで我慢するのが好きです。我慢しすぎで破裂すると、「ああ、なんてことをしてしまったんだ!」と思いっきり後悔して、いそいそと掃除機をとりに行きます。(変態。文房具界のスカトロマニアとも言える)

 ところで、今、テレビをつけっ放しにしているので、勝手にニュースが流れているのですが、「ミヤノ秘書」連呼が、かなり気に障ります。念のため、親戚ではありません。


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