可燃物な日々

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7月15日(日)

 久々のきょうみさん宅。
 成田に11時半に来れば車で迎えに来てくれるというので、8時半には起床して、9時半には家を出た。まるで、これから海外旅行にでも行くような気分である。

 成田に着くと、Kちゃんがいた。Kちゃんは昔きょうみちゃんが北京にいたときに同じマンションにいた人で、北京滞在時には遊んでもらったのだが、去年やっと数年ぶりに再会して、日本で会うのはよく考えると今回で2回目なのかもしれないが、「Kちゃ〜ん」「ミヤノちゃ〜ん」とキャーキャーしてしまった。

 きょうみさんが迎えに来てくれて、12時前にはおうちに着く。私がお中元で贈ったのだが、「私も飲むから全部飲むな」と無茶な指令を出しておいたビアライゼの八千代ブロイをさっそく飲む。ほんとにおいしかった。今度は自分にも贈ろう(笑)
 そんなこんなで、美味しいピスタチオと枝豆をバカスカ食べながら、ガンガン飲んでいるうちに、後続部隊約1名も到着したので、暑いけれど屋上でバーベキュー大会。屋上には子供用プール(ビニル製のやつ)もあったが、片足を突っ込んでみたらお湯だった。

 お子様が水遊びをするのを眺めながら、その後もハイペースで飲んでいた(らしい)ので、いつのまにかすっかり酔っ払ってしまい、ブランコで寝ていたようだ。気がついたらすっかりあたりは暗くなっていた。
 なんできょうみさんちに行くと、いつも泥酔してしまうのであろうか?
 今回は女性陣が全員30代半ばなのに、男性陣は4〜27歳という豪華なメンバーだったので、「若い男に囲まれて、ついつい浮かれて飲みすぎてしまいました」ということになってしまったようだ。

 早く帰るつもりが、結局9時過ぎになんとか、ボディーガードに抱えられて、「うう、まっすぐあるけない」とか言いながら、成田駅までてくてく歩き、また長い家路に着いたのであった。
 ほんとなら、ADSLの接続をしてもらうはずであったが時間切れ。ボディガード君(この方もいろいろな名称で呼ばれている)は、「ごめんね」と謝ってくれたが、どう考えても飲み過ぎた私が悪いんでございます。あ〜あ。



7月14日(土)

 使い捨てコンタクトの在庫が無くなりそうだったので、昼頃に作りに行ってから待ち合わせて、遅い昼食をとるという計画だったのだが、朝の9時に暑くて目が覚めたものの、エアコンをつけてまた寝て起きたら、もう昼過ぎで、しかも6日間連続勤務の疲れがどっと出たらしく、かなりダルダル。
 なんとか起き上がって、コーヒー飲んで、シャワーを浴びて、洗濯しながら血圧を上昇させて意識がはっきりしてきたので、着替えと化粧を済ませて、渋谷のコンタクト屋に行って、また9か月分処方してもらう。

 終わったのが3時前だったので、3時半の待ち合わせまで「そうだ、エール(AIRと書いてエールと読む、フランスのバンド)のチケットが今日発売」と思い出して、109のチケットぴあに行ってみたが、なんで109はあんなに混んでいるのだ。
 エレベーターではギャルがわんさか運ばれているし、人気ショップはごったがえしてるし、店の前では彼氏どもが座り込んでいるしで、買い物嫌いの私にとっては、まさに「地獄絵図」だったのだが、あとで待ち合わせたS君に「109はすごい人混みだった〜」と言ったら、あっさりと、
 「バーゲンだからでしょ」
と、言われた。
 そうかなるほど、そういう時期なのね。はあ、バーゲンでもワーゲンでもボーゲンでも勝手にやってくれ。
 でも、ギャル系服屋でガンガン鳴り響いているテクノ音楽にはちょっと足が反応してしまったのであった。私もまだ若い。

 タイ料理屋でトムヤム冷麺などを食してから、新橋へ。
 開店するバーが、オープニング・パーティをやっているそうなので、ついていった。その時間が3時〜9時だったので、早めに行こうとしていたのだが、結局着いたのが6時くらいになった。
 でも、外はまだ明るくて、明るいうちに飲む酒はなかなかイケた。
 シャンパンとビールにカクテル2杯作ってもらって飲んでいるうちに8時になったので、店を出たが、小腹が空いたので、テキトーに店を選んで、イワシ料理の看板が出ている居酒屋で、イワシのから揚げとイノシシの串焼きを食べてから家に帰った。

 明日は早起きなので、今日はサクサク飲んだというかんじ。



7月13日(の金曜日)

 ADSLが開通する日なので、スポーツクラブも軽めに済ませて(パラパラには出ないで)早く家に帰り、さあ設定するべと、やっとモデムの包装を解いて、「ほお、これがスプリッタね」などと接続していたら・・・・
 モデム−パソコン間の接続に必要な、「10Base−Tケーブル」というものは、自分で用意しなければいけなかったらしい。モデムはとっくに届いていたのに説明書を読んでなかった。

 けっこうヤル気だったのに脱力。おまけに、いつも使っているノートパソコンを電話線からひっぺがしてしまったために、そっちを繋ぎなおす気力もなくなった。(といっても、ただペコっと電話線のジャックを挿入するだけなんですけどね)
 ふてくされたので、「ER」観ながらビール飲んじゃってたら、パソコン・アドバイザー氏より電話。「できた?」

 なんちゃらケーブルを用意してなかったため開通不可能になったなどと正直に言ったら、説教されるのでないかと思い、密かに

「あたし、オバサンだから、わかんな〜い」

 という、かなり自虐的な防御(矛盾しているというか、自軍の管制塔をうっかり破壊してしまうカミカゼ特攻隊みたいだ)を用意してあったのだが、私がそんなヘナチョコ奇襲防御をする前に変な白旗が揚がっていた。

 「そうか・・・・そういえば、LANカードもまだささってなかった」

 なにをどこに挿すのか知らんが、とにかく、なんちゃらケーブルが用意されていても、かんちゃらカードがないので、やっぱり開通できなかったらしい。
 どうやらA級戦犯になるのは免れたようだ。
 
 アドバイザー氏の不手際を責めてもよかったらしいが、とにかく私は自分の責任が回避できたことに満足したので、

 「そうなんだ〜、とにかく私、わけわかんないから、お願いね〜」

と、低姿勢をとることにした。なんだか情けない状態であるが、幸いにも私はあまりプライドが高くないのであった。

 それに「女の子(だれが?)は、機械に疎いほうが、可愛げがあっていいよね」という、自分で自分に「セクハラ」&「テクハラ」発言をするという、すごくバカバカしいけど、なにげに「複雑なカンジ」に至極満足してしてしまい、というよりも、日曜日から働きづめで疲れていたのにビールを2本くらい飲んだらすっかり酔っ払ってしまったので、バタンと寝てしまった。



7月12日(木)

 ううう、在庫と帳簿残が合わない・・・・なにが違っているのだ。と、売上表を眺めていたらイライラしてきたので、ついついお菓子をボリボリと食べてしまった。苛立ちを糖分でなんとかしようとしたのである。

 その昔(昔話ばかりだなあとつくづく思うが、そういうのばかり書いていてもまだまだネタは湧いてくるほど、私は波瀾万丈の人生を送っているわけでもないのだが、単に「つまらないことをよく記憶している」だけである)、会社に来たお中元で、乾燥フルーツの砂糖漬けが来たことがある。どうやらけっこう高価なお菓子だったようだが、それを一つ食べたら、えらく甘くて、「ひい、歯に染みる」とか騒いでいたら、会社の同僚曰く、「そのお菓子は丸ごと食べるものではなくて、小さくスライスするものなのよ」ということだった。

 さて、しばらくしたら、なんだか頭がぼんやりしてきた。いつもたいてい眠いのだが、そういう午後の眠気とはちがうかんじであった。眠いというより、なにか意識がドスンと下のほうに降りていってしまい、なにも考えられない状態に陥ったのである。「なんなんだいったい」と思っていたのだが、3時間くらいで意識は戻ってきた。ということは、会社で3時間もぼんやりしていたということである。

 噂によると、昔のセクトとかは、学生を閉じ込めて、一日中甘いものを食べさせてヘロヘロにしてから洗脳すると聞いたことがある。
 「なるほど、あんな超甘い砂糖漬けを食べたから、それと同じような状態になったのにちがいない」と思った。それ以来、砂糖漬け系のものには警戒している。でも、気持ちが苛立ったときには、逆にそれを利用すると、わりと落ち着くのである。

 まあ、単に甘いお菓子が大好きだから、そういうものを食べると「しあわせ〜」になるだけかもしれない。そもそも満腹になると、なにもかもどうでもよくなったりするもんね。

 一週間ぶりにスポーツクラブに行った。運動前55.9キロ。運動後54.9キロであった。横這い状態。でもまあ、一週間ぶりなのにこの数字というのはまあまあではないであろうか。地道にやるしかありませんね。
 



7月11日(水)

 昨日からの続き。
 「文化祭でウエストサイド物語を手探り&手作りで舞台上演しようとしている、一応みんな大学受験するつもりの高校3年生の熱き青春&暑い夏休み」の後編です。

 さて、ミュージカルに欠かせないのは踊りである。唄は、サントラの音楽を流して一緒に唄うという「ややクチパク」で済ますことになったようだが、踊りはそうもいかない。この舞台が成功するか否かは、踊りにかかっているのだ。
 そのためにはまず、ビデオから脚本を抜書きしたのと同じ手法で、誰かが振り付けを憶えて、皆に教えないとならない。それって、かなり大変なことである。

 振り付け師の大役をすることになったのは、私の幼なじみであったBちゃんであった。というか彼女しかできなかったであろう。Bちゃんがテレビでやっているアイドルタレントの振り付けをすぐ憶えられる人であるというのはクラスの定説になっていた。
 
 Bちゃんは、たしかにそういう方面に才能があった。彼女はあまり勉強は得意ではなかったが、振りを憶えたり唄を唄ったりするのは得意だった。耳がよかったのか英語の発音もとてもよかった。だから英文の暗唱なんかも上手だったのだが、あるとき近所を二人で歩いていたら、Bちゃんが、「なんで酒屋の看板はLで始まってるの?」と聞いてくるので、その看板を見たら「LIQUOR SHOP」と書いてあるので、「いいじゃん、あれでいいんだよ」と答えると、「だってお酒だから、アルコールでAでしょ?
 Bちゃんは英語の発音は素晴らしかったが、英語の成績は目茶苦茶悪かった。

 ともかく、夏休に入ると、練習は本格的に始まっていた。私はあまり練習を覗きにも行っていなかったのだが、学校にはけっこう行っていたので、あるとき「そろそろ通し稽古ができるかもしれない」というので、見学に行ってみた。
 たしか、武道場という剣道部が使っている小さな体育館でやっていたと思う。正規の使用届が出ていたのか、それともクラスメイトの中に元剣道部部長がいたのかは忘れた。板張りのお稽古場は当然冷房もなく、蒸し暑かった。その中で皆汗だくになって踊りや芝居の練習をしていた。

 私が見ている前で、かの有名な最初の群舞のダンスシーンの練習が始まった。
 いやあ、びっくりしました。すごい!皆ちゃんと踊っているんです。クラスメートの男の子たちが、あの右足を高く上げるポーズをしながら交差していく様を目の当たりにして、私はかなり感激しました。ここまでできるようになるまで、かなりの練習が必要だったでしょう。シロウトが振り付け(というか振り写し)指導して、ダンスの経験もない男子高校生がここまで踊れるものかと思いました。
 女生徒のほうがやはりやや控えめというか、恥じらいがありましたが、男子生徒の張り切りぶりとなりきりぶりは並ではなかった。

 練習と同時に衣装の調達も大変そうでした。男子は手持ちの服やお兄さんやお父さんから借りたスーツなどを合わせればよかったのですが、女性はそうもいかなくて「50年代っぽいドレス」が必要でしたので、けっこう皆、自分で作ってました。あとは、警官役の子は、貸衣装だかで借りてきていて、それはそれで面白かったです。

 私はポスター制作だけは、張り切ってやりました。そのころは絵が得意で、部活のほうのポスターも毎年はりきって描いてましたので、かなり気合の入ったやつを描いたら、けっこう評判がよくて、私の描いたポスターが正面玄関のボードに飾られました。下町っぽい煉瓦塀のイラストを書くのに2日間くらい徹夜したと思います。私も皆のこと笑えませんね。

 さあ、舞台稽古も無事済ませ、あとは本番を待つばかりです。

 文化祭は土日に行われましたが、たしか土曜日は学内だけで、日曜日が一般のお客さんというか父兄も入れる日になっていたと思います。ですから、体育館の舞台でやる出し物は2回公演になるのでした。
 初日から、かなり盛況でした。まあ、3年生のクラスの出し物ですから、部活動の後輩なども観に来ますし、他のクラスの3年生も「あの、クラスいったいなにやるんだろう?」と興味を持ったのではないでしょうか?

 翌日も、かなりの人が見に来てくれて、たぶん、舞台の出し物としては一番集客力があったのではないでしょうか?もちろん、当日は直前まで出演者達が衣装を着たまま看板を持って学内を練り歩き宣伝もしました。
 舞台が終わり、幕が降りると、「キャッホー!」と皆が大騒ぎしていたのをよく憶えています。お客さんたちもその騒ぎぶりに笑っていました。主演の女の子はボロボロ泣いていました。

 というわけで、ウェストサイド物語の公演は大成功でした。

 さて・・・・これ書きながら、さらに思い出してしまったのですが、あのクラスったらこれで気をよくして、秋の体育祭ではやはり任意参加の仮装行列があるのですが、それにも参加を表明し、その仮装のテーマもなんと、

 マイケル・ジャクソンのスリラー
 
 に、決定してしまったのでした。要するにあのビデオクリップを今度はグラウンドの真ん中で演じようというのです。また人前で踊るのです。今でこそ、ダンスも珍しくありませんが、当時は「なんで男の子はこんなに踊りたがるのだろうか?」と不思議に思いました。まあ、「乞食と役者や3日やったらやめられない」といいますので、このまま芸能関係を目指してしまう人が出てくるのではないかと期待しましたけど・・・・

 そのときも、またBちゃんが振りつけ担当でしたが、彼女はもともとマイケルの大ファンだったので楽勝だったでしょう。
 体育祭当日の受けはどうだったかなあ?よく憶えてません。私はそのときは、衣装&メイク係でした。けっこう楽しかったです。皆がかき集めてきたボロの服をさらに絵の具を塗ったくってズタボロにして、出演者の顔にも絵の具を塗りまくりました。

 そんな「唄って踊る受験生」ばかりの変なクラスでございました。私が心配だったのは、ただでさえ英語が(英語以外もあまり成績は良くなかった)赤点のBちゃんが、そんなんで第一志望の国立大学に入れるのかということでしたが、丙午のせいもあって彼女の受験した学科はあまり倍率も高くなかったのも幸いしたのか「奇跡の現役合格」をとげました。
 
 今だから言えるけど、というより、当時も友人達で話していたのですが「夏休もずっと練習で、衣装まで自前で作っちゃって、秋はスリラーやってたBちゃんが合格するなんて・・・申し訳ないけどぜったい無理だと思ってた」のです。

 あまり憶えてないけど、男子生徒はかなり浪人してたような気がします。もともと受験指導には熱心な学校ではなくて、わりと野放しだったので現役率は低かったですけどね。

 そんな団結したクラスだったのですが、一回だけ学生時代か大学卒業直後に(直後だったかなあ?就職してた子と学生だった子が混ざっていたような記憶有り)クラス会をやりましたが、その後、ちゃんとしたクラス会はやっていないようです。まあ、仲の良い人同士は今でも会っていると思いますけど・・・・
 ちなみに、きょうみさんもそのときのクラスメートです。彼女はちゃんと出演してました。 



7月10日(火)

 久々に、ペーパークラフトの作業報告。
これは、バルタン星人の下半身である。
これを見て、「う〜ん、いたずらしてみたい」と、いけない欲望を押さえ切れなくなった私は、パンツでも縫おうと思ったものの、やはり面倒で、「そうだ、あれなら縫う手間がいらない」と、こういうときだけ頭が回り、白いハンカチを取り出して、「おしめでちゅよ〜」とバルタン君を相手にチャイルドプレイをして遊ぼうかと思ったのだが・・・・・白いハンカチにはレースがついていたので、マジに怪しい雰囲気になり、やめました。(いちおう、それくらいの理性は働いているのである)

 左下の写真は、この下半身が纏う、「スカート」になるらしい。お尻をこれで守るのである。つうか、これって「蝉のお尻」ですね。「バルタン星人のモデルは蝉」というのがやっとわかってきました。ためになるペーパークラフトです。

 ああ、早く、ハサミのところが作りたいわ。
 

 ところで、きょうみさんから「7月15日が鍋山祭らしい」との情報をいただきましたが、それがほんとかどうかはともかく、私たちが在籍していた約20年前(ゲロゲロ)には、たしか9月にやっていたと思います。

 鍋山祭とは、高校の文化祭のことです。
 たしか私が2年生のときには、台風に直撃されて、大変だったのですが、なにせ私の所属は天文気象部だったものですから、先輩が「おもしろいから、気圧計を展示しよう」と言い出して、展示のど真ん中に置いてみたら、けっこうお客さんにうけました。だって、台風が近づくにつれて気圧がぐんぐん下がっていくのがわかるんですもん。                                                                 

 まあ、なんかいろいろと想い出の多い文化祭ですが、強烈だったのは、3年生のときのクラスの出し物でしたね。
 展示や企画は主に文科系のクラブで行うのですが、任意のクラス参加も歓迎されてました。でも、皆がやりたがるのは「喫茶店」とか「お化け屋敷」なわけで、全クラスでそれやるわけにもいかないので生徒会が調整してましたけれど、もちろんクラスのまとまりが悪くて不参加なクラスもけっこうありました。

 3年のときのクラスはなぜか異様にまとまりがあって、文化祭では絶対になにかやろうということになったのです。
 でも、あの高校はそれなりに進学校だったので、ほんとならそんなことやっている暇はないはずなのですが、ともかく「参加」は決定して、私はあまりクラスの活動は重視してなくて、部室にいりびたってましたから「まあ、やるならなんか手伝うよ」くらいのキモチだったのですが、どういう過程でそういうことになったのか今となってはさっぱり憶えていないのですが、決まった出し物はなんと、

 ウェストサイドストーリーを舞台で上演する

 という目眩のするほど壮大な企画でした。映画を上映するのではありません。自分たちで演じるというのです。
 「おめえら、受験生だろう・・・・・」と私は頭の中でぼやきました。いや、受験生でなくても、あの映画を舞台化するなんて、演劇部だってしり込みしますよ。いったいどうやってシロウトの高校生があれを上演するというのでしょう。ミュージカルなんですよ?不朽の名作なんですよ?唄って踊るんですよ?しかもあの踊りをどうやって踊るというのでしょうか?足あがるんですかい?

 とにかく、それが決定して、脚本制作が始まりました。出来上がった脚本を見て、すぐに気がついたのですが、

 おめえら、字幕スーパーをそのまんま書き写しただろう!

 セリフがやけに短くぶっきらぼうでした。でも、多分台本を探したのだろうけど、どういても見つからなくて、あまり時間もないから、ビデオを見ながら書き写したみたいだし(かなり時間がかかったことでしょう)、余計なこと口出しして「じゃあ、ちゃんとしたセリフに直す係」とかにされるのも面倒だったので黙ってました。

 とにかく、皆ふだんの授業態度からは想像もつかないような熱心さで物事が運んでいき、あれよあれよという間に役割分担やキャストも決まりました。
 とにかく出演者は全員踊らなくてはならないのです。群舞のシーンがありましすからね。信じられませんよね。そんな人前で唄って踊るなんて・・・・・と考えた私は当時、暇さえあれば東京に出てゴダールの映画なんか見ちゃってた、カワイクない少女でござんしたので、とてもそんな「熱い青春」な皆についていけず、さっさと一番楽そうな照明係に名乗り出て、これでまんまと練習に出なくて済むことになりました。照明係は、実際に体育館の舞台でのリハーサルのときまで用がないのです。

 他にも当然、あまり乗り気でない生徒もいて、「バンドの練習が忙しいから」という真っ当な理由の人もいましたが、「はずかしいからやりたくない」とかいう消極的な理由の子が私に「どうする〜」とか相談してきたので、「私もあまりこの企画には関わりたくない」という本心は言わずに「私は、ずっと照明係にあこがれていたの。スポットライトを当てる役がやってみたかった」とかなんとか言っていたので(かわいくない)、他の躊躇している子になつかれたのですが、時間が経つにつれて、クラス全体の情熱がだんだんとヒートアップしてきたら、そういう子たちはなんだか寂しくなったみたいで、「やっぱり、なんかノケ者になっちゃうから、ちゃんと参加するよ。ミヤノちゃんはどうする?」と聞かれましたが、私は「だって、だから、私は照明がやりたいんだってば。踊りたければ参加すればいいじゃん。私は舞台に立ちたくない」とキッパリ断ったような記憶があります。

 書き始めて気がついたけど、この話は長くなるので、今日はこれまで。また気が向いたら続きを書こう。



7月9日(月)

 上司はやっぱり休みになった。声がガラガラだった。
 昨日はほぼ全員が出勤だったので、今日は休みの人も多かった。それなのに、急に5年前の契約書を探してくれといわれて、蒸し暑くてカビくさい倉庫で埃まみれになる。

 今日はやっと日傘を持参した。そしてサングラスもかけて出勤した。紫外線対策は万全。

 このところまた日記が投げやりなので、今日はもうちょっとなんか書こうと思ったんだけど、また体調不良になってしまったので頭がぼけらった状態。でも、いいのである。予定通りだ。いや、別になにかの心配していたというわけではなくて、

 「これで、フジ・ロックは体調万全だぜ!!!!

 なのである。女性は辛いのよ。グラストン・ベリーに行ったときは、モロ当たってしまって、かなり苦労しましたよ。それなのに3日間風呂にも入れず、「もう、どうにでもして・・・・」というかんじになった。女性の浮浪者が少ないのはそういう理由からだと説いていた人がいたが、たしかにそれはあるだろうなあ。



7月8日(日)

 朝の5時に起床して、「6時50分集合」な仕事。そんな用事で学習院大学だ。
 私の配属されたセクションは建物の中だったので、それほど暑くなくて助かった。仕事もそれほど大変ではなかった。でも箱入り経理のおねーさんはいつもあまり人目にさらされていないので、人前に立つ仕事は久々だったから(以前、ビールの試飲販売の日雇い仕事を時々やってた)、背中がつかれた。一日中、革靴を履いていたので足も疲れた。ああ疲れた疲れた疲れた。今日ほど大掛かりではないが、秋にも何回かこういう仕事で日曜に招集されちゃうのよね。それが本業の会社だから仕方ないんだけど。
 イベントの副責任者の上司は、風邪気味のようで、赤い顔をして鼻声だった。

 夕方4時には解放されたので、ふらふらよろよろと帰る。家に帰って、さっそくビールを「プハーっ」と飲んだら、そのまま昼寝してしまったようで、夜にかかってきた電話で目が覚める。なんとなく、今日の仕事というか我が社の顧客についての感想を喋りたかったので、長電話していたら、女子決勝を観るのを忘れていて、慌ててテレビをつけたらもう終わっていた。



7月7日(土)

 昨日の予報では雨になっていたので「やっぱり七夕といえば雨」と思っていたのだが、起きてみたら晴れていた。
 あまり寝ていなかったので、お昼を食べてから、洗濯をして、少し昼寝をしてしまい、エアコンもかけていなかったので汗だくになり、起きてからテレビをつけてみたら、ヘンマンVSイワノセビッチをやっていて、イワノセ君ったら久しぶりにラケット折ったりする「悪いイワノセビッチ」(アナウンサーがそう言っていた)になっていて、ヘンマンに押され気味。

 地元のヒーローであるヘンマンが準決勝に残っているので、ウィンブルドンはかなりの人出のようだ。思い起こせば4年前に行ったときにも、ヘンマンがけっこう勝ち残っていたので、かなりフィーバーしていたが、あの当時にくらべると、ヘンマン君ちょっと痩せすぎではないだろうか?

 ぼんやり試合を見ながら、トリケラトプスを作っていたら、完成した。今回はずいぶん時間がかかってしまった。
 手持ち無沙汰になったので、ついにバルタン星人に手をつける。恐竜シリーズと制作チームが違うようで、ちょっと雰囲気というか組み立て方が違うみたいで戸惑う。

 夜になってまたウィンブルドンを観ようとしたら・・・・雨だった。クリントンが来てるみたいだ。いいな〜ロイヤルボックス・・・



7月6日(金)

 今年はぜんぜん、ウィンブルドンを観ていなかったので、今日こそと思い、アガシVSラフターの男子準決勝を観ていたのだが、途中で眠くて寝てしまい、ふと気がついたら試合が終わっていた。
 ラフターが短髪にしていて、頭がところどころ白いので、「十円ハゲ?」と思ったが、あれはファッションで染めているのだろうか?日曜日の男子決勝で確認しよう。



7月5日(木)

 暑さにはわりと強いし、「冬よりも夏のほうがマシ」派なのであるが、今日の暑さには参った。
 といっても、ほとんど外出はしていないのだが、昼過ぎにワンブロック先にある親会社に書類を届けに行ったのだが、外に出て3歩くらい歩いたら、太陽光線が攻撃してきて、眩しくて書類を顔にかざしたのだが、服がじわ〜っとしてきて、そう、なんか繊維の中にアスファルトの照り返しの熱がじわじわと染込んできて、冷房で冷えた繊維の一本一本を溶かしていって、その熱がじわじわと皮膚に伝わっていくのだ。 
 たぶん、マグロの冷凍倉庫なんかで働いている人が、零下数十度の冷凍庫内から出た瞬間に味わう感覚ってこんなかんじなんだろう。

 それでも、道行くサラリマン諸君は、背広の上着も着ていたりして、そいうときに「あ〜女に生まれてよかった」とつくづく思う。もちろん、女性でもちゃんとスーツ着ている人だってたくさんいるが、もうちょっと工夫のしようがあるし、それに私みたいに男性と同じに仕事していても、襟無しのシャツでOKな身分の人のほうが多いわけだし。

 日傘を会社に持っていこうと思いつつ、ついつい忘れていたのだが、こうなったらサングラスも外出用に必要だ。

 今日もスポーツクラブに行こうと張り切っていたのだが、残業してたら疲れてしまったのと、今週は日曜日が出勤なので、今日くらい休んで掃除・洗濯しないと・・・・と思ったのでパスした。
 日曜日は私もスーツ着ないといけないのであった。しかも接客係なのである。
 私は子会社の経理なので、親会社のほうのお客さんに接したことがないのだが、今回は初めてそういう仕事をする。いったいどういう人達なのか、ちょっと興味がある。

 home coming queenって(ネタに詰まったので、掲示板から無理矢理持ってくる)、あの歌詞は「彼女はホームカミング・クイーン♪」って唄っているのではなかったっけ?(記憶おぼろ)
 なんかカラオケで唄ったときにそうだったような気がする。それで、私は勝手にこう解釈しておりました。
 

 アメリカにはたしか「ホームカミング・ウィーク」とかいうのがあって、その期間が終わると夏休になってみんな家に帰る。(帰省するということかな?)その期間は日本でいうと文化祭みたいなノリになって、ホームカミング・パーティーとかをやって、それで「ホームカミングの女王」というのが選ばれる。とても名誉なのである。
 う・・・ちがうのかなあ・・・・ずっとそうなのかと思っていましたが。 

 そういえば、ホームカミングもあてずっぽうですが、フランスでは逆に「子供が新学期を迎える準備週間」みたいのがありましたよね。(自信がない)その期間は町中の店が子供用品であふれているとかなんとか(日本も3月になるとランドセルや学習机が並ぶので同じか)・・・・あれはなんて言ったっけなあ?(またこう書けば、誰か親切な人が教えてくれると思っている)



7月4日(水)

 昨日やっとフジ・ロックの私のチケットとテントサイト券を購入したので、その報告のためにAに電話したらまた長電話になってしまった。(株で2億儲けたことがあるという人物にコーラを奢ってくれといわれた話などで爆笑)

 フジ・ロックはいつのまにかタイム・テーブルも発表されていた。お目当て2組のニューオーダーとリッチー・ホウティンは時間が重なってなかったのでほっと一安心。それさえ堪能できれば、あとはどうでもいいのだ。というよりもそのくらいの構えでいかないと、ああいう大きなイベントを乗り切れない。
 もう今月末だと思うと、ちょっとドキドキしてきた。あとは好天を祈るだけである。 
 ここんとこ、あまり夜遊びしていないので、フジ・ロックの前に体慣らしがしたくなってきた。どうしよっかなあ。

 体重が少し減ったので、すっかり調子に乗ってしまい、今日もスポーツクラブで自転車をガシガシ漕いだ。
 運動前、55.6キロ。昨日と変わらず。運動後、54.6キロ。おおっ!200gも減っている。スーパーの精肉売り場に並んでいるパックの豚コマなどが頭の中をよぎる。

 本日の小さな幸せ。
 会社でヨックモックのお菓子をいただいた。あそこの「シガール」は私の大好物である。挑戦したことはないが、半日あれば、一箱を全部食べられると思う。生きているうちに一度はやっておきたい。(すいか一個食いはすでにやった。実は新巻鮭を丸ごと焼いてヒグマのように真ん中からガブリと食べてみたいという野望もあるのだが、それは多分完食は不可能だと思う)

 それはさておいて、「わ〜い、シガールだ〜」とよろこんでいたら、なんと、それは「紅茶味のシガール」だった。そんな新製品が出ていたなんて知らなかった。開けてみると、茶色のシガールで、紅茶のいい香りがする。甘さも控えめで、大好評だった。昔、紅茶クリームの挟まったラングドシャクッキーがスーパーで売られていて、ひとりで密かにはまっていたのだが、いつのまにか姿を消してしまい、悲しかったのだが、あれの高級品というかんじであった。



7月3日(火)

 昨日、きょうみさんから「ビール届いたよ、ありがとう」のメールが来た。
 いつもお世話になっているので、たまにはお中元でも贈ろうと思って、以前「ジャイアントコーン」のことでメールをくれた地ビール会社「ビアライゼ」の八千代ブロイを贈ってみたのだった。「私が遊びに行くまで、私の分も残しておいてください」というメッセージ付きで。

 ところが、ネットで購入申込をしたのはいいが、「代金振込後に発送」となっていて、先週は同僚が休んでいたので会社を抜けて振り込みにいけなかったのだ。
 今週になって、私も遅まきながらもインターネットバンキングができるようになったので、それで振り込んでから「ビール送ったよ」と知らせようと思っていたのだが、どうやら振り込む前に送ってくださったらしい。
 HPで信用されたのだろうか?ども、お手数おかけいたしました。

 それで罪滅ぼしで宣伝しているわけでもないのだが、きょうみさんのダンナもビアライゼのビールにはご機嫌だったらしい。
 遊びに行けば居座って食い散らかして飲み散らかすし、子供のオモチャは散らかすし(いちおう遊んであげているつもりなのだが、遊んでもらっているともいえる)、電話をすれば長電話という、この私に、ダンナはにっこり微笑んでくれたことなどないのである。

 まあ、友達のダンナと仲良くする必要もないし、嫌われているというよりは「怖がられている」のだと思うのだが、そのダンナが私が贈ったビールを飲んで「ニコニコしていた」という報告があった。
 なんと、うれしいではありませんか。ビアライゼさんありがとう!これで多少挽回したかな?

 というわけで、記念すべきインターネットバンキングによる初振込は「お中元」代だった。そもそも中元などを自分で贈るのも生まれて初めてだったけどさ。
 それにしても、便利な世の中になったものだ。そのうち、風呂もトイレもインターネットになりそうだ。

 かみちゃんよりメールが来て、なんと私の近況を半年ばかり疎遠になっていたE嬢に報告するために電話したのだという。
 ああ、宇宙の果てまで広まるのも時間の問題か・・・・恐るべし。

 プールに入る前に体重を計ったら、55.6キロだった。運動前に56キロを切ったのも久しぶりだ。うれしくなって、ガシガシ泳いでサウナにもたっぷり入ったら、54.8キロになった。うう、やっとアンダー55を記録した。今週もがんばろう。



7月2日(月)

 下北沢オフオフシアターにて「のぐお」のライブを観る。
 かみちゃんご推薦だったのだが、「今回はイマイチだった。ゴメン」とのことだった。でも、単独ライブでやっと100人の客が集まるようになったような芸人だし、まだまだ今後に期待だ。
 まあ、それにもし、「のぐお」がブレイクしたら、つまんない時も観たと言って自慢することができるかもしれないので、善しとしておこう。けっこうおもしろかったし・・・・

 それよりも、かみちゃんたら、劇場の席に座って開演を待っているときに、いきなり大声で私の近況をあとの二人(いつも鳥肌のときにお会いするAKちゃんと、昨年12月以来だったNBさん)に大声で話すんですもん・・・・赤面した。
 AKちゃんはともかく、NBさんはさっそく食いついてきて、「え?ミヤノさん、何歳だったっけ?」と大声で年を聞いてくるし・・・・別にいいんだけど、周囲は若い女の子ばかりなので、そんな中で実年齢なんてアナウンスしたくないというささやかな乙女心をわかってほしいぞ。

 ライブ終了後に3人でベトナム料理屋で食事。
 合コンやりたいだとか、バツイチがいいだとか(バツイチは慰謝料の支払っている可能性もあると諭した)、元彼女の現ダンナの元彼女と仕事で関わることになってしまったとか、結婚したというDJ・Mには子供が生まれて、妻子を連れて(なのかどうかは知らないが)現在は西海岸に住んでいるとか(生活費は誰が出しているのだろうか?親?)なんかそういう、たわいもない噂話や恋愛話に花というより雑草が咲きみだれ、すっかり酔っ払って帰宅。

 今日はちょっとダウナーなことがあったので、たまには落ち込んでみるかと思っていたのだが、そんなゆとりもなかった。NBさんの強引なトークとかみちゃんの天然ボケトークにしてやられたってかんじ。

 そういえば、久々にあったN部さんは真っ黒に日焼けしていたので、どうしたのだろう、いきなりサーファーにでもなったのかと思いきや、「松原の区民プール」で焼いたらしい。プーラーと呼んであげればよかったと、寝しなに思いついて悔やんだ。



7月1日(日)

 寝たのが遅かったので、起きたらもう昼近かった。
 昨日は雨の中、掃除洗濯に励んだのだが、今日の天気だったら洗濯物もイッキに乾き、布団も干せたのだが、わたしに時々憑依する「お掃除の神様」はすでに帰ってしまわれた。今度は天気の良い日に起こしください。いつでもお待ちしております。

 日焼け止めを塗って、近所のイタリアンレストランで昼ご飯を食べてから、バスで世田谷美術館へ。「暮らしに美術を―たとえば魯山人と共に」という展示が今日までなので行ってみた。久しぶりに間近で見る清掃工場の煙突はやっぱり悪趣味な色。灰色と水色と白の迷彩柄で、多分「晴天でも、雲が出ても、曇天でも空と溶け合う色」を目指しているのだろうけど、なんか潔くない。高井戸の真っ白なやつのほうが「白い巨塔」ってかんじで堂々としてるではないか?

 展示は、世田谷美術館が所蔵している魯山人の陶器などを他の所蔵品と混ぜて生活空間っぽく展示していた。世田谷在住の写真家が戦前の世田谷を撮った写真が数点展示されていたが、世田谷線の駅というものが、今と昔であまり変わっていないのが笑える。逆に同じ写真家が撮影した最近の世田谷の写真では、三茶のすずらん通りの入り口(マクドナルドの隣の飲み屋街)にかかっている看板が、数年前のものだったので「わあ、懐かしい〜」と思ってしまったり・・・・

 魯山人作の茶碗で一個不思議なものがあった。真っ黒の茶碗なのだが、円筒形なのである。普通の茶碗はもっとドンブリ形だし、円筒っぽいのでも、足(?)はついているし、それに円筒形の場合にはもっと口がぐにゃぐにゃしているものだ。と、言ってもあまりそういうもんの心得がないので「変わった形だな」と思っていたら、側面の底の方に、半円の茶色い模様が3つついていた。・・・・・・こ、これは、ひょっとして「象の足?」と思ったらもうそうにしか見えない。後ろ側まで眺めたら、後ろにも一個だけポツネンと半円模様がついていた。
 象だ象だこれは象の足に違いない、としばらく一人で貼りついていたのだが、他には誰もそう言ってくれる人がいなかった。ああ、写真を撮りたかったゾウ。

 用賀まで鬼瓦が飾ってある変な遊歩道を歩いて、駅のあたりを散策していたら、「とんかつ茶漬け」の「すずや」を発見。新宿が本店だが、かつては三軒茶屋にもお店があって、私とAのお気に入りだったのだが、1年くらい前になくなってしまい、いまだに三茶で食事しようとするとAは「とんかつ茶漬けはなくなっちゃったんだっけ〜」と言うのだが、なんと用賀で発見!

 久々に食べたらやっぱり美味しかった。高菜もバクバク食べて、ご飯もお代わりしたので、食べ終わったらすっかり眠くなってしまった。今日は早く寝ようっと。
 明日は下北沢に「ノグオ」というお笑い芸人を見に行く予定。(かみちゃんのお勧め)


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