可燃物な日々

表紙に戻る/過去の日記

ご意見・ご感想・誹謗中傷などございましたら、感情廃棄物再利用所までどうそお気軽に書き込んでください


2月1日(木)

 明日は大事なお仕事で、また早起き(と言っても、毎日朝6時に起きている人も多いのだろいうけど)にしないとならないので、今日は早く寝ることにする。
 
 やっと一応書きあがったので、台北旅行記をアップします。写真が多くて大混乱した。でもこういう目的がないと、ほんとに写真撮らないので、自分のアルバムっつうことで。 



1月31日(水)

 とても寒い。職場付近もビル風が吹き荒れていて、体感温度が下がっている。

 永田町付近の話で、ニュースもワイドショーも賑わっているが、私はどうも鈴木宗男を観ていると、昔嫌いだったおじさんを思い出してしまい、かなり憂鬱になる。そのおじさんは私の上司ではなくて、他の会社の社長だった。

 なにが嫌だったかというと、彼は自分の部下を人前で怒鳴りつけるのである。
 あるときは、とあるイベントのお手伝いで、裏の控え室に私や私の会社の同僚が数名準備している最中に、その社長がやってきて「お手伝いありがとうね」と挨拶に来てくれた。彼の会社の仕事の手伝いだったのである。しばらくそこで、雑談していたのだが、彼の会社の人が「社長、そこにいたんですか」と探しに来た。彼はその部下に、「そうだ、○○をここに呼んでくれ」と言って、しばらくしてからそこの若い女性社員がやってきた。
 なにか今日の仕事の支持でもするのかと思ったら、彼は私たちが囲んでいた応接テーブルの脇に彼女を立たせて、説教を始めたのである。それも、どうやら彼女が昨日しでかしてしまった仕事の手配ミスについて、「おまえは仕事のしかたをちゃんとわかってんのか?」と一方的に攻せめたてていた。

 私や他の社員は、いきなりそんなことになってしまったので驚いたが、席を外すわけにもいかず、かと言って、聞いてないフリをするのも近すぎる距離で、みんなで「どうしよう?」と目配せし合ったが、彼はそんなの気にもしていないようで、ギャーギャーと怒鳴っている。
 いつもそんなふうにされているのだろうか、彼女はただ黙ってうつむいて、時折「はい」「はい」と返事をするくらいだったが、他の会社の人たちの前で説教されるのはさぞかし辛いだろうと思った。

 説教の具体的な内容は忘れたが、私が聞いた印象では、彼女のミスというよりも、たぶん彼が段取りをしたことを彼女がよかれと思って彼に断りもなく変更してしまい、それを知らなかった彼が恥をかいたようなことだったと推測できた。まあ、ワンマン社長にはありがちの話である。
 彼はどちらかというと叩き上げタイプで、話もそれほど筋道立っていなかったが、その説教はすごく長くてネチっこかった。脇で聞かされて、自分まで叱られている気分になって嫌だったし、そもそも、そんなところで説教しなくても、いくらでも場所はありそうなもんである。

 うちの会社の社員に対しては「好々爺」だった人だが、あそこの社員はあれじゃ大変だろうなと深く同情した。パワフルな人だったし、そういう意味では優秀だったかもしれないが、その能力を間違った方向にも大いに発散していて、「燃費の悪い車」みたいだった。
 
 なんか鈴木宗男を観ていると、たしかにあれだけの影響力を持てるということは、それなりにある種の能力はあるんだろうけし、あの社長みたいにしょっちゅう怒鳴っているかどうかは知らないが、私にとってはやはりいかにも「燃費が悪そう」で、あんな車で発展途上国の土地を走り回られているかと思うと・・・・・

 あと、個人的な感想であるが、やはりあれだけ不祥事が発覚しても、知人に外務省キャリアがいたら「外務省?超エリートじゃん」と、「75%くらいほんとの気持ち」で言えたと思うのだが、今だとやはり鈴木議員の顔がまっさきに浮かんでしうような気がする。ワイドショーなどをちゃんと見ている世間一般の人たちにとって「外務省」と「鈴木宗男」というのは一緒に並べてはいけないもののような、とても違和感のあるものだと思う。どうせならもっとギラついたキャラにしてほしかった。そうだ、そうだ、鈴木議員はなんとなく「枯れた」かんじ(頭髪のことを言っているのではない)がするのが嫌なのだ。桜内さん(アイ アム チェリー発言も懐かしい)みたいに、枯れてるけど、でもかなり油はありそうとか、橋本龍太郎みたいに、油分を添加物(ポマード)で補ってもいいから、「悪そうな国会議員」にはもっと油ギッシュでいてくれないと気持ちに収まりがつかないのである。

 そういえば、大橋巨泉が辞任していたニュースを観て、「そういや、議員だったんだっけ?」と思い出したりした。政界で存在感を維持するのは大変なことらしい。



1月30日(火)

 「そうだ、もう締め切りが!」
 と、いきなり思い出し、夜中に「ベストサイエンスブック2001」に投票するためメールを書いた。

 「エレガントな宇宙」を読んで、また「ひも理論」についてあれこれ考えているので、ついに続編を書けるかもと思ったのだが、それよりも「カラビ-ヤウ空間をクッションで表現できないだろうか?」とまた「なまくら手芸根性」(ときどき思い出したように縫い物がしたくなるが、スカートの裾がほつれても、ガムテで補修して何ヶ月も平気でだったりする)が芽生えてしまったのであるが、それにしてもあまりにも複雑怪奇すぎるようだ。これを3次元展開して、さらに2次元にして型紙を作るとどういうことになるのだろうか?
 いろいろ探してみたが、ほとんど英語なのでさっぱりわからないというよりも、きっぱり読む気にならないし、読んでもやっぱりわからないだろうが、とりあえず、「カラビ-ヤウでクッションを作ろう」という企画は発見できなかった。CGでチャレンジするよりも「手芸」のほうが楽しいと思うんだけどなあ〜

 しかし、4次元立方体のクッションは、立方体のくせに、正方形の布が34枚も必要で(3次元だと6枚で済むのに〜)、それを裁断するだけでも面倒だったが、7次元のカラビ-ヤウ空間はもしかするとそれをさらに3乗したくらいの布がいるのかもしれない。しかもそれがかなりウニョニョとからまっているので縫いしろの処理で気が狂いそうだ。

 などと、またグダグダ考えていたら、久々にKM君から電話があり、なんだかんだで長電話。彼は体重がとうとう3桁になってしまったらしい。



1月29日(月)

 去年の後半、秋頃だったか、私の住む三軒茶屋の駅から500メートルほど離れた住宅街の一角に新しいラーメン屋がオープンした。
 オープン当初は、あちこちに宣伝ステ看板も置かれたので、けっこう混んでいたのだが、一週間もしたら並んでいるようなことはなくなったので、私も行ってみたらけっこう美味しかったので、その後もちょくちょく寄っている。歩いていける距離にこういう普通に美味しいラーメン屋さんがあるというのもなかなか便利だと思ってた。

 その後、友達が遊びに来たときに「三茶にけっこう美味しいラーメン屋ができたんだよ」と連れていったら「なんだ、家系じゃん」と言われた。「家系」と書いて「いえけい」と読むらしい、たしかに店の看板にはそう書いてあるが、私は「家系」という言葉を初めてきいたので「それは、博多とんこつとか、喜多方とかいうのみたいなもんか?」と思っていた。

 先日、他の友達と喋っているときに「近所にラーメン屋ができたんだけど、最近あんまり流行ってなくて、客の入りもイマイチみたいなんで、せっかく美味しいから贔屓にしているので、長続きしてほしい」と語ったら「どういうラーメンなの?」と聞かれたので、「とんこつしょうゆというか・・・・家系ラーメンなんだって」と答えたら、「ああ、家系ってすごいんでしょ?たくさんお店があって、それがどの店がどの店の弟子でとか家系図みたいのができてるんだって」という話になり、「そうか、そんなに有名なのか家系って」と思い、さっそくウェブで調べてみたら・・・・ほんとにすごいらしい。わあ、こんなことになっているの?

 それでやっと小さな謎が解けた。
 去年、しし座流星群を観にいった帰りに、磯子が地元のJ君が、「朝の5時からやっているラーメン屋があるんだ」と連れていってくれたのがたぶん、この杉田屋なのだ。J君は、ここの由来というか、「元々流行っていたラーメン屋があって、その店で『この店員が作っているときが一番美味い』と評判だった人がこの杉田屋の店長で、暖簾分けというか、独立して今の店を持ったので、元の店からファンが流れた。元の店はその後、あまりにも有名になりすぎ、通の間での評価は落ちている」などと、その歴史を語っていたのだが、J君は「家系」という単語を使わなかった。徒弟制度がどうのという話はしていたが。

 J君曰く、「初めてこの店のラーメンを食べたときには、今まで食べたことのない味だったので、びっくりした。新鮮だったよ」ということだったが、私もたしかにこれは他ではない味というか、「食べ飽きない味」なのかもしれないな、と思ったのである。

 その後、うちの近所にできたラーメン屋に行ってみたら、「あれ?これって杉田屋のに似てない?」と思ったのである。とんこつしょうゆで太い麺。スープは濃厚だけれども、あっさりと喉を通る。それに、海苔が数枚とチャーシュー一枚に、ほうれん草がちょぼっと載せられるシンプルなかんじも同じだ。
 店の名前が「横浜ラーメン 三麺房」なので、「そうか、横浜ラーメンっていうのはこういう感じなのね」と勝手に思っていたのだが、そうか、「杉田屋」と同じ系列(と言っていいのかわからないが)だったんだ。

 ラーメンは大好きなのだが、こういう事情に疎いので全然知りませんでした。
 だとしたら、今はあまり混雑していないが、「三茶にも家系ラーメンができたらしい」と口コミで広がったりするのだろうか?どうりで飲食店を開業するのにはあまりにも目立たないところだと訝っていたのだが、そういう事情だったのかと納得する。世の中、私の知らないことはまだまだ多いようだ。

 というわけで、「家系」オタクな方がいらっしゃいましたら、お近くにお立ちよりの際はぜひどうぞ。家系としてはまずまずの味らしいです。



1月28日(月)

 月曜だし、サクサク仕事して、早めに帰ろうとしたら、社長に飲みに誘われていて帰る準備をしていた上司の携帯に電話が入り、「はあ、はい、わかりました」と話終ったあと、
 「みやのさん、今日どっかに帰ります?」
と、言われたので、
 「はあ?どっかって・・・・家に帰りますけど?」
と、こたえたら、
 「なんか席がひとつ空いてるから、誰が連れ来いって言うんですけど・・・・・」

 というわけで、また社長と上司らと飲むことになってしまった。
 タダ酒だからいいやと、皆さんの話に適度に口を挟みつつ、それでもけっこう飲んでしまったかも。4人で焼酎の瓶を2本空けたらしい。



1月27日(日)

 目が覚めたら午後の2時だった。フツーの休日パターンである。

 「今日こそ台湾日記を書き上げるのだ!」と気合入りまくりで、寝巻きのまま頑張った。なんとかまとまったが、画像が大すぎかもしれない。まあいいや、自分の日記だから、アルバムを兼ねているのだ。まだこの後、体裁を整えないといけないのだが、すでに気力は使い切った。

 ほんとは今日の夕方は久々にプールにでも行こうと計画していたのだが、気が付いたらもう夜だった。一月はほんとにサボってしまった。なんとか体勢を整えないと、自動引き落としされる会費が無駄になる。

 昨日Mちゃんと「台湾の通貨って使いやすかった」と話をしていた。
 ニュー台湾ドルは、私が行ったときには1万円が2500NTくらいで両替できたので、1NT=4円 というレートだった。
 紙幣は、1000NT、500NT、100NTで、50NT札もあるのだが、あまり流通してないようで、硬貨は50、10、5、1NT。ざっと日本円にすると、最高額紙幣が4000円で、最低額硬貨が4円というわけで、日本より幅が狭い。

 4日間滞在しただけだが、感覚的には、100NTが千円札で、50NTが500円硬貨、10NTが百円玉というかんじで使用できた。
 地下鉄で切符を買うときは、10NT硬貨を何枚か使用し、ジュースを飲むときも10NT何枚もしくは50NTで、ご飯を食べるときには100NTでおつりが来て、ちょっといいものを食べると100NT超えちゃうというかんじ。

 デパートで買い物をしたり、ホテルに泊まったり、高級レストランに家族揃って出かければ、日本とそれほど物価の差はないから数千NT必要になるが、そういう場合はカードで支払えばいいわけだし、普通の人たちは100NT札を何枚か持って外出しているのではないかと思う。
 今まで旅行でいろいろな国に行ったけど、台北では「今のうちに高額紙幣を細かくしておかなくては」ということをほとんど考えないで済んだ。財布に入っているのは、あまり考えなくても100NTばかりになり、たまに奮発して数100NTの買い物をしたときに1000NTをくずしてしまえば、あとで困ることもない。屋台での買い食いやジュースを買うときには100NTを出すとおつりが来るので、「小銭がたまってきたな」と思ったら、なれない小銭だが、それほど苦労しないで10NTをかき集められる。よくわからないが、「物価と紙幣価値のバランスがとれているな」と思った。

 日本の通貨では、どうも1円玉というものが余計というか、10円以下で財布が膨れてしまうので、日本の生活に慣れている人で毎日財布の中からそういう小銭を抜き出して、瓶などに貯金している人もいるが、どうにかならないもんだろうか?
 小銭問題では、アメリカなども私は一度しか(グアムもアメリカだったから2回か)行ったことないけど、小銭がないといろいろ困るし、両替時にうっかりして100ドル札を貰ってしまうと、いざ使うときにとても困る。1ドル札など小銭にしてもらって、自動販売機でも使えるようにしてほしいものだが、チップは札で渡したいという感覚があるかぎり無理なんだろうか?
 イギリスでは1£硬貨を使用することが多いので、両替するときにわざわざ1£を10枚くれとかリクエストするのだが、それでもあっという間になくなってしまって不便だった。1£硬貨は日本の500円玉くらいの大きさなので、あれをたくさん持っていると重い。せめて100円玉くらいの大きさにしてくれないものか。

 もちろんどんな通貨でも、住んでいる人たちは多少問題があっても慣れているからいいのだが、友達も「トルコに行ったら、やはり噂どおりにいいところで、ここなら住めるかもと思ったが、あの通貨では苦労したので、やっぱり住めないと思った」と冗談まじりで言っていたが、そうとうややこしかったというか、インフレで数字が多くなっているので数日しか滞在しない旅行者にとっては「やっとなんとなく使い方になれてきたところで、さようなら〜」になってしまうのだろう。

 財布の中身をぱっと見て、「このくらい細かくしておこう」とか「小銭が多いし、この店はあまり混んでないからのんびり小銭を選んで支払おう」とか考えるのは、わりと頭を使う作業である。日本では自動販売機に紙幣が入るのが当たり前になり、駅の切符も1万円札を受け付ける機種が増えたので、「1万円札しかない!両替してくれるのはどこ?」とさまよわなくてもよくなってしまったので、「小銭ジャラジャラ問題」だけをなんとかすればよくなったが、海外ではそういうことでけっこう苦労したりする。最近は紙幣を受け付ける販売機もずいぶん増えたみたいだが。

 インドでは「両替」はほんとに深刻だった。特にオートリクシャーのドライバーは10ルピー札もろくに持っていないので、25ルピーを100ルピー札で支払おうとすると、「釣りがない」と60ルピーしか戻してくれなくて揉めたりしたので、そのときは「ほんとは持ってるんだろうが!うそつき!」と思ったが、とある地方の町に滞在したとき、駅までの料金が25ルピーで、100ルピー札を出したらやはり「釣りがない」と言う。私も財布を漁ったのだが、15ルピーしかなかった。
 ドライバーは私の100ルピー札を持って、リクシャーを降りてどこかに行ったので、「両替しに行ったのかな?」と思って待っていたのだが、待てども待てども帰ってこない。「逃げたのか?」と思ったが、よく考えてみれば私は彼の財産であるリクシャーに乗っているので、100ルピーくらいでとんずらするわけもない。
 ずいぶん待たされてから、彼は両替されたお金を持ってきて、おつりを渡してくれた。駅前で客待ちしている他のドライバーで100ルピーを両替できる人を探すのに苦労したのだろう。

 インドではほんとにこういうことが多いので、100ルピー札を使おうと思っても「釣りがない」といわれて、しぶしぶ小額のお金を使ってしまうと、いざというときにほんとに困るのだ。というか、いつも「いざ」というときだとも言える。
 貧富の差が激しい国などはそういうことが多いのかもしれない。日本でいえば「日々の生活費は家族合わせて数百円」で「月収数千円」の人に「千円札でおつりちょうだい」と言っているようなものだったんだろう。

 まあ、日本にいると、ある程度自分の今日の行動に予測がつくので、「今日はバスに乗るから、その前の買い物では千円札をくずしておこう」とか「タクシーに乗るから、映画館では1万円札で払っておこう」とか、わりと自然に考えるし、現金引き出すときにもなるべく千円札で出すようにしておけばそれほど不便ではない。
 日本の場合は治安がいいせいもあって、両替のストックも大めにできるので、数百円のものを買うときに1万円札を出しても嫌がられることは少ないのだが、欧米でも「あまり店に現金を置きたくない」というところが多いので、両替用にストックするという感覚はないようで、高額紙幣を出すと、「もっと小さな札はないのか?」と言われてしまうので、ほんとに無いときには無いと言えるが「いまのうち細かくしておこう」という場合だと、つい小額紙幣を出してしまうので、単に気が弱いから損してただけかもしれない。

 でも、そういえばNYの博物館のみやげ物店で12ドルのマグカップ(象の絵柄だった)を買おうとして100ドル札出したら、「釣りがない」と言われ、じゃあカードで支払おうとしたら、「カード使用は20ドル以上」と言われ、それほど必要なものでなければ面倒だから「もういいや」と言いたいところだったが、象のカップはどうしても買いたかったので「え〜そう言われても、ほんとに細かいのは8ドルしかないの」な状態で、店員が仕方なくどこかに(多分、切符売り場だと思うが、広い博物館だから遠かった)両替に行ってくれたのだが、ずいぶんそこで待たされた。日本だとそういうのって考えられないが、日本の1万円札よりも、100ドル札は「普通は使ってはいけないもの」なのだろうか?

 と、延々と書くほど、「海外ではほんとに両替で参った。こりごり」というほどのことはないのだが、台北ではあまりにもそういう事態がなかったので、「いったい何が違うからなのだろう?究明せねば」と思ったのだが、またダラダラ書いているだけで終わりそうだ。
 台湾の通貨は1NT〜1000NTなので、その差が千倍だから、1円〜10000円で1万倍の日本にくらべると幅が少ないのがよかったのかもしれない。米ドルも1セント〜100ドルってことは・・・・あれ?100セントが1ドルだから、やっぱり1万倍か。

 つうことは、日本の通貨も5円玉を最小にして、5千円を最高にすると、台湾なみにラクになるかな?頭の中でざっと想像すると、かなりいいような気がするけど。
 1万円札と1円玉がなくてもあまり困らないような気がする。今5千円のものを千円札で買えるようにすれば(通貨の価値を上げる?)、「1万円以下の宿」というのは「2000円以下の宿」になってしまうが、260円のタバコが52円、120円の缶ジュースが24円、100円ショップは20円ショップになるし、1000円で食べ放題は「200円で食べ放題」か・・・・でも、こういう物の価格って、そう考えると、その適正価格よりも「1000円ぽっきり」とかいうことに影響を受けているような気もしなくもないので、こういう中途半端な通貨切り上げをすると、どういうことになるのだろうか?

 小渕さんも2000円札を作るときに、「一万円札をこの紫式部の2千円札に置き換えます」ということにすれば、おもしろかったのになあ。やるときは中途半端なことしないで、そのくらいやってほしいよ。経済にどう影響するかよくわかららないけど。

 ああ、でも消費税の問題があった。台湾は消費税がかからなかったので、最低硬貨が1NTで日本円では4円で、気分的には「ものの値段は5円刻み」なわけで、生活必需品が日本よりも安価な台湾にしてはその刻み方は大きいような気もしたけど、消費税さえかからなければ日本だって「ものの値段は10円刻み」にしたって、それほど影響がないように思えるのだが。いろいろ難しいですね。(って、こんなこと真剣−と書いてマジと読む−に考えてるあんたのほうがムズかしいよ、と自分に突っ込みたくなる)



1月26日(土)

 私としてはたいへん珍しいことに、休日なのに9時起床。土曜日出勤するときは、いつもこれくらいに起きているので、いつもついつい観てしまう文珍が司会やっている番組で「派遣社員」の特集をぼんやり観ていた。派遣が認められていない業種、たとえば製造業では、法律の抜け穴として「業務委託」というのがあるみたいだが、そういえばうちの会社でも、「派遣」ではなくて「委託」という請求書が来ていたなと気が付く。でも、DTPオペレーターとかプログラマーとかの派遣と名乗っても別に構わない職種なんだけど・・・・なにが違うのだろう?そうか、「委託」で来ている人は、派遣元の社員ということになっているのだろうな。派遣社員とはちょっと違うのか・・・・などと考えつつ、支度して月島へ向かう。

 11時に駅で集合。メンバーはきょうみさんと、そのご子息、Shinko&Takema御夫妻。目的は、「もんじゃ焼きを食べる」
 12時になると、どこも混雑するだろうから、ちょっと早めに集合という作戦だったが、まだ準備中の店が多かった。ところが商店街の中ほどにあった店が、すでに開店していて、客もたくさん入っていたし、席もちょうど座敷が空いていたので、入ってみた。11時半にはその店は満席になっていて、行列ができていた。どうやら人気店のようであった。「おかめ」という店。

 月島にもんじゃを食べに行ったのは、今を遡ること10年位前に、会社の同僚が「テレビで観たんだけど、おいしそうだから食べてみたい」と言い出し、私も名前は知っていたが食べたことなかったので同行。一人だけ、下町出身者がいたので、うちらのテーブルではお店の人に手伝ってもらわなくてもちゃんと焼くことができた。初心者がお好み焼きと同じ方法で焼こうとすると、大惨事(おおげさ)になる可能性もある。

 そのときも、「もんじゃなら任せて!」というその同僚に焼いてもらい、私はぼんやり待ちながら「これっていつ食べられるの?」「まだ待って、もう少し」「まだ?」「そろそろ端のほうからこうやって食べてみて」と、指導されながら食べていたので、「なんか、土手を作るんだよねえ?」というくらいのことは憶えていたのだが、具体的にどうやったのかあまり憶えていなかったので、他の人が作ってくれるのをビール飲みながら(午前中に飲むビールはうまい)ぼんやり見ていた。
 きっとまた、もんじゃを食べに行っても「どうやるんだっけ?」ということになりそうだ。体で覚えないとすぐ忘れるんだよね。でも、こういう鉄板ものは自分で焼くよりも人に作ってもらうほうが私は好きである。(って皆そうか?でも作るの好きな人もいますよね)
 一応、関西出身のShinkoさんが、お好み焼きを焼くのをじっと観察して「本場の技」を習得しようと努力はいたしましたけど。

 結局、5人で、もんじゃ5種類と、お好み焼きを1つ食べたら、ほど良く満腹になった。
 「もんじゃ食べてると、ゆっくり会話できないよね」(みな、手を動かすのに忙しい)というわけで、お店を出てから喫茶店に入り、コーヒー飲みながら居座っているうちに、喋って喉が渇いてきたので、結局またビールも1杯飲んでしまった。

 Takemaさんたちは、いろいろ珍しいところに旅行されているようで、ナミビアの珍しい植物の話をしてくれた。ウェルウィチア(Welwitschia)という植物で、砂漠の中で数百年も生きているらしい。しかも、ずっと「二葉のまま」ということなので、さっそく、HPに載っているという写真を観に行ってみたのだが、「砂漠の花」ならぬ「砂漠のコンブ」という風情で、写真だけ見たら「台風で砂浜に打ち上げられた巨大なコンブ」かと思ってしまうだろう。

 色々と楽しい旅の話などで盛り上がり2時間も居座ってしまった。「暖かくなったら、きょうみ宅の屋上庭園でバーベキューしましょう」と約束して別れた。
 帰り道に、ふと半蔵門で途中下車して「相模屋」という酒屋に寄る。前にも通りがかったが、残念ながらお休みだった。お目当ての「八千代ブロイ」(私の出身地の地ビール)を発見して、ついつい6本も買ってしまった。

 重い荷物をぶら下げつつ、三茶に戻ると雪がちらついて来た。ビールを置いて、替わりに部屋にあった「台北みやげ」を用意して、「そうだ、ビールも飲んでもらおう」とそれも2本入れて、雪が激しくなる中、下北沢まで歩く。昼食は月島でもんじゃだったが、夜は下北で麻料理なのだ。
 前からMちゃんと「一度行ってみよう」と言っていた「レストラン麻」に入る。「なんかお肌にいいらしい」という仕事のストレスを抱えたOLの心を鷲づかみにする宣伝文句に打たれたのだが、前にここでバイトしている子と話をしていたら、「とにかく美味しいから、一度食べてみて。すっごくヘルシーだし。でも、男の子にはちょっと物足らないかも」と言われたので「うまいというなら行ってみよう」ということになったのである。

 たしかにメニューは「ヘルシー系」だったが、肉料理もあったし、それほどボリューム満点というわけでもないが、品のよい料理はどれもほんとに美味しかった。値段もちょっとこじゃれた居酒屋と同じくらいで、4皿食べて、二人で3杯づつ酒を飲んで最後はコーヒーで締めて8500円。もちろんラリったりもしません(笑)
 下北には珍しい落ち着いた雰囲気のお店なので、また行こうっと。

 Mちゃんに台北で買い物を頼まれていたので(お茶と梅干菓子)、それを渡して、逆に彼女が先週行ってきた、鹿児島のいぶすき温泉のお土産をもらう。天然砂むし風呂がとてもよかったそうで、一泊の旅行で2回も行ってしまったそうだ。砂に埋められたあと、「しまった、これって出たいときにはどうするのだろう?」と思ったが、穴を掘って埋めてくれた係員はどこかに行ってしまったので、「いいや、周りの人の様子を見てみよう」と思っていたのだが、彼女が「そろそろ限界かも」という状態になっても、周囲の人たちは平然と埋まっているので、「どうしよう?」と困っていたら、やっと誰かがもぞもぞと動き出し、自力で脱出しているのを見て「そうか、自分で出ていいんだ」と、Mちゃんも体を動かそうと思ったが、砂の重みでびくともしなかったらしい。結局、指先からそろそろと動かして、ずいぶん時間がかかってやっと脱出できたそうだ。
 「いいなあ、そういうのが東京近郊にもあったら行きたいなあ」と羨ましがる。

 その他、台北の話や例によっていつもの「仕事の愚痴交換会」を開催しているうちに、オーダーストップになった。
 外に出ると、雪はすでに雨になっていた。

 今日は、ヘルシーな外食三昧でござんした。・・・・という言い方も間違ってはいないが、「朝の11時から、夜の11時までずっと酒飲んでた」とも言える。 



1月25日(金)

 やっと金曜日だ。今週は長かった。
 家に帰って、しばらく中断していたメルマガを作って配信予約する。
 さて、こちらも頓挫している台北日記を書こうとしていたら、電話に阻まれ中断。
 やっと観れたTRICK2を電話で生返事をしながら観ていた。

 それにしても今日の寒さはけっこう強烈だった。明日はもっと寒くなるらしいが、昼間っから出かける予定なのであった。
 雪がそれほど降らないといいんだけど。

 こういう激寒のときに、台湾でぬくぬくしてたかったのになあ。



1月24日(木)

 今日は支払調書を作成。うちの会社では報酬の支払いは少ないので手書きだ。30件くらい。でも、前に勤めていた会社では、出演料やスタッフ費(演出家やカメラマンやスタイリスト等)の支払いが多くて、毎年数百枚を手書きしていた。年末で締めて、支払台帳から拾って手書きして、宛名書きまでして、1月末に送付していたので、一月といえば「ペンだこのできる月」であった。複写式の用紙に書くので筆圧も必要だったのである。

 人がそれだけ苦労しているのにもかかわらず、3月の中ごろになると慌てて確定申告の用意を始める人も多くて、「まだ支払い調書が来てない」という問い合わせも多かった。単に紛失しているだけの人も多くて、それはこっちにある控えをコピーして送ってやればいいのだが、やっかいなのは送付したときに「あて先不明」で戻ってきて、あとから「引越ししてたから届かない」という人である。

 美術スタッフや証明スタッフの多くが「日雇い」なわけで、若いにーちゃんばかりだったので、引越しする人も多い。電話の転居案内なしても、郵便局に届け出をしない人も多かったみたいだ。
 住所が違っていたり、稀にこっちのミスで金額が間違っていた場合には、新たに書いて送付するのと同時に、税務署に提出した分も訂正を入れなければならなかったので、確定申告の期限まで、その仕事に振り回されていた。

 などと過去の苦労を思い出しつつ、1時間だけ残業して全部書き上げた。
 ところで、散々そういう仕事をしていたので、先日ニュースになった「元税務局長の脱税事件」を知ってびっくりした。彼の手口は「収入を少なく申告する」という単純な手口だった。そういう手口は、領収書や源泉の発生しない「習い事の先生」のような職種では可能だろう。前も、会社に所属していた女優の卵に日本舞踊を習わせることになって、マネージャーが月謝を支払いに行き、「領収書をください」と言ったら、「はあ?」と驚かれたということがあった。その世界では領収書を発行する習慣がないようなのである。
 「つうことは、古典芸能のお家元っちゅうのは脱税しまくり?」
 と思ったが、普通の企業が税理士に「顧問料」を支払う際には、原稿料と同じく1割源泉して支払うことになっている。そして、いくら支払っていくら源泉したのか企業が税務署に申告するわけだ。

 だから、脱税した税理士もまともに考えたら、収入の1割は自動的に納税していたのかもしれない。企業にはときどき税務調査が入るので、まともな会社だったら「源泉しなかった」というつまらないことで、税務署に苛められたくないから、普通そうするだろうと思う。
 収入が数百万円の場合には、申告しても10%の税率のはずなので、通常経費を計上したり、いろいろと控除されて、源泉された分は戻ってくる。しかし、収入が多くなると、累進課税で税率が多くなるので、さらに税金を支払うことになる。タレントなどは一回に支払われる金額が100万円を超えることが多いので、100万円を超えた金額には20%の源泉徴収が課せられるのだが、顧問料の場合は月々の支払いが100万円を超えることもあまりないだろう。

 私は自分の作成した支払調書は、所轄の税務署で個人別に集められているのだとばかり思ってた。それを集計すれば、その人の収入はだいたいわかる。もちろん支払調書がきちんと作成されない場合もあるだろうけど、私は真面目にやっていたからみんな真面目にやっているのかと思ってた。
 そして、その集計と本人の申告を照合すれば、大規模な「所得隠し」など不可能だから、家元とかお習字の先生くらいしか「申告漏れ」というのはできないのだと信じていたのだ。

 それがなんと、数億円も申告してなかったときいて、「え?じゃあ、私があれだけ中指にタコを作りながら夜なべして書いた支払調書はなんのためだったの?」と、とても悲しくなった。
 そういえば、「手書き経理の先輩」だった会計事務所から転職してきた同僚が昔、「いくら気取ってても、中指をチェックされたら事務職だってことがバレるよね」と中指のタコを見つめながら話していたっけ。

 久々にボールペンでたくさん字を書いたので、今日はなんだか、ペンだこが昔を思い出して疼くのであった。



1月23日(水)

 寒気がしたので「カゼひいたかしら」と思ったが、どうやらほんとに寒いらしい。
 でも眠気もあるので、やはり少々風邪気味なのかもしれない。お風呂に入ったあとに、せこせこと台北旅行記を作っているのがいけなかったかもしれない。しかも、なんだかしらないがなかなか書き進まない。写真を100枚くらい撮ってきたので、どの写真を使うかとかで悩んでしまい、時間がかかる。
 
 私は旅行に行ったときに写真を撮るのが苦手というか、いちいちカメラを出すのがめんどくさいし、カメラ慣れしていないので、何かにカメラを向けるのが恥ずかしかったりする。今回は「ホームページに載せるんだもんね」と気合を入れたので、がんばって100枚くらい撮ったが、がんばっても4日間でその程度だ。
 前に友達が新婚旅行に行ったときの写真を見せてもらったら、フィルム数十本分もあって驚いた。ダンナさんは海外旅行が初めてだったので張り切ってしまったらしいが、美術館に展示してある絵画までいちいち撮ってあって、そのときに枚数と日数からざっと計算すると平均して5分に一回くらいシャッターを押さないとそれだけフィルムを消費できないような計算結果になった。パワーあるなと感心したというか、呆れたというか・・・・

 デジカメだと、メモリが許すかぎり撮影して、あとで削除していけばいいので、気は楽なのだが、今回も最初の頃は「あ、これは面白い」とか「これは重要だ」というものだけを撮影していたが、そうやっていると一日に数枚しか撮影できないことに気が付いて、「とにかくなんでもいいから撮影しておこう」とカメラを手に持ち歩いてパチパチ(デジカメだからそういう音はしないのだが)撮っていたのだが、一日に30枚くらいが限界みたいだ。そういうカメラ不精だから、なかなか腕もあがらず、いざというときにピンぼけにしたりしてしまう。

 カメラの腕は悪いが、志はわりと高いので、前にも友達の別荘に10人くらいで行ったときには、みんなはカメラ目線の写真や集合写真を撮っていたが、私はインスタントカメラの静けさを利用して、自然体の写真を多く撮った。特に名作だったのは、湖をバックに「ほら、みんな撮るから並んで〜」とわいわい撮影しているところを横からと後ろから撮影した写真である。カメラを向ける女の子の背後に回ってパチリと撮った写真は、ちょこっと「女官たち」っぽい雰囲気の仕上がりになった。しかも、その写真を観た友達が、「へええ、自分の後姿ってこんなだったんだ。初めて見たような気がする」と、けっこう喜んでくれた。たしかに、見切れ写真意外できちんと後姿が写っている写真などなかなかないので、こういうのも面白いよなと自画自賛。
 自分の寝顔なども写真でしか見ることができないので貴重だ。このHPでも自己紹介ページの背景にしている写真も貴重な寝顔写真である。

 自分の寝顔写真がなかなか好きなので、他の人のも撮影してあげようと思うのだが、最近の私は人のうちに遊びに行っても、真っ先に泥酔して寝てしまうので、そのチャンスが少ないのが残念である。



1月22日(火)

 積もった仕事がなかなか片付かないが、昨日はやっと決算修正伝票を入力して、期末残高と期首残高を入れなおして、やっと決算処理も終了かと思ったが、まだ資産の減価償却の表の修正が残っていて、それはけっこう重い仕事なので、午前中は12月の買掛を処理してからやっと資産にとりかかったらもう7時になってしまい、まだ商品売上の12月の集計が済んでなくて、今週中にそれをまとめて請求かけないとらなないのだが、もうやる気なし。細かい表ばかり見つめていたので、残業する気分になれなかった。ああ、まだまだやること沢山溜まっているのだが、いったいどのくらい溜まっているのか見積もるのを無意識に避けているらしく、こういうときに忘れっぽい性格は得だなと思うのであった。

 「フランス人は冷たい」と言う人がよくいるが、私自信はフランスに行く前に、一生懸命勉強して「部屋はありますか?」「風呂付き」「ベットが二つ」「いくらですか?」という「カタコト」が喋れるレベルで望んだので、皆とても親切だったし、そりゃ不親切な人もいたけれども、不親切な人の割合は他の国と大差がなかったと思う。
 2回行って、合計10日間くらいしか滞在していないので、まともに付き合おうとするとなかなか難しい人たちらしいが、旅行に行くくらいだったら別に手を引いて歩いて欲しいと言っているわけでもないし、とにかく、こっちが不快に思わない程度の「親切」を受けたかったら、「フランス語が話せないと相手にもしてくれなかった」と嘆く前に、少しは努力すればいいのではないか、5つくらいキメの言葉を話すだけで全然違うのにさ、と思っていたのだが、やはり先日も会社で海外旅行の話をしていたら、皆が「特にパリの人は冷たいよね」と口をそろえるので、「ほんとにそーなの?」と思った。

 前にも書いたと思うが、インドで知り合った船員のおじさんが横浜に来たとき(電話してくれて「ホンモク ピエール」に船が泊まっていると教えてくれたのだが、「ピエール?ピエール瀧みたいだな?」としばらく悩んだ末に頭の中に「Pier」とスペルが浮かんだので「本牧埠頭」だとわかった)、若い船員さんたちが愚痴っていた。

 「日本人は何を聞いても、『わからない』と言って逃げていってしまう」

 道を聞きたいと思っても、みんな「わからない」を連発するのだそうだ。彼らが真っ先に覚えてしまった日本語が「わからない」というのも悲しい話である。
 インド人は概ね親日的というより「電化製品の溢れた日本」に憧れの気持ちが強いみたいだし、好奇心旺盛な若者が多いし、しかも一般のインド人はそれほど気軽に海外に行けるほど裕福ではない。だが船員になれば、中流未満の青年でもそうやって海外に行くチャンスがあるのである。
 しかし、経済格差があるので、海外に行っても自由にお金が使えない。私を招いてくれたオジさんは、下っ端の船員ではなくて「電気機関長」らしかったが、それでも街を歩いていて「BEER ¥800」と書いた看板を見つけて目を丸くしていた。
 だから、彼らが道行く日本人に話し掛けるのは、道を尋ねたいというよりも「日本人とお話したい」という気持ちがあると思う。それなのに、皆、英語がわからないという理由で、ロクに話を聞きもせずに逃げてしまうのだろう。もちろん、観光地でもあるので、ほんとに自分も道がわからない人もいるだろう。でも、私が海外に行ったときにはそういうときでも、道のわかる人を探してくれたりしたもんだ。

 「フランス語を話せないと相手にしてくれない。プイっとされるの」と言っていた人は、日本語の話せない外国人にいきなり話し掛けられたら、どうするのかなと思った。「プイっとする」のは失礼で冷たい態度だから、一生懸命「ごめんなさい。わからない、わからない」と言って謝るのだろうか?でも、それってどちらにしても「相手にしてない」わけだから、やられたほうのダメージは大してかわらないと思う。
 ただ単に日本人は「わからないの、ごめんね」とわからない自分を恥じるが、フランス人は「わからないのは自分のせいではない」という態度をとるだけの違いのような気がする。

 「自分はたとえ英語がわからなくても、なんとか道を教えることができるし、いきなり英語の電話がかかってきても、なんとか対応しようとする」という人が「だからフランス人にもそうして欲しい」と言うのならまだしも、それすらできない自分を棚に置いて「フランス語が話せないと冷たくされる」と言うのもなんかな〜と思うのだけど。

 そういえば、前に派遣で行ってた大企業では受付は英語の電話はそのまま総務に回してきた。皆、海外駐在した人とか、そのうちするので英会話学校に通っているという社員ばかりだったので、私が英語の電話を受ける可能性は低かった。
 あるとき、女子社員が私の席にやってきて、
 「ミヤノさん、英語の電話って受けられます?」
 と、言うので、
 「え?私が?」
 と、びっくりしたが、周りを見回すとたまたま他の社員は全員席を外していた。その社員はいわゆる「一般職」ってやつなので、他の「総合職」みたいに英会話のスキルがないらしいのである。
 「向こうが言ってる意味はわかるんだけど、私・・・喋れないから・・・・他に誰もいないし・・・・」
 と、困っているのがわかったので、
 「自信ないんだけど、まあしかたない、やるだけやってみましょう」
 と、受話器を取って、それでいいのかわからないが「May I help you?」と言ってみたら、相手は「Mr某とお話がしたいのですが?」と言っている。えっと、Mr.某ってどこの部署?保留にして・・・ああ、そういうときってホールドなんとかと言うんだ・・・・なんだったっけ?わかんないからいいや・・・・で、仕方なく「ジャスト モーメント プリーズ」と言って保留にして、「某さんて誰ですか?」と彼女に言うと、「社長です」「あら、社長宛ての電話なんだ・・・・・どう繋ぐの?」「今、外出されているんです」うわ〜、外出ってなんて言うんだ、なんかテレビでやってたぞ、簡単な言葉だった・・・・「え〜、He is out of office,now」私にしては上出来である。やれやれと思ったら、相手は「何時に戻ってきますか?」そりゃ、そう聞くよなフツー・・・・・もう、保留にするのも面倒だったので、そのまま彼女に「何時に戻るかわかります?」と聞いたら「2時くらいです」と言うので、えっとそれは例のターミネーターのセリフで・・・・「he'll be back at 2o'clock........may be.....」と言うと、向こうもあきらめたらしく「thank you」と言って切ってしまった。冷や汗かいたし、それよりも、たったそれだけのことでえらく時間がかかってしまったのに「お待たせしてすいませんでした」の一言が言えなかったのが悔やまれる。

 その会社はダイヤルインだったので、普通の客は直通電話にかけてくるので、受付の出る代表電話は日本人からだと「営業電話」が多かったから、その英語の電話もそうだったのかもしれない。でも、日本有数の大企業の海外販売部門でそのレベルの電話応対というのも恥ずかしい話である。私は1ヶ月の短期契約だったからいいんだけど、その社員にはこのくらいの対応くらいできないでどーすんの?と言いたくなった。「向こうの言ってることはわかる」と言うのなら、せめて「社長宛ての電話なんですが、社長は外出されていて、2時に戻ると伝えてください」くらい私に言ってくれれば、もう少しスムーズに対応できたのに。

 それはいいとして、電話をかけてきた彼の身になって考えてみよう。
 まず電話をかけると受付が出て、「社長いますか?」と聞くと「お待ちください」と言われて別の女性が出て、「社長いますか?」と聞くと、「ちょっと待て」と言われてしばらく保留。待つこと3分後に「なんでしょうか?」とまた別の女性が聞くので「社長いますか?」と聞くと「ちょっと待て」と言われて、またしばらくすると「外出してます」
 「何時にお戻りでしょう?」と聞いたら、なんか電話の向こうでごにょごにょ話していて「2時に戻ります・・・・たぶん」

 たったそれだけで15分くらいかかっているのだ。私だったらかなりイライラする。
 彼のオフィスでは「日本に電話かけて、すぐに用件が伝わったら、今日はラッキーデー」とか言われているかもしれない。
 長くなったが、もしそんな彼女が「フランス人は冷たい」とか言ったら、すっごくムカつきそうだ。

 長々と書いてみたのは、今度フランス人とお友達になるかもしれないので、その予習でした。紹介してくれるそうなので、「ええ?じゃあ、せっかくだからフランス語で話さなくちゃね。ジュテーム!って言ってもいい?」と言ったら、「ダメ!」と却下された。たしかにいくらボキャブラリーが少ないからって、友達の彼氏にそれはマズいよな。美青年らしいので楽しみだが。

 美青年といえば、ブケムさんが2月にまた来日するので、浮かれているのであった。インフルエンザが流行りだし、会社の同じフロアでも今年最初の犠牲者(?)が出たようなので体調管理に気をつけよう。



1月21日(月)

 三茶の映画館で「アメリカン・サイコ」がやっていたので会社帰りに寄ってみた。
 三茶には二本立ての映画館が2軒あるので、ときどき行っていたのだが、こっちの映画館には初めて入った。(サミットから入って奥の方:三軒茶屋中央という名前)
 そこは、とてもレトロな映画館だった。ロビーには石油ストーブが置いてあり、その上にはヤカンがちんちんと沸いていた。石油の匂いが漂っていて「ここはどこ?今は何年?」という気持ちになる。ソファはガムテで修復されており、灰皿もレトロだし、トイレに至っては「ご婦人用便所」という看板がかかっているし、トイレの蛇口もアンティーク。
 こんな映画館で「トイレの花子さん」とか「学校の怪談」などを観たら、気分が盛り上がるだろう。

 椅子と椅子の間が狭いのがやや不満であったが、月曜日の館内は空いていて、十数人くらいの入り。2本立てのもう一本は「URAMI」とかいうホラー映画のようなものがやっていたみたいだが、「アメリカン・サイコ」のほうが最終回で、この回だけを観るのなら1000円になる。最終回割引。
 さて、肝心の映画の方は、いきなりニューオーダーの音楽が流れて、いかにもって感じの80年代のクラブが登場して、「ああ、芝浦のゴールドってこういうのを目指してたんだよな」などと思いつつ、全篇に挿入される「80年代のポップス」がやたらと懐かしい。やっぱし、Marsの「パンプ・アップ・ザ・ボリューム」もかかったし。

 あの曲は全英ヒットチャートでトップになった「ダンス系音楽」の先駆けだったのではないだろうか?当時の友人であれが大好きだった子がいて「あれこそハウスだ」とか言っていたが、それよりも私が気になったのは、あれが「4AD」から出たという事実だ。4ADと言えば、コクトー・ツインズやデッド・カン・ダンスなどの「耽美系」なインディーレーベルでもあり、あんなに流行する前にポツネンと地味に「ブルガリアン・ヴォイス」のレコードを出したのもこのレーベルであった。
 当時の「フールズメイト」の読者の英国インディー・ファンにとっては、スミスを輩出したラフ・トレードなどと並んで、非常に重要なレーベルだったのであるが・・・・それがいきなり「Pump Up the Volume」というヒットを飛ばしてナショナルチャートを席巻してしまったのである。

 と、どうでもいいところに思考が跳びつつ映画を観ていた。
 原作は昔読んで、去年もう一回読んでいたのだが、映画はまあまあ原作に忠実なストーリー。ヤッピー達の繰り広げる「中身のない会話」や「無意味な勝負」が延々と描写される原作に比べると、映画のほうはそれを「底抜け名刺合戦」−誰が一番かっこいい名刺を作ったかを、小学生のカード収集熱も霞むくらい、大の大人が命をかけているアホらしら−に凝縮していたし、皆が友達面して社交上手ぶりを装いながら実は顔と名前がちゃんと一致していない、といったあたりのシチュエーションを強調していて、まとめ方としてはなかなか上手かったが、そもそも原作がブランド名やアーティスト名をただただ羅列して、そういう表面だけの空虚な生活を読むものをうんざりさせることで表現していたような小説だったわけだから、それをストーリーに押し込めるとやや無理があるが、まあこんなもんだしょう。

 主役を演じてたクリストファー・デイル君はなかなか頑張ってたと思う。
 まあ、私としては、80年代なデティールが凝っていたので雰囲気的には満足したけど、「サイコ・キラーもの」だと思って観たらむかつくよな(笑)



1月20日(日)

 また昼過ぎまで惰眠を貪る。
 やっと「女性署長ハマー」(という題名のわりにはハマーの出番は少ない。主役は金髪美青年のアンディ君です)を読み終わったので、「エレガントな宇宙」にとりかかるが、後半のM理論のところになるとなにがなんだかよくわからないが、前半だってよくわかってなかったのでとにかく騙されたと思って読み進める。

 KISS&RIDEというのはわりとありふれた表現みたいで、検索してもいろいろ出てきたが、リバプール生まれのイギリス人のジョンさん「笑ったもの」として掲載しているので、ちょっとうれしかった。(ちなみにこの方は天文技術センターとかいうところのスタッフらしい)
 感激のあまり英語でメール書いちゃったくらいだ。(これはよほどのことである)

 昨日、会社のシステム部から「デマメールに注意してください」とのお知らせが来ていたので、なにげなく見ていたら、2週間ほど前に友達から「イギリスの友達がウィルスに感染したらしくて、もしかしたらそっちにも感染させたかもしれないから調べてみて」と書いてきたメールの内容と同じだった。友達は英文で受けたのを自分で意訳してくれたので丸々転送ではなかったのだが・・・・私は幸いにも該当のファイルが見当たらなかったので「なかったよ、うちらポスペ友達だから大丈夫だったんじゃない?」と返事しただけだった。いろいろあるんだなあ。

 デマといえば、少し落ち着いたらしいが、例の「ワンギリ」電話も、新聞などに載る前にうちの会社でも大騒ぎになっていた。私は携帯電話持っていないので蚊帳の外だったが、それでも「電話しただけで10万円って、どうやって課金するわけ?」と一生懸命口を挟んでいたのだが、「でも、もし請求がきたらこわいじゃない」と、皆せっせと友人に警告を発信していて、しまいには会社の掲示板にまで膨大な電話番号が掲載され「でも、これをぜんぶ通知不能にするのにはすっごく手間がかかるけど、どうしよう。それに営業の人なんかは、ワンギリがあっても客が出先からかけている場合もあるから困るよねえ」と、情報の真偽が定かではないのになんでそんなにおびえるのかよくわからなかった。

 もちろん、警戒心を持つことは重要だけれども、友達などからそういう警告が流れてきた場合には、自分で情報を確認してから別の人にも知らせないと、単にデマの流布に手を貸すだけになってしまうので、気をつけないといけないなあと思ったのでありました。



1月19日(土)

 出勤。
 やはり机の上には書類が積んであったので、整理しているうちに昼になる。
 オフィスは出勤している人も少く静かなので、休みボケのリハビリには丁度いいかんじ。でもダルい。
 昼過ぎに、外出していた上司が帰ってきて、決算時の修正伝票を渡される。ほんとは年末にやる仕事だったのだが、会計事務所が忙しかったらしく、私が休んでいる間に持ってきたらしい。やる気なかったが、他にも仕事が山積みだったので先に済ませようと入力しはじめたが、普段あまり使用しない科目が多いので、サクサクと進まない。
 「今日はリハビリのために来たのだからあまりはかどらなくてもいいのよ」と自分に言い聞かせ、ほどほどで切り上げて帰宅。

 台北旅行の暇つぶし(搭乗待ちとか機内での)用に、「女性署長ハマー」を持って行ったのだが、下巻のあと半分までになっていたので帰りの電車で読み始めたら、イメルダ君に電話するのをすっかり忘れる。それほど面白い本でもないのだが、後半になってドタバタが佳境に入ってしまったのである。
 スーパーで簡単な鍋の用意をして、イメルダ君が日本酒を持って来るのを待つが、なかなか来ないので、鍋を食べ終わってしまった。
 やっと日本酒が到着したので台北で買ってきた「からすみ」をつまみにちびりちびりと飲む。
 前に友人が台湾に行ったときに「からすみ」を買ってきたので、紹興酒(近所の酒屋で甕で売ってるやつ)を土産に遊びに行って、ふたりであっという間に飲んでしまったのだが、からすみはほんとに酒がすすむおつまみだ。こんなもんがたくさんあったら肝臓がいくらあっても足りないと思う。値段も普通の品だと1000円〜2000円くらいで手頃なので、酒飲みへのお土産としては最高だろう。

 うちの父にも買ってきてあげればよかったとふと思ったが、塩気は多いし、酒がすすんでしまうので、父の健康を考えると買ってこなくて正解だったかもしれない。
 私は国産のからすみを食べたことないのだが、一度食べてみたいな。



1月18日(金)

 昨晩はなんとなくテレビを観てるうちに久々に「ビバヒル」を観てしまったらはまってしまい、2本目(毎回2本ずつ放映されているらしい)まで観てしまい、気がついたら2時になっていた。あの番組は途中からしか観ていないので、「昔はこいつとこいつが付き合ってたのか」とか、「このキャラはあとになったら出てこなくなったな」とか「この人、あとになったら脇役になっちゃったな」とか思いつつ、ついつい観てしまったのでした。

 昼ごろ起きて、洗濯や荷物の整理をしようと思ったのだが、疲れがたまっているのか、昏々と寝てしまった。「三年寝太郎最終オーディション通過」状態である。
 図書館に本が届いていたので、なんとか夕方4時には布団に辛い別れを告げて外出。今日もそれほど寒くないようだ。
 お腹も空いてきたので、なにか食べようと思ったが、「ああ、もう屋台はないのだ・・・・」と台北を懐かしむことしきり。

 家に帰って、早速「台北旅行日記」の執筆を始めるが、たくさん写真を撮ったつもりだったが、相変わらずカメラの腕が最低なので、「こんな写真しかないのか?」と最低のカメラマンが同行した旅行記者の気分になるが、そういう記者もいつものようにダラダラとどうでもいいことを書いてしまうので、この調子ではいつまとまるのかわからないが、早く書かないと忘れそうだ。

 台北で見つけた標識。台北駅の地下駐車場にあったのだが・・・・「KISS/RIDE」って英語では一般的な標識の言葉なんだろうか?

 全然関係ないけど、ネオアコ信者に人気があるGangwayというバンド名を私は勝手に「ギャングの道」→「極道」と翻訳していた。
 NYに行ったときに、フェリー乗り場に「GANGWAY」という標識がかかっていたので「???」と思い、辞書で調べたら「劇場の通路」とか「船のタラップ」という意味であることを知った。
 なので「KISS」にも、実は「降りる」という意味があるのか?と思って辞書ひいてみたんですが、私の辞書には文字通り「キス」しか載ってなかったです。
 たしかに、KISS&RIDEというのは、駅などに車で家族を送迎したりするときに使うみたいで、日本でも郊外の住宅は駅から離れているので、奥さんがダンナを車で送り迎えする現象を「キスアンドライド」と呼んでいたりするみたいだけど・・・・標識に使うような言葉なんだろうか?他の国で見た憶えがないんですが。

 なんだかキスを強要されているか、「するんならここでしろ」と言われているような気がしてしまったことよ。



1月17日(木)

 台北からの飛行機が1時間以上遅れて出発したので、羽田に到着したのが23時。モノレールに乗って浜松町に着いたら、山の手線の神田駅で人身事故とのアナウンスにビビるが、なんとか渋谷までは運行してた。「行けるところまで行きます」とアナウンスしていたので心配したのだが、終電ギリギリなのでJRもとにかく池袋までは走らせたかっただろう。
 渋谷で田園都市線の最終の一本前の電車に乗れて、家に着いたらもう1時だった。やれやれ。でも明日も休みにしておいたのでよかった。そして思ったほど東京が寒くはなかったので重ねてよかった。私が暖かい国に行っていた間、どうやらずっと暖かかったみたいだなので、ちょっと悔しい。


表紙に戻る / 過去の日記を読む