牧場見学日記1997年秋編その1




今回のお目当ては前回見逃したビワハヤヒデと弟のナリタブライアン9月7日から9日まで



9月7日 雨のち曇りのち雨

今日は天気が悪い。自分は北海道札幌市にあるの親戚の家にいる。
自分は北海道在住の従兄弟の結婚式に出席したのだ。
結婚式のあった昨日あんなに天気が良かったのになんで今日に限ってこんなに悪いのだろう。
かなり良くない天気だ。しかし年休は取ってあるので馬界へ行ってみるか。
とりあえず千歳の社台ファームへ電車を使って行ってみるか。
と思っていた時、従兄弟の圭司氏が自分が馬界へ行くのを聞いて
「社台ファーム?車で送ってあげようか。」と言ってくれたのだ。
ラッキーっ。圭司氏のお言葉に甘えて送ってもらう事にした。
ちなみに圭司氏は結婚した従兄弟とは別の従兄弟だ。
社台ファームのテレホンサービス(01452−2−4600)ではmejiromakuin
今日見れる馬はメジロマックイーン(右の写真)
トウカイテイオーとサッカーボーイの3頭だそうだ。
それでは出発。3、40分位であっと言う間に社台ファームに着いた。
やっぱり車は速くていいなぁ。今度来るときはレンタカーを使おう。
見学者用の駐車場から見学エリアへ。ワクワクしてきた。
しかし天気は冴えず雨がパラパラ降っていた。どうにかしてくれこの天気。
見学できるか心配だったが幸い見学は可能な様でほっとひと安心。
早速見学エリアに入るとこの雨の中10人位の人が見学に訪れていた。


mejiromakuiinおっとメジロマックイーンがいるぞ。この馬が活躍していた頃は
まだ自分が競馬に殆ど関心がない頃だった。
ところがどっこいこの馬が降着した秋の天皇賞はバッチリ見ていた。
競馬好きの友人K君無理に付き合わされてテレビ中継を見たときだ。
K君はアンチ武豊なのに「この馬が勝つよ」と言ったのを覚えている。
彼の予想とおりこの馬はブッチギリでゴール板を駆け抜けたが
なぜかビリになった。それが不思議だったので今でも良く覚えている。
(何故ビリになったのかを理解できたのはその3年後だ。)
繰り上がりで1着になったプレクラスニーの江田照男騎手が浮かない顔して表彰台に立っている映像は
今でも忘れられない。そんな残念賞な馬だけど産駒達の大活躍を期待してしまう一頭である。


さあ次はテイオーだ。トウカイテイオーだ。(右の写真)toukaiteio
どっちかといえばマックイーンよりこっちの方が印象深い。
なぜならあの有馬記念があったからだ。
自分がG1馬券を買い始めたのは93年の秋の天皇賞からで、
まだ競馬・馬券のキャリアが浅いのだ。
思い出に残るのは復活を果たしたあの忘れもしない93年の有馬記念だ。
あの時かろうじて馬券は取れたものの(枠の3−8)危うくマイナスになる所だった。
なにせ私はテイオーと同じ3枠武豊のベガから買っていたのだ。
最後の直線ビワハヤヒデの外から赤い帽子の馬が抜けていき
勘違いした自分が「ベガだ。ベガだっ」と騒いで大喜びしていたが
それがぬか喜びと判った時の空しさは今でも忘れない。
話が外れたが目の前にはトウカイテイオーがいる。
一緒に来ていた圭司氏もテイオーを見ていた。テイオーとの写真も撮ってもらった。
こんな雨でも馬を見せてくれた社台ファームに感謝感謝っ。
あともう一頭サッカーボーイもいたが遠すぎて良く見えなかった。(残念)


素敵な名馬達に別れを告げて僕らはついでにノーザンホースパークへ行ってみた。horsepark
ここの博物館は現在の社台軍団のグレートさが良く解るようになっている。
例えば種牡馬の層の厚さ、生産馬の活躍ぶり、そして未来への可能性。
当分社台軍団は最強の座を明け渡す事はないだろう。
と言うより社台軍団パワーは日本はもとより世界へ更に高まっていく事に
違いないと確信した。
最後にここのレストランで食事してノーザンホースパークを後にした。



そのあとJRで苫小牧駅から豊郷まで行く予定であったが
ここまで一緒に付き合ってくれた従兄弟の圭司氏が
「今日は休みだから一日最後まで付き合うよ」と言ってくれたのだ。
もともと社台ファームまでの見送りだけつもりだったのに。こんなに嬉しい事はない。
少し申し訳ない気分であったがその言葉にまた甘えてしまう自分だった。
僕らは次の目的地豊郷の日西牧場へ向かった。


その2に続く


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