Chapter 2

 悪魔。それが「悪魔のような力」の意ならば、それは確かに存在することをミューラーは知っていた。
 ハインツ・ミューラーは、表向きには独連邦捜査局・BKAから派遣された特別捜査官とされてはいたが、正確には連邦警察に所属する人間ではない。BKAの裏組織とも云うべきミューラーの所属機関は、その捜査対象の存在が公に認められていない以上、機関自体もまた公式的には存在しないものなのだ。
 “サイキック”。そう称される「超能力」は第二次世界大戦以降、各国で秘密裏に研究が進められており、その存在は国家レベルで隠匿されながらも、21世紀に入り新たな軍事力としてより重視されるようになっていた。
 かつての過ちにより人道的問題にはナーバスな体質であるドイツが、EU諸国と足並みを合わせるべくサイキック研究に踏み出したのは近年のことであり、そのサンプル収拾──サイキッカーの摘発・拘束には、対サイキッカーに軍が動いていることが露わな米国などと比べれば慎重と言えた。
 通常的にはあり得ない力の関与が認められ、サイキック事件と目されるこの一連の事件に派遣されたミューラーの任務は、事件の検証とその容疑者──サイキッカーの検挙であり、逮捕自体は目的ではない。サイキッカーの存在が確認された時点で管轄は警察から移るのである。
 それは一般警察内では知らされていないことであり、ミューラーは実際にBKAの名義で捜査に当たっている。

「最初の被害者は浮浪者だったんですよ。60代男性です。9月28日。2kmほど離れた橋の方で、地面にめり込んでいて変な死に方だったんですが、飛び降り自殺に見えないこともない」
 警察署でミューラーは刑事から一連の事件のあらましを聞いていた。
「──しかし、遺体の状態からすると、それほどの高さのものは周りにないんですよ」
「死因は強い衝撃を受けたことなんだな」
「まあ、身寄りのない浮浪者のことで、変死で片付きそうだったんですがね」
 ノートパソコンから事件ファイルを呼び出して話と照らし合わせていたミューラーは、その言葉を聞き咎めモニターから顔を上げた。
「浮浪者だって人間だろう。どんな者でもこの街に住む住人を守るのが警察の役目だ」
 ──青臭い理想論に過ぎないだろうか。虚を突かれた様子の刑事の表情を見て思う。
 余所者の自分がわざわざ云うようなことでもない。そう思いながらもつい口に出さずにはいられなかった。
 常に意識していること──同じ人間には違いないのだ。それが人間扱いされない存在であろうと…。
 だが、刑事の方はむしろミューラーの言に感じ入るところがあったらしい。
「……ですが、実際、それだけならそれで片づけられてしまうところだったんです…」
 失言でした、と言って続けた刑事の口調は、それまでの事務的なものから一種親しみのこもったものになっていた。
「その10日後の10月8日、2人目の被害者が出まして、名前はSUDOU-Michiko。日本人留学生の女性、22歳です。こちらも地面にめり込んでいたのですが、地面が柔らかい土だったんで結構深く埋まるようにして…。加えて、この件では全身に切り傷が見られまして、鋭利な刃物というにはちょっと違うんですよ。近そうなのは獣の爪とか──そんな引き裂いたという感じなんです。なんにしても嬲り殺しですよ。ただし、性的暴行のあとは見られない」
「その留学生と浮浪者の間に関連性は?」
「今のところは、まったく見あたりませんね。浮浪者の方は身元が掴めず閉口したんですが、留学生女性の方は人間関係も色々調べられました。周囲の人間は口を揃えて、恨まれるような子じゃないって言うんですよ。その代わり親しい友人もいないようで、よくいる、あまり溶けこもうとしないタイプの留学生だったんですかね」
 それだけ聞くと、共通項として“周囲との接点があまりなく、手に掛けやすい”という点が思いつく。ミューラーがそれを口にすると、
「それが、この次はそうとも言えなくて」
 と、刑事は肩をすくめた。
 留学生殺害事件以降、本腰を上げて捜査が開始されたものの、11月に入ってからは4件。犯行は夜間に限られているものの、いずれも被害者は性別、年齢、出身、職業などはバラバラで彼らの間に関連性は認められず、殺害場所も点在している。が、事件の分布範囲からこの地域の住人による犯行と見られている。
「あるいは、再開発地区に潜伏は可能か──」
「あそこは夜間は完全に無人ですからね」
 とはいえ、犯人は殺人を犯して逃亡中という訳ではない。逃げ回る様子もなく事件はまだ続いているのだ。これからの季節に電気も通じていない廃屋で過ごせるものでもないだろう。
「殺人狂か…。まったく、ヴァイナハテン(クリスマス)も近いというのに」
 ミューラーは腕を組んで思わず溜息をついた。

 ブラド・キルステンは、通勤途上で凄惨な殺人現場の近くを通らなければならないことに落ち着かない気分でいた。
 現場は路地裏なのだから直接目にする訳ではないし、わざわざ自分から首を突っ込むことはない。メインストリートを通り過ぎてしまえばいいんだ、とは思うものの、朝ならばまだしも夜だとやはり、このような事件の後では不安を感じる。身の安全を図るならタクシーでも使っておけばいいのだろうが──実際、先月に連続殺人事件と騒がれ出した頃から、女性職員の中にはタクシーを利用し始めた者もいる。しかし、男の自分がそうするのも情けない気がしたし、せっかく近くにアパートを借りているのだから。勤めだして一年の自分にそれほど金銭的余裕がないのも事実だった。
 めっきり人通りの少なくなった夜道を自宅のアパートに向かうブラドは、だから出来るだけ事件のにおいのする事柄は避けたかったのだが、しかし現場近くに差し掛かったところで刑事らしい男に気が付いた。白っぽいコートの実直そうな若い男。刑事らしい、と思ったのはどこかでその姿を見たことがあるのかもしれない。
「すみません。ちょっとお話を──」
 警察手帳を提示して声をかけてきた。
 ああ、関わりたくないのに。そう思いながらもブラドは足を止める。

 最新の事件現場付近から証言を得るべく動き始めたミューラーは、着任当日に強い印象を覚えた人物と思いがけず邂逅することとなった。
 現場の路地裏から出た表通りを向こうから歩いてくる男を目にして、即座にミューラーはそれが現場検証の際に見かけた青年だと判った。
 夜のことでさすがに帽子は必要でないようだが、相変わらずコートの襟を立てサングラスを掛けている。今はそのまま表に晒している髪はやはり真っ白だった。
 連邦捜査局名義の身分証を見せながら呼び止めると、相手はどことなく警戒した様子ながら立ち止まった。
「警察の方……ですか。何か…?」
「この付近で殺人事件があったのは知っているね?」
 相手の警戒心を解くべく、口調を和らげてミューラーは訪ねたが、返ってきた反応はやや的はずれなものだった。
「あ、あの、確かにこんな格好じゃ怪しまれますよね」
 立てた襟を止める釦をはずしながら答える青年に、ミューラーは手を振って笑いかけた。
「いや、事件当時の目撃証言を集めているんだ。君はいつもこの道を通るのかい?」
「──あ、ええ」
「一昨日の夜、何か変わったことがなかったか……気がついたことがあったら教えてもらいたいんだ」
「一昨日の夜…このくらいの時間のことですか? 一昨日は──確か帰ったのは遅かったから」
「では、君がここを通ったのは何時頃だったのかな。その時には特に変わった様子はなかったと」
 即座に重ねて問うミューラーに、白髪の青年は曖昧に答える。
「そうですね……あの日は泊まり──じゃなかったな。確か11時頃まで研究所にいたはず…」
「23時か。それならもう被害者が発見された後だな。じゃあ騒ぎになってから通りかかっているんだね」
「……ええ。急いでいたのでよく覚えてはいないんですけど」
 サングラスで目の表情が隠されてはいるものの、青年の返答は明らかに不審だ。ミューラーは発見時の状況を直接知っている訳ではないが、地面がクレーター状にえぐれるほどの力で人間が潰されるという異常な事件だ。あまりに凄惨なその状況は報道に上せることを見合わされた程であり、それを直に目撃した人々の反応は想像に難くない。まったく関心を持たずに通り過ぎることもないとは云えないが、それにしては──彼は朝に事件現場の様子に足を止めている。
 ミューラーはそれ以上追及することはせず、話を他に振った。
「研究所と言ったね。この先の…確か遺伝子工学研究所があると聞いているが。君はあそこに勤めているのかい?」
「はい、ノイエハウゼン研究所の研究員です」
 彼が名前を挙げた施設は、ヒトゲノム計画により遺伝子情報の解析が進むにつれ急速に発展したバイオ産業を反映し、次々と新設された遺伝子工学研究所のひとつであった。やはりナチス時代を思わせるとして、ヒトゲノム計画が提案された当初は反対の立場を取っていたドイツでも、現在ではバイオ産業の遅れを取り戻している。
 遺伝子工学という点が、ミューラーは本来の職務の方に引っかかる。
「ああ、職務質問の一環として聞かせてもらいたいんだが、どういった研究をしているのか教えてはもらえないかな。例えば、その──遺伝子操作で人間の能力を伸ばす、とかね」
 まるでSFかぶれした言い様だな、と内心ミューラーは思ったが、それは相手も同様に感じたらしい。わずかに苦笑した様子で、国内では遺伝子操作には制約が多く、特にヒト遺伝子を対象とした研究は生命科学倫理法によって認められないんですよと即座に否定した。
「でも、いくら警察の方とはいえ研究については部外秘なものですし、僕の一存でお話しする訳には…」
「そうか。いや、すまない」
 言い淀む青年に、確かに彼からこれ以上聞くのは無理だろうと判断してミューラーは言下に引き下がった。相手は明らかに安堵した様子で付け加えた。
「こちらこそ、お役に立てなくてすみません。ですが、正式な申し入れがあれば立ち入り調査はできると思うんですけど。──でも…まさか事件と何か関係があるんですか?」
 その問いに答えようがあるはずもない。ミューラーは笑って流した。
「いや、そういう訳じゃないんだ。ただ、この近辺のことだから知っておかないとね」

 青年を解放した後でミューラーは考える。
(人道上の制約──そんなものは有名無実に過ぎないが、かといって民間で極秘にサイキック研究がなされているという線も薄いか…。リストアップされている施設でもないし。しかし、直接確認した方がいいかもしれないな。それに、そうすればもう一点も確認できるだろう…)


Chapter 3

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すいません、説明多いっすね。くじけないでください…。
ちなみに、この2章途中までは当初合同誌の企画だったときに、
相方に試しに書いてもらった序盤までの青原稿があったので、
そちらの描写や設定も生かしてみたつもり。
しかし、私がノベライズとして書くと、どうも途端に固いなあ。