「ロサ。」

誰のお下がりを着せられたのか。
体に合っていない黒い服をぶかぶかに着た幼女は薔薇の茂みの中にうずくまっていた。
薔薇の茂みは知らぬ間に満開に咲き乱れている。


  
 ロサ
「薔薇が薔薇の中に隠れてる。」

ヘラルドはロサの傍にしゃがみこむと、微笑んだ。

「棘が危ないから、出ておいで。」
「しー。」

ロサは人差し指を立てて唇に当てた。

「かあさまとやくそくなの。」
「・・・かあさまと?どんな?」
「おじさまやおばさまに見つからないように。」

伯父とその妻のことだろうか。
二人はイレーナが生きている時から、厄介者扱いしていた。
ロサを養女に出す準備でもしているのかもしれない。

「ロサ・・・・。」

俺と一緒に行こう、という言葉をヘラルドは飲み込んだ。
どこに連れて行くんだ。
軍の兵舎か?
俺は、どこまで無力なんだ。

「じゃあ、誰が見つけたらいいのかな?俺じゃ駄目?」
「・・・・・・。」
「それは秘密?」

こくりとロサは頷いた。

「―――ロサ、ここで待っててくれるかな?すぐ戻るから。」

「いいわ。」



ヘラルドが立ち去るとそれを待っていたかのように長身の男が薔薇の茂みに近づいた。

幼女と目が合うと何と言っていいのかわからないらしく、黙ったまま見下ろしている。

「とうさまね?」

ロサは男を見ると、一瞬目を見開いてから恥ずかしげに微笑んだ。

「すぐわかった。かあさまがとうさまの写真をくれたから。」

薔薇の茂みから這い出すと、ロサはポケットをさぐり懐中時計を取り出した。

「ほらね。ここに貼ってあるでしょ。」

そう言って懐中時計の中を指し示す。
男はそれをじっと見つめると、黙ってロサを肩の上に抱えあげた。
きゃあ、と甲高い声でロサが笑う。
男はそのまま丘に向かって歩き出した。


「あのね、かあさまが言ってたの。」
丘に上り、海を見つめる男の耳に両手をつけてロサはささやいた。

「かあさま、とうさまの所に行ってロサを待ってるって。」

びくり、と彼の体が揺れた。

「だからとうさまを待ってたの。ね、かあさまはもうとうさまの所に行った?」
「・・・ああ。」



男の喉から漏れた奇妙な音に、ロサは男の顔を見下ろした。

「どうしたの、とうさま?どこか痛いの?」

「―――痛いよ。胸が張り裂けそうに、痛い。」

「かわいそう。じゃあ、わたしが半分持ってってあげる。」

彼女は男の頭を両手で抱いた。

「とうさま、少し痛くなくなったでしょ?」
「ああ、本当だ・・・・・・ありがとう。」

「どういたしまして。
かあさまもいつもしてくれたの。痛いのとかつらいのはみんなとれないから半分ずつねって。
こうしてくれるとほんとに痛いのが半分になるの。」

かあさますごいでしょ、と彼女は言った。

「そうだな。」


(つらいことをなくしてあげたいのに。私は半分も持っていってあげられない―――。)

この丘で昔、愛しい女性が自分のために泣きながら言った言葉が耳に響いた。

そうだ、あの後・・・込み上げる愛しさに身を任せ、折れそうに華奢な体を力いっぱい抱きしめ
くちづけて自分はこう言ったのだ。

(夢の世界から、あなたが目覚めさせてくれた・・・)と。


自分が幸せになりたかったわけではない。
幸せにしたかっただけなのだ。最愛の人を―――お互いに。




男は何度か目を瞬かせて顔をまっすぐに上げた。
潮のかおりを含んだ風が、男の濡れた頬を撫でていく。

「・・・・・・ロサ、行こう。母さんも―――待ってる。」
「うん。いこ!とうさま。」

ロサが前方を指差すと、男はそのまま道を歩き出した。

「これからみんな、いっしょね!」

彼女は父親の肩の上で、嬉しげに微笑んだ。



2006.10.9
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