「嘘だ。」



「いや、本当だよ。」
友人は訳知り顔にささやいた。

「子供がいるだろう?」
「ああ。・・・まだ会ったことは無いけど。」

学校の寮に入ったヘラルドは、この数年一度も家に帰っていない。
伯父ばかりか母親とも音信不通状態が続いていた。

「何でも、その子供が・・・シエロ大佐の子供じゃないらしいんだ。」

「何だって?」

地方都市で起こった小競り合いを鎮圧しに、フアン・シエロの部隊が向かったのはほぼ3年前。
その間にイレーナが身篭っていることを知り夫の帰還の直後に出産したという話はイレーナの手紙で知っていた。
そういえば子供の顔を見に来てくれと言うイレーナの手紙は終ぞ届いていない。
ヘラルドは子供を産んでからのイレーナには一度も会っていなかった。

だが・・・、イレーナに限って夫を裏切るようなことする筈が無い。


「嘘だ。」

もう一度ヘラルドは繰り返した。

「知らないよ。俺は噂を聞いただけなんだから。」
「シエロ大佐の子じゃなかったら、誰の子だって言うんだ。」

友人は声を潜めた。

「単なる噂だからな――怒るなよ。」
「いいから早く言えよ。」

「・・・シエロ大佐、子供が生まれてから異例の出世だろ。
だから・・・王子の子供だって、もっぱらの噂だ。」
「何が証拠だ。」
「一目で王族の血を引いてるってわかる子供らしいんだな、これが。」

ヘラルドはそれを聞くと、椅子を蹴って立ち上がった。

「おい、ヘラルド!怒るなっていっただろ!――どこ行くんだよ!!」
「家に帰る。」
「まだ週末じゃないぞ。おい、ヘラルド!俺は知らないぞ!!」





「ヘラルド!まあ、どうしたの。」

数年ぶりの家は、ずいぶんと変わっていた。
広いだけで荒れ果てていた屋敷も庭も、美しく整えられている。

「これは、イレーナを売った金でやったのか?」

「――ーどうしたっていうの。久しぶりに帰ってきて、いきなり言うことはそれ?」

「宮廷内で自分が王様のように振舞ってるって、伯父さんの噂を聞いたよ。
わかってる、あんたとあの男はイレーナを王子に売ったんだ。」
「・・・・・・。」
「黙ってれば罪が消えるとでも?言えよ、どうやってイレーナと王子を会わせたんだ。」

激昂するヘラルドに対して、母親は奇妙に落ち着いていた。

「―――王子じゃないわ。会いたがったのは国王よ。」

「なんだって?」

「夫が遠征中の間に会いたいと言って、あの子を呼びつけたの。」
「イレーナが・・・行くわけない。」
「お兄様がうまくやったわ。」



「それで―――?」
「その後のことは知らないわ。」
「イレーナはあんたの妹じゃないか!妹を利用するなんて―――。」

「妹?」

彼女は口の端をゆがめて見せた。

「妹だなんて思ったことはない。
あの子の母親は、王宮内の遊び女だったのよ。
病気になって厄介払いされたあの女と父は結婚したの。
そのおかげで父は王宮内での地位を築けた。・・・あの子には母親と同じ事をしてもらっただけじゃないの。」

かっとなったヘラルドは思わず手を上げた。

「けれどこれはみんなあなたの為よ!」

母親は叫んだ。

「俺の?俺が何を頼んだ?」
「王はあなたの今後を約束したわ。
あなたが学校を卒業した後、より良い部隊に配置されるよう。安定した地位も約束してくれた。
何よりあの子の夫はそのおかげで出世したじゃないの!」

「あんたは・・・。」

振り上げた手を力なく下ろして、ヘラルドは唇を噛んだ。
たちまち口の中に血の味が広がる。

「私を殴りたいなら、殴りなさい。」
「・・・殴るにも値しない。最低の人間だ。」

母親はくくっと喉の奥で笑った。

「あなたも同じね。男はみんなそう。
父もそうだったわ。あの女に夢中になって、私たちよりイレーナを可愛がった。
みんながあの女に夢中になる・・・。」

彼女はヘラルドを睨み付けた。けれどその瞳からは絶え間なく涙がこぼれ落ちる。

「覚えておきなさい。
あなたが成人するまで、この屋敷には主人がいないの。私にもお前にも何も無いわ。力も財産も。
結局はあのお金であなたは暮らしていけるのよ。
あなたが言うところの、イレーナを売ったお金でね。」


「―――イレーナは今どこにいるんだ。」
「知らないわ。」

ヘラルドは壁を殴りつけた。

「知らないわよ!お兄様にでも聞けばいいでしょう!?」


ヘラルドは母親に背を向けると歩き出した。


「もう、あんたとは二度と会わない。生きている間は二度と。」


「ヘラルド!みんな――みんな、あなたの為なのよ!!」

後ろでわっと泣き崩れる声がしたが、彼は振り返らなかった
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