二人がフアン・シエロに再会できる機会は、以外に早くやってきた。
あのパーティーから一ヵ月後、遂にこの国が勝利を勝ち取ったのだ。

受勲式の後に王宮でパーティーが行われることになると、伯父は再びイレーナに出席するようにと言ってきた。
けれど今回、イレーナは伯父に一つの条件を持ち出した。
ヘラルドが一緒でないと出席しないと言いはったのだ。
彼女が初めてとった態度に対して、伯父は気にするでも無くそれを許した。
そんな訳で、またしても美女と少年の二人組が王宮に参上することになった。

「シエロ大尉、少佐になったらしいよ。」

行きの馬車の中で、ヘラルドは言った。
たっぷりと白いレースをあしらったペールブルーのドレスに身を包んだイレーナは、相変わらず美しい。
前回が海の女神だったなら、今度は空から舞い降りた天使のようだ。

「ふうん。」

気の無い返事をイレーナは返したが
あのパーティーからずっとフアン・シエロのことが気にかかっているのはわかっていた。

「――ヘラルド。」
「ん?」
「私、あの人に会いたくない。」

イレーナは窓の外を眺めたままそう言った。

「謝ればきっと許してくれるよ。
イレーナと違ってシエロ大尉・・・じゃなかった、シエロ少佐は大人なんだから。」

フアン・シエロはイレーナより10歳近く年上だ。
彼から見たらイレーナなどほんの小娘かもしれない。

「違うの。私、あの人に会ったら、また変なことを言ってしまうかもしれない。」

「どうしてさ。イレーナらしくないよ。」
「私らしくない?どんなふうに?」
「イレーナはいつだって、きちんと考えてから物を言うだろ?おかしいよ。」
「そう。・・・おかしいのよ、私。」

相変わらず窓の外から目を逸らさずに、彼女は呟いた。



王宮に着き、パーティーが始まると真っ先にイレーナを誘いに来たのは王の側近だった。

「王が、王子と踊っていただきたいとおっしゃってます。」

どうやらイレーナは王や王子に気に入られたらしい。
彼女がそれを断れる筈も無く、曲が始まると二人は踊り始める。
イレーナの黒髪と王子の真っ赤な髪がゲームの駒のようにくるくると揺れる。
まるでイレーナを飲み込む炎のように王子の顔が彼女に近付き、何かを囁いている。

ひょっとしたら・・・。

ふいに浮かんだ考えに、ヘラルドはどきりとした。

伯父さんの耳に、イレーナが王に誘われたことが入ったら―――
そして本当に王子がイレーナを望んだら、彼女は僕の手の届かないところへ行ってしまうだろう 。
でもあんなに評判の悪い王子に大事なイレーナをやるなんて、絶対に嫌だ。
もし、イレーナを渡せるとしたらそれは――。

「ヘラルド!」

少年は、はっと顔を上げた。
いつの間に来ていたのか、イレーナの黒い瞳が彼を見下ろしている。

「ごめん、イレーナ。聞いてなかったんだけど。」
「ほら、あの人・・・。」

彼女が指差す方に、軍服を着た長身の男が立っていた。

「シエロ少佐だ。」
「・・・ええ。」

そうだ、イレーナを渡すとしたら・・・僕が認めた男でないと。絶対に嫌だ。

二人はお互いの手をぎゅっと握り締めると彼に近付いた。

「シエロ少佐。」

彼は少年の声に振り返る。

「君は――ヘラルド。ヘラルド・デ・ディオス、だったな。」
「そうです。それにこれは僕の叔母のイレーナ。」
「ああ、お久しぶりです。」

前回同様、フアン・シエロは大人の男にするように二人と握手を交わした。

「この間は、ごめんなさい。」
「この間?」
「一ヶ月前のパーティーの時。・・・私の言ったことに腹を立てたんじゃありませんか?」
「―――私は何か言いましたか?」

忘れているふりをしているのかと思ったが、そうではない。
本当に忘れているらしい。
呆気にとられる二人に、フアンは「ああ。」と何か思いついたように言った。

「前回は戦場から連れ戻されて、無理矢理パーティーに出されたからわからなかったんですよ。
これが現実なのか、夢なのか。
だから、すべて夢だと思うことにしたんです。」

君たちのことも夢かと思っていた、と彼はまぶしそうに目を細めた。

「どうして夢だなんて?」

少年の疑問に、彼は口の片端をゆがめた。

「昨日まで戦場にいた男が、きらびやかな王宮に放り込まれる。そして翌日にはまた戦場だ。
夢だと思わなければ・・・戦い続けられない。」

感情を表さなかった男の顔に、ちらりと何かが横切った。

「それって、つらい・・・ですか?」

少年にも理解できた。
彼の顔を横切ったのは、間違いなく“苦悩”だ。

「つらい?いや。これも仕事だ。」
「軍人って、立派な仕事ですよね。」
「・・・・・・。」

男はそれに答えなかった。

「君も軍人になるつもりか?」
「もちろん。僕はあなたのようになりたいんです。」
「そうか。」

彼は見上げるヘラルドの肩にぽんと手を置くと、イレーナに目礼して去っていった。

「イレーナ。」

ヘラルドは叔母の顔を見た。

「少佐、行っちゃうよ。いいの?」
「・・・いいわ。軍人は嫌いだもの。」

「イレーナ。」
「ん?」
「眉間に皺がよってるよ。」

言われたことの意味がわからず、イレーナは首を傾げる。

「――嘘、ついてるだろ。」

彼女の頬がうっすらと赤くなった。

「仕方が無いな・・・。」

ヘラルドは少佐の後を追った。

「シエロ少佐!」

少年は振り返った男の顔に、にっこりと笑いかける。

「僕の叔母と踊っていただけませんか?」


翌日から陸軍の兵舎を行き来するヘラルドの姿が見られるようになった。


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