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ヘラルドが9歳になると、再び戦争が起きた。 毎日もたらされる戦況は、少年を虜にしていた。 中でも少年の興味をひいたのは、味方が壊滅状態に落ちいった後も攻撃を続け 敵の中隊を壊滅させた一人の陸軍将校の話。 イレーナは戦わなかった父さんのことを立派だと言ったけれど、やはり軍人は戦わなければ存在価値が無い。 彼はいつしか少年の憧れになった。 王宮でその将校を招いての慰労パーティーが開かれるということで 滅多に会わない伯父がヘラルドの家にやってきた。 「イレーナを今回のパーティーに出さないか?」 にやにやしながら伯父はそう告げた。 これまで邪魔者扱いしてきたくせに、利用できる年になった途端 イレーナの美しさを武器に王宮内で更に勢力を広めようとしているらしい。 伯父の魂胆は見え見えだった。 「今まで王宮に上げることを反対していた親父も死んだことだし、お前はどう思う?」 「私が反対する理由はないでしょう。」 ヘラルドの母は憮然として言った。 「じゃあ、決まりだな。仕立屋に夜会服をいくつか作らせよう。明日、こちらに来させるから。」 誰もイレーナの意見は聞かない。 伯父の家で暮らしている時のイレーナの様子が目に見えるようだ。 「伯父さん。」 珍しくヘラルドは伯父たちの会話に口を挟んだ。 「何だ、ヘラルド。」 「僕もそのパーティーに出てもいいですか?」 「お前がか?子供が出てどうする。」 「今回のパーティーの主役、シエロ大尉ですっけ?」 「ああそうだ。」 「その人に会ってみたいんです。僕も将来は軍人ですし。」 「ほお。」 いいのか?という伯父の問いにヘラルドの母親はしぶしぶ頷き、 微笑みあうヘラルドとイレーナをきつい目で見つめた。 「目立たないようにしてるわ。疲れるし。」 「無理じゃない?」 「どうして?」 宮廷内に入るとイレーナは甥っ子の手をぎゅっと握った。 「イレーナは身長も高いし、それに・・・。」 「それに?」 「今日のイレーナはとても、きれいだ。」 彼は年若い叔母の顔を見上げた。 今日の彼女は真っ青な細身のドレス。 その上から白地に金糸銀糸で刺繍を施したチュールがふんわりと全身を覆い、サッシュが緩く腰に巻かれている。 高く結い上げた髪はドレスと同じ色のリボンが巻きつき、余った部分が広く開いた背中に流れていた。 まるで海の中から現れた女神のようだ。 「そうかしら?」 珍しくイレーナは気後れしているようで、甥の顔を見ようとしない。 (本当にきれいだよ。) 心の中でヘラルドはその横顔に繰り返した。 周囲は着飾った人、人、人。 けれど、その中でさえイレーナはすこぶる美しく、人目を引いた。 女好きで評判の国王や王子がさっそくイレーナを呼びつけ一言二言会話をかわすのを皮切りに 誰もが彼女と話をしたがった。 伯父の目論見がまんまと当たったわけだ。 そのうち曲が始まると、若い男はみんな我先にとイレーナを踊りに誘った。 ボディーガードのように側に付いていたヘラルドは、さすがにすることが無くなり壁際の席に移動した。 男たちはみんなイレーナを見ている。 国王や王子もイレーナから目を離さない。 あれが自分の叔母だと思うとヘラルドは誇らしい反面、寂しい気持になった。 どんなに好きでも、甥と叔母はそれ以上にはなれない。 子供らしくない溜息をつくとヘラルドは辺りを見回した。 誰もが踊るか会話を楽しんでいる中で、自分と同じように浮かない顔をしている男がいた。 軍服を着込んだその男は、着飾った周囲の人々に比べてあまりに異質だ。 「あっ。」 ヘラルドは小さく叫んだ。 あの人は―――。 「失礼ですが・・・シエロ大尉ですか?」 「・・・そうだが。」 「お噂はかねがね聞いてます。」 ヘラルドが差し出した小さな手を、手袋をした大きな男の手が包み込んだ。 これが、戦士の手・・・。 どこにも柔らかさの感じられない手を握り返すと少年は高潮した顔で、日に焼けて引き締まった男の顔を見上げた。 「僕は、ヘラルド・デ・ディオス。」 「ヘラルド・デ・ディオス・・・。ああ、君はディオス中佐の子供か。」 「父をご存知ですか?」 男は無言で頷いた。 「父はどんな―――。」 「ヘラルド、ここにいたの。探したわ。」 「イレーナ。」 イレーナは踊りつかれたらしい。首筋が汗ばんでいる。 「話の途中で入ってくるなよ。」 「あ・・・ごめんなさい。」 イレーナは「どなた?」と甥の耳に囁いた。 「フアン・シエロです。」 男は無骨な手を差し出すと、女性に対してのお辞儀ではなくそのまま普通の握手を交わした。 「あなたがシエロ大尉ですの・・・。初めまして。私はこの子の叔母のイレーナといいます。」 「初めまして。」 他の男たちとは違う何の感情も表さない顔で、彼はイレーナの顔を見た。 「・・・お一人で戦い抜いたのでしょう?あなたはヘラルドの憧れの人なんですよ。」 「そうですか。」 その素っ気無い口調は、自分の家に来た当初のイレーナみたいだ。 ヘラルドはそう思った。 「イレーナ、シエロ大尉は僕の父をご存知なんだって。」 「まあ。では、同じ部隊に?」 「ええ。 彼は貴族だったので出世も早かったですが、昔下っ端だった頃に同じ分隊で戦ったことがあります。」 イレーナはその言葉にかちんときたらしい。 いつもとはまるで違う好戦的な口調で話し始めた。 「貴族だからなんて関係ありません。ヘラルドのお父様は立派な方です。 人間として、人の命を奪うことをやめたんですもの。」 「そうですね。彼は戦うのを放棄した・・・。」 フアンは相変わらず無表情を崩さない。 脇で見ているヘラルドは、二人の会話に気をもんでいた。 「放棄?違うわ、人の命を救ったんです。自分を犠牲にして。」 男はゆっくりと首を振った。 「彼はもう、戦う気力が無かった。・・・きっと自分の死で終わりにしたかったのでしょう。 この世のすべてから解き放たれるために。」 そう呟くと失礼、と言って彼は立ち去った。 「――本当に失礼な人ね。」 「イレーナ・・・。」 「何?」 「言いすぎだよ。彼は今でも戦っている兵士なんだよ。これが終わったらまた戦場へ帰る人なのに。」 「あ。」 イレーナは口に手を当てた。 「今日のイレーナは変だよ。いつもならあんな事言わないのに。」 「ごめんなさい。」 途端にしゅんとなるイレーナにヘラルドは言葉を重ねる。 「謝るなら僕にじゃないだろ。」 「―――そうね。」 二人は辺りを見回したが、今日の主役はもうどこにも居なかった。 「・・・謝る機会があるといいけど。」 イレーナは小さな声でそう言った。 |
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