デハ20形



 玉川電気鉄道36〜45号は、大正14年(1925年)に登場した玉電最後のオープンデッキ車(扉の無い電車)でした。

東横時代〜オープンデッキ時代

東横時代 大正14年に登場した36〜45号は、玉電最後のオープンデッキ車でした。車体は蒲田車輌製作所、台車は汽車会社製です。また中央扉は車内にスッテプがも受けられました。
東急時代 東急になり、改番され、36〜45号はデハ20形20〜29となりました。
22号オープンデッキ 22号だけが、昭和18年の車体延長工事を受けず、オープンデッキのまま、昭和26年に集電装置をビューゲルに交換しました。
22号晩年の姿 昭和28年に、鋼体化工事により、デハ80形の105号になりまいした。これは昭和28年の鋼体化前の晩期の姿です。

車体延長〜晩期

車体延長時 昭和18年に車体延長工事が行われ20・21・23〜29号が、両端出入り口に扉が設けられました。昭和20年に20号が漏電により焼失し、後にデハ80形の87号になりまいした。
ビューゲル化 昭和20・21年に25〜27号が箱根登山鉄道小田原市内線に譲渡されました。昭和26年に残りの車両がビューゲル化されました。
 晩期  昭和28年に21・23・24・28・29号は鋼体化工事を受け、デハ80形の一員になりました。

 デハ20形は、25〜27号が箱根登山鉄道小田原市内線へ譲渡された後、同線廃止後、長崎電気軌道へ譲渡され、150形へと鋼体化されましたが、廃車となり、150形は都電から来た車両のみ残っているようです。

デハ20形のその後一覧

デハ20形車号デハ80形車号その後
20号87号廃車
21号106号⇒88号江ノ島観光鉄道(600形602号)⇒651号⇒正面のみ扇屋(江ノ島竜口寺門前)
22号105号⇒89号江ノ島観光鉄道(600形603号)⇒廃車
23号107号⇒90号江ノ島観光鉄道(600形604号)⇒廃車
24号108号廃車
25号箱根登山鉄道(キキ25)⇒長崎電気軌道(デハ150形153号)⇒廃車
26号箱根登山鉄道(〃26)⇒長崎電気軌道(〃154号)⇒廃車
27号箱根登山鉄道(〃27)⇒長崎電気軌道(〃155号)⇒廃車
28号103号廃車
29号104号⇒87号江ノ島観光鉄道(600形601号)⇒宮の坂区民会館

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