デハ80形は昭和25年から29年にかけて28両が製造されました。新造車は81〜86号のみで、87〜108号は旧型木造車(デハ1形・20型)の復旧や鋼体化名義で鋼体化されたものです。
昭和44年に玉川線の廃止で18両が廃車になり、すでに連結二人乗り工事受けていた81〜84と85・86号と104〜107号が世田谷線に残りましたが、104〜107号は87〜90号に改番されあまり使われること無く、翌年に江ノ島観光電鉄(現江ノ島電鉄)へ譲渡され、600形となり、601〜604号に改番されました。
現在では里帰りして来た601号が宮の坂区民センターで保存されています。
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昭和24年に81〜84号は日立製作所で85・86は東急車輛で製造され翌25年入籍したころのデハ80形です。 81〜86号です。 |
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昭和20年代の81〜86号です。雨樋がドアの上にしかありません。80形の中扉は車内にステップがなく指定駅でしか使用しませんでした。 |
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昭和20年代の87・90〜108号です。87号は、昭和20年に焼失した20号の復旧名義で鋼体化されました。 |
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昭和20年代の88・89号です。東急車輛製で他車と比べて雨樋の位置が低いのが特徴です。 |
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昭和27年にパンタグラフ化された81〜86号です。 |
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90〜102号は昭和31年までにパンタグラフ化されたいます。 |
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パンタグラフ化後の88・89号です |
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赤電塗装化された81〜86号です。この赤電塗装は85号をはじめ、一部の車両がこのようになりましたが、結局この塗装は採用されず、玉電塗装になりました。 |
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赤電塗装化された87・90〜108号です。 |
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赤電塗装化された88・89号です。 |
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玉電塗装化された81〜86号です。(このCGの玉電塗装の緑色はもう少し渋めの色にしたほうが良かったかもしれません。) |
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玉電塗装化された87・90〜108号です。 |
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玉電塗装化された88・89号です。 |
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昭和43年に連結二人乗り工事を81〜84号が受けました。片方の運転台と前尾灯を撤去し、中扉は車内にステップを設け扉は木製のものにしました。 |
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こちらは偶数車の82・84号です。 |
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世田谷線化後の奇数車81・83号です。 |
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世田谷線化後の偶数車82・84号です。 |
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世田谷線化後の奇数車85号です。雨樋がそのままですが、昭和45年に85・86号も連結二人乗り工事を両運転台のまま受けました。補助電源装置もついています。、 |
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世田谷線化後の偶数車86号です。85・86号は他の車両とも連結できます。これは他車が検査や故障の際に予備車としても使用してました。 |
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昭和53年から車体更新工事が行われ、側面窓を上段下降下段固定とし窓桟の位置が変更されました。正面では三軒茶屋分岐がなくなったので方向灯を撤去しました。 |
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窓枠は当初木製でしたが、昭和58年にアルミサッシ化されました。でも車内側は木目調です。 |
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予備車でもある85・86号は両運転台のまま車体更新されました。今回の更新工事で全車雨樋が撤去され扉上に水切りが付けられました。 |
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平成元年から2年にかけて2灯シールドビーム化され、平成6年から走行装置の更新が行われ、台車をTS-332形、主電動機はTKM-94(8568-B)形に交換されました。 |
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平成3年から4年かけて、車内警報装置と保安ブレーキの取り付けが行われました。 |
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末期の85・86号です。 |
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デハ80形最後の編成となった81−82は最後の一ヶ月間ほど玉電塗装に戻されました。81号最後の姿です。 |
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82号最後の姿です。 |
デハ80形は江ノ電へ譲渡され、江ノ電時代の姿と宮の坂区民センターに保存されている姿以外は一通り作ったはずです。しかし台車や細かな部分はまだ物足りなかったりします(苦笑)これからも暇を見ては更新・より充実した内容にしたいと思います!
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