<11>模範解答
犯人:杉村夫妻(1002号室宿泊)
動機(参考までに):内定していたプロジェクドに関する契約を一方的に破棄されたこと。結局、ライバル会社が請け負うことになってしまった。どうやら、関係者達に多額の賄賂がばら撒かれたことが理由のようだ。
夫の会社の経営は芳しくなく、この内定を取り消されたら倒産しかない状況に追い込まれていた。彼は、自分を裏切った人々を殺害し、プロジェクドの中心となっていたホテルグランドKを窮地に追い込むべく、この事件を計画した。
トリック:カッコ内は補足部分。採点には関係なし。
夫は仕事を終えた後、水川が勤める観光協会で夜間清掃員のバイトを初めた。彼を殺害する機会を増やすためだ。そして、挙式予定の2日前、彼はその計画を実行に移した。監視カメラの前で殺害を行い、早い時期に犯人を特定させた。
わかりやすい場所に車を置き、中にホテルのパンフレットを置くことで、ホテルに目を向けさせる。以前からの宿泊予定客が、指名手配犯とは到底思われまい。最も安全に計画を実行に移すことができる。彼はそう考えた。
翌9日、彼は妻とのチェックインの前に支配人室に連絡を入れた。前支配人が奇特に陥ったという嘘を告げる。病院で待ち伏せし、彼らが前支配人の病室に入っている間に、元コンシェルジュの車のブレーキに細工をしておいた。
午後7時、妻は1004号室の源綾香の元を訪れた。そして、お茶などに弱い睡眠薬を入れて眠らせ、あらかじめ調べてあった警備員の巡回時間内に部屋に戻り、水商売風に変装する。そして、時間を見計らって620号室の前をウロウロし、警備員にわざと目撃された(そこに宿泊していた井頭という男は、最も多額の賄賂を受け取り、折原の会社を中称して内定を取り消させた人物だった)。
妻は、部屋に置かれていた灰皿でその男性を殺害し、監視カメラの死角になっている西側の業務用エレベーターを使って自分の部屋へと戻った。その際、凶器となった灰皿は持ち帰った(この業務用エレベーターの鍵は、以前、夫がホテルに打ち合わせに来た際、たまたまエレベーターに刺さったままになっていたものを見つけ、合鍵を作ったという。すぐに元に戻しておいたため、ホテル側はそのことに気付かなかったようだ)。
部屋で待機していた夫は、バッグに灰皿を入れ、露天風呂へと向かった。露天風呂に入った彼は、浄水槽に上がった。そこから灰皿と共にメガネとツケヒゲを落とすためである。
裏庭の盆栽はホテルの目玉のひとつだ。割れた音で誰かが気付き、即座に片付けられるだろう。灰皿には植木鉢と同じデザインの柄が描かれている。植木鉢の破片と混ざってしまえば、誰も不審に思わないはずだ(ただし、灰皿が混ざっていることがわかってしまった場合、落とされた場所が特定されれば、自分に結びついてしまう。彼は指紋をつけないよう、タオルを手に巻き、真重に梯子を上がって行った)。
10日はゴミの回収日で、朝一番にゴミ収集車が入る。チェックアウトで620号室の遺体が見つかる際には、すでにゴミは処分場に運ばれていることだろう。万が一彼が疑われても、一斉の証拠は手元から消えている。
夫は灰皿とメガネ・ツケヒゲを落とすと、再び部屋に戻った。以上。
<12>ティールーム「佐久茶」3番テーブル ――9月10日PM12:00
「こんなことになってしまって、残念だったわね。それで、どうするの? 明日までここにいる? それとも帰る?」
サチコがクラブサンドを片手に零太郎に声をかける。
「美津島先生は、予定通り明日までここに留まられるっておっしゃってたな」
「ええ」
零太郎の言葉に、サチコが頷く。
「今回のゲーム参加者の方たち、皆さん帰られたみたいよ。浅利さん、さっき美津島先生から渡された模範解答を見て、『思っていた通りでしたよ』なんておっしゃってたけど。お父さんはどうだった?」
「さあ、どうだかな」
零太郎が、足元にねそべっているメリアをなでながら苦笑する。
「警察の方も、あの模範解答にかなり興味を持っているらしいわよ。これで本当の事件も解決ってことになったらいいんだけど」
サチコはそう言うと、零太郎の方を見た。
「とにかく、もし予定通りここにもう一泊するようなら、連絡くださいって。有藤さんから彼の携帯の番号を聞いてるわ。早く決めないとご迷惑よ」
「ああ、わかってるよ」
零太郎はぶっきらぼうに言うと、さっきサチコが読み上げてくれた模範解答を思い起こしていた。すると、そんな零太郎の心のうちを見抜いたように、サチコが口を開く。
「そう言えば、割れた植木鉢の中から、灰皿の破片が見つかったんですってね。それに、メガネと付け髭も。折原さん、凶器の灰皿を落とそうとして、誤って自分まで落ちてしまったのね、きっと。遺体があったら、従業員がその下の破片を勝手に回収することはできないし、証拠の隠滅は図れなかったってわけね」
零太郎は何も答えず、腕を組んだ。
<13>ティールーム「佐久茶」4番テーブル ――9月10日PM12:30
兼沢徹はガチガチに緊張していた。テーブルの上にはティールームで一番人気というクラブサンドが置かれている。そして、その向こう側に座っているのは、新米ベルスタッフの宇田川静代。そう、兼沢の緊張の原因は、この世界一の笑顔を持つ女性――兼沢にとっては、という限定付きではあるが――の存在だった。
ランチを食べようとティールームに入ったところ、満席。諦めて帰りかけた時、休憩をとっていた宇田川から「相席でよかったらどうぞ」と声をかけられたのだ。兼沢に異存などあろうはずがない。かくして、彼は憧れの女性と2人でランチをとるという、夢のような時間を過ごすことになったのだ。
宇田川にすすめられるがままクラブサンドを注文したまではよかったが、何をしゃべっていいのかさっぱりわからない。沈黙を打破しようと記憶の引き出しをあちこち開けているうちに、思い出したのが昨日のロビーでの出来事だった。
「あの、昨日、出かけようと思ってロビーに下りた時、ちょうど団体さんとすれ違ったんですよ。宇田川さんも手にバッグを持たれていて」
「ああ、『近江宇野グループ』の方たちね」
宇田川は頷くと、少し悲しそうな表情をして続けた。
「私は違う女性に付いていたの。実はね、私が持ってたバッグ、半端じゃなく重たかったのよ。仕事中はいつでも笑顔でって言われてるけど、どうしてもダメだったわ。ベルスタッフ失格よね」
「いえ、そんな風には見えませんでしたよ。大丈夫です。周りの刑事達のヘボ演技なんて目も当てられないくらいでしたし……って、刑事が張ってるっていうの、八木からの情報なんですけど」
話題を間違えたと感じた兼沢が必死でフォローすると、宇田川は微笑んだ。
「でもね、あの時は他にも勉強になることがあったの。GSOの早峰さん、団体のお客様を5人と5人に分けてエレベーターに誘導したでしょ? 詰めれば全員乗れるのにって、私、不思議に思ったんだけど。荷物の積まれた台車と、同じくらいの目線の盲導犬が隣り合わせになったら可哀相だものね。ああいう心配りって、大切だなってよくわかったわ」
「そうですか。どんなことからでも学ぶことができるんですね。僕も勉強になりました」
真面目な顔で頭を下げる兼沢の姿に、宇田川が噴き出す。
「兼沢君って面白いわね。さすが八木君のお友達」
「はあ」
ほめられたのか、けなされたのか、兼沢は複雑な心境で頷いた。
その時、警察と思しき一行が、手にいくつかのダンボールを持ってロビーを横切った。支配人室を捜索していたのだろう。
「大変なことになりましたね」
兼沢の言葉に、宇田川の表情が曇った。
「実はね、あの時、今井さん――今回、支配人達と一緒に亡くなった元コンシェルジュなんだけど、ロビーに立ってて私の方をじっと見てたのよね。何か言われるなって思いながら休憩室に戻ったら、もう帰られた後で……。まだ4時だったし、意外な気がしたんだけど、まさかその直後に亡くなっていたなんて。人生ってわからないものよね」
「そうなんですか。でも、昨日は指名手配犯がどうとか言って、ホテルの中が騒がしかったですよね。そんな大事な時に責任のある立場の人が3人揃って早く帰ってしまうなんて、どういうことなんでしょうね。しかも、その直後に殺されて……。犯人に呼び出されでもしたのかなあ」
兼沢がクラブサンドを手に首を傾げる。
「そうね。亡くなられた方を悪く言うのはいけないけど、特にオーナーはあちこちで恨みを買ってたんじゃないかしら。厳しい人だったから」
宇田川はコーヒーカップを手に取った。
「そうらしいですね。うちの父から聞いたんですけど、前の支配人、本当は他に恋人がいたらしいんですよ。でも、ホテルが危なくなった時にオーナーが現れ、実家の資産をちらつかせて前支配人を奪ってしまったって。しかも、結婚した後もネチネチとその元恋人をいたぶって、結局自殺させてしまったそうです。執念っていうかなんていうか……」
兼沢はそう言うと、クラブサンドにかぶりついた。
「そうだったの。前の支配人、とってもいい方だったし、どうしてオーナーみたいな女性と結婚したのか、不思議だったのよね」
彼女はため息を吐くと、カップをソーサーに戻して顔を上げた。
「あ、そう言えば……」
「そういへは……何れすか?」
兼沢が口を動かしながら尋ねる。
「今日、ロビーでちらっと、前の支配人にそっくりな男性を見かけたような気がしたのよね。さっき言ってた、エレベーターを待っていた時なんだけど」
「でも、前の支配人って、植物状態だって聞いてますよ」
兼沢がおしぼりで口の周りを拭きながら言った。
「それはそうなんだけど……。本当はもう元気になっているのに、ホテルの様子を探るために、老人ホームの職員の人達と口裏を合わせて隠してるって噂もあるのよ。多分、前の支配人を慕う人が多いから、そんな噂も流れるんでしょうけど。ごめんなさい、変なこと言っちゃって」
宇田川はペロッと舌を出した。そんな顔も可愛いなあと思いながら、兼沢は話題を変える。
「ああ、そうそう。山森莉未が自殺したんですってね。びっくりしましたよ」
「実は、あのご夫婦がお部屋に入られる時、私がバッグをお持ちしたのね。今考えると、莉未さん、かなり憂鬱そうな顔をしていたなあって思って。それに……」
「それに?」
兼沢に促され、宇田川は躊躇しつつ答えた。
「なんか、あのご主人、嫌な感じだったのよね。莉未さんの腕をつねったりして。私に見えないようにしているつもりだったんだろうけど、莉未さんが顔をゆがめたから気付いたの」
「それって、もしかしてDVってやつですか?」
「よくわからないけど……。多分、そうなんじゃないかと思うわ。――ここだけの話よ」
宇田川はそう言うと、腕時計を見た。
「私、そろそろ行かないと。ただでさえ大変なのに、ノーショーまで出ちゃって、みんな機嫌悪くて」
「ノーショーって何ですか?」
兼沢が尋ねる。
「予約しておいて、来ないってこと。しかも、アーリーチェックインのお客さんだったから、余計に腹が立っちゃって。予約の時に聞いた電話番号もデタラメだったみたいなの。多分いたずらでしょうね」
彼女がそう答えて立ち上がろうとした時、隣のテーブルに着いていた男性が声をかけてきた。
「すみません。ちょっとだけ話を聞かせてもらえないでしょうか」
彼の足元には盲導犬が寝そべっており、正面には綺麗な若い女性が座っている。
「はい?」
宇田川は困惑したように聞き返したが、それが宿泊客の一人だとわかり、慌てて笑顔を作った。
「私、松永零太郎といいます。ランチをとっていたら、たまたまあなた達の会話が聞こえてしまって……。団体のうち、エレベーターに乗ったのは5人と5人、つまり10人で間違いありませんか?」
「ええ。そうですけど……」
宇田川がいぶかしげに答える。
「では、その団体がチェックインした時、フロントでキーを受け取っていたのは誰でしたか?」
「さあ、お名前はわかりませんが、背の高い清潔そうな男性でした」
宇田川が慎重に答える。
「そうですか。ではもうひとつだけ。荷物が重たかったとおっしゃっていましたが、誰の荷物ですか?」
「ええ。1004号室の方です」
「そうですか。わかりました。ありがとう」
零太郎は軽く頭を下げると、振り返って言った。
「おい、サチコ。警視庁の谷部さんに連絡してくれ。調べてもらいたいことがあるってな。それから、美津島先生に、もう一泊したいと伝えてほしい。話があるから、後で部屋に伺うと言っておいてくれ。有藤君も一緒にとね」