2008年3月-4月
2008.4.13(日)
自宅近所にある横浜市の三ツ池公園内には、神奈川県と韓国・京畿道との友好提携を記念して造られた「コリア庭園」
があります。
毎年桜咲くこの季節、そこで「コリアデー」が開かれます。これはNPO法人民団国際協力センター(民団神奈川県本部)が国際交流の一環として「コリア庭園」で4年前から隔月で実施しているイベントです。キムチ・チヂミ・マッコリの販売ブースで舌鼓を打ったり、韓国伝統芸能のなかでも人気の高いサムルノリの演奏と踊りを楽しむことが出来ます。
この日はここに劇団のF君が来ると言うことで私も合流しました。実は6月5日(木)
神奈川県青少年センターホールにて青年劇場の舞台「族譜」を上演することになっており、ここに参加の皆さんもいろいろとご協力をして下さっているのです。(ありがとうございます!)そんなこんなで韓国の焼酎を飲みながら芝居の話をし韓国ムードをおおいにたのしんでまいりました。
サムルノリ!打楽器のリズムが爽快!
三ツ池公園は私のウォーキングコースですが、そこに劇団員がくるなんて(東京からは少し遠いものですから・・)おかしなものだと笑ってしまいましたが、考えてみればそれも芝居のおかげ。お芝居が人と人との出会いを広げてくれる・・その事を再確認した出来事でした。
みなさ〜ん!さらにグレードアップした青年劇場の舞台「族譜」を見に来て下さいね!6月に横浜桜木町の青少年センターホールで上演されます!
2008.4.6(日)
最近、体がだるくいやなストレスがたまっている気がして仕方がありません。
そんなときは何も考えないで坐禅にいきます。
何度か来ている日曜坐禅会ですが、今日は初めて坐禅堂の”内単(二重構造になっている堂の内側の部分)”に入ってみました。マナーが良くわからず緊張していましたが、それが逆に良い効果をもたらしたようで集中した坐禅を組むことが出来ました。思い切って何かをすることは新しい発見が必ずあるようです。
帰りに桜のすばらしい風景に出会いました。葉桜もしだれ桜も桜吹雪も美しく、お寺の風景に彩りを添えていました。
山門の脇の豪華な桜
2008.3.22(土)
昨夜、かつてロンドンでお世話になっていた劇団が、イングランド芸術評議会からの助成金をいきなり52%も削減されたというニュースを知りました。
すぐにインターネットで現地の関連記事のありかを調べ、英語辞書片手に必死で読みました。目の前にある新作を上演するためのとりあえずの資金確保は出来たようですが、劇団の今後のことを考えると心配です。「助成金削減という突然の通告は悲しいが、これからも子どもたちのために、子どもたちと共に質の高いすばらしい作品を作り続けて行く」・・と言う芸術監督の言葉に胸が熱くなり涙ぐんでしまいました。元気で活動し続けてほしいと強く願っています。
気高く背筋を伸ばして
2008.3.18(水)
とにかく、そわそわしてしかたがありません・・・
2日おいて三ツ池公園に出かけてみると・・・
いつも一番に美しい姿を見せてくれる染井吉野が二分咲きで風にゆれていました。
つぼみだった寒緋桜も花を咲かせています。
春の花特集オンパレードです。
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上 染井吉野
左上 寒緋桜
左下 菜の花 |
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2008.3.15(土)
この季節、一日ごとに花の様子が変化してきます。午前中からウキウキした気持ちで、三ツ池公園に出かけてみると、寒桜が満開に咲いていました。
カメラを片手にウォーキングをするのが趣味のようになってきたようです。今日だけで写真を112枚も撮ってしまいました。では早咲き桜をご覧あれ!
早咲きの桜
2008.3.10(月)
先週の土曜日English坐禅会の後、坐禅仲間でインド料理屋に行きカレーを食べました。その後少しウォーキングをしながら帰宅し、何となく横になっていたら急に胃がチクチクと痛み出し、月曜の本日に至っています。おかげで昨日は一日中寝込み、予定が大幅に狂い、それでもなんとか今日の午前中に仕事を済ませて近所の病院へ。
先生からは「一緒に食べた人もお腹が痛くなったか聞きましたか?」と言われしばし困惑・・だって一緒に食べた人たち5人すべて外国人で一人を除いては知らない人たちばかり。どう考えてもきけないよなぁ・・インドカレーが悪かったのか定かではありませんが、ともあれ病院のクスリでなんとか胃も回復中です。
ところでインド料理屋では英語オンリーの世界で久しぶりに緊張しまくり。相手の言っていることを聞き取ること、自分の考えを英語で喋ることの大変さを感じ、でもこの環境に身を置くことが英語の上達の一つでもあるのだとあらためて感じた次第です。
梅は〜咲いたか〜桜はまだかいな〜
2008.3.2(日)
田舎の岡山に一週間里帰りしておりました。実家では年老いた両親とたわいもない会話。それと「待ってました」と言わんばかりのめんどくさいお使い?にもつきあわされ、これも親孝行かと思いつつ過ごしてきました。
買い物ついでに近所を歩きまわってみると、知り合いのかたも一人又一人と亡くなられていたり、またご病気などで空き家がふえ続けて寂しい町内になってしまっていました。私たちが子どもだった頃が一番この町に活気があった!何と言っても地元の小学校は岡山市一のマンモス校だったのです。子どもがたくさんこの町にいた時代は輝いていた。
「この家もいずれは空き屋になるんじゃろうか・・」と寂しげな父の言葉を聞き、なんとも悲しくなってしまいました。そんな両親が生きてくれていることがどれだけ幸せなことなのかとも思わされた今回の里帰りでした。どんなに寂れた町内になっても故郷は故郷です。故郷に帰ることができる幸せ。ありがたいことなのです。
ふるさとの山に向かいて・・・
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