小児科医に胸を広げて見せる準
第82話:ずる休み
 …ジリリリリ
 枕元で、目覚まし時計が鳴っています。準は、目をつぶったまま、手探りでベルを止めました。
 …もう朝か。
 寝ぼけまなこで辺りを見回すと、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいます。小鳥のさえずりが聞こえてきます。
 …さ、寒い。
 いわゆる放射冷却で、晴れている今日は特別冷え込んでいます。外に出たくない準は、頭までふとんに潜って、ぐずぐずしています。
 …今日、体育があったっけ。鉄棒のテストの後、マラソンの練習って言ってたな。やだなあ。雨、降りそうもないし。学校、休みにならないかなあ。
 理由もないのに、臨時休校はありません。学校が火事になったらいいのに…とか、ついとんでもないことを考えてしまいます。
 …いやだなあ。学校行きたくないなあ。
 準が起きてこないので、お母さんが階段を上がって、準の部屋にやってきました。
 「準ちゃん、朝よ。早くしないと遅れるわよ」
 「う、うーん」
 準はふとんから半分顔を出すと、薄目でお母さんを見ました。
 「わかった、またやったのねー」
 「ち、ちがうもん、今日は。…あの、頭が痛いの」
 準は、か細い声で言いました。
 「あらっ、どうしたのかしら。風邪?」
 お母さんは、準のおでこに手をあてました。
 「大変、お熱があるわ」
 お母さんは、自分が洗い物をしていて、手が冷えてたために準の額が熱く感じられたことに、気づいていません。
 「どうする、学校行ける?」
 「……」
 「わかったわ、学校に電話しておくわね。今日は一日寝ておくのよ」
 「…うん」
 お母さんは、部屋を出て行きました。


 …ああ、極楽極楽。こんなにうまくいくとは思わなかったなあ。
 準は、ふとんの中で背伸びをしました。みんな学校に行っているのに、自分だけぬくぬくとパジャマで寝ていられるのは、いい気持ちです。準はしあわせを満喫していますが、それも長く続きませんでした。
 お母さんが部屋に入ってきて、準に言いました。
 「準ちゃん、着替えれる?」
 「へ?」
 「上村先生のところ予約とったから、診てもらいましょう」
 上村先生というのは、準のかかりつけの小児科医で、小さい頃から病気のたびに診察してもらっているのです。それを聞いて、準はうろたえました。
 「だ、だ、大丈夫だよ。そんなに悪くないし…」
 「何言ってるの。インフルエンザだったら大変よ。さあ、起きて」
 「…う、うん」
 いまさら仮病だとは言えません。準は渋々起きると、服を着替えました。


 「羽犬塚さーん」
 看護師さんに呼ばれて、準はお母さんと診察室に入りました。
 「おや、準くんどうしたの。夜尿症かい」
 「ち、ちがいます…たぶん」
 準は、先生の目を見ずに答えました。
 「この子、熱があるんです」
 「そうかい。じゃあ、座りなさい」
 先生に言われて、準は丸椅子に腰掛けました。 
 「脱いで」
 「へ?。こ、ここでですか」
 準は、あわてて立ち上がると、チャックに手をかけてズボンを下ろしかけました。
 「下じゃないよ、シャツじゃよ。きみのとうがらしなんか見てもしょうがないぞ。ワハハハ」
 「そ、そうですよね。ははは」
 準は、あわててズボンを上げると、シャツのボタンを外し、アンダーシャツをめくりました。先生と向き合うと、準はどきどきしました。
 「どれ。顔は赤いようじゃな。脈も速いし」
 先生は、まぶたをめくって眼を見ました。
 「はい、あーんして」
 「あーん」
 金属のへらで喉を診察すると、聴診器を胸に当てて心音を聴き、手でぽんぽんと触診しました。
 「はい、後ろ」
 先生は、準をくるっとひっくり返すと、こんどは背中を同じように診ました。
 「先生どうでしょう?。インフルエンザじゃないですよね」
 お母さんが尋ねると、先生はにこやかに言いました。
 「いや、大丈夫じゃよ。風邪のひきはじめじゃ。明日には元気に学校に行けるじゃろ」
 「そうですか、よかった」
 …よかった、ばれなくて。
 準も、胸をなで下ろしました。
 「じゃあ、お母さんは待合室で待っててください。準くんは、わしと話があるので」
 …どきっ。

 お母さんが診察室を出て行くと、先生はゴホンと咳払いをしました。
 「わぁ。ごめんなさい。ごめんなさい」
 「まだ何も言っとらんじゃろ」
 「そ、そうですね」
 「実は、お母さんにはああ言ったが、本当はすごい病気なんじゃ」
 「…えっ」
 「こんなでかい注射をけつに打たないと、大変なことになるぞ」
 先生は、両手の親指と人差し指で輪をつくると、準に見せました。準は、両手でおしりを押さえると、目を見開いて、首を横に振っていやいやをしました。
 「仮病じゃろ。ばかもんが」
 「いえ、あの、その…」
 「わしの眼がごまかせると思ったんか。まだ尻が青いのに、百年早いわ」
 「……」
 「全く、しょんべんたれのくせに、いらぬ知恵ばかりつけおって」
 準は、返す言葉もありません。
 「学校、行きたくなかったんか?」
 「はあ…」
 「まあ、そんな日もあるじゃろ。わしも身に覚えがあるからな。ワハハ。じゃが、お母さんに心配かけたらいかん。今日は一日病気らしくしてるんじゃぞ。で、明日はちゃんと学校行けよ」
 「はいっ。ご、ごめんなさい。もうしません」
 「ワハハハハ」
 深々と頭を下げる準を見て、すべてお見通しの上村先生は、愉快そうに笑いました。


 準は、うちに帰ると、言われたとおりおとなしく寝ていました。でも、朝みたいにしあわせな気分ではなく、後ろめたい気持ちで、本を読んだりしても落ち着きませんでした。


 「はいぬづかくーん」
 うとうとしていると、外で準を呼ぶ声がします。学校帰りの友だちが来てくれたみたいです。お母さんが応対している声が聞こえ、友だちは帰っていったようです。
 「準ちゃん、起きてる?」
 お母さんが部屋に入ってきました。
 「頭、まだ痛い?」
 「ううん、もう大丈夫」
 「そう、それはよかったわ。熱も下がったみたいね」
 「…」
 「今、狩留家さんが、給食のパンを持ってきてくれたわよ」
 お母さんは、”カセイのいちごジャム”と書かれた赤い箱を差し出しました。どういうわけか、欠席した子には、パンだけ届けられる習わしです。準は、今更ながら、今日の献立が大好きな”白身魚フライのタルタルソースかけ”だったことを思い出して後悔しました。箱を開けると、コッペパンとジャム、それと紙が入っていました。紙を広げてみると、寄せ書きで、クラスみんなの字で”はやくよくなってね”とか書かれています。準は、申し訳ない気持ちになりました。
 「そうそう、朝と昼はおかゆだったけど、夕食はふつうのものが食べれそう?」
 「うん」
 「じゃあ、準ちゃんの好きなものつくってあげるわ。何がいい?」
 「えっ」
 「それと、おやつにシュークリーム買ってきたから、持ってきてあげるわね」
 「うっうっ」
 「どうしたの?、どこか痛いの」
 「こ、これ以上ぼくにやさしくしないで…」
 準はあまりの罪悪感に耐えきれずに、思わず泣き出してしまったのでした。そして、もう絶対ずる休みはしないと、心に誓うのでした。


 「あ、大事なことを忘れてたわ」
 「え?」
 「体育、先生の都合で、明日になったんだって」
 「ななな…」
 「あと、宿題で漢字百字と計算ドリル3ページが出たそうよ。もう起きれるようだから、今からやりなさいね」
 「がーん」
 やっぱり、明日も休もうかな…と、ちょっとだけ考えてしまう、とっても悪い子の準くんなのでした。

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