…ジリリリリ
枕元で、目覚まし時計が鳴っています。準は、目をつぶったまま、手探りでベルを止めました。
…もう朝か。
寝ぼけまなこで辺りを見回すと、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいます。小鳥のさえずりが聞こえてきます。
…さ、寒い。
いわゆる放射冷却で、晴れている今日は特別冷え込んでいます。外に出たくない準は、頭までふとんに潜って、ぐずぐずしています。
…今日、体育があったっけ。鉄棒のテストの後、マラソンの練習って言ってたな。やだなあ。雨、降りそうもないし。学校、休みにならないかなあ。
理由もないのに、臨時休校はありません。学校が火事になったらいいのに…とか、ついとんでもないことを考えてしまいます。
…いやだなあ。学校行きたくないなあ。
準が起きてこないので、お母さんが階段を上がって、準の部屋にやってきました。
「準ちゃん、朝よ。早くしないと遅れるわよ」
「う、うーん」
準はふとんから半分顔を出すと、薄目でお母さんを見ました。
「わかった、またやったのねー」
「ち、ちがうもん、今日は。…あの、頭が痛いの」
準は、か細い声で言いました。
「あらっ、どうしたのかしら。風邪?」
お母さんは、準のおでこに手をあてました。
「大変、お熱があるわ」
お母さんは、自分が洗い物をしていて、手が冷えてたために準の額が熱く感じられたことに、気づいていません。
「どうする、学校行ける?」
「……」
「わかったわ、学校に電話しておくわね。今日は一日寝ておくのよ」
「…うん」
お母さんは、部屋を出て行きました。
…ああ、極楽極楽。こんなにうまくいくとは思わなかったなあ。
準は、ふとんの中で背伸びをしました。みんな学校に行っているのに、自分だけぬくぬくとパジャマで寝ていられるのは、いい気持ちです。準はしあわせを満喫していますが、それも長く続きませんでした。
お母さんが部屋に入ってきて、準に言いました。
「準ちゃん、着替えれる?」
「へ?」
「上村先生のところ予約とったから、診てもらいましょう」
上村先生というのは、準のかかりつけの小児科医で、小さい頃から病気のたびに診察してもらっているのです。それを聞いて、準はうろたえました。
「だ、だ、大丈夫だよ。そんなに悪くないし…」
「何言ってるの。インフルエンザだったら大変よ。さあ、起きて」
「…う、うん」
いまさら仮病だとは言えません。準は渋々起きると、服を着替えました。
「羽犬塚さーん」
看護師さんに呼ばれて、準はお母さんと診察室に入りました。
「おや、準くんどうしたの。夜尿症かい」
「ち、ちがいます…たぶん」
準は、先生の目を見ずに答えました。
「この子、熱があるんです」
「そうかい。じゃあ、座りなさい」
先生に言われて、準は丸椅子に腰掛けました。
「脱いで」
「へ?。こ、ここでですか」
準は、あわてて立ち上がると、チャックに手をかけてズボンを下ろしかけました。
「下じゃないよ、シャツじゃよ。きみのとうがらしなんか見てもしょうがないぞ。ワハハハ」
「そ、そうですよね。ははは」
準は、あわててズボンを上げると、シャツのボタンを外し、アンダーシャツをめくりました。先生と向き合うと、準はどきどきしました。
「どれ。顔は赤いようじゃな。脈も速いし」
先生は、まぶたをめくって眼を見ました。
「はい、あーんして」
「あーん」
金属のへらで喉を診察すると、聴診器を胸に当てて心音を聴き、手でぽんぽんと触診しました。
「はい、後ろ」
先生は、準をくるっとひっくり返すと、こんどは背中を同じように診ました。
「先生どうでしょう?。インフルエンザじゃないですよね」
お母さんが尋ねると、先生はにこやかに言いました。
「いや、大丈夫じゃよ。風邪のひきはじめじゃ。明日には元気に学校に行けるじゃろ」
「そうですか、よかった」
…よかった、ばれなくて。
準も、胸をなで下ろしました。
「じゃあ、お母さんは待合室で待っててください。準くんは、わしと話があるので」
…どきっ。
お母さんが診察室を出て行くと、先生はゴホンと咳払いをしました。
「わぁ。ごめんなさい。ごめんなさい」
「まだ何も言っとらんじゃろ」
「そ、そうですね」
「実は、お母さんにはああ言ったが、本当はすごい病気なんじゃ」
「…えっ」
「こんなでかい注射をけつに打たないと、大変なことになるぞ」
先生は、両手の親指と人差し指で輪をつくると、準に見せました。準は、両手でおしりを押さえると、目を見開いて、首を横に振っていやいやをしました。
「仮病じゃろ。ばかもんが」
「いえ、あの、その…」
「わしの眼がごまかせると思ったんか。まだ尻が青いのに、百年早いわ」
「……」
「全く、しょんべんたれのくせに、いらぬ知恵ばかりつけおって」
準は、返す言葉もありません。
「学校、行きたくなかったんか?」
「はあ…」
「まあ、そんな日もあるじゃろ。わしも身に覚えがあるからな。ワハハ。じゃが、お母さんに心配かけたらいかん。今日は一日病気らしくしてるんじゃぞ。で、明日はちゃんと学校行けよ」
「はいっ。ご、ごめんなさい。もうしません」
「ワハハハハ」
深々と頭を下げる準を見て、すべてお見通しの上村先生は、愉快そうに笑いました。
準は、うちに帰ると、言われたとおりおとなしく寝ていました。でも、朝みたいにしあわせな気分ではなく、後ろめたい気持ちで、本を読んだりしても落ち着きませんでした。
「はいぬづかくーん」
うとうとしていると、外で準を呼ぶ声がします。学校帰りの友だちが来てくれたみたいです。お母さんが応対している声が聞こえ、友だちは帰っていったようです。
「準ちゃん、起きてる?」
お母さんが部屋に入ってきました。
「頭、まだ痛い?」
「ううん、もう大丈夫」
「そう、それはよかったわ。熱も下がったみたいね」
「…」
「今、狩留家さんが、給食のパンを持ってきてくれたわよ」
お母さんは、”カセイのいちごジャム”と書かれた赤い箱を差し出しました。どういうわけか、欠席した子には、パンだけ届けられる習わしです。準は、今更ながら、今日の献立が大好きな”白身魚フライのタルタルソースかけ”だったことを思い出して後悔しました。箱を開けると、コッペパンとジャム、それと紙が入っていました。紙を広げてみると、寄せ書きで、クラスみんなの字で”はやくよくなってね”とか書かれています。準は、申し訳ない気持ちになりました。
「そうそう、朝と昼はおかゆだったけど、夕食はふつうのものが食べれそう?」
「うん」
「じゃあ、準ちゃんの好きなものつくってあげるわ。何がいい?」
「えっ」
「それと、おやつにシュークリーム買ってきたから、持ってきてあげるわね」
「うっうっ」
「どうしたの?、どこか痛いの」
「こ、これ以上ぼくにやさしくしないで…」
準はあまりの罪悪感に耐えきれずに、思わず泣き出してしまったのでした。そして、もう絶対ずる休みはしないと、心に誓うのでした。
「あ、大事なことを忘れてたわ」
「え?」
「体育、先生の都合で、明日になったんだって」
「ななな…」
「あと、宿題で漢字百字と計算ドリル3ページが出たそうよ。もう起きれるようだから、今からやりなさいね」
「がーん」
やっぱり、明日も休もうかな…と、ちょっとだけ考えてしまう、とっても悪い子の準くんなのでした。 |