月のうさぎと準
第78話:月のうさぎ
 近所の家で、うさぎの子どもが産まれました。
 うさぎはとても警戒心の強い動物なので、子うさぎに人間のにおいがついたり、まわりでうるさくすると、親うさぎが子育てをしなくなることがあります。だから、準がはじめて子うさぎを見せてもらったのは、離乳が始まってからのことでした。

 「わーっ、何匹いるんですか?」
 「4羽よ。…うさぎは鳥じゃないけど、1羽2羽って数えるのよ」
 「へぇ。…かわいいなあ」
 子うさぎたちは、思い思いにえさを食べたり、毛繕いをしたりしています。準は、すっかりうさぎのことが気に入って、それから毎日のように、うさぎに会いにやってきました。

 中でも、毛が真っ白で、ほかのきょうだいより身体が小さい子うさぎを、準は気にかけるようになりました。その子は、えさをあげても、ほかの子が争うように食べてる横で、なかなか食事にありつけないでおろおろしています。
 「ほら、いっぱい食べないと大きくなれないぞ」
 準は、抱っこしてやると、ペレットという固形のえさを砕いて、その子の口に運びました。
 「おまえの名前はピョンタだよ。はやく外をぴょんぴょん跳ね回れるようになるといいな」
 準は、ピョンタをなでてやりました。


 そんな日が続いたあとのことです。
 準は学校で、友だちにピョンタの話をしました。
 「ぼくの手からえさを食べたり、水を飲んだりするんだよ」
 「あら、うさぎって水をやっちゃいけないのよ」
 隣の女の子が、口を挟んできました。
 「えっ、そんなことないと思うけど…」
 そうは言ってみたものの、準はとても気になりました。

 学校が終わって、準は家に帰らずに、うさぎを飼っているうちへ直行しました。
 「おばちゃんこんにちはー」
 「あら、準くん…」
 おばさんは、言いにくそうに、でも、隠さずに、準に言いました。
 「ピョンタね、今朝、死んじゃったの」
 「えっ!」
 「病気だったのかしら。もっと気をつけてあげればよかったんだけど…」
 「……」
 あまりのことに、準はなんて言ったらいいかわからず、そのまま涙をこらえて、とぼとぼとうちへ帰りました。


 今日は仲秋の名月。月を見ながらピョンタのことを想い出していたら、目から涙があふれてきました。準はひとしきり泣くと、疲れてそのまま眠ってしまいました。

 「準くん。準くん」
 誰かに呼ばれて、準はうしろを振り返りました。見ると、人間の格好をしたうさぎの男の子が立っています。
 「ピョンタ!、ピョンタなの?」
 うさぎは、にっこりとほほえみました。
 「ごめんね、ぼくが水を…」
 「ううん、準くんのせいじゃないよ。ぼくらだってちゃんと水を飲むんだよ」
 「でも…」
 「ねえ、泣かないでよ。ぼくはね、もうこの世でやらなければいけないことを全部すませたから、帰るべきところへ帰っただけだよ」
 「でも、生まれたばかりなのに…」
 「長いとか、短いとか関係ないよ。ピョンタとしては終わっちゃったけど、いのちは永遠なんだよ。準くんにも、わかるときが来るよ」
 ピョンタは、話を続けます。
 「みんな誰も、この世に役割を持って生まれてくるんだ。ぼくは、誰かにかわいがってもらうために、生まれてきたんだよ。だから、準くんが一生懸命かわいがってくれて、ぼくは幸せだったよ。ほんとうにありがとう。ありがとう」
 ピョンタは、準の手を取って言いました。準も、ピョンタのもこもこした手を握りかえしました。
 「あっ、もう行かなくちゃ」
 「ちょっと待って」
 準はあわててピョンタのあとを追いかけようとしました。
 「こっちに来ちゃだめ。準くんには、まだまだやることがいっぱいあるんだ。苦しいこと、辛いこと、悲しいこともあるけど、楽しいこともいっぱいあるよ。じゃあね」
 準の目の前に、まばゆいばかりの光を放つ光の輪が現れました。ピョンタは、そのなかに消えていきました。

 「…はっ」
 準は、あたりを見回しました。
 「何だ、夢だったのか」
 準ははっきりしない頭のまま、ぼんやりと机の上に飾った一輪のススキの穂を眺めていました。


 次の日、国語の時間の最後に、先生が言いました。
 「夕べは十五夜だったね。君たちは、月にうさぎがいるって話を知ってるよね」
 みんな口々に、知ってるよ、とか、月には空気がないから、うさぎは生きられないんだよとか言いました。
 「じゃあ、どうしてうさぎがいるか、知ってるかい」
 誰も答えません。先生は、こんな話をしてくれました。

 「昔、さるときつねとうさぎがいて、仲良く暮らしていました。昼は野山に遊び、夜になると森に帰って一緒に寝ました。三匹はいつも、『ぼくらがいつも助け合っているように、誰か困った人がいたら、助けてあげようね』って話をしていたのです。
 それをご覧になった天の神様が、三匹の本当の心を知ろうと思い、みすぼらしい老人の姿に身を変えて、彼らの前に現れました。そして、『私はおなかがすいています。何か食べ物をください』と、三匹に言いました。
 それはお安いご用ですと、さるは林から木の実を採ってきて、きつねは川から魚を捕ってきて、老人に差し出しました。うさぎはあちこち跳び回って食べ物を探しましたが、とうとう何も見つけることができませんでした。
 うさぎは帰ってくると、『さるさん、柴を刈ってきてください。きつねさん、火をおこしてください』と言いました。さるときつねは、友だちのために言うようにしてやりました。
 うさぎは、『どうか、ぼくを食べてください』と言うと、燃えさかる火の中へ飛び込みました。3人は、あわてて火を消しましたが、うさぎは死んでしまったのです。
 老人は、元の天の神様の姿に戻ると、涙を流して言いました。『おまえたちは、みんな思いやりがある。でも、うさぎは特別心が優しいなあ』。そして、うさぎを抱きかかえると、空に昇っていき、月に葬ってやったのです」

 「どうだい。みんなはうさぎと同じことができるかな」
 子どもたちは、そんなことできないよ、と口々に言いました。
 「そうだね。先生だってできないよ。うさぎはいい格好をしようとしたんだとか、さるやきつねに無理を言われてやむにやまれずにとか、いろんな見方ができるお話だ。だけど、先生はうさぎの純粋な気持ちだと考えたいな。人間は自分の器でしかものが見れないから、ついつい自分に合わせて人を判断してしまいがちだ。だけど、君たちには、自分にできないことをやってのける人の、志みたいなものは感じ取れる人間であってほしいな。
 もちろん、いのちは大事なものだ。自分の生き方は、自分で決めないといけないよ。このお話は、ひとつしかない生命の大切さも教えているんだよ」


 準は十六夜(いざよい)の月を見上げています。
 ピョンタも、きっと月に帰っていったんだと、準は思いました。

 ぼくは、何のために生まれてきたのだろう…。答えは、生きていく日々のなかにあります。



(補足)
 先生のお話は、古くから伝わる仏教説話が元で、『今昔物語集』巻第五第十三話「三の獣、菩薩の道を行じ、兎、身を焼ける語」や、良寛の長詩「月の兎」を底本に、よりうさぎの行為を純化するために、多少書き直しました。なお、本来は帝釈天ですが、先生がわかりやすくお話ししたという想定で、天の神様としました。
 機会があれば、ぜひ一度、良寛の「月の兎」を味わってみてください。

(余談)
 「うさぎは水を飲まない」というのは迷信です。飼う場合は、ちゃんと水をあげましょう。

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