クモハ42型電車と準 ロケ地:長門本山駅
第71話:チョコレート電車
 「準、チョコレート電車乗りに行くぞ」
 ある日曜日の午後、お父さんが準に声をかけました。
 「チョコレート電車!。行く行く」
 準は、弾んだ声で答えました。

 「えーっ、チョコレート電車って、車内でチョコレート食べ放題とか、そういうんじゃないの?」
 「ハハハハ。それじゃまるで真夏の納涼ビヤガーデン電車みたいなノリじゃないか。いかにも食いしん坊準くんだな。でも、チョコレートでできた電車と思わなかっただけ、ちょっとだけ現実が見えてきた十歳児らしくていいぞ」
 「うん」
 件の”チョコレート電車”が運転されている路線までの道すがら、お父さんと準はそんな話をしました。
 「その電車はね、クモハ42型といって、JRの現役電車では一番古いんだ。昭和8年製で、あのSLやまぐち号のC57-1が昭和12年だから、それより古いんだ。旧型国電と呼ばれた古い国鉄電車の、最後の生き残りだよ。あ、国鉄って、今のJRだよ」
 準は”日本国有鉄道”を知りません。
 「カルダン式ではなく釣掛式という古い駆動方式で、独特の音がするんだよ。昔は関西地区の急電…今の新快速に使われたあと、横須賀線や伊東線で活躍して、宇部電車区(通称居能電車区)に来たんだ。昭和56年に、宇部・小野田線に新型の105系が投入されて、仲間たちはみんな廃車になったんだけど、本山支線というところだけ、単行…つまり1両で運行されていたために、当時ほかに代わりがいなかったから、今日まで古い42型が残ったんだよ」
 「ふうん。で、何でチョコレート電車って言ったの?」
 「色がチョコレートみたいだからだよ。正確には”ぶどう色2号”って言うんだけど。チョコレートって言ったら、準が喜んでついてくるかと思って」
 「えーっ。別にチョコレートにつられてきたんじゃないもん。ぼくも電車好きだし」
 「ハハハハ」

 宇部線・小野田線と乗り継いで、結局途中のキヨスクで買ってもらったチョコレートを準が食べ終わった頃、ふたりは雀田(すずめだ)駅に到着しました。デルタ型のホームの反対側に、そのチョコレート電車は停まっていました。
 「わーっ。ほんとにチョコレートみたいな色だ!。ぼく、ちょっと舐めてみようかな」
 「おいおい」
 ふたりは、車内に乗り込みました。
 「すごい、中が木だよ!」
 準は、ニス塗りの内装や板でできた床を見て歓声を上げました。
 「うわっ、天井に扇風機がある!」
 「そういや今じゃ冷房が当たり前で、電車で扇風機は見なくなったな」
 椅子が堅い!。窓が狭い!とか言いながら、準はあちこち移動しています。見るもの触るものすべてが、準には物珍しく映ります。

 準がひとしきり見て回った頃、ようやく発車時間になりました。
 ”今日も、JR西日本をご利用いただきまして、ありがとうございます…”
 「わっ、ワンマンカーだ。バスみたい!」
 電車が動き始める頃、準の興奮は最高潮に達しました。
 「すごいすごい。”ぶーん”って音がする!」
 準が、床下から聞こえる唸るようなモーター音に驚いています。
 「普通の電車と違うだろう?」
 「うん」

 電車は家々や田んぼの中を抜けて、浜河内(はまごうち)駅に到着しました。浜河内を出て切り通しを抜けると、ATSの警報ベルが鳴り、電車はゆっくりと減速しました。
 ”ご乗車ありがとうございました。まもなく、長門本山(ながともとやま)です。お降りの際、切符または運賃を、運賃箱にお入れください”
 「終点だよ」
 「えっ、もう?」
 雀田−長門本山間はわずか2.3キロ、所要は5分なのです。

 長門本山駅は、少し離れたところに製油所があるとは思えないほど静かな駅です。道路をはさんだ向こう側は、瀬戸内海・周防灘です。
 「ずいぶんたくさん人が乗ってたねえ」
 準が言いました。
 「実はね、この電車、今年の3月で引退…つまり、ここからいなくなっちゃうんだ」
 「えっ」
 「保存されるようだけど、こうやって毎日毎日お客さんを乗せて走るのは、あと少しなんだ」
 「何で?。せっかく長いことがんばってきたのに…」
 「古いからねえ。故障しても代わりの部品がないんだよ。以前は、ほかに5番、6番って仲間がいたんだけど、どちらも解体されたんだ。この1番に部品を提供するために…」
 「……」
 「だから、みんな別れを惜しんで、全国からたくさんのファンが来てるんだよ」
 「そうだったんだ…」

 約30分の停車時間の間、みんな思い思いに写真を撮っています。ようやく人がとぎれたのを見て、お父さんが準に声をかけました。
 「ほら、準。写真撮ってやるから、そこに立って」
 準は電車のそばに立つと、そっと車体に手を触れました。近くで見ると、外板はべこべこにへこんで、さすがに古さを感じます。でも、夕映えに照らされた茶色の車体はきらきらと輝いて神々しく、威厳に満ちて準の目に映りました。
 …ぼくの7倍も生きてきたんだねえ。ありがとう、そしておつかれさま。でも、さよならは言わないよ。
 準は70年という年月の長さに想いをはせ、そっと電車をなでてやりました。あまりそうしていると涙が出そうになってきたので、準はあわてて電車のそばを離れました。

 「さあ、準。そろそろ電車が出るよ」
 「うん」
 お父さんと準は、折り返しの雀田行きに乗り込みました。準は、さっきと違う気持ちで、車内を見て回りました。準は、このクモハ42001のほかに、犠牲になった005.006のことも考えているに違いありません。チョコレート電車。本当にわずかな時間でしたが、準はこの電車との出会いを、いつまでもいつまでも憶えていることでしょう。


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*クモハ42001は、2003年3月14日のダイヤ改正の前日まで本山支線で運転される予定です。ただし、交番検査、あるいは不測の故障時には、クモハ123が運用にはいることになります。引退後は、山口県内で保存される模様です。
*クモハ42については、いろんな方がHPで写真を公開されてるので、検索してこの車輛の魅力を味わってください。私の画力では、その質感を表現するにはあまりにも力不足でしたので、取材で撮ってきたデジカメの写真を1枚だけアップしておきます。kumoha42001.jpg←この写真のみ、素材とかとして転用可とします。ただし、商業利用は不可です(誰もしないと思いますが…)。そのほかの絵や文章は、すべてMeteorが著作権を有します。 
*準からの注意…宇部線・小野田線の電車はトイレがついてないから気をつけてね。

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