教室でおもらしして、困ってる準
第70話 : 教室で…
 …あ、あと10分、いや、5分。
 準はさっきから、落ち着かない様子で教室の時計を見ています。

 5時間目が終わって、今やってる帰りの会が終わったら放課です。本当なら楽しい気分になる時間なのですが、今の準はそれどころではないのです。
 底冷えがしたせいか、準はおしっこを催してしまいました。おしりをもぞもぞ動かしたり、足をばたつかせたり、ズボンの前を押さえたり…あと少しだから大丈夫と自分に言い聞かせる準ですが、とうとう限界が来てしまいました。

 …あっ。
 準は声にならない声を漏らしました。とうとうおしっこが出てしまったのです。一生懸命力を入れても、おしっこは準の意志に反して、止まりません。準はなすすべもなく、椅子からしたたり落ちた自分のおしっこが、床に大きな水たまりをつくるのを呆然と見送るしかありませんでした。

 …ど、どうしよう。
 全部出てしまって、準はあたりを見渡しました。ここで「先生おしっこがもれました」って言える子なら、もらす前に手を挙げてトイレに行かせてもらっています。以前そうだったように、準は誰かに”発見”されるのを待つしかありませんでした。
 ところが、誰も声をあげません。どうやら、準のおもらしに気づいた子はいないみたいです。準はたまたま教室の一番後ろの窓際の席なので、後ろから見られていないのと、教室がざわざわしていたために、派手な水音も聞こえなかったようなのです。

 「起立。礼」
 「先生さようなら」
 そうこうするうちに、帰りの会は終わりました。準ももどかしげに立ち上がって挨拶すると、もう一度冷たくなった自分の椅子に座り直しました。ほかの子たちは、てんでにカバンを持って、教室を出ていきます。準は、おもらしがばれないように、引き出しをあけて何か探してるふりをしながら、みんなが帰るのを待ちました。

 とうとう誰も準がおしっこをもらしたことに気づかないまま、最後の子が教室をあとにしました。準は上履きと靴下を脱いで、ほっとため息をつきました。
 でも、これからが大変です。濡れたズボンのまま帰ったら、道行く人みんなに、「ぼくはおもらししました」って宣伝しているようなものです。だいたい、濡れたパンツはもう冷え切っていて、このまま外に出たら風邪を引くことでしょう。いつかみたいに保健室で着替えを借りるという手もありますが、「あら、またなの?」って保健の先生に言われるし、翌日返しに行くのが決まりが悪いのでいやなのです。
 …そうだ。
 準は今日の3時間目が体育だったのを思い出しました。準はごそごそと袋から体操ズボンを出しました。替えのパンツはないけど、この際贅沢は言ってられません。準は誰も教室に戻ってこないのを確認して、壁に向かって濡れたズボンとパンツを一気にばっと下ろしました。そして、ズボンの濡れてないところで下半身を適当に拭くと、手早く体操ズボンをはきました。
 それから準はバケツと自分の雑巾を持ってきて、椅子と床の水たまりを拭きました。脱いだ汚れ物は、机の中にあった理科教材が入っていたビニール袋に入れて、ランドセルにしまいました。

 準はとぼとぼと学校をあとにしました。最後の授業が体育だったときに、体操着から着替えないで帰る子もいるので、もしほかの人に聞かれたらそう答えようと、準は思いました。
 …さ、寒い。
 今日はとても寒いのです。パンツをはいてないので、半ズボンの裾からのすきま風がよけいに冷たく感じられます。おまけに、ちゃんと拭いていないので、股やおしりがかゆくてしょうがありません。それでも準は平静を装って、ようやくうちに帰り着きました。


 「…ただいま」
 「おかえり。あら、ズボンどうしたの?」
 準を一目見ると、お母さんが言いました。
 「えっ。最後が体育だったから着替えなかったの」
 「ズボンだけ?」
 「あ、だから、その…」
 「早く着替えなさい。おやつにするから」
 「はぁい。…あ、それと制服のズボン、ちょっと汚れちゃったから洗ってくれる?。ぼく、自分で洗濯機に入れておくから」
 準はそう言うと、脱衣所の洗濯機のところに行って、ランドセルから”おみやげパンツ&ズボン”をこっそり取り出すと、洗濯機の水の中に浸けました。
 …よかった。これでお母さんにもばれないよ。

 隠蔽工作を終えた準が二階に上がろうとすると、お母さんが呼び止めました。
 「ちょっと準ちゃん」
 「な、なあに?」
 「…あなた、体育の時はパンツを脱いでズボンをはくの?。洗濯機の中にパンツもあるじゃないの」
 「えっ……。その、だから。脱パンツ健康法…とか」
 しどろもどろの準の鼻をちょんと突っついて、お母さんが言いました。
 「またもらしたんでしょ」
 「ぼく、絶対、おもらしなんかしてないよ」
 「どうも様子がおかしいと思ったわ。かゆそうだし、おしっこ臭いし」
 「…ごめんなさい」
 「どこでやっちゃったの?」
 「…教室」
 「えーっ。しょうがない子ね。みんなに笑われたでしょう」
 「誰にも見つからなかったよ」
 準は、一部始終を話しました。
 「準ちゃん、ちょっと気になったんだけど…」
 「ごめんなさい。ぼくもうおもらししません…たぶん」
 「そうじゃなくて、準ちゃんはいっしょに帰ろうとか言ってくれる友だちはいないの?」
 「いないことはないけど…。今日はたまたまひとりぼっちだったんで、助かったんだよ」
 「笑われても、からかわれても、みんなに気にかけてもらえる方が、お母さんはいいと思うわ」
 「そうかなあ」
 「あなたは、人から話しかけるのを待ってるタイプよね。もう少しほかの子に、自分からお話ししてみたらいいわ。そうしたら、今日みたいに困ったことがあっても、誰か助けてくれるかもね。見て見ぬふりをされたのだったらいやよね。そんなことはないと思うけど」
 「うん」
 準はこくりとうなずきました。
 「まあ、そんな積極的な性格だったら、『先生おしっこ!』って言ってるわよね」
 「えっ。まあ…。えへへへ」
 準は頭をかいて笑いました。お母さんもそれ見て笑顔になりました。
 「お湯わかしてあげるから、ちゃんと拭いてから着替えなさい。今日のおやつはぜんざいよ(注)」
 「わぁい」
 「…で、準ちゃん、上履きはどうしたの?。濡れたんでしょ」
 「あっ!。持って帰るの忘れた…」
 完璧に後始末したつもりだったのですが、いつもどこか抜けてる準くんなのでした。


(注)うちの方では、粒あんのお汁粉を「ぜんざい(善哉)」と呼びます。東日本の「ぜんざい」とは違うもので、「田舎汁粉」と同じと思います。

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