−第62話から続く−
準は、朗読会に出なければならなくなったことを、保健の先生に話しました。
「…それにしても、おもらししちゃったり、いやなことばっかり。生きていくって、つらいなあ」
準は、はぁっとため息をつきました。
「あらあら、もう何十年も生きてきたみたいな口振りね。まだおしり青いくせに」
先生は、笑いながら言いました。
「えっ。もう青くないと思います…たぶん」
昨日お着替えのときにおしりを見られているので、準はどきっとしました。準はあわてて振り返ると、パンツをめくって見ようとしました。
「ふふふ、たとえ話よ。人生、まだまだつらいこと、悲しいこと、苦しいことがいっぱいあるわ。おもらしなんて、大人になったらいい想い出よ」
「そうですかー。でも、こんなことになるくらいだったら、恥ずかしくてもおしっこ行かせてくださいって言えばよかったなあ」
「そうねえ。おもらしして保健室に来る子は、みんなおとなしくて恥ずかしがり屋さんばっかりなのよ。先生やクラスメートに気を遣って、授業を中断させてはいけないと思って我慢してる、思いやりのある優しい子でもあるわね。がんばりやさんだし。結果は残念だったけどね」
「ええ。ぼく、なかなか自分のことが言い出せなくて、いつも困ってるんです」
「で、朗読会もいやだって言えなかったのね」
「そうなんです。こういう性格だから、ぼくには無理なのに」
準は頭をかきながら、話を続けます。
「前もそうだったけど、その、少しちびっちゃったとき、あわてて止めようとしたんだけど、どうしてもだめだったんです。あとからあとからあふれてくるぼくのおしっこを見ながら、人間、自分の力じゃどうしようもないことってあるんだなあって思いました」
「そうね。あれは確かに止まらないわね」
「だから、ぼく、無理なことならやらない方がいいかなと思って」
おもらしの一件で、すっかり自信喪失している準です。
「それは違うわよ。きみの言うとおり、人間、どんなにがんばってもできないことってあるわ。でも、それはやってみて初めてできるかどうかわかることなのよ。おもらしは、がんばった結果だから仕方ないわ。朗読会は、まだやってみないのに、どうしてできないって決めるの?。それはいけないと思うわ。きみはがんばりやさんだから、チャレンジしてみるわね?」
「…でも、あいつ、おしっこもらしたくせにとか、みんなに思われてるんだろうなあ」
人一倍自意識過剰な準くんなのです。
「そんなの関係ないわ。むしろ朗読会でかっこいいところを見せたら、みんなきみのことを見直すわよ。担任の先生も、きっとそう思われたから、きみを指名したんだと思うわ。優しくて思いやりのあるきみなら、感情を込めて読むことができるし。きっと大丈夫よ」
「ぼくにできるかなあ」
「がんばって!」
まだ不安そうな準の肩を、先生は励ますようにぽんぽんとたたきました。準はこくりとうなずくと、保健室を後にしました。
準たち4年生が読むのは、教科書に出ている新美南吉の『ごんぎつね』です。いたずらした罪滅ぼしに、子狐のごんは栗やなにかを兵十に届けてやるのですが、また悪さをしに来たと間違われて火縄銃で撃たれてしまう…という、悲しくもいつまでも心に残る名作です。クラスの代表が、交代で読んでいくという形式なのですが、公平を期すため、どこを読むかはくじ引きで決めることになりました。準は運悪く、一番最後を担当することになりました。こういうことは、一番最初も緊張しますが、自分の順番を待っていないといけないので、おしまいはもっといやなものです。準はやれやれと思いましたが、決まったものは仕方ありません。
それから当日まで、準たちクラス代表は、昼休み、遊んでる友だちを後目に、空いた教室に集まって、読み合わせをしました。準は、うちに帰ってからも、寝る前パジャマに着替えた後、お父さんとお母さんに聞いてもらって練習をしました。間違えないように読むのはもちろんですが、大きな声ではっきりと、感情を込めてゆっくり読むことが大事です。準は、前の日に体育館で予行演習をするまでには、もう自分のパートはほとんど覚えているまでになりました。
いよいよ本番です。準たちはクラスメートから別れ、体育館の舞台の袖で、3年生が終わるのを待っています。準は自分が読むところを、教科書を見ながら黙読していたのですが、そのうちふっとあることが頭をよぎりました。
…どうしよう、なんだかおしっこしたくなっちゃった。
もちろんさっきトイレは済ませてきたのですが、緊張してるためか、おしっこのことが気になってしまったのです。先日の大失敗が、準の脳裏をよぎります。もし、舞台の上でもらしたら…準はぶるっと身震いしました。でも、ひとりだけ今からトイレに行くのは恥ずかしいなあ…。
そんなことを考えてもじもじしていると、5組の子が準に声をかけてきました。
「ねえ…」
−第64話へ続く− |