「準ちゃん、ちょっとこれを着てみて」
準がぼーっと自分のこいのぼりを見上げていると、お母さんが呼びました。今日は5月5日、子ども…いえ、男の子の日です。
「はーい」
準は返事をすると、お母さんがいる居間に向かいました。お母さんはよく準の洋服を手作りしてくれます。仮縫いの段階で準の背丈と合わせるために、いつも呼ばれるのを準はよく知っています。またシャツでもつくってくれたのかと、準は思いました。
「はい、これよ」
お母さんは、なにやら赤い布を準に渡しました。
「…?」
準が広げてみると、エプロンみたいです。でも、真ん中に大きく「準」と書いてあります。これってどこかで見た気が…。
「…な、なにこれ」
準がおそるおそる訊くと、お母さんはこともなげに言いました。
「腹掛けよ。金太郎さんがしてるでしょ」
…やっぱり。
「これ、着るの?。恥ずかしいよ」
「そんなことないわ。男の子らしくてかっこいいと思うけど。それともスカートにする?」
「…き、着るよ」
「よかった。さあ脱いで脱いで」
お母さんに言われると、断れない準くんです。仕方なくシャツとズボンを脱ぐと、ひもを首に掛けました。
「あら、パンツも脱ぐのよ」
「えーっ」
準はしぶしぶパンツを脱ぎました。お母さんの前で裸になること自体は、まだ全然平気なのです。
「とってもよく似合ってるわ」
お母さんは、背中のひもを結んであげると、手をたたいて喜びました。
「そ、そう?」
こんなものに似合う、似合わないというのがあるのかどうか知りませんが、お母さんに誉められると、ついそうかなとか思ってしまう準くんです。
「…でも、丸見えなんだけど」
準はすそを下に引っ張りながら言いました。
「おしっこしやすくていいじゃない。あなたにはちょうどいいわ」
「もう…。これじゃみっともなくて表を歩けないでしょ」
準が言うと、お母さんは大笑いをしました。
「ばかねえ。そんな格好でうろうろされたら私の方が恥ずかしいわ。それは寝るとき着るのよ。あなた寝相が悪くていつもおへそ出して寝てるから、寝冷え防止よ」
「そ、そうだよね。ははは…。なんだ、びっくりした」
準も笑いました。
準は前の服に着替え直すのも面倒なので、しばらくそのままいることにしました。今日は汗ばむくらいの陽気です。準は窓際に寝ころんで、ガラス越しに空を眺めていました。
「準くん」
ふと気がつくと、誰かが窓をたたいています。準はそちらを見てびっくりしました。呼んでいるのが、こいのぼりだったからなのです。団地サイズより大きくなっていますが、紛れもなく準のこいのぼりです。
「背中に乗ってごらん。空の散歩に連れてってあげよう」
「えっ、ほんと?。うれしいなあ」
準は喜んで、こいのぼりの背中にまたがりました。
「しっかり持っててね」
こいのぼりはそう言うと、口を大きく開けて、おなかにいっぱい空気を入れて浮き上がりました。
「うわぁ、高い」
たちまち街並みを見下ろすところまで昇って、準は思わず声を上げました。本当なら楽しいはずなのですが、準にはひとつ気になることがあるのです。
「ねえ、もしかして怒ってない?」
「どうして?」
「ほら、ぼく、もう一匹をだめにしちゃったから…」
準が幼稚園のころ、クレヨンで落書きして、それ以来緋鯉は箱に入ったままなのです(注)。
「そりゃあひとりぼっちはさびしいけどねえ…」
こいのぼりはしみじみと言いました。
「でも、ほかの季節は箱の中でいっしょにいれるわけだし、それで充分だよ。準くんはいいと思ってやってくれたんだし」
「ごめんね」
「いいよ」
こいのぼりが赦してくれたので、準は安心しました。
「あっ、虹だ!」
手に届きそうなところに虹を見つけて、準は思わず手を伸ばしました。
「手を離しちゃだめ!」
「えっ。ああーっ」
準はバランスを崩すと、真っ逆さまに落ちていきました。下は海です。
…もうだめ。
「準ちゃん。準」
「……?」
気がつけば、お母さんが準の肩を揺すっています。
「あれぇ、ぼく夢を見てたのか。…よかった、危ないところで起こしてくれて」
「まだ腹掛け着てたの?。そんな格好でうたた寝してたら、風邪を引くわよ。早く着替えなさい」
「はぁい」
お母さんが部屋を出ていってから、準は窓の外を見ました。軒下で、一匹の小さいこいのぼりが揺れています。
…これからはふたりとも大切にするからね。
こいのぼりは知らん顔をして泳いでいます。それでも、夢の中で「ごめんね」って言えてよかったと、準は思うのでした。
(注)=第5話:「こいのぼり」参照。
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