たんぽぽといっしょに春風に吹かれる準
第40話:たんぽぽ
 「準くん、ゆうべおねしょしたでしょ」
 準が教室の自分の机に座っていると、いきなり隣の女の子が小声で話しかけてきました。
 「えっ。い、いや、ぼ、ぼく、おねしょなんかしないよ!」
 準はうろたえながらあわてて否定しました。
 「ふふふ、隠してもわかるのよ。だれにもないしょにしておくから心配しないで」
 「・・・・・・」
 ・・・どうしてばれたんだろう。
 確かに準は、またおねしょをしてしまっていたのです。でも、クラスメートは誰ひとり準がまだおねしょをしていることを知らないはずです。なのに・・・。

 昼休みです。準はさっきの女の子の言葉が気になって遊ぶどころではありません。考え事をしながら、動物園の白クマのようにうろうろ歩き回っています。
 ・・・変だなあ。ふとん干されてるの、見られたかな。
 以前、せかいちずを何人かに目撃されてしまったことがありましたが、今朝は大丈夫だったはずです。と言うのも、今日のはふとんにでっかいしみができるほどじゃなく、パジャマまでで被害はおさまったので、おねしょぶとんを見られることはないからなのです。
 ・・・変だなあ。
 「あっ!」
 準は渡り廊下の段差につまづいて転んでしまいました。上の空で歩いていたので、足元をよく見ていなかったのです。
 「いったーい」
 思わず準の眼から涙があふれてきました。でも、下級生たちが見ているので泣くわけにはいきません。準はそっと手の甲で涙を拭うと、血が出ている膝小僧をさすりながら立ち上がりました。
 ・・・あーあ、今日はろくなことがないな。


 「・・・失礼します」
 「いらっしゃい。・・・おや、またなの?」
 「い、いえ、今日は違うんですが」
 準がやってきたのは保健室です。ドアを開けると、以前お世話になった保健の先生が、準を迎えてくれました。
 「転んじゃったんです」
 「あらあら。こっちに座りなさい」
 先生は準をイスに座らせると、脱脂綿や消毒液などを棚から取り出して、準の前に座りました。そして、治療するために準の膝小僧に顔を近づけると、ちょっと首を傾げて言いました。
 「あなた、今朝おねしょしなかった?」
 「えっ、ど、どうしてわかるんですか?」
 準はびっくりしました。どうしてトップシークレットがみんなにばれるのか、準にはどうしてもわかりません。
 「それで、パンツ替えなかったでしょ。おしっこのにおいがするからすぐわかるわ」
 「え、ええ、まあ、その・・・」
 今朝起きたときにもう半乾き状態だったので、準はパンツをはき替えずに、そのまま制服のズボンをはいて学校に来たのでした。この子は結構ずぼらな性格なのです。
 「ちゃんと着替えなきゃだめでしょう。それじゃ『ぼくはおねしょしました』って宣伝して歩いているようなものよ」
 「・・・はい」
 ・・・それでばれちゃったのか。

 「ねえ、フランス語でたんぽぽのこと、なんて言うか知ってる?」
 治療が終わって、先生が準に話しかけてきました。
 「・・・いえ」
 「"pissenlit"(ピサンリ)って言うのよ」
 「・・・そうですか」
 「それで、pissenlitにはもう一つ意味があってね、『おねしょ』を指す言葉なのよ」
 「えっ・・・。黄色いからですか?」
 「ふふふ、そうじゃないのよ。たんぽぽの葉っぱや根には利尿作用・・・つまり、おしっこがいっぱい出る薬の成分が含まれてるの。だから、たんぽぽのお茶とか寝る前に子どもに飲ませるとおねしょしちゃうから、そういう名前なんだって」
 「へえ・・・。でも、おしっこがいっぱい出る薬なんていやだな。おしっこなんかあんまり出ない方がいいのに」
 よくおしっこで苦労してる準は、つい本音を言いました。
 「あら、おしっこが出るのはとても大事なことなのよ。世の中には、おしっこが出ない病気で苦しんでいる人もいっぱいいるのよ。それを考えたら、おねしょすることができるって幸せなことかもしれないわね。大丈夫よ、気にしなかったらそのうち治るから」
 「はい」
 準は安心して返事をしました。
 「でも、下着はいつも清潔にしておかないとだめよ。かゆくなって、そのうち赤くなるわよ。またパンツ貸してあげようか?」
 「い、いえ、いいです。・・・どうもありがとうございました」
 準は頭を下げると、保健室をあとにしました。


 放課後、準は下校途中、川の土手にやってきました。ここは準がひとりになりたいときとかに、来る場所なのです。 すっかりいい陽気になって、つい道草したくなります。
 腰を下ろしてふと見ると、セイヨウタンポポが黄色い花をつけています。準はランドセルをおろすと、花がよく見えるように腹這いになりました。
 「ふふふ。きみ、おねしょって名前なんだってね」
 準はそっとたんぽぽに語りかけました。ごくありふれた小さな花が、なんだかとても親しみのあるものに思えてきたのです。
 「・・・そうか」
 準はふと、おねしょしたでしょ、と言ってきた女の子を思い出しました。
 ・・・もしかしたらあの子も。いや、そんなことはないよね。 明日訊いてみようかな。でも、恥ずかしいなあ。どっちがいいと思う?。
 たんぽぽはもちろん答えてくれません。でも準はもうすこしだけ、たんぽぽといっしょに、川面を渡る春風に吹かれていよう思いました。気持ちのよい陽だまりのなか、ついうとうとしたくなる、そんな午後のことでした。

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