昔を想い出す準
第39話:記憶の発端
 「ぼく、ここ行ったことがあるような気がするなあ」
 準が言いました。どこから引っぱり出してきたのか、窓際で古いアルバムを見ています。
 「え。あらあら、それは私たちの新婚旅行の写真じゃないの。どこへ行くにもあなたを連れていったつもりだけど、それはちょっと無理みたいね」
 洗濯物を入れていたお母さんが、笑いながら言いました。
 「そうだぞ。おまえはまだお母さんのおなかにもいなかったはず・・・たぶん」
 お父さんもやってきて、なぜか指で数を数えながら言いました。
 「・・・そうかなあ」
 「それは心理学で言うと、既視感(デジャ・ヴ)ってやつだな。そうでなければ、昔お父さんかお母さんが、おまえに語って聞かせたのを、自分の体験と思ってるだけだな」
 「・・・・・・」
 「そう言えば、ひいおばあちゃんの法事のとき、準ちゃんが突然、『ぼく、そのおばあちゃんといっしょに遊んだことがあるよ』って言ったことがあったわね」
 お母さんが言いました。
 「そうだよ」
 「でも、ひいおばあちゃんは、あなたが生まれる前に亡くなってるのよ。たぶん、みんながひいおばあちゃんの話をして、自分だけ知らないものだから、お話の仲間に入りたかったのね」
 「そんなことないもん。ほんとにいっしょに遊んだことあるんだもん」
 準は、むきになって反論しました。
 「ハハハ。幼い頃の記憶なんて、結構曖昧なものだな」
 お父さんに言われて、準は面白くありません。

 「ねえ、お母さん。ぼく、3つくらいのとき、入院したのよく憶えてるよ」
 「そうね。もう少しで肺炎になるところだったのよ」
 「あのとき、病院の売店で三ツ矢サイダー買ってもらったよ。それから、おばちゃんがお見舞いに来て、こんなでっかいペロペロキャンディくれたよ。それから・・・」
 「病院が丘の上で、夜、窓から見えるコンビナートの明かりが不夜城みたいできれいだったわね。火を噴く煙突が幻想的だったわ」
 「あーん、それ言おうとしたのに」
 「あら、ごめんなさい。準ちゃんは、昔のことをよく憶えてるのね」
 なんだか取って付けたような言い方で、準はどうもすっきりしません。

 「ぼく、どこかの神社の縁日で、赤いうさぎの形をした風船を買ってもらったよ」
 準が言いました。
 「お父さんだったかお母さんだったか、おんぶされててね、『風船から手を離しちゃいけないよ』って言われてしっかり持ってたんだ。そうしたらね、前に同じように風船を持っておんぶされてた女の子が、ぱっと手を離したんだ。風船はどこまでもどこまでも夜空に昇っていったよ。ぼく、『あの風船はどこに行くの?』って訊いたよねえ」
 「そうだったかしら」
 「さあなあ。でも、それが準の記憶の発端、つまり、この世に生まれて最初の記憶ってやつかもしれないな。夜空に消える赤い風船か。なんかとてもきれいな想い出だな」
 「そうね。やっぱり準ちゃんは記憶力いいのね」
 「うん!」
 お父さんとお母さんに言われて、準はようやく機嫌が直りました。


 「ちょっと、準ちゃん」
 台所に行ったお母さんが、準を呼びました。
 「なあに」
 「さっきお使い行ってくれたんだけど、麻婆豆腐の素はどうしたの?」
 「えっ・・・。あ、忘れてた」
 「もう。せっかく物覚えがいいって誉めたばっかりなのに」
 「えへへ。すぐ買ってきまーす」
 準はそう言うと、さっきお釣りを全部お母さんに返したのも忘れて、靴をつっかけると、外へ駆け出していきました。

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