おもらしした準
第31話:保健室
 3時間目の授業中です。準はさっきから、おしりをもぞもぞ動かしたり、ズボンの前をぎゅっと押さえたりしています。お行儀が悪いですが、実は事情があるのです。
 そう、準は授業中に、おしっこがしたくなってしまったのです。
 さっきの休憩時間、ぼーっと考え事をしていた準は、トイレに行き忘れてしまったのでした。冬の教室は、ストーブがあるとはいえ冷えます。なんとか休憩時間までもつようがんばる準の努力もむなしく、おしっこはどんどんたまっていきます。授業は図工で、みんなてんでに厚紙を切って工作をつくっていますが、準はそれどころではありません。
 ・・・先生おしっこって言おうかな。
 こんなとき、誰もがそう考えます。でも、準は恥ずかしがりやなので、とてもそんなことは言えません。
 ・・・ううっ、もうだめ。
 授業中ですが、半分自習みたいなものでした。先生は窓際の席から一人ひとり指導して回っています。
 ・・・今ならこっそり抜け出してもばれないかも?。
 準の席は後ろのドアの近くです。そうしている間にも、限界は近づいてきています。そっとトイレに行って来るか、それとも座して死を待つか・・・。
 準は思い切って席を立つと、音がしないようにドアを開けて廊下に出ました。そして、一目散にトイレに走っていきました。ようやくたどり着いて、男子トイレに入ったそのときです。
 ・・・あっ。
 今まで力を入れていた下半身の緊張がふわっと解けるような感じで、準はおもらしをしてしまいました。準はあわててズボンの上から押さえましたが、もう間に合いません。パンツの中がじわーっと温かくなって、やがてそれは太ももを伝って流れていきました。準はいつかみたいに、ただ突っ立ったまま、ほかほかと湯気の上がる大きな水たまりをつくってしまったのでした。
 ・・・どうしよう。
 もうこのまま教室には戻れません。でも準は、とりあえず現場を立ち去ることにしました。トイレのドアを開けて外に出たそのときです。
 「あれ、君も授業中トイレに行かせてもらったの?」
 見ると、隣のクラスの子です。同じ組になったことがないので、あまり話したことはありません。
 ・・・まずい。ばれちゃう。
 「どうしたの。あっ、やっちゃったんだね」
 トイレのドアを開けたその子は、準の方を振り返って言いました。もう隠せないと思った準は、素直にうなずきました。
 「こういうときにはねえ、保健室に行くといいよ」
 それは準もなぜかよく知っていました。準はてっきりからかわれたり笑われたりすると思っていたので、親切に言われてとまどいました。
 「でも・・・」
 「床はぼくが拭いておいてあげる」
 その子も緊急事態でトイレに来たはずなのに、掃除道具入れからモップを出してきてほんとに床を拭いてくれました。
 「ねえ、早く行きなよ」
 「う、うん」
 準は上履きと靴下を脱いで手に持つと、その子を残して保健室に向かいました。

 「失礼します」
 準は保健室のドアを開けました。
 「あら、どうしたの?」
 机に座っていた保健の先生が、振り返って言いました。
 「あのー・・・」
 まさかおもらししちゃいましたって恥ずかしくて言えないので、準はもじもじとうつむいてそのまま立っていました。
 「あらあら、おしっこ出ちゃったのね」
 「・・・はい」
 先生は準のところに来て、名札を見て言いました。
 「4年生になって、仕方ないわねえ」
 「・・・ごめんなさい。トイレに行ったけど間に合わなくて」
 「そうなの。今度はちゃんと休憩時間にトイレに行っておくことね。どうしてもだめなときは、早めに先生に言うのよ。わかった?」
 「はい」
 先生は引き出しを開けると、準に合いそうなパンツと制服のズボンを出してくれました。準は受け取ると、先生から見えないところで着替えようとしました。濡れたズボンに手をかけたとき、3時間目の終了のチャイムが鳴りました。
 ・・・しまった。
 「先生。実は・・・」
 準は、ほんとは黙って教室を抜け出したことを、保健の先生に言いました。今頃、準がいなくなって大騒ぎになっているかも・・・。
 「まあ、それはいけない子ね。・・・わかったわ、先生が事情を説明してくるわ」
 事情を説明・・・まさか、おもらしのことを。でも、準は先生を止める気力もなく、すっかり冷えて気持ち悪くなった自分のズボンとパンツを脱いで、学校の備品のパンツとズボンをはきました。
 しばらくして、保健の先生がもどってきました。手には、準のランドセルを持っています。
 「先生に事情を説明したわ。あなたは頭が痛くなって保健室に来たことにしてあるから、今日は早退しなさい」
 ・・・よかった。準はほっとしました。
 準が保健室を出ようとしたとき、先生が呼び止めました。
 「ほら、これ持って帰らないと」
 先生は笑いながらビニール袋に入れた準の汚れ物を差し出しました。準は恥ずかしそうにそれを受け取ると、保健室をあとにしました。

 お昼前、まだ一年坊主も帰らない通学路を歩くのは、ものすごく悪いことをしているような気がします。なんか道行く人が、あの子はおもらししたんで早く帰ってると噂してるんじゃないかと思ってしまいます。準は時々わざと咳をしたり、「頭痛い・・・」とか独り言を言ったりして、自分は風邪で早退してるんだとアピールしました。

 「・・・ただいま」
 準は家のドアを開けると、蚊の泣くような声で言いました。心安らぐ我が家も、こんなときは実に帰りにくいものです。でも、準にはほかに帰るところはありません。
 「どうしたの。おなかでも痛くなったの?」
 お母さんが心配して出てきました。準はそのまま「うん、そうなんだ」と言おうかとも考えましたが、それでは困ったことになってしまうのです。準のやらかした不始末を、最終的に後始末してくれる人は、お母さんしかいません。準はランドセルから「お土産パンツ」を取り出すと、そっとお母さんに差し出しました。
 「まあ・・・」
 どうして息子が早く帰ってきたのか、一目でわかりました。
 「もう、あなたはいつもぎりぎりなんだから。どうして早く言わなかったの?」
 「だって・・・。そんなの恥ずかしくて言えないもん」
 そう言うと、準の眼から涙があふれてきました。今までつらいのを我慢していたのが、お母さんを前にして緊張が解けてしまったのです。まるでトイレを前におもらししたときみたいに・・・。
 準は泣きながらいきさつを説明しました。
 「そう・・・。あなたなりにがんばったのなら、結果はどうでも仕方ないわね。これからは、もうちょっと気をつけて、何事も早めにするようにしたらいいわね。わかった?」
 「はい。ごめんなさい」
 準はぺこりと頭を下げました。
 「さあ、上がって。洗濯物、洗っておいてあげるわ。・・・そうそう、今はいてるのも借りてきたんでしょ?。それも洗濯しておくから脱いでね。明日、ちゃんとお礼を言って返してくるのよ」
 「・・・はい」
 準はほっとしました。そうしたら、保健の先生にお礼を言って帰るのを忘れたことに気がつきました。明日パンツとズボンを返しに行ったときに言おうと思いました。それともう一人。床を拭いてくれた隣のクラスの子(名前、なんて言うんだっけ)にも、恥ずかしいけど「ありがとう」って言おうと、準は思うのでした。 

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