白石温麺

 温麺と書いてうーめんと読む。宮城県白石市の名物である。白石市は宮城県の南、蔵王の東の入り口にある。伊達政宗の重臣片倉小十郎が城主となって治めたところであり戊辰戦争の発端となった奥羽越列藩同盟は白石で結ばれた。

 温麺は今から380年くらい前の江戸の初期、白石の鈴木味右衛門が胃弱な父のため旅の僧から胃に負担のない油を使わない麺の作り方を教わった。父に食べさせたところ日増しに病気が治り、この話は町中に広まり、領主の片倉公からその温かい思いやりを誉められ「温麺」と呼ぶことになった。
 長崎県の五島列島に伝わった手延べの技法はやがて富山県の氷見から秋田県の稲庭へと伝承される。この過程で油を使う麺から油を使わない麺へと変化した。日本海の海運の発達とともに伝播したとの説が有力だが、航路開拓の遅れた太平洋側の白石に手延べうどんが発達したこと、先ほどの旅の僧から伝えられたとの伝承などから山伏が伝えたとの新説もある。

 東北新幹線を使うと白石蔵王の駅で降りることになるが、この駅には温麺の製法を等身大の人形で説明する温麺の館なる展示場がある。等身大の人形を使って技法を説明しているが伝統的手延べの技法は昭和30年代になくなり現在は機械製麺との説明に少しがっかりした。

 小麦粉と塩水から作る油を使用しない乾麺で長さは9センチほど、うどんよりそーめんの変化したものと考えてもらったらいい。日本の伝統的な麺類の中で一番短い。短くしたのは胃に負担をかけないためとか馬で運ぶとき折れにくいとか諸説あるようだ。
 伝統的な食べ方はざるにしてゴマやクルミをすりおろしたたれにつけて食べるとあった、もう夜だったので明日の下見をかね、駅前のうーめん味処で早速試してみた。素麺としかいいようのない麺だ。
 白石は水の流れの美しいこじんまりとした城下町である。散策をかねて食べ歩いた店を紹介する。まずは本格的木造建築物として復元なった天守閣(柱の立派さは見ものです)の下の二の丸にあるつりがね茶屋、いわゆる観光客相手の店だが、こういうときは鉄則がある、冬であろうと冷たい麺を食べる、氷に麺がのってきたのには震えたがなかなかいけた。外堀がわりの川のほとりを歩いて国道に出ると製麺屋直営のうーめん番所があった値段が地元民的であったので、冬は熱い麺もよく出ますよとの声につられて山菜うーめんを頼んだ。ゆがきたてなのでまずくはない(ずっと読んでくれている人は分かると思うが麺聖が熱い麺を誉めるのはほとんどない、素っ気ないがかなりの誉め言葉と理解してよい)。最後に温麺協同組合直営のやまぶき亭で食べた。これも間違いなくゆがきたてだった。ここでは土産を買ったのだが食べた人(当然讃岐人) の感想は「あれはよかった」だった。

 うどんとはちょっと違う、限りなくそーめんに近い。うーめんは市内の食堂や割烹どこでも食べられるようだが今回は専門店、観光客向けの店しか行けなかった、その点が残念ではある。ゆがくのに時間がかからないからどの店でもゆがきたての麺が食べられる。これはいいことだ。今回あまりけなしていないが最後に一言苦言をかねたお願い、何故手延べすたれたのか、伝統の手延べ技法を復活させる人が現れるのを待ちたい。

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