讃岐うどんが注目されたことは過去にもあった。第一次ブームは70年に大阪で開催された万国博覧会がきっかけとされる。竹清、田村、大釜が開業したのがこの頃、丁度高度成長期にあたり職人の県外に進出も活発だったようで、今もある東京の老舗はこの頃まで遡れる。69年には連絡船うどんの開業。山田竹系氏のうどんについての著作はこの頃。金子知事や大平正芳氏が讃岐うどんの普及に力を入れていた時代にもあたる。
第二次ブームは瀬戸大橋開通がきっかけ。バブル期にあたり観光客が一気に増加し県内は沸きに沸いたが、内容を伴わない高価格だったため一気に沈んだ。その短さはまさにブームである。
そして今が穴場店巡りから始まった第三次ブーム。今では信じられないだろうが、この穴場店巡りは初めの頃、地元有力うどん店や学者先生特に香川県庁からはまったく相手にされてなかった。東京進出以後を第四次ブームに分ける考え方もある。
讃岐うどんは全国に知れ渡ったがちょっとした誤解もある。
1968(昭和43)香川県庁いわゆる足踏み禁止令。
1969(昭和44)連絡船うどん始まる。
1970(昭和45)大阪万博開催。(第一次ブームと言われる)
1986(昭和61)バブル景気始まる(感じるのは88年頃から)。
1988(昭和63)瀬戸大橋開通(第二次ブームと言われる)。
1989(平成元)田尾和俊氏「ゲリラうどん通ごっこ」の連載を始める。
1990(平成2)麺聖『うどんグルメの旅』初版発行(コピー7ページ)。
1991(平成3)村上春樹氏「人は何故うどんを食べるのか?」を『hi fashion』に掲載。
1991(平成3)バブル崩壊する(とされるが92年頃までバブル感は残っていた)。
1991(平成3)上原冨士夫氏『さぬきうどん』発刊。
1992(平成4)麺聖『うどんグルメの旅』六訂版コピーから印刷に変り発行。
1992(平成4)田尾氏「素顔の讃岐うどん」を『そばうどん(第22号)』に掲載。
1993(平成5)『恐るべきさぬきうどん』第1巻発刊。
1994(平成6)VOICE21で『恐るべき』紹介。
1995(平成7)『そばうどん(第25号)』穴場讃岐うどん大特集。
1996(平成8)『恐るべきさぬきうどん』第3巻発刊。
1996(平成8)『うどんグルメの旅』ネット版開設。
1997(平成9)銀座に「さか田」開業。
1997(平成9)さとなお「さぬきうどんをCHAIN EATING!」をネットに掲載。
1998(平成10)『さぬきうどん全店制覇攻略本』発刊。
1998(平成10)「ウッチャンナンチャンの気分は上々」を見た別府氏うどんツアーに来る。
1999(平成11)讃岐うどんML開設。
1999(平成11)田尾氏高松市から文化奨励賞受賞。
2001(平成13)さぬきの夢2000県の小麦奨励品種に採用決定。
2002(平成14)めりけんや、はなまる東京進出。
2003(平成15)釜たけうどん、大阪難波千日前に開業。
2003(平成15)田尾氏香川県庁から21世紀大賞受賞。
2004(平成16)さぬきの夢2000偽装表示発覚。
2004(平成16)香川県のうどん用小麦粉使用量前年比減少に転じる。
2006(平成18)映画『UDON』公開される。
2011(平成23)香川県うどん県に改名。
2012(平成24)香川県庁、うどん店などの小規模事業場の排水規制施行。
2012(平成24)かな泉倒産。
並べてみるといろいろネタが埋もれているのが分るだろう。第二次ブームと第三次ブームって年代的にはくっついている。ブームの要因の一つにバブルの崩壊がよく挙げられるけど動きはバブル期から始まっている。香川県庁は何故か讃岐うどんの足を引っ張るように登場する。大阪の讃岐うどんって10年程で長足の進歩を遂げてる、等々。
まぁ今回の穴場うどん店巡りブーム、端緒が93年の『恐るべきさぬきうどん』第1巻発刊。94年のVOICE21で『恐るべき』紹介か96年の『恐るべきさぬきうどん』第3巻発刊及び『うどんグルメの旅』ネット版開設。中村、あたりやなどうどん店の開業が増えつつあったこの辺にに答えを置くのが無難であろう。また冷凍うどんの寄与が高いと思うが香川県のASWの買い入れ量は95年と03年にピークがある。米麦加工食品生産動態等統計調査(あんまり信用できない統計かつ2010年度から調査なし)によると香川県の小麦粉使用量は80年代90年代は順調に伸びていた。04年に減少に転じてその後横ばいになっている。ブームが20年続くのも長いし純正な讃岐うどんでない讃岐うどんのその後の展開を考えると02年の東京進出で分けるのもありだろう。
第一次でブームを主導した香川県庁は今回のブームを当初無視。99年にまず高松市が田尾氏を表彰。香川県庁が追認したのは遅れて03年になって田尾氏を表彰した。うどんブームに乗り遅れまいと行動を起こすが、うどんの発展には理解がなく、ただ乗り状態である。
歴史は勝者が作ると言うが、振り返ってみても時代がブームになるように出来ていた。冷凍うどんの技術が進んで讃岐うどんの知名度が上がってた。バブルがはじけた時代。技術を持った職人が多数健在だった。過去のブームで新築した店と昔ながらの店とが混在し多様性があった。穴場店を全国に広めるのに適度な量の発信が行えるネットの黎明期だった。でも一番大きいのは県民がうどんが好きで食べ続けたことなんだろう。
(2013/9/1記す)