宮崎うどん

宮崎県の地図 九州というとラーメンのイメージが強いが、元々、団子汁文化圏のためか、うどんも勢力を持っている。博多がうどん処ということは前にふれたが、宮崎は残されたうどんの聖地だ。 今回はどこかに亡くすか、後になって読み返すと分からないメモの反省にたって、CE搭載のモバイルギアを持っていった値段だけは完璧だ。でもいくら文明の利器でも酔っぱらったりして、書いてないことまで保存するはずもなく、半年以上経った今、記憶を絞り出しつつ書くことには変わりはなかった。

 3泊4日だが、いろいろ生きて行くには試練がある、3月のある夜宮崎入りした、うどんは朝か昼の食べ物なのでラーメンを食べた。一応九州なので豚骨文化圏。清武町加納の風来軒のラーメンは京都のラーメンを思わせた。宮崎神宮の鳥居すぐの栄養軒は自家製麺だそうだが伸びたように柔らかく、宮崎の人の好みがこうなら明日からのうどん修行、苦戦が予想された。
 
 週末は天気が崩れるというので、翌日(金曜日)予定を変更して椎葉村へ向かった。椎葉村でうどんを食べるわけではない。そばを食べに行くのだ。(椎葉のそばは元々焼畑で作られた、今焼畑でそばを作っているかどうかは知らない)いつになったらうどんを食べるのか?と聞かれそうだが、一流の剣術使いは柔術などを必ず習い、生涯刀は抜かなかったという(何のこっちゃ)。椎葉へは宮崎から特急で40分2000円で日向市、そこからバスで2時間半2470円かかる。宮崎のバスは琴参と同じ後ろ乗り前降りで料金の表示が変わるやつ(これが普通と思っていたら地方のバスにはいろいろあるんです、料金一覧表が印刷されているのとか)とにかくバスは耳川の上流をひたすら上っていく、途中から道は狭くやたら工事が多くなる、平家にしたって。こんな奥まで逃げなくても大丈夫と思うが事実は源氏の追っ手がきたわけで、ひえつき節になる。
 椎原村の中心からタクシーで20分(一部重複あり)2700円で伝統的山村集落の十根川集落へ。高見島の集落の様に石垣を築いて家が建っている。ここの大神館で田舎風のそばを食べる。
 椎葉村の表札や店の名は那須さんと椎葉さんしかないのでまさかと思ったが、電話帳で確かめて安心した。他にもいっぱいある、でも全部で4ページのうち椎葉さんが1ページ那須さんが1ページを占めている。行き交う児童生徒が旅人の私に挨拶をする。学校での指導かと思うが、子供は親とか地域が育てなくてはいけないと何故か教育について考える。食堂でうどんを食べたがこれは袋入りの多分作り置き生協なみ。
最初は重乃井  
 椎葉から宮崎市に帰ってくるともう10時、腹は減っては戦ができぬ、行きたかった店はもう閉まっていた。当てもなく繁華街を歩いていると釜揚げうどんの看板が、まあ夜うどんを食べてもいいか。釜揚げうどんとはどんなうどんと聞くと釜からそのまま上げたうどんと言うではないか。讃岐で言う釜揚げ(個人的には釜上げの表記が好きなのだが)である。これは全国的には珍しい、宮崎と香川がうどん文化圏として近いことを表している。よく東京で釜揚げを注文し、湯だめが出されて「讃岐人はだまされない等」通ぶって言う人がいるが言葉の定義が違うだけのことである、標準語で釜揚げとは讃岐で言う湯だめのことである。卵を割ってネギ、わさびとかき混ぜつゆを入れる。出てきたうどんは細目の麺。おいしかった。五味八珍という店。食べ終わると残りのつゆにゆで汁を注いで飲むのだそうだ、これは栄養学的には無意味というより塩分が多く害がある。そばの栄養が溶けだしたそば湯とは訳が違う。個人的には勧められないが。宮崎の風習だそうだ。他県の食文化にやれ犬を食べるな、鯨を食べるなみたいなことを言うのはやめよう。とりあえず腹がおきたので、さあ、とあたりを見渡してみると、また釜揚げの提灯が、おだまき(緒田薪)。夜の店だそうだ、宮崎の人は飲んだ後、うどんを食べるのだそうだ、宴会帰りのサラリーマンが連れだって入ってくる。ここでも確認したが、関東風の釜揚げ(=讃岐の湯だめ)でなく讃岐風の釜揚げ。ここも細く、量が多かった。2軒とも少し値段は高かった。
 次の日朝起きると財布が軽くなっていた。朝食も修行をかねることとし、初日に栄養軒に途中に発見した普通のうどん屋で普通のうどんを頼む。朝8時だというのに次から次へと客が入ってくる。うどんが出てきて驚いた。店名のとおり大盛りである、それがそれ柔らかそうで、黒っぽいだし、伊勢うどんのような感じ。320円と安い。麺全体が平均して柔らかい。博多うどんがこんなかったっけ。今日はもう普通のうどんは食べられないと思い、昼食はチキン南蛮にした。持ち帰り弁当の定番メニューのチキン南蛮は宮崎が発祥の地だそうだ。
 夜になって居酒屋で、宮崎にきたらこれは食べないかんのは?冷や汁!ということで地鶏を食べ焼酎を飲み、冷や汁をいただきつつ、情報収集した。「うどん食べに来たんやけど?」「戸隠」「この後行く!他には?」店のお姉さんが「豊吉、橋を越え五叉路を曲がる、朝からしてる」、と勧めてくれた。居合わせた客は「吉長、橋を越えて曲がる。あさ6時からやってる。安いで!」ちょっと待って、さっきと同じちゃうか。店の名間違ってるんでは?翌朝に備え腹ごなしをかねて、下見へ、迷ったが豊吉発見。安心して土曜日で東京のラッシュ時のように混雑する繁華街に戻り戸隠へ。まだ酒を飲んでいる時間か客は少なかった。釜揚げ(しかない)を頼むが冷麦くらいの太さ、ここも夜だけの店。
 
 当然のごとく宮崎のうどんは釜揚げだけでなく普通のうどんもある。翌早朝タクシーに乗る。「豊吉へ」「吉長がいいよ」「近いんですか?」「隣!!」なかなかうどんに詳しい運転手さん。「宮崎の人は何故朝から晩までうどんを食べるの?」「四国の人が多いから、私も親が宇和島出身です」どこかで聞いた話だ。九州の各県を食の伝播ルートで分けると、朝鮮ルートの福岡・大分・佐賀・熊本、中国ルートの鹿児島・長崎、そして黒潮ルートの宮崎の3つに分けられる。宮崎は四国・瀬戸内海と関係が深いのだ。(註 河野友美著『食味往来』中公文庫)タクシーを降りると昨日の飲み屋での店のお姉さんとお客の会話の謎が解けた。驚くべきことに豊吉と吉長は本当に並んである。豊吉へ、日曜朝6時というのに客がいる。自分でぬくめないがセルフである180円柔らかめ。いなりも安い、おでんはない。次に吉長、恐るべきことに9人も並んでいる。店に30人はいる、若いカップルも2組はいる。ここもセルフ160円、さっきより細目、少し堅め。
 
 今日は最終日、飛行機は3時、早起きしたばっかりに午前中は暇。寅さん45作の舞台油津(日南市)へ、車窓から眺めるともう田植えをしている。香川に比べるとずっと暖かい。昼前に宮崎市に帰って来る。うどん好きの人に忘れてるところがあるでしょう、と言われそうだが、最後にとっといたんです。長嶋監督が長嶋選手の頃から通っているという店で、おいしいうどん屋を尋ねると、何人かにホテルの裏のとか、あれほれよく出てるとか、言われた、重乃井(最初の写真)だ。いかにも時代を経た建物、おじさんが麺を伸ばしている。少し細目の縮れた柔らかい麺。釜揚げ4軒のなかでは一番ぬるぬるした麺、白濁した湯、釜揚げらしい感じ。でも箸で持ち上げようとするとプッツンと切れてしまう。つゆに落としこむようにしなければならない。切れるなんて讃岐では考えられないことだが、何故か味はおいしい、また一つうどんの奥深さを知らされた。ここではうどん湯は出てこないので、食べ終わった後、みんなつゆを丼に空け飲んでいるようだ。客が一杯で食べ終わるまでに1時間近くかかった。
 まだ飛行機までの時間が腐るほどあったので、そういえばまだ食べていなかった宮崎名物レタス巻きを食べに行く。平尾昌晃と一平寿しの店主が考えだしたものという。マヨネーズ好きにあはたまらない味。950円税別。
 
 宮崎の町を歩いていると高松にいる錯覚に陥る。平坦で自転車が我が物顔で走っている。サーパスに宮脇そしてうどん屋、新しい都市計画道路沿いなんかそっくりだ。違いは車のマナーのよさ、道幅と歩道の広さ、一番の違いはバスが日常生活の手段として機能していることかな。
 私が行った時リゾート法第1号のシーガイアの破綻で揺れていた。かつてバス会社が先進的な経営手腕で観光事業を手がけ、70年代には新婚旅行の3組に1組以上が宮崎を訪れていた。地元紙では再生を探る特集が組まれている。1日も早い再建を祈りたい。
 麺は極端に違うのに、朝から晩までうどん、うどんに対する習性は驚くほど似ている。宮崎で食べるには、やっぱり香川の人の口には普通のうどんより釜揚げがあうかなあ。
 
 このレポートは事実に基づくフィクションです。麺聖の行動には脚色があります、が登場する店名等は実在します。
 
    

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