耳うどん

 うどん博士の加藤先生によると群馬県から栃木県に通じる日光例幣使街道の沿道の桐生、足利、佐野そして館林は粉食文化が盛んなんだそうだ。葛生(くずう)町はこの例幣使街道の宿場町佐野から東武佐野線で15分北に行った終点にある。栃木県の南西部にあって石灰産業が盛んな町である。昭和25〜26年に葛生原人の骨が発見された、50万年前の渚=古東京湾では現在の東京都の位置が葛生であったそうな。謡曲「鉢の木」の佐野源左衛門の住まいはここにあった。
 この葛生町の仙波に伝わる郷土料理が耳うどんだ。小麦粉をこね薄く延ばしてから長方形に切り分け片側をたたんでつまみ耳状にして食べるものだ。年末に各家庭で作り正月三が日に食べることで魔除けになるとの言い伝えがある。悪魔の耳に見立てて家庭の話を悪魔に聞かれないから無病息災で過ごせるとか、悪口が聞こえないようにして近所との交際を円滑にするとか諸説ある。
 

 それは秋のことだった。耳うどんを知っている人はそうはいないであろう。実は私も知らなかった。北関東を彷徨い群馬県のうどんを征服した私は栃木県に休憩に立ち寄った。計画とおり餃子消費量日本一の宇都宮で餃子を食べ、ラーメンの町佐野で名高い青竹打ちのラーメンを食べた。次の店へと思った私の目に飛び込んできたのは野村屋というそばうどん屋の耳うどんなる看板であった。これから物語は始まる。

 出てきたのはうどんと名ばかりのワンタンの出来損ないだったが、うどんの祖先が「こんとん」との説をつい思い出してしまった。元々葛生町仙波の郷土料理だったとの話しを聞きつけた私は是非本場で食べたいと考え葛生町役場に電話をかけた、食べさせるところがあるという、早速と思ったが、冬期間のみとのこと、しかたがないので行列ができていたラーメン屋でまたラーメンを食べた。
 季節は冬になった。葛生の駅にやってきた私はタクシーに乗り仙波の「ふれあい館」までと告げたが運転手さんは知らない、耳うどんを食べさせるところと言っても通じない。無線でも分からない。仙波はそばで有名だという、とりあえず仙波方面に向かいながら番号を調べ、電話をかけ場所を確認した。ふれあい館は地元ではジンギスカンのところとして知られているそうだ。やっとのことでたどりついたが耳うどんを食べに来る人はほとんどいないみたいである。四国から食べに来たことはなかなか理解してもらえなかった。耳うどんを待つ間メニューを眺めるとそばも食べられる、ラッキー!そばを注文した、このあと地元のお年寄りが集まってそばを打つ高齢者センターでも名物の仙波そばを食べたのは言うまでもない。(でもそばのおいしいのがどういうものかは実はよくわからない)土曜、休日のみ営業するふれあい館と高齢者センターど ちらも補助金で建てたと思うがお互いの距離は数百メートルもない、場所だけでも一つにまとめられなかったのだろうか。

 次は家庭の手作りの耳うどんも食べたいがこれを読んだ葛生町役場の方招待してくれないかな。それにしてもうどんにラーメン、餃子、そば、本当に栃木県人は粉食が好きだ。

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