京うどん

京都府の地図  鳴くよウグイス平安京、794年に桓武天皇が平安京に遷都してから1200年あまりになる京都、今に至るまで京都は日本の「みやこ」である。御所には今も紫宸殿があり遷都宣言がない以上東京は東(ひがし)の京(みやこ)にすぎず、京都の人は今でも天子様がちょっと行幸されているだけと普通に思っている。

 このいかにも伝統を重んじる1200年の都にあって、京料理は薄味の上品な料理の代表のようだが、とんでもない。実際はちと違うと思う。今回は京うどんがテーマだが、この誤解から話を進めてみよう。皆それぞれに抱く京都のイメージがあろうが、誤解も多い。食べ物の話の前に、まずは物の話から、古い寺や神社は多いが、大部分は江戸時代以降の建築物だ、我々が京都らしさを感じる町家にいたっては幕末の火災以後に建てられたものでわずか100年程しかたっていない。次に心の面では物が古いと人も保守的だと思われがちだが、京都での保守政党は誤解を恐れず言えば共産党を指す。これなんか、確固たる伝統を持つものの強み、それが故の革新性とも言えようが。

 食べ物では懐石料理や京風料理を思い浮かべるが、これらも一面にすぎない、伝統は決して1200年間変化しなかったのではない。和食の薄味だけが京の味ではない。。町を歩くとあちらこちらに洋食屋さんがある、中には大正、昭和初期からの洋食屋さんも隠れている。ハヤシライスが有名な店、オムライスが有名な店、B級グルメのターゲットになる店がいろいろある。手軽にいろいろ食べるなら洋食弁当もある。私の好きな店2軒を紹介する。京都御苑から近い竹屋町富小路には町家風のその名もズバリ竹富がある。畳の間でいただく洋食だ。石塀小路、高台寺からすぐには今では珍しくなったオープンキッチンの店、グリル冨士屋がある。
 明治期の南禅寺の水路閣、ITで世界をリードする京都の企業などみると新しもの好きの京都人の姿が見えてくる。

最初は雲平のカツカレーうどん  京の麺といえば真っ先に思い浮かぶのはにしんそばであろう。どこのそば屋にもまず間違いなくある。紹介するのはあの八つ橋の、今では中坊さんの旅館と言った方がわかりやすいかも知れないが、聖護院にある、その名も、かく谷老舗。海のない京都では魚も独特の発展をしたがこの乾燥にしん、ガイドブックでは絶賛している、がさしておいしいとは思えない、かく谷のがどうこう言うのではなく、魚は新鮮なのが一番(あくまで私の好みです)。
 もう一つそばと言えば清水寺から八坂神社への散策の途中、ひさごという茶そばのそば屋がある(さっき紹介した冨士屋から徒歩30秒)。京都では珍しく行列ができる店だ。そば屋なのに大部分の人が注文するのは親子丼、いつの間にかこうなってしまったそうだ。私は昔から夕食に親子丼が出されるとツラかったが、ひさごの親子丼には幸せな気分にさせられる(単に年をとっただけかも知れないが)。味の秘密はそばの「だし」汁である。このだしが京の味を理解するのに重大なヒントになる。
 これを証明する食べ物がある。ラーメンだ。誰が始めたか知らないが薄味の京風ラーメンというものがある。これなんか「だし」にこだわる文化のイメージをデフォルメしたものだ。現実は本場の味は強烈だ。わかりやすい例では、こってりラーメンの天下一品は京都が発祥の地だ。京都が学生の町だったからこってりしたとの異説もあるが、私は「だし」にこだわる文化の一つの現れと解釈している。食べ方は大阪のお好み焼きと同じでおかずとしてで、「ラーメン」と注文すると間違いなく「兄ちゃんご飯は?」と聞かれる。
 それでは京都を代表するラーメン屋を、まずは駅の東に並んで立つ第一旭と新福菜館の2軒の店になろうか。どちらも朝早くから営業している。私としては第一旭の方が好きだが新福菜館の黒っぽいヤキメシも大好きである。この他東京にも進出したますたに、屋台から出発した横綱、いろいろ好きな店はある、一つあげろと言われれば一乗寺にある天天有かな。

 本題のうどんに一言もふれず、紙数がつきた。次回はうどんにたどり着く、たぶん。
  

 

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