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名演9月例会 俳優座劇場公演 

夜の来訪者

−J・B・プリーストリィ作「インスペクターコールズ」より−

9月10日(火)6時45分
  11日(水)6時30分
  12日(木)1時30分  上演時間1時間50分
  名古屋市民会館中ホール 地図  
1 会費 月額    2600円 22歳以下  2000円
     高校生以下 1300円
2 入会金      2900円 22歳以下  2300円
     高校生以下 1600円
                       
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作家・演出家からのメッセージ  
 
作家 八木柊一郎さん こちらをクリック
 演出家 西川信廣さん 
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緊迫の社会派
ミステリー劇。
ひとりの女の自殺から
その事件は始まった!!

 この作品の見どころは、何といってもリアルタイムて進行していくスリリングなストーリーにあります。まるで推理小説を思わせるミステリアスな内容と構成で、観客に次々と先を読ませながら引き込んでいく前半。そして後半は誰も予想がつかない巧みな展開となり、ラストのどんでん返しはまさに圧巻です。実力派揃いのキヤスティングにより、その見事なアンサンブルで劇場は息が止まるかのような臨場感に包まれます。
 そしてこの作品が心を打つのは、現代に生きる人間の心理を深く突いたテーマにあります。人間ひとりひとりの生き方は社会との関連なしには存在せず、ともすれば見失いがちな人と人との心温まる交流や日常の生活と社会との繋がりをあらためて思い起こさせます。

 1991年に初演の幕を開けてから、92、93、95、96年と全国で150ステージの上演を数えている『夜の来訪者』。一部キャストをあらため、6年振りの上演となります。
 どうぞ、ご期待下さい。
 
 娘の婚約者を迎え一家団らんの夜…。見知らぬ男が訪れる。男はひとりの女の死を告げ、家族たちに質問を重ねていく。
 初めに父親。企業の社長である彼は、かつていわれのない理由で女を解雇していた。
 そして娘、婚約者、母親…と、男は新たな事実を突きつけ、彼らの生き方を問いただす。女はどうして死んだのか…。
「人間はひとりでは、一つの家族だけでは生きていけないのです。」そう言い残して男は去るが、残された家族にとって、本当のドラマはそこから始まるのだった…。


十二年目の『夜の来訪者』八木柊一郎

 『夜の来訪者』は、俳優座劇場プロデュース公演の私にとって最初の仕事だった。以後『いそという女』『メリーウィドウヘの旅』『秋日狂乱』という作がつづくのだが、いずれも故倉林誠一郎氏の企画で、演出は4本のうち3本が西川信廣氏。12年前、倉林さんから『夜の来訪者』の新台本を依頼され、西川氏と三人で打合せを重ねた頃のことをついこの間のことのように思い出す。
 倉林さんの注文は、1950年代に内村直也氏が翻案した台本を、90年代現在に適応
させリメークしてみよというものだった。だが私は、結果として、時代を逆にさかのぼり、1940年(昭和15年)をこの芝居の“時”にえらんだ。そのヒントは、内村台本とはべつの、原戯曲にあった。原作の脱稿と初演は1645年だが、プリーストリィは冒頭のト書で、時は1912年の春とはっきり指定している。1912年といえば第一次大戦前夜、日本では大正元年、つまりこの芝居の世界は初演時の現代ではなくて、“すこしむかし”なのである。プリーストリィはこの戯曲について“身ぶりや口調の様式が重要性を持つ”と記しているが、これは、身ぶりや口調のモードがいま風では芝居が成り立たないという意味である。とすれば、『夜の来訪者』の時を90年代とするのは無理、というよりむしろあやまりということになる。
 それに、プリーストリィが時をすこしむかしに設定したのには、もうひとつの理由があると私は解した。戯曲の主題は“人間というものはどんな他人にも何らかの責任があり、その條件から自由な個人はいない”ということにつきるのだが、これを抽象的にではなく具体的にかんがえてみると、作者はとんでもないことをわれわれに突きつけているということに気がつく。ある日誰かが自殺する、あるいは殺人など何かの犯罪をおかす、あるいはもっと大きな事件を起こして社会全体の問題になる……、という場合、その当事者が私やあなたにとってまったくの他人であっても、その人間に対して私とあなたは何らかの責任がある、その責任からのがれられる個人はいない、というのが作者のメッセージだからだ。それを深刻にではなく、口あたりのいい推理劇として処理するために作者はひとむかし前の世界をえらび、同時代のアクチュアリティとの相関を避けたのではないか。実際の話、われわれがいま呼吸している世の中で毎日起きる事件のひとつひとつが全部本当はわれわれ一人一人に責任があるんだと真直ぐに言われたら、観客は鼻白むばかりで、芝居を楽しむどころではないだろう。そういうメッセージそのものが計算づくで、観客をひっぱりこむ仕掛けにすぎないという見方もできるけれども、まったくそうだとは言いきれず、いわば娯楽性と社会性を両立させ、推理劇としても社会劇としても観客を二重にどきどきさせるところがプリーストリィのうまさだと思う。劇作家というのは、観客が正視するのを好まない主題を突きつけながら、同時に観客を楽しませたいという矛盾した欲望をいつも持っているものなのだ。
 40年以上前の俳優座による『夜の来訪者』は、警部役の東野英治郎の演技が突出していて、来訪者としての警部が圧倒的な主役という印象だったらしいが、警部は実は影の人物であり、この芝居の本当の中心は警部に来訪される家族のほうだと解して私は私の台本を書いた。演出の西川氏もまったく同意見だった。(とはいえ、警部は一旦登場すると最後まで家族全員をきりきり舞いさせる、役者冥利につきる役だということに変わりはない)
 初演の磯部勉氏、再々演から現在までの外山誠二氏という警部役の好演があるにしても、これまでステージ数を重ねることができたのは、家族の軸になった鈴木瑞穂、稲野和子という両ヴェテランの、エネルギッシュでこまやかな演技追求のおかげだと思う。そして西川氏の稽古熱心、稽古好き。戯曲の読みの正確さ。今回から参加する古川悦史、川井康弘、丸山真穂、高橋信子という新キャストがどんな新鮮さをもたらしてくれるかもたのしみのひとつだ。
 原戯曲とも内村台本ともちがう私の台本については、うごかし得ない筈の劇の骨格についても僅かだが重要な変更をこころみたということだけを記しておきたい。但しそれも、原作のミステリー性の範囲内のことで、最近ロンドンで再演された舞台のように警部が意図的に上流家族を崩壊させたという一種の謎解きとは縁がない。この芝居を攻撃的な社会劇に仕立てるのはやはり無理で、メッセージつまり警部は結局は影にかくれなければならない。それで私は、警部を影山と命名した。

(2002年版上演パンフレットより転載)


まさか、ここまで……  西川信廣

 6年振り、6回目の『夜の来訪者』である。1991年の初演から数えたらこの作品は12年間も生き延びていることになる。作品の出来に自信はあったが、正直なところ、この作品がここまで続くとは思っていなかった。だぶん、初演からこの作品に出演している、鈴木瑞穂、稲野和子のお二人も同じ思いだろう。ただ、この作品の企画者でプロデューサーだった、故倉林誠一郎さんが生きていらしたら「そうかい。俺は続くと思ってたよ。なにしろいい台本だからね」と仰っただろう。良い台本でキチンとした芝居作りをすれば必ずや観客に受け入れられるというのが倉林さんの信念だったからである。しかし、良い作品だからといって放っておいても再演ができるほど演劇情況は甘くない。俳優座劇場プロデュース制作陣の地味で熱心な制作努力があってこそ、この作品は12年間も続いたのだと思う。
 12年間やってきたが演出のコンセプトは初演からずっと変えていない。再演のパンフレットに僕はこのように書いている。
 
 このドラマは前半と後半に大きく分かれている。前半は、娘の婚約者を迎えた一家団らんの夜に、警部と名乗る見知らぬ男が訪れて来て、一人の女性の死に家族の一 人一人が深く関わっていたことを暴くスリラー的な面白さである。そして後半は、男が去ったあとの新事実とそれを巡っての家族のドラマである。むかし初めてこの戯曲を読んだときは、前半の秘められた過去の「事実」を男が解き明かしてゆくところがスリリングで抜群に面白いと思った。先の俳優座の上演も、時代を受けて多分そこの所に力点が置かれていたのだと思う。つまり謎の男が主役なのである。しかし、読み返してみて、それよりも面白いのは、男によって投げ込まれた「石」によって揺れ動く家族の心とその関係の変化にこの戯曲の面白さがあると思った。謎の男はその為の誘発剤にすぎない。つまり家族が主役なのである。
 
 「謎の男によって投げ込まれた『石』によって、揺れ動く家族の心とその関係の変化の面白さ」に力点をおいて、どうやったらリアリティーをもって緊張した時間が作れるかを初演から繰り返し追求してきた。ある意味で、稽古はそればかりをやってきたと言っていい。だから動きや位置も前回のものを踏襲せず、毎回、毎回新しい動きを探っていく作業を繰り返してきた。それは作っては壊し、壊しては作るという作業である。そこからその時のベストと思う動きと位置関係を作り上げてきた。今回も作業としては一緒だが、6回目にして装置を一部変更した。入り口を、上手から正面にもっていった。演出上で登場人物の登場と退場を強調したかったからだ。そのことで、どんな動きや位置関係が生まれるか、またどの様に登場人物の揺れる心理が浮かび上がるか楽しみである。
 『夜の来訪者』の原本となった『AN INSPECTOR CALLS』は、イギリスの階級社会を背景に成り立っている。犯人捜しの面白さで観客を引っ張ってゆくが、それは同時に、下層階級の代弁者と思しき謎の男が、上流階級意識の強い人間たちの「著り」と「見せかけの華やかさ」を鋭く突く面白さでもある。それを日本社会の構図における富める者と貧しき者に置き換え、貧富の差がはげしく資本家と労働者の対立の構図がはっきりしていた時代にうまくはまったのが、時を1950年代に設定した内村直也版『夜の来訪者』だと思う。しかし、資本家と労働者の対立の構図が暖昧になり、国民の90%が中流意識を持つようになった90年代には些かリアリティーが欠ける。そこで90年版をと考えたのが倉林さんである。また、時を90年代ではなく1940年(昭和15年)に設定したアイデアは八木さんである。何故、昭和15年かについては八木さんが書いていらっしゃるのでここでは省く。
 初演の年、1991年はバブル景気がまだ崩壊していなかった。経済大国ニッポン、21世紀は日本が世界のリーダー、金にまかせて明るくはしゃぐ気分が世の中を支配していた。昭和15年も皇紀2600年、昭和の一等国ニッポンと明るくはしゃいだ気分があった。その共通点を発見し、時代設定を現代ではなく昭和15年にもっていった八木さんの新翻案は秀逸である。演劇で時代を映すには、そして時代を突くには同時代である必要はない。
 昭和15年の華やいだ気分のあと、日本は戦争に突入したが、1991年のあとの日本は、ご承知のようにバブルが崩壊し、不景気風が吹き荒れて社会は迷走している。初演時と社会状況は変わったが、日々マスコミで報道される政治家の無責任さや残虐で不可解な事件を見ていると、警部と名乗る男が言い残す「人間は一人では生きていけない。ひとつの家族だけでは生きていけないんです。全体がからみ合い、助け合っている。ときには傷つけ合い、苦しめ合い、殺し合って……。だから、人間はほかの人間全部に責任があるんです」
という言葉は観念的で古めかしい説教と思えない。むしろ今の私たち一人一人への間いかけであると思う。その意味でこの芝居のアクチェアリティーは古びていない。
 僕は前回の公演のパンフレットの最後に、これを決定版としたいと書いた。しかし、今回の再演で初演からの鈴木、稲野のお二人と再々演からの外山君以外のメンバーを変えた。それを僕は『夜の来訪者』の新しい出発と思っている。そして何年後かに「ここまで続くとは思わなかった」との言葉が出るような新『夜の来訪者』にしたいと思っている。

(2002年版上演パンフレットより転載)




キャスト

倉持幸之助        
          鈴木瑞穂(其田事務所)
  ゆき(その妻)   
          稲野和子(文学座)
  沙千子(その娘)   
          丸山真穂(フリー)
  浩一郎(その息子)  
          古川悦史(文学座)
黒須辰男(沙千子の婚約者)
          川井康弘(俳優座)
秋山のり子(女中)    
       高橋信子(アンクルベイビー)
影山警部         
          外山誠二(文学座)

スタッフ

作/J.B.プリーストリィ
訳/内村直也
脚本/八木柊一郎
演出/西川信廣
美術/石井強司
照明/森脇清治
音響/望月勲
衣裳/山田靖子
音楽/萩京子
演出助手/高橋正徳
舞台監督/伊達一成
舞台統括/荒木眞人

俳優座劇場 http://www.haiyuzagekijou.co.jp/


9月例会『夜の来訪者例会運営担当サークル

第1回準備会
 6月26日(水)6時30分 会場/
名演事務局


   28日(金1時30分 会場/名演事務局
 例会運営サークルをはじめるのあたっての打ち合わせ会。
 
26日の会議では、自己紹介の後、作品紹介、「例会運営」について内容の説明。第2回以降の準備会の夜の部の日程決定。機関誌「名演」9月号の作品紹介を作るサークルの決定。などを話し合いました。



例会終了しました。
前例会と同じ会員数で迎えることができました!

開場前の打ち合わせの様子

俳優座劇場箱田さん
俳優座劇場の制作の箱田さん

会場入口、携帯電話の注意ポスターをたくさん貼りましたが…

公演終了後、舞台装置の搬出の様子




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最終更新日 2002/11/21