講演の要旨 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 
教育基本法改悪で、子どもたちの『心』がねらわれている
――教育基本法「改正」・『心のノート』のねらいを斬る――
 
     講師:小森 陽一 さん   東京大学教授・近代日本文学専攻
                    子どもと教科書全国ネット21代表委員
 
1. 「戦争する国」へひた走る日本
 
 今、日本では、ハードウエアとしての自衛隊は、いつでも、アメリカと一緒に戦争
する準備が整っている。こうした事態は、1999年、日の丸・君が代が法制化され
たあの国会で通過した、「周辺事態法」に基づいて行われている。これは、日米安保
条約に基づき、アメリカが世界のどこかで戦争したら、日本の自衛隊がその兵站(後
方支援)を全面的に担当するという法律である。さらには、朝鮮半島で戦争が起きる
ことを想定した形で、日本全土を本土決戦体勢に持ち込むという有事法制が86%の
議員の賛成によって成立した。こうして、アメリカの要請に基づき、日本が戦争をす
る国に向かってひた走っているのが2000年代初頭の数年間だが、出発点は、日の
丸・君が代が法制化されたあの国会にあることを忘れてはならない。なぜ、歌と旗に
あれほど決定的な精力がそそぎこまれたのか。アメリカで作り出されたナショナリズ
ムが、学校において、旗と歌によって、半ば宗教的に短期に形成されたことを日本が
模倣しようとしている、これが事態の本質である。
 
 現在、日本がアメリカの無法な戦争に加担して、集団的自衛権を発動し先制攻撃をすることに歯止めをかけているのは憲法第9条だけである。国会は、いつでも第9条改悪を発議できる状態にある。けれども、発議の後、国民投票にかけねばならない。国民の「日本は第9条を守って、戦争をしない国であり続けるべきだ」という、平和に対する意識と心をどうやって変えていくのか。このために、「教育基本法」の改悪とそのパイロット版としての「心のノート」が存在している。
 
 「心のノート」を使って、小1から中3になるまで教育を受けた子どもたちが15
歳になるのが2011年。「心のノート」は日本を戦争する国にするためのソフトウ
エアである。平和を守り続けようとする国民の意識と心を学校教育を通して転換させ
ていく、学校において、子どもたちに日の丸と君が代を徹底することによって、そこから家庭も地域も変えていく、これが「教育基本法」改悪の根幹にある1番目の狙いである。
 
2. 国策人材教育とは
 
 「教育基本法」改悪の2番目の狙いは、憲法で保障された個人の人権としての教育を180度転換させて、国策人材を作り出す教育に学校教育を一気に全面的に変えてしまうことである。この国策人材教育はどのような方向で行われていくのかを中教審答申を通して見ていくことにする。
 
 答申第1章2「21世紀の教育が目指すもの」に「21世紀を切り拓く心豊かでた
くましい日本人の育成を目指す」とあるのが国策人材教育の姿である。「21世紀を
切り拓くたくましい日本人」が1%のエリート、そして、99%が「(ものを考えない)心豊かな日本人」になる。その「心豊かな」姿とは、第1章2のAで「自律心・誠実さ・勤勉さ・・・自然や崇高なものに対する畏敬の念」と説明されている。次のBに書かれた「『知』の世紀をリードする創造性に富んだ人間の育成」というのが、
エリート教育である。そこに、「基礎・基本を習得し、それを基に探究心、発想力や
創造力、課題解決能力等を伸ばし」とあるが、エリートになれる子どもは、探究心等
があったわけで、そうでない大部分の子どもたちは、「それがないからだめなのだ」
ということになる。そして、Cには、「新しい『公共』を創造し、21世紀の国家・
社会の形成に主体的に参画する日本人の育成」とあるが、この『公共』とは、パブ
リックの訳語ではなく、特別な意味を込めた「国家」のことである。さらには、Dに、「日本の伝統・文化を基盤として国際社会を生きる教養ある日本人の育成」と記
されているのが、国家のための人材教育を実現する最終的な洗脳の方向である。
 
 日本人という言葉は、「日本国憲法」・「教育基本法」・「学校教育法」のどこにも
ないものである。日本人という言葉からは、すべての在日の外国人が排除されており、その意味で、この中教審答申自体が「教育基本法」第3条「教育の機会均等」に反している
 
3. 「教育基本法」の新しさ
 
 「教育基本法」が制定された1947年において、軍人勅諭も教育勅語もまだ失効していなかった。事実上失効に近かったが、それを残しておきたい勢力は存在していた。その中心人物が昭和天皇である。「日本国憲法」は天皇が国民に与えたという形になっているのだが、その際の天皇の文言は、「この憲法に基づいて文化国家を作
る」というものであった。ここで、文化と国家が不可分のものとして結びついている
ところに、教育勅語を残そうとした人々の狙いがある。
 
 1947年当時、新しい憲法の理念を語れる人は日本の社会の中に誰もいなかっ
た。それまで教え子を戦場に送り続けていた先生たちがそれを決定的に反省して、
「教育基本法」に基づく教育が学校から始まった。日本の敗戦後の学校は人権と民主
主義と自由と平和の唯一の発信基地であった。これが日本の敗戦後の社会の重要な特
徴である。どんな民主主義的な政治体制を持っている国家においても、学校というも
のは、近代国民国家にとって必要な人材を育成する場である。日本は敗戦国であった
がゆえに1947年の時点では、世界中のどこの国にもなかった個人の人権としての教育権を教育の柱に据えた
 
 「教育基本法」を見ると、前文の第1段落に「民主的で文化的な国家を建設して」
とあり、ここで、教育勅語を残そうとする勢力に対して、子どもたちの心の問題で第
一のガードがかけられている。昭和天皇は「文化国家」といい、文化と国家を一心同
体のものとしていた。その文化の中には、「万世一系」の天皇が作ってきた日本文化
というものが入る。しかし、「教育基本法」前文では、「文化的な国家」とし、文化と国家を切り離している。これが第一のガードである。
 
 次に前文第2段落には、「個人の尊厳を重んじ」とある。これが国家が教育に介入してくることに対する第二のガードである。
 
 さらに第1条「教育の目的」では、「教育は、人格の完成を目指し」と記されている。人格とは一人の子どもが親から生まれ育つ、その一人一人のプライバシーに即して培われていく、かけがえのないその人だけのものである。教育とは、国にとって必要などということを一切排して、一人一人の子ども自身が持っているその人格を完成させるためにあるとする。これが第三の決定的なガードである。日本を戦争し続ける国にしてしまったのは国家主義的な教育だと自覚していた現場の多くの人たちの思いがここに込められている。
 
 「教育基本法」は世界に先駆けて、教育は個人の人権に基づく、一人一人のかけがえのない人格の完成のためなのだとした。世界の教育がそういう方向性においてまとまってくるのは1989年の「子どもの権利条約」以降である。「子どもの権利条約」第29条「教育の目的」には「児童の人格、才能、並びに精神的、及び身体的な能力を、その可能な最大限度まで発達させること」とあり、「教育基本法」第1条と同じである。ようやく20世紀の終わりに世界の国々が「教育基本法」第1条に近づいてきたのである。
 
−−(参考)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 教育基本法  前文
 
 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界
の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本にお
いて教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するととも
に、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければ
ならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基
本を確立するため、この法律を制定する。
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4. 敵視される「教育基本法」
 
 戦争する国にこの国を転換させようとする人たちにとって、「教育基本法」は生ま
れた時から敵視されていた。これが、「教育基本法」が一度もこの国の教育現場で実
現されなかった大きな要因である。
 
 1950年6月に朝鮮戦争が始まり、翌年結ばれた日米安保条約の前文で、アメリ
カが日本に対して、自国を防衛するための最低限の自衛の武力を持つべきだと要請。
そして、1954年に防衛庁と自衛隊ができた。こうして、1950年以降、日本の
文部省は教育基本法を骨抜きにしようとし続けることになる。
 
 さらには、朝鮮戦争の時にアメリカのバックアップで再生した日本の大企業がこの
法律を敵視した。「象徴天皇制的日本型共同体主義的企業」とも言うべき日本の大企
業(創業者を小天皇のように祀り上げ、企業の内部は軍隊組織と同じ上意下達の徹底
した命令組織)は、日本をアジアにおける反共の防波堤にしようとするアメリカの技
術的バックアップのもと、朝鮮戦争特需を体験し、さらには、ベトナム戦争を背景に
高度成長を遂げる。
 
 このような日本の企業は民主主義と人権と自由と平和を教える学校教育を敵視し、企業で徹底した再教育を行おうとする。しかし、学校で人権や民主主義や自由や平和を学んだ青年たちは、それが企業の中で実現されていないと思うと、組合に入り、あるいは組合を作ることになる。それが企業にとって最大の敵であった。
 
 日本の「教育基本法」に基づく新しい教育というものを文部省も企業も崩そう崩そ
うとし続けてきたのが日本の戦後の歴史である。
 
5. 新自由主義政策の中で
 
 1979年、イギリスでサッチャー政権、1980年、アメリカでレーガン政権、
1982年、日本で中曽根政権が誕生した。これらの政権は共通した政策を実施し
た。新自由主義政策と新保守主義政策である。その背景には大規模な国家財政赤字が
ある。新自由主義政策とは、それまで国が低所得層を医療・教育などでバックアップ
していたのをやめ、市場原理の中で自由競争をした結果、負けた人は自殺してもしか
たがないとする政策である。その政策の中で労働者が抱く不満を潰すために新保守主
義がセットになっている。それは、国民が団結して政府に対抗する中心になる組織を
徹底的に潰し(組合解体)、警察力を強化し、学校を国民統治の場に変えていくもの
である。
 
 新自由主義政策の中で落ちこぼされた99%の人々をいかに不満を言わせないように管理していくか、これが「教育基本法」改悪の3番目の狙いである。
 
 中教審答申第2章の2の(1)に、(「教育基本法」改悪で)「新たに規定する理
念」として「国民一人一人が自らの生き方、在り方について考え、向上心を持ち、・
・・」とあるが、ここでは、向上心の有無で、勝ち組になるか負け組になるかの分かれ道が規定されている。子ども一人一人の心のせいにされて切り捨てが正当化されていくのである。
 
 また、「これからの教育には、『個人の尊厳』を重んじることとともに、それを確
保する上で不可欠な『公共』に主体的に参画する意識や態度を涵養することが求めら
れている」とあり、「公共」に主体的に参画する意識や態度がなければ「個人の尊
厳」を主張してはいけないとされる。この「公共」には「教育勅語」の「おおやけ」
が組み込まれている。
 
6. 子どもたちの心が狙われている
 
 具体的な教育現場で子どもたち一人一人が「『公共』に主体的に参画する意識や態
度」を持っているかどうかはどこで判断されるのか。昨年から義務教育現場は絶対評価となり、評価の基準となる課題を出さねばならない
 
。子どもが愛国心を持っていることを評価する課題とは何か。この時に、「日の丸」
「君が代」に決定的な意味が付与されていく。1999年の法制化以降、「日の丸」
「君が代」による教師の人権を破壊する攻撃がかけられ続けてきたが、それが「教育
基本法」改悪によって、一気に生徒の心に直接行くようになる
 
 教師に対する「日の丸」「君が代」攻撃は明らかに「教育基本法」・「日本国憲
法」に違反しており、今、現実に進行している審理の中では、このまま「教育基本法」が生きていれば、教育行政が敗訴する可能性がある。だからこそ、「教育基本法」そのものを変えてしまおうとする。つまり、現状があまりにも「日本国憲法」・「教育基本法」違反だからこそ、その法律そのものを変えてしまおうとするのが「教育基本法」改悪の4番目の狙いである。
 
 小学校学習指導要領「国語」の項に、「日本人としての自覚をもって国を愛し、国
家、社会の発展を願う態度を育てるのに役立つこと」とあるが、こういう教材とは何
か。それは君が代である。また、「社会」の項に、「我が国の歴史や伝統を大切に
し、国を愛する心情を育てる」とあるが、この内容に一番ふさわしいのは「新しい歴
史教科書を作る会」の教科書である。さらに「道徳」では「わが国の文化と伝統に親
しみ、国を愛する心をもつ」とあるが、これを教え込むために「心のノート」が配布
された。
 
 「心のノート」の小学校低学年向けのあるページ(右の絵)を見てみると、「ない
しょのはこ」という標題のもと、ひとりひとりの児童のかけがえのない内心に立ち入
ろうとする問いかけがなされ、「きょうは どんな 一日だったかな。あかるい 気持
ちで たのしく いっしょうけんめいに すごせた 一日だったら、気きゅうの ふうせ
んに 青い いろを ぬろう。もう すこしだったなと おもう 日には きいろい いろを
ぬろう。」と続いていく。そこには、内心の自由を侵し、子どもの心を支配しようと
する意図が表れている。まさに、子どもたちのこころが狙われているのである。
 
7. 今、我々のなすべきこと
 
 現代の様々な教育問題は、「道徳」によって解決されるものでない。「教育基本
法」の全面実現こそ、教育問題を解決する唯一の道である。その「教育基本法」が改悪されようとしている今、市民運動と学校教育現場の運動との連帯が急務である。
 
 有事3法案は成立したが、それを運用させないことは、これからの闘い次第で可能
である。ひとりひとりの自覚的な闘いによって「教育基本法」の改悪を阻止するこ
と。そこから、戦争に向かってひた走るわが国の政治情勢を転回させねばならない。
     (文責・「日の丸・君が代」処分と闘う大阪教育労働者の会 )
 
 
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