パレスチナの子供たちの13編の短い証言
                          2002年3月30日,31日
Global Campaign for Peace Education JapanのMLから
 
「イスラエルの包囲攻撃下のパレスチナ人の苦しみの断片として発表してくださ
ることを希望します」「今すぐこの証言を発表、配布してください」と文章中にあり
ますので、複数の方々に転送致します。お友達にも広めて下さい。
 
以下、転送********
 
私はラマラのカリル・サカキニ・カルチャーセンターの所長です。私は今、自宅
に閉じ込められており、自宅からこれを書いています。包囲下のラマラで生活しているパレスチナの子供たちの13編の短い証言を読んでください。
 
今すぐこの証言を発表、配布してください。
 
この証言は、このセンターの管理・財政担当のマナル・イッサさんが書き取った
もの(アラビア語)を英語に翻訳したものです[注:日本語版は英語からの翻訳で
す]。これをイスラエルの包囲攻撃下のパレスチナ人の苦しみの断片として発表してくださることを希望します。
 
ありがとうございます。
Adila Laidi.
 
[2002年3月30日(土)]
★アラヤーン・ザイードくん(9歳):裏庭であそべなくなった。「外出禁止
令」が出てるから、家の外に出られないんだ。おもちゃは隠したよ。おもちゃの鉄砲やおもちゃの戦車なんか持ってると、イスラエルの兵隊に取られるからね。「外出禁止令」が出てるから、お店へお菓子を買いに行くのもダメなんだ。
 
★ラナから世界中の人たちへ:
今、私のお父さんは遠くへ行っています。お姉さんとお母さんがテレビを見なが
ら泣いていたので見たら、イスラエルの兵隊が捕まえた男の人たを撃っていました。
私はお父さんがその中の1人かも知れないと想像しました。私は泣き出しました。泣いて泣いて、しばらくして、なぜ泣いているんだろうと考えました。これは私たちの運命ではないのか。私のお父さんは警察官です。私たちは抵抗しなければならないのです。
 
★レマ・ザイードさん(11歳):学校へ行きたい。今年は卒業です。夏は自由に
していたい。泳いだり、遊んだり。イスラエルの兵隊たちが、私たちのところから出て行って、占領をやめて、こんな重たい戦車を使うのをやめてほしい。私たちには抵抗する手段がない。学校を占領したり、破壊したりするのをやめてほしい。
 
★アーメド・トゥカンくん(7歳):
インティファーダが始まってから、僕たちは何回も家を引っ越した。毎週、家が
変わるんだ。イスラエル人たちが家に入ってきて、みんなを脅している。イスラエル人がエルサレムに入ったとき、僕たちはラマラへ逃げた。イスラエル人がラマラに来ると、僕たちはエルサレムへ逃げるんだ。
 
★ムスタファ・ムルヘムくん(8歳):僕たちを助けてくれる外国の人たちに、
お礼を言います。僕たちは今、すごく困っています。町が占領されました。僕はラマラにいます。僕たちはイスラエルの兵隊に完全に支配されています。町には戦車や軍隊の乗り物がいっぱいです。死んだ人やけがをした人はかわいそうですが、病院やお医者さんが僕たちを守ってくれると思います。
 
★アラ・ジブリンさん(12歳):
ラマラの古い、1部屋だけのお家に住んでいます。お家にはバスルームがないの
で、外のトイレを近所の人たちといっしょに使っています。家からトイレまでは30メートルあります。トイレに行きたくても、イスラエルの兵隊がじゃまをします。
キッチンも家の外にあります。そこへ行くのもじゃまされます。食事の準備もできません。きょうだいは8人います。とても困っています。何がなんだかわかりません。何をしたらいいのかわかりません。外へ出ると撃たれるかも知れません。それに、兵隊たちは自分のゴミやウンチやおしっこを私たちの家の前に捨てるんです。昨日から電気が停まっています。私たちはイライラしています。気が滅入ってきます。神様や、人間の感情を持っているすべての人々に、助けてほしいとお願いしています。私たちの悪夢を早く終わらせてください。
 
★ヤナル・ザイードくん(4歳):
泳ぎに行きたい。お家がほしい。窓があって、外が見られるお家がほしい。
 
★サラ・アトラッシュさん(5歳):
私はママが大好き。
 
★ヘバ・ブルカンさん(12歳):
平和と安全がほしい。愛情がほしい。私たちに自由をください。
 
[2002年3月31日(日)]
★アーメド・アトラッシュくん(8歳):とても辛い。退屈だ。パパとママは、裏
庭で遊んだらダメって言うんだ。テレビも見せてくれない。ニュースを見るからって言って。死んだ人たちのことが悲しい。死んだ人の数がふえていくので、よけいに悲しい。だけど、僕は近所の友だちと遊んでいる。僕のたった1つの願いは、イスラエルの兵隊が出て行くこと。それが一番の願いだよ。
 
★アラ・ジブリンさん(12歳):
私たちが寝ていたら、ガラスが割れる音が聞こえたの。そおっと窓から覗いてみ
ると、イスラエルの兵隊たちが自動車の窓を壊して、レコード・プレーヤーを盗んでいた。兵隊たちは私たちの自動車のガラスを壊したの。でも、神様のおかげで、レコーダーは盗まれなかった。朝、15人の兵隊が、わめきながら私たちに家に入ってきた。家の中をめちゃめちゃに荒らして、パパを逮捕した。私たちは家の外にある小さなキッチンに閉じ込められたの。パパはパレスチナの旗を持ってたから、連れて行かれたのだと思う。私たちは兵隊たちが逮捕した男の人たちをひどく殴っているのを見ました。
それってテロリストのやることじゃないの!
 
★ミゼル・ジブリンくん(15歳、アラさんの兄):
イスラエルの兵隊は、僕たちが家の外にあるキッチンやトイレへ行くのも邪魔を
しました。信じられない状況です。トイレは家から離れているので、妹はカラのゴミ箱を使っています。僕はそれを拒否して、外のトイレへ行っています。父と母は止めますが、僕が言い張るので、あきらめて、気をつけるようにと言います。トイレが終わると、兵隊たちが取り囲んで、手を上げるように言います。そのうちの1人が僕を押して、尋問を始めました。「何をしているんだ?「名前は? 歳は?」僕が答えた時彼らは僕を殴ろうとしました。そこへ父が「やめろ、やめろ、子供がトイレに行っただけじゃないか」と叫びました。彼らは僕を放し、僕たちの家に突入しました。彼らは妹たちと弟たちと僕を小さなキッチンへ閉じ込め、家の中のものを壊しました。彼らは父を捕まえ、殴りました。ほかの男の人たちも捕まえられ、殴られました。そのあと、父やほかの男の人たちの頭にビニール袋をかぶせ、どこかへ連れ去りました。これが占領というものだということがわかりました。僕はこれを決して忘れません。僕は言います、占領を止めてください。威張るのをやめ、殺すのをやめてください、・・・やめてください!
 
★アラヤーン・ザイードくん(9歳):
イスラエルの兵隊が若い男の人たちを殺し、子供たちを脅している。パレスチナ
の兵隊を牢屋に入れて、新聞記者を殺している。僕たちを助けて、僕たちを守って!
 
 
カリル・サカキニ・カルチャーセンターはラマラの古い家を改造した中にありま
す。このセンターは視覚芸術の育成と発展、パレスチナの文化的アイデンティティと伝承に関わるプロジェクトの組織化、定期的な文化イベントの開催(美術展、コンサート、文学イベント、映画上映会、講演会、子供の活動など)の3つの分野を中心に活動しています。サカキニは1996年に設立された。
 Http://www.sakakini.org
をご覧ください。
 
以上、転送終わり******
 
 
 
パレスチナ最前線からの手紙
> *********** Peace Maker Mailinglist  **************
> ************** Peace for all!!  *******************
>
> アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名 事務局 です
> 緊急のお願いです!このメールを知り合いの方に広く回してください。
>
> パレスチナ最前線からの手紙
>
>  ■パレスチナの地で重大事態が−−ジェニンで大虐殺事件が起こる■
> ・今日の毎日新聞朝刊でも報道されたように、ヨルダン川西岸のジェニンで、イ
> スラエル軍による大虐殺事件が発生しました!パレスチナ自治政府は「国際調査
> 団」の派遣と真相究明を世界に向かって呼びかけています。イスラエル側は、国
> 際調査団が組織される前に、証拠隠滅を図ろうとして、イスラエル政府による調
> 査団を派遣すると発表しました。
> ・米のパウエル国務長官は、この虐殺事件を無視し、逆に「自爆テロ」を非難し
> て、アラファト議長との会談を拒否しました。不公平この上ない侮辱した対応で
> す。・腹立たしいことに、邦字紙も、英字紙も、パウエル・シャロン会談やイス
> ラエルで「自爆テロ」の被害が出たことなどが中心的な報道内容で、「ジェニン
> の虐殺」を扱った新聞も非常に小さい扱いしかしていません。自治政府が勝手に
> 言っているだけと言う意味で大虐殺にカッコを付けている状態です。事態 は緊
> 急を要します。このままでは大虐殺事件が闇に葬られてしまうのです。
> ・皆さんの友人に以下のイスラエルの女性による現地報告を大至急回覧していた
> だけたら幸いです。ギラ・シヴィルスキーさんはイスラエルの反戦平和運動の有
> 力な活動家で「公正な和平をめざす女性連合」の代表者です。国際支援者やパレ
> スチナ人たちと一緒にイスラエル軍の侵攻に身体を張って立ち向かっています。
> ・彼女は「最前線からの手紙」という緊急レポートを世界中に発信しました。と
> りわけジェニンで「筆舌に尽くしがたい」深刻な事態が起こったと報告していま
す。
> ・メールで友人に送れる人は「ねずみ算式」にどんどんこの「手紙」を多くの人
> 々に知らせてくだ さい。メールをやらない友人には、FAXでこの「手紙」を
> 送ってください。
> ・世界中の人が、この大虐殺事件に注目し、非難し、監視すれば、イスラエルや
> アメリカとて、隠蔽することはできなくなるでしょう。この事件が世界中で非難
> の嵐を巻き起こせば、パレスチナ人に対する虐殺をやめさせイスラエル軍の撤退
> に道を切り開くでしょう。私たちも彼女の要請に最大限応えていきたいと思いま
> す。皆さんも手を貸してください!!
>
> ---------------------------------------------------
> 最前線からの手紙
> Letter from the Front
> by ギラ・シヴィルスキー
> 2002.4.10
>
>  友人たちへ、
>
>  私は今ちょうど2週間の外出からイスラエルへ戻りましたが、自分が見聞きし
> たことを全体の脈絡の中で見通してまとめあげるのに更に2日かかりました。そ
> れを今あなたがたと分かち合いたいと思います。
>
>  まず第一に、私たちの前に繰り広げられた人を圧するような光景は、パレスチ
> ナの諸都市においてイスラエル軍がしでかした死と破壊の光景です。とりわけて
> もジェニンのそれは筆舌に尽くし難いものです。数百人が殺され数千人が負傷し
> たのに加えて、イスラエル軍が救急車を阻止し死傷者の搬出を妨害したこと、大
> 量に家屋をブルドーザーで破壊したこと(ときには家族がまだ中にいるもと
> で)、1週間以上にわたって水と電気と電話を遮断したこと、その反駁の余地の
> ない証拠があります。自分の周囲で男たち、女たち、子供たちが血を流して死ん
> でいこうとする時に、全く水もないという状況を、あなたがたは想像することが
> できるでしょうか? そして、死体を数日のあいだ家に置いたのち近くの空き地
> にそれを埋めねばならないという状況を?
>
>  これらの事態は、現在進行中の残虐行為、大量逮捕、破壊的蛮行、窃盗、屈辱
> を与える行為などをはるかに越えて進行しています。ある将校の言明が今日の
> 「ハ・アレッツ」紙に引用されました。「我々がそこでおこなったことの映像を
> 世界が見る時、それは我々に巨大なダメージを引き起こすだろう。」と。メディ
> アが接近することを許されていないのも不思議ではありません。昨夜おこなわれ
> た人権団体ベッツェレムの緊急委員会合での現場からの報告に耳を傾けると、涙
> したのは私だけではないことがわかりました。
>
>  今は分析をしている暇はありません。私には言うべきことが多くあるのです
> が。たとえば、ペレスの共犯について。イスラエルに対する正当な怒りによって
> 国際的に解き放たれたゾッとするような反セム族主義について。イスラエルにお
> ける恐ろしいテロリズムとアメリカにおけるいわゆる「テロとの戦争」が、現在
> 起こりつつあることにいかに許可証をあたえたかについて。等々。ブッシュ=
> チェイニー=ライス=シャロン=モファズを並べれば、暴力がいっそうの暴力の
> 原因となる処方箋は完ぺきです。今日のジェニンでの13人のイスラエル兵士の
> 死は、イスラエルの軍事力の悲劇的な無益さということを痛感させるばかりです。
>
>  分析するよりはむしろ、今は行動する時です。ここイスラエルでは、平和運動
> と人権運動は、考えうる限りのありとあらゆる戦線で疲れを知らずに活動してい
> ます。占領地での軍務を拒否している将兵たちは収監されていきます。緊急に集
> められた食糧と医薬品の輸送物資は配達・配送され、更に集められています。人
> 権活動家たちは、命がけで監視行動に取り組んでいます。平和活動家は、軍検問
> 所で対峙して、催涙ガスその他をあびせられても勇敢に立ち向かっています。外
> 国の活動家たちは、占領地全域で人間の盾として活動しています。私の活動歴の
> 中で、これに匹敵するような緊急事態を思い出すことができません。ここにおい
> ては、あることの原因を徹底追求するということのために、生命も日々のパンも
> 脇へ押しやられつつあります。私はまた、私たちイスラエル人自身が創り出した
> 大災厄が眼前で展開されつつあるということを感じ、それに匹敵するような感覚
> を思い起こすことができません。
>
>  私は、あなたがたに、あなたがた自身の行動をとるように懇請します。関係諸
> 官庁に(いくつかの宛て先は下に示されています)働きかけて下さい。もしあな
> たがユダヤ人であれば、それを必ず強調して下さい。次のことを主張して下さい。
> 1)この恐ろしい暴力を終わらせるために、国際監視団が現地に直ちに派遣され
> なければならないこと。
> 2)紛争の根本原因はイスラエルによるこの地の占領であること。占領を終わら
> せねばならないこと。
>
>  限られた時間しかなくてもできる他のことは次のことです。
> ・1分しか時間がないなら、この手紙をあなたのメールリストに載っている人々
> に転送して下さい。
> ・10分時間が割けるなら、あなたの選ぶ組織に小切手を書いて下さい
> (「www.coalitionofwomen4peace.org」でリンクスを見て下さい)。
> ・1時間あるなら、あなたの現地の新聞社に手紙を書いて下さい(手短に、そし
> て心を込めて)。
> ・もっと時間があるなら、活動に関わって下さい。「www.junity.org」の「Get
> involved - Find an Organization Near You」を見て下さい。もしあなたがアメ
> リカ在住のユダヤ人であれば、「Tikkun Community(www.tikkun.org)」または
> 新たにつくられた「Brit Tzedek v'Shalom - Jewish Alliance for Justice &
> Peace(www.jppi.org)」に参加して下さい。
>
>  どんなことでも、あなたがたにできることはすべて価値あることです。
>
>  最後に、私は、イスラエルは今日ホロコースト記念日を印したということを書
> き留めないではいられません。私たちがこのトラウマからついに自らを解放し、
> その真の教訓、toleranceという教訓を肝に銘じることができるのは、いつにな
> るのでしょうか?
>
> Shalom(ヘブライ語の平和)/Salaam(アラビア語の平和)
> エルサレムより
> ギラ・シヴィルスキー(「黒衣の女性たち」の創設者の一人)
>
> ---------------------------------------------------------------------
>
> アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名 
> HP: http://www.jca.apc.org/stopUSwar/
> パレスチナ関連ページ:
> http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Palestine/Plestine.htm
> イスラエル大使館、米大使館に抗議のメール、ハガキを送ろう。
> 抗議先:
>
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Palestine/CondemnIsraeliAggression.htm#info
> 1
>
> アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名 事務局 
> ============ 転送はここまで =============
 
 
 
ルポ】 森沢典子さんのパレスチナ報告
                2002年4月13日
【ルポ】 森沢典子さんのパレスチナ報告を転送します
         ★ 転送歓迎! ★
――――――――――――――――――――――――――――――
3月5日から23日までイスラエルーパレスチナに行っていました。
9月のテロ事件のあと、もうパレスチナ問題を無視できない時が来たと
私の中で認識していたのですが、実際にはほとんどその事には触れずテ
ロという言葉に人々が必要以上に敏感になる中で、テロ撲滅の名のもと
に戦争そのものがどこか正当化されていく風潮に非常に危機感を覚えま
した。
また西欧文化や情報は普通に入ってくるのに対し、アラブやイスラムに
ついてほとんど情報がないまま、イメージだけが先行している中で、各
地の紛争やテロ事件は減る様子もなく、この先アラブやイスラム社会を
理解することなしにどんな解決も共存もありえないという気持ちが強ま
りました。
そんな中イスラエルが、(予感はあったのですが)アメリカと同じ理由
を掲げパレスチナへの侵攻に力を入れ始めました。
出来事としてのニュースは分かりますが、その実態は、日本でテレビや
新聞をいくら読んでいてもつかめるものではありませんでした。
私自身、ユダヤ人のこともパレスチナ人も、彼らが朝御飯に何を食べて
いるのかすら知らなかったのですから、この問題について自分なりに分
析するための自分の言葉も経験も持ち得ませんでした。
イスラエルの主張は不透明に感じるものが多く、視点がいつも一つに留
まっていたのとパレスチナ側の主張や映像が、イスラエルと同じレベル
で流されることはほとんど無く不満に思っていました。
 
それなら自分で見てこよう。何もジャーナリストや専門家だけが現場を
見るものとは決まっていません。なかなか届かない情報を指をくわえて
待っているのはもうやめたっと思い、もともと行くつもりだった旅行を
取りやめてパレスチナに向いました。
 
けれども私がパレスチナ入りした頃は、それまでで最も緊張が高まり始
めた時でした。
日本にいるとテロリストや紛争の話ばかりしか届かないパレスチナの人
々と、直接関わって彼らの本当の姿や人々の暮らしぶりを知りたいと思
っても、被害の状況など今起きていることを自分の目で見たいと思って
も、何のグループにも所属していない私が自治区や難民キャンプに行く
ことはとても難しく思われました。
 
それでも諦らめきれずUNRWAや国連など公の機関を訪ね歩く一方で、
市民レベルで活動しているさまざまな人を一人一人伝っていくうち、最
後に行き着いたのがNGO団体であるGIPP−PNGO(パレスチナのた
めの草の根運動の会)でした。
PNGOは活動の一環として、なるべく多くの人たちに直接現場を見て
もらおうとナブロスのフランス人女性クロードとラマラのパレスチナ人
女性ルナッドがヨーロッパ方面中心にインターネットで呼びかけていた
のです。
それに応えてやってきたフランスのお母さん達の団体8人と、私も一緒
にウエストバンクを廻ることしました。
 
そして地元のNGO―GIPPの協力の下、自治区のうちのナブロスと、
ジェニン、トウルカレムの難民キャンプや村を訪ねました。
 
イスラエル側の被害状況や主張が次々と報道される一方で、パレスチナ
側の取材や中継がイスラエル兵の封鎖によって制限されなかなか実態が
つかめないことに疑問を持ち、それなら自分の目で見てこようとここに
やって来たことで私たちは共通していました。
 
ナブロスの知事や、ジェニン、トウルカレムの難民キャンプのリーダー
達も村の人々と共に私たちの訪問を待ち構えてくれていました。
 
そしてイスラエル軍による占領で被害にあった場所を訪ね歩き、夫を殺
された人や家を焼かれて泣いているお婆さんなど、一人一人から直接話
しを聞いてまわりました。
 
そこで実際に私が目にしたことは、自分の目で見た後でも信じられない
ことばかりで人が人に対して本当にこんなことが出来るのかと、何度も
自分の目や耳を疑いました。
 
けれども、これは現実として受け止めるしかなく、きちんと他の場所へ
伝えるべき重要な出来事であるという思いがつのっていきました。
 
この頃もイスラエル軍は、自治区を次々に封鎖占領し、毎日のようにヘ
リコプターでの空爆と戦車での破壊や爆撃を繰り返していました。
 
占領は、いつも真夜中に始まりました。
一つの自治区や難民キャンプを、数十台、時には数百台もの戦車で取り
囲み、外部からの進入も一切出来なくなります。
 
そして必ず行われるのが「テロリスト狩り」と称された14才から50
才までの男性の連行です。
連行された男性は全員目隠しと手錠をされ、服も全部脱がされて腕に番
号を振られます。
イスラエル軍のバスに乗せられ連れ出される映像が、最近CNNでも流
されました。
 
トウルカレムでは、女子小学校も爆撃を受け、そこが投獄場所として利
用されていました。
 
トウルカレム難民キャンプのリーダーと投獄され出てきたばかりのジャ
マール・イッサさんの話によると、3月8日真夜中過ぎ、キャンプは6
0台の戦車と4機のヘリコプターに囲まれたそうです。
 
ジャマールさんは、明け方の3時半に30人のイスラエル兵に家を取り
囲まれたました。
以下彼の話。
「私の捜索という名目で、イスラエル兵たちはまず両隣の家を取り壊し
はじめました。
6時になる頃玄関がノックされ私がドアを開けると、数人の兵が入って
来て家族を一つの部屋に集めました。
私たちの見ている前で家の中のものを破壊し、目の前に3時間座り込み
ました。その間ずっと「ここは俺達のものだ!」と怒鳴ったり叫んだり、
私を殴ったりしました。
そして私は外へ連れ出されました。他にもたくさんの人が連れ出されて
いました。みんな目隠しと手錠をされ裸でキャンプの女子学校に連れて
行かれました。しばらくするとバスが何台もやって来て私たちはフワラ
というナブロス付近のイスラエル領に連れて行かれ、囚われている間は
腕を縛られ立たされたまま殴られたり叫ばれたりし水も食料も与えられ
ませんでした。
その日連行された男は400人にのぼり、今も100人以上が拘束され
たままです。」
今回は6日で戻ってきましたが、これまでも何度も投獄され家を取り壊
されています。
 
なのに彼は私の方からこのことを聞き出すまで、自分からは何も言って
いませんでした。
 
この話を聞いたのは、トウルカレムの人々に招かれて町の小さなレスト
ランで昼食を食べているときがきっかけになりました。
 
その時わたしは、たまたま6人のPLOのメンバーに囲まれて座ってい
ました。彼らはとてもシャイで、礼儀正しく、冗談ばかり言っていまし
た。そして私が日本から一人で来ていることにとても驚いたり、丸い目
で日本のことをいろいろ尋ねたり、どんどん食事をすすめてもてなして
くれるのでした。
けれども私がチキンのおかわりを、もうおなかいっぱいだからと笑って
断ると、周りの人がみんなでそのチキンをジャマールさんのお皿にのせ
て「おまえは牢獄から出てきたばかりで栄養つけなくてはならないから
もっと食え食え!」と冗談を言ったりしていたので投獄の事実を知り、
食後に話を聞かせて下さいと頼んだのです。
 
どこを訪ねても、占領の方法は同じやりかたでした。シャロン首相は「
テロ対策」と銘打って行っていますが、実際には学校や病院も爆撃を受
けていました。完全に封鎖し人々を閉じ込めて、男達を連れ出して無抵
抗の状況を作り出していっせいに攻撃をするのです。ですから、もちろ
ん政府関係の建物や警察署などはめちゃくちゃに破壊されていました。
そしてたくさんの人が殺されています。
武器も押収していきます。
 
彼が連れ出された3月8日、トウルカレムでは17人が殺され100人
以上が怪我をしました。封鎖されたキャンプの入り口では、救急車の進
入が戦車によって阻まれ、怪我人を運び出すことも出来ません。今月に
入って国連が、救急活動の妨害に対して非難をしていましたが、実際に
は妨害だけではなく、救急車も爆撃を受けています。トウルカレムでは、
救急車が正面から銃撃され運転手の頭が半分吹き飛び、アシスタントは
入院、もう一台は戦車に直接追突され、グシャリと潰れていました。
この追突の瞬間を捉えた写真をある女性がたまたま撮影し、エルサレム
ポストにも載りました。
 
ジェニンでは、救急車が戦車によって爆撃され、救急センターのデイレ
クターが殺されました。センターの方にその時の写真を見せてもらいま
したが、頭や顔まで真っ黒に焼け焦げた姿には面影など何も残っていま
せん。彼は、9才の女の子を救出に向う途中でした。けれども救出を待
ったまま、その女の子も亡くなりました。もちろんそうなることを狙っ
て、救急車を攻撃してくるのです。彼らの意図はテロの撲滅ではなくて、
パレスチナ人の撲滅であることがだんだん分かってきました。
うすうすは気づいていましたが、本当にこの現代社会で、民主主義を唱
えている国が総力を尽してそんなことが出来るとは、どうしてもイメー
ジできませんでした。
私たちは、殺されたデイレクターの家族も訪ねましたが、力なく肩を落
としている年老いた彼の母親にかける言葉もみつからず、ただ手を握り、
見つめあうのが精一杯でした。私は悔しくて背中が震えてしまいました。
 
ジェニンキャンプでもUNRWA(パレスチナ人のための国際支援団体、
日本もたくさん援助している)の女子小学校を訪ねましたが、もちろん
戦車によって爆撃を受け校庭も校舎も銃弾の跡で穴だらけでした。フラ
ンス人たちは、イスラエルに対して請求書を送ると言っていました。そ
して、一番援助している日本の政府は、抗議をしないの?と言いました。
 
ある女の子が、私にノートを見せてくれました。
彼女のノートは、銃弾を受けびりびりに切り裂かれていました。
そしてその裂け目の間に、まだ弾丸がくいこんだままでした。
彼らは、授業中の小学校を銃撃したのです。たくさんの子どもが殺され
怪我をしています。
もちろん、病院へ運ぶどころか、助け出すことも阻まれます。助け出そ
うとするものは容赦なく撃たれてしまうのです。
この日UNRWAのジェネラルデイレクターが駆けつけてキャンプに入
ろうとしましたがイスラエル兵はそれも拒みました。
 
このジェニンキャンプは、わずか1平方kmの土地に15000人もの
難民の人々が肩をひしめきあって生活しています。皆1948年以降、
イスラエルにより土地を奪われ難民となった人々です。
 
3月4日に占領侵攻され、同じようにたくさんの人が殺されましたが、
ここでは死体をキャンプの外にある墓地に運ぶのを、イスラエル兵によ
って阻まれました。それで仕方なく、キャンプの中の可能な場所に埋め
て人々はお墓を作りました。
 
ところがそのすぐ後イスラエル兵は、戦車やブルドーザーでそのお墓を
掘り返し破壊していきました。私は、掘り返されてまだ間も無いそのお
墓の、写真を撮る他に何も出来ませんでした。
 
フランス人の母親達が帰国した後、私は一人でベツレヘム、そしてガザ
にも行きました。ウエストバンクの状況を見て、ガザはもっと悲惨であ
ろうことが予想できたのでどうしても行く必要がありました。
 
一人で行動しないように言われていたので一緒に行く人を探しましたが、
見つけることが出来なかったので仕方なくあちらのNGOオフィスの住
所の書かれたメモを一枚もって一人で行きました。
 
ガザは、エルサレムから車で一時間半程南に走ったところにあります。
朝一番に乗合タクシー(セルビスと言って時間で走るのではなく、同じ
方向に向かう乗客が集まり車がいっぱいになったら出発します。)に乗
り込んで待っていましたが、予想通り一人のお客も来ないので、一人乗
りタクシーで向いました。こんな時にガザに行く人などいる訳もありま
せん。
 
ガザの入り口は、イスラエルに完全に制圧され大きなターミナルができ
ています。まるで空港のような厳重なチェックを受け中に入らなくては
いけません。占領時でなければ外国人である私たちはチェックさえきち
んと受ければたいていは自由に出入りできますが、パレスチナ人は自由
に出入りができません。
物資の出入りもイスラエル軍にコントロールされています。
 
その日ターミナルには、イスラエル兵達と私の他は誰もいませんでした。
 
さて、ガザの南北を走るメインロードはかつては三本ありましたが、今
では一本しか使えません。後の二本は、入植者「セットラー」(植民地
政策でパレスチナ自治区に不法に建てた家に住むイスラエル人達のこと)
のための専用道路として、獲られてしまっています。
 
パレスチナ人は残りの一本の道路しか使うことが出来ないのですが、そ
れさえ南北の中間地点カラーラが封鎖されたり、開いていてもイスラエ
ル兵の審査を受けなくては通れません。
 
いわゆるチェックポイントです。
 
今は占領のことを取り上げられることが多いのですが、占領時でなくて
も実はチェックポイントによるこの封鎖こそがパレスチナ人の生活に壊
滅的な打撃を与えています。
 
これにより観光客はもちろん人の流れも物資の流れも制限され、街は活
気を失い人々の心は荒んでいきます。
 
生活に使う水と、病院では特に酸素や輸血用の血液が深刻に不足してい
ます。農作物の収穫期には、収穫のために農場へ出るのを故意に阻まれ
作物が腐るまでそれは続きます。ですからガザでは、世界一の人口密度
にまで追いやられた狭い土地の中で農場や牧場を確保し、自給自足に近
い生活を強いられています。
しかしガザ国境付近にイスラエルは公害を伴う工場を建設し、その環境
汚染が深刻とも言われています。内部で収穫した食物や水が汚染されて
いることをみんな分かっていながらどうすることもできないと言います。
 
特にイスラエルのデイモナ工場による空気汚染で、ガザ南部国境付近に
あるクザール村では、主に子どもとお年寄りに背中に異状を来たし、立
つことができなくなる障害が多く見られると聞きました。真偽のほどは
分かりませんが、私はその症状を持つ6才の女の子とお婆さんに会いま
した。
閉じ込められたコミュニテイと汚染のため、ガザでは障害を持った子ど
もの出生率がひときわ高いそうで、訪ねた家のほとんどに障害を持った
子どもがいました。
 
クザール村で起きた3月8日の占領時、家族が三人殺されたというお宅
を訪ねました。殺されたのは、ハリード・カデイアさん、カハリードさ
ん、ムハマードさんの三人でこの夜、残された家族が全員広間の床に座
り、ハリードさんのお父さんに当たるカマールさんが私にその時の話を
してくれました。
「3月8日のことでした。真夜中過ぎのことです。パレスチナの救急車
が村に入ってきました。けれども中から出てきたのはイスラエル兵士た
ちでした。そして村は70台の戦車に囲まれていました。ここは農場地
帯だったので見晴らしがよくほとんどの人は村から逃げることは出来ま
せんでしたので、家の中に逃げ込みました。だから殺すのにたやすかっ
たのです。彼らは5つの家を選び入ってきました。何故ならそれらの家
は高台があり村が見渡せたからです。彼らは犬も連れていました。家に
入ると彼らは男達に服を脱ぐように言いました。そして腕を後ろに縛り
目隠しをしました。家族を一つの部屋に入れ二人の兵士は銃を女と子ど
もに向けていました。戦車は村の全域を占拠していました。そしてイス
ラエル兵士はモスクに入りスピーカーを使って、外に出てくるように叫
びました。武器や銃を使わないとも言いました。アラビア語で言いまし
た。
 
それで人々は外へ出ました。東から37台の戦車、10台の装甲車、3
台のバスが入って来ているのが見えました。次の瞬間、全てが砲撃を始
めました。女、子ども、犬、豚もヤギも撃ちました。ハリードは足を撃
たれました。まだ生きていたので助けようとしました。けれども私の目
の前で、戦車が彼を轢いていきました。そして彼の頭や顔や胸はすべて
潰れ、道には形も何も残りませんでした。彼を助けようとするものは容
赦なく撃たれました。
私は泣き叫びました。
それを止めようとして走ってきた親戚も撃たれて死んでしまいました。
 
ムハマードは20発も撃たれましたが、まだ息はありました。
けれども誰も助けることも病院に連れて行くこともできませんでした。
何故なら村の入り口で、救急車も何も入れなかったからです。
たくさんの人が怪我をしましたが血が足りなかったのでみんな死んでし
まいました。
ただ殺されたのです。私たちは兵士でもないし何でもありません。
ただ来て殺したのです。殺して出ていったのです。捜査などありません。
言い忘れましたが、ガザ南部のソルジャーもその夜殺されました。
彼はここで何が起きたのか見に来たのです。そして足を撃たれ病院に運
べず死にました。(救急活動ができないので)足を撃つだけで十分殺せる
のです。
その夜18人が殺されました。たった二時間の間に。今は100人以上
の人がナーサルホスピタルにいます。
 
どのパレスチナ人の家もみんな同じです。農場も壊していきました。」
(実際の死者は16人そのうち5人がパレスチナ警察)
殺されたハリードさんは結婚したばかりで、家には奥さんと生れて20
日目の赤ちゃんが残されていました。
その小さな小さな赤ちゃんを腕に抱いて、私は怒りと無力感にうちのめさ
れていました。
 
この他にも話しはたくさんあります。ありすぎて書ききれません。
もちろん関心をお持ちの方には積極的にお話ししますので声をかけて下さ
い。写真もありますのでお会いしてお話するのでも結構です。
 
デ・アル・バラという北部の地域に散布された毒物とその影響を受けてい
るというたくさんの妊婦さんや子ども達のことも気になっています。
 
どの話も裏付け調査が必要なのですが、クザール村を訪ねたのは夜九時を
廻った後でしたし翌日は午前中にはガラーラのチェックポイントが閉まっ
てしまうからと、駆け足で学校と病院をまわり、皆に背中を押されるよう
に北へ向いました。
何故こんな状況なのにパレスチナで出会った人達はこんなにも暖かいのか、
私を守ろうとするのか持っているものを分け与えようとするのか、何故私
だけが別の世界へ逃れていけるのか虚しい気持ちいっぱいでエルサレムに
戻りました。
けれども、クザール村の話があまりにひどく、さらに何処の新聞社のアー
カイブを調べてもその事に触れていなかったので、すぐにパレスチナの人
権団体と、その時日本で執筆中だった広河隆一さん(パレスチナ問題につ
いて35年間取材やさまざまな活動を続けているフォトジャーナリスト、
現在はパレスチナで取材中)にメールをしました。
翌朝すぐに広河さんから電話がかかって来て、これは大変なことだから、
パレスチナ側だけでなくイスラエル側のジャーナリズムにも伝えた方がい
いと言われ、ハアレツ・デイリーの編集者エウードさんを紹介して下さい
ました。エウードさんはその日すぐにテルアビブから、エルサレムまで駆
けつけてくれました。
私は、聞いたことをそのまま話しました。
彼はすぐに再調査のための人を送ってくれました。私も一緒に行きたかっ
たけれど 、出国前日だったので後はお任せすることにしました。
 
日本に戻ってから、村で殺された総数にずれがあったものの残念ながらそ
の出来事が事実であったことを知りました。
 
さてパウエル長官がいよいよイスラエル入りしシャロン首相と会談しまし
た。
ずっとイスラエルを支え、大変な軍事国家に育て上げたアメリカの国務長
官が仲介に入るのですから、パレスチナの未来にとって本当に明るい選択
肢をきちんと用意してくれるのかとても不安です。
 
シャロン首相は一部撤退を行いテロ根絶を訴えながら、その傘下で、パウ
エル長官がイスラエルにたどり着くまでの間に駆け込み的に攻撃の手を強
め、特にジェニンキャンプで大変な殺戮を行い、今現在も続けています。
外部からの進入は、取材陣でさえ一切出来ないということがどういうこと
か私にははっきりとわかります。
ほんの一月前会って、一緒にたくさんの話をした一人一人のあたたかい眼
差しが私の頭を廻っています。その人たちの身の上に今起こっていること
を思うと本当に胸が張り裂けそうで、何も手につきません。
あの時もジェニンキャンプは大変な打撃を受けていましたが、そんな状況
の中で人々は木々をきれいに刈り込み、花の手入れをし、コーヒーを飲み
ながら穏やかに家族や友人達と過ごす時間を楽しんで、私たちと目が合う
と「ウエルカム!」とコーヒーを差し出したり、笑いかけたりしていまし
た。難民キャンプの子ども達が、うれしそうにニコニコ私たちの後につい
てくるのですがフランス人の女性がチョコレートを差し出すと、控えめな
声で「ノーサンキユウ」と丁寧に断るのです。
私がこれまで他の経済的に貧しい国で出会った子ども達のことを考えると、
これは相当なことだと思いました。
日本の子どもだって、差し出されたチョコレートを「結構です」と丁寧に
断れるとも言えません。
彼らは、何もかも失っても、誇りは失っていませんでした。
それはイスラムの精神と、パレスチナの母親の教育の水準の高さによるも
のだとどのパレスチナ人に会っても感じた今回の新しい驚きでした。
 
その人たちを、今次々に殺しているのです。そして誰にも止めることがで
きないなんて。
これだけ国際社会の目が光っていながら、何故こんなことが続けられるの
でしょう?
どうして誰もそこへ派遣しないのでしょう?
私が特使だったら、まずそこへ向うでしょう。不当な制限を解き事実を見
るでしょう。
特使の権限は、そのためにあるんじゃないのですか?
ジャーナリズムを含む、他のものの進入を一切阻む理由として、パレスチ
ナ人が爆弾を抱えイスラエル兵も10数人死に、危険だからだと発表して
いますが、ちょっとでもジェニンの人々の立場に立てば、閉じ込められた
世界の中で、救出の可能性を全て絶たれた絶望的な状況を想像できるはず
です。これは本当に恐ろしい出来事です。
 
ただ死を、破壊を、すべての物の喪失を待つばかりの彼らの恐怖心や絶望
感は、計り知れません。
わたしも居たたまれない気持ちで何日も眠れずにいます。
家族を殺されたり自分が無駄に殺されるのならばと、最後の抵抗の手段と
して爆弾を抱えてイスラエル兵の到着を待つのはむしろ当然でしょう。
ほかに何が出来るというのでしょう。
今ジェニンの人々をそこまで追い込んでいるのは、他でもないイスラエル
なのです。
 
ラマラの友人からの電話だと、死者は7〜800人に達し死体も運びだせ
ず腐乱し始めているということです。
広河さんのホームページで公開されている記事によると、未確認情報では
死者は1000人に及ぶとも言われています。
イスラエル兵は、ここで起こっていることを国際社会が見たら決して許さ
ないだろうと恐れをなし死体をブルドーザーで埋め、清掃を始めていると
いうことです。
ブルドーザーで!彼らはゴミではありません。
けれども、ブルドーザーでの清掃行為そのものが、死体の数の多さを物語
っています。
ジェニンでのこれらの行為は、イスラエルに今後何年も重い十字架として
のしかかるでしょう。
 
テロ根絶を理由に占領地からの撤退を拒んでいるシャロン首相ですが、今
の状況のもともとの原因は、イスラエル側のオスロ合意に違反する圧倒的
な占領と植民地政策、そして一昨年のシャロンによるアル・アクサ神殿訪
問にある事を忘れてはなりません。
 
アルアクサ神殿は、毎週金曜日にイスラムの人々がお参りに来るとても大
切な場所です。
そこにシャロン首相は警察を伴って入り込み、抗議のために立っていたパ
レスチナ人に発砲、翌日は金曜日でしたが、シャロンはさらにそこに軍や
警察を送り込みお参りに来た人たちに無差別に発砲、パレスチナ人にとっ
て最も神聖な場所で死傷者を出し流血の事態を引き起こすという大変な挑
発行為を行ったのです。
その事に抗議して始まった民衆運動が、今回のアル・アクサ・インテイフ
ァーダです。
 
シャロンはその民衆蜂起を「テロ」と位置づけ、封鎖占領を繰り返してき
ました。また、かつてのレバノンキャンプでのパレスチナ人大虐殺を指揮
した張本人もこのシャロン首相に他ならないのです。
 
そして現在まで圧倒的な経済力と武力で主張を押し付け、パレスチナ人の
基本的な人権生きる権利、自由、生活を国を挙げて奪ってきました。物資
や人の流通を不当に阻み、教育を阻み、救急活動までも阻止してきました。
民主主義を掲げている国がです。
どんな政治的主張があるにせよ、それが正しくても間違っていても、とに
かく今すぐ占領をやめて欲しいと強く思いました。
けれども大きな銃の前で、私だって何も言えなかった。
暴力の前に、自由な言葉や心の行き交いをねじ伏せられるということの
私の初めての体験でした。
家族や自分の命、生活、家が奪われる人々の思いは計り知れません。
 
もちろんパレスチナ人も必死で抵抗しています。
主な武器は石、銃などですが、軍を持たない彼らは自爆という武器が
精一杯であり、最後の手段なのです。
けれども私が見たほとんどのパレスチナ人の本当の抵抗は、爆撃されても
家族が殺されても、壁の無い外から丸見えの部屋でコーヒーを入れ、翌日
から仕事に戻り、もくもくと瓦礫を片付け、冗談を言って笑う。人を受け
入れもてなし、花の種を植える。
人としての尊厳を失わず誇り高く生き続けユーモアを忘れない、そんな精
神的抵抗でした。
本当にみんなよく我慢しています。
そしてそれこそがイスラエル兵を焦らせヒステリックにさせているという
のが、援助に駆けつけているたくさんの、ヨーロッパ人を中心とする外国
人たちとわたしの間での共通の認識でもありました。
 
何故国際的な協議の場やジャーナリズムでは、占領(虐殺)とテロ(一つ
の爆弾)を同じ天秤にかけるのでしょう?
圧倒的な武力の前で、一つの抵抗も許されないというのでしょうか?
もちろん市民を狙った自爆行為を、私も受け入れることはできません。
けれども外国から特使が来るとなると直前に、シャロン首相は必ず挑発行
為を繰り返してきました。そして今回もパウエル長官がイスラエル入りす
る直前にジェニンでの大量の殺戮を行いとうとうキャンプのリーダーを殺
しました。この行為は確実にパレスチナ人の抵抗運動を引き起こすでしょう。
 
わたしは、今起きていることは戦争ではなく、迫害と虐殺だと認識してい
ます。
そしてもしもこれを今国際社会に止めることが出来なかったら、私たちは
歴史の中でホロコーストから60年たったこの時代に、私たちの時代に、
もう一度同じ過ちを今度はユダヤ人の手で犯してしまうことを許してしま
うことになるのです。
それは同時に、私たち自身の過ちにもなります。
 
さらに、テロ行為を理由にアラファト議長率いる現在のパレスチナ政府を
「悪」と位置づけ排除したのち、アメリカやイスラエルにとって都合のいい
政府を送り込み、都合のいい和平をどさくさに結ぶ。そんな骨抜きパレスチ
ナ建国の懐疑心が止みません。
アメリカがとった、アフガニスタンや戦後の日本の国作りと同じシナリオを
見ているようで身震いがします。
素人感覚の考え過ぎだといいけれど。
それとも追いつめるだけ追いつめて、パレスチナの人々に、明日のパンのた
めのあきらめに近い和平を強いるのでしょうか?
 
50年近く戦ってきた彼らの長い長い苦しみはこれからも続くのでしょうか?
明日(4月14日)パウエル長官とアラファト議長が会談します。
森沢典子
 
追伸
一緒にウエストバンクをまわったフランス人のクロードは、今もアラファト
議長が軟禁されている場所で外国人30人ほどと共にイスラエル兵からの盾
となり、議長と寝食を共にしています。
 
また私の話を聞いて、国連事務所の東間史帆さんがPNGOのような組織を
ずっと探していたとよろこんで下さって、二人でラマンラのオフィスに訪ね
たのですが、今はさっそく日本からの視察ツアーを企画しています。
また、エルサレムに助っ人で飛んできた朝日新聞社の特派員の方たちにもP
NGOの活動のことを史帆さんが伝え取材が入り、今週新聞で大きく取り上
げられました。
さて、私自身ですが、今後どのような活動が可能か考えています。
再来週は母校の青山学院女子短期大学で学生さんにお話する機会をいただき
ました。児童文学者で恩師でもある清水真砂子さんがすぐに自分の授業を提
供して下さったのです。
私から話を聞くことを「贅沢なこと」と表現し、受け入れて下さったこと本
当に感謝しています。
明日は、渋谷で10代〜20代の人たち中心でやっているピースウオークの
中心メンバーと会います。
何かほかに方法や機会があったら、是非ご助言下さい。
森沢典子 <midi@...>
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