辺見庸氏有事法制を語る     「東京新聞」20002年4月21日
 
 9・11以降の米国の、そして日本を巻き込んだ反テロ戦争の危うさについて、繰
り返し言い続けている作家辺見庸氏。今回閣議決定された有事法制関連法案について
も、さまざまな場で発言を行っている。「マスメディアの責任」についても厳しく言
及する辺見氏に有事法制にひそむ問題を聞いた。(聞き手・田口透)
 
 辺見氏は坂本龍一氏(音楽家)などとの対談でも、一連の流れについて繰り返し注
意を促している。有事法制でどうなるのだろうか。
 
 「これで憲法壊滅状態に陥った。無憲法状態と言ってもいい。周辺事態法などガイ
ドライン関連法が成立した(一九)九九年通常国会以降の戦時体制づくりがいよいよ
本格化したということです。冷戦時代ですら実現しなかったのに、なぜ今つくられた
のかをチェックした方がいい。やはり大きかったのは9・11。反テロ戦争に悪乗り
する形でテロ対策特措法もできたし、その中で憲法の絶対平和主義がかなぐり捨てら
れた」
 
 有事法制やメディアの規制を狙った三法案など、ここ数カ月間の動きは急だ。
 
 「僕は国に大きな戦略はないと思う。現行憲法はある意味ユニークで反国家的側面
がある。それを一気に国家主義的なものにする。自民党の全体ではないが、若手も含
めた一部の意見、国家主義的な動きが突出した結果です」
 
 辺見氏は新保守主義という若い人たちに広がる乾いた国家論と、古い情念的な国家
論の「野合」が急速に進んでいると警戒する。
 
 「小泉(純一郎)首相はいわばクリーンなファシスト。戦略的に何かをするのでは
なく、むしろ情念的です。だから分かりやすい。9・11プラス去年暮れの不審船で
一気に流れが加速した。九九年の通常国会以降、民主主義の堤防は決壊し、日本は濁
流にのみ込まれていった。その後に来るのは憲法改定でしょう」
 
 一連の鈴木宗男、田中真紀子、辻元清美各氏の“騒動”にも疑義を唱える。
 
 「あきれるのは公設秘書問題の扱い方。有事法制の論議と時期を同じくしていた。
明らかに事の軽重から言って、有事法制に論議を集中しなければならない。三六年ご
ろでしたか、日独防共協定の時もマスメディアは阿部定事件に騒いでいた。大衆社会
もそれを喜んでいた。明らかに本末転倒、わなにはまったとしか言いようがない。有
事法制に異議を唱えている人たちがやられた。そうじゃない人もいるからややこしい
んですが。ムネオごときがこの国の元凶であるような報道は笑止千万ですね。しか
し、その方が商品価値が高い、分かりやすいんですね。その中で日本の将来を左右す
るような重大事が完全に後景に押しやられてしまった。日本的なヌエのような全体主
義の結果です」
 
 自ら通信社にいた経験もあり、マスメディアに対する見方は厳しい。
 
 「権力がメディア化する一方で、メディアも権力化しこん然一体、境がなくなって
しまった」とした上で、有事法制への賛成、反対という「両論併記」的報道について
も批判する。
 
 「有事法制というのは、準徴兵態勢につながっていくものでしょう。指定公共機関
にはNHKが含まれる。民放も、流れとして新聞社にも拡大されるかもしれない。有
事法制はいわばメディア規制三法案の土台となる部分です。一番危機的な状況の時
に、両論併記というのはいわば判断放棄です。これを個条を追って検討していくこと
はできるだろうが、それは政府権力が仕掛けた『解釈論争』のわなにはまってしまう
ことです。大きな流れをつかもうとしない。戦後五十数年間、否定してきた有事法制
をなぜ立ち上げたのか。それに対するメディアの問題意識が感じられません」
 
 そして、作業仮説として三〇年代に自分がいると想定してほしいと提案する
 
 「あのころだって戦時下と意識していた人は少ないんですね。中国で廬溝橋事件が起きても、日常というのはそういうものを覆い隠してしまう。新しい世紀のファシズムだって、黒いシャツを着て、広場を行進するなんてことはないわけですよ。きれいな目をして、エコロジストだったりするんです。メディアは、そういう優しいファシズムを見抜く目がなければ駄目だと思う
 
 有事関連法案について、法の下克上が起きているとも指摘する。
 
 「憲法には、国家緊急権は明文化されていません。つまり下位法が最高法規を否定
している、法の無規範状況が起きている。最高法規を為政者が嫌がっている国なんて
ないでしょう。戦争放棄、国家緊急権を否定することで、周辺国と平和的な関係をつ
くっていこうという決意がなければならない」
 
 こうした中、辺見氏が“異常な風景”として指摘するのが、メディアも含めて反対
の声が少ないという点だ。「9・11以降、アメリカから反戦、報復反対の声がなく
なったのとまったく同質です。今の国際政治の危険な流れと通底しています」
 
 辺見氏は三月、米国の世界的な言語学者ノーム・チョムスキー氏にインタビューし
た。
 
 「彼は今、世界でもっとも厳しいアメリカへの批判者です。僕は同調してもらえる
と思った。しかし、けんもほろろでした。『おまえはブッシュ政権を批判するが自国
の問題はどうなっているんだ。日本のメディアと知識人は何もしていない、人の犯罪
はあげつらいやすいが、日本は戦後どういうことをやってきたのか、鏡に映してみた
らいい』と言われた。正直、ギャフンでした。さらに、アメリカの言論弾圧を憂慮し
ていると話したら、笑われてしまった。言論というのは闘ってしか守れない、と」
 
 辺見氏は有事法制により逆に、周辺諸国に対日警戒と緊張が生じるとみる。北京特
派員などとして各国の駐在武官とも付き合いが深かった辺見氏は「日本を本気で軍事
侵略しようとしている国など、もともと周辺にはない」と言い切る。「有事」という
概念がフィクションの上に成り立っていると指摘する。
 
 「備えあれば憂いなしなんてくだらんことを言っているが、小泉政権は平和的努力
をまったく怠っています。世界第三位の軍事費を持つ国が、有事法制をつくることで引き起こすのは、不必要なトラブルだけです。日本にはすでに、米ミサイル防衛計画への全面的な協力計画があります。これだけでも緊張のもとになっている。平和的な努力をいかにするか。そのためにある外交は死に絶えている。どうしようもない」
 
 インタビュー中、終始、厳しい表情で語り続けた辺見氏は「時間が許す限り、この
問題について、特に若い人たちと話したい」と述べた。十七、十八日には、母校早稲
田大学で講演を行ったが、大会場は通路に座り込む人も出るなど、若い学生らで立す
いの余地もなかった。講演では、最後に「あなたたち一人ひとりがこの問題を考えて
ほしい」と語りかけた。
 
 へんみ・よう 共同通信社北京特派員、ハノイ支局長、外信部次長、編集委員など
を経て退社。特派員時代は数々のスクープを放ち日本新聞協会賞を受賞。「自動起床
装置」で芥川賞。著書に「もの食う人びと」(講談社ノンフィクション賞)、「眼の
探索」「異境風景列車」など多数。最近では、坂本龍一氏との対談「反定義−新たな
想像力へ」。57歳。
 
※※※※※※※※※※※※
 
 
 
 
 
 
まず国の主体性回復を」
       朝日新聞2002年3月8日
寺島 実郎氏
三井物産戦略研究所長、(財)日本総研理事長。
著書に「新経済主義宣言」など。北海道出身。
54歳。
 
ー有事法制は必要だ
と思いますか。
「テロとか不審船と
か、新しいタイプの脅威
を踏まえて有事を議論す
るのは、基本的には大事
なことだ。しかし、問題
は、この国が主体的に有
事を判断できる状況にな
いということだ」
「周辺事態法でもテロ
特措法でも言えるのは、
米国が有事と判断した場
合、日本は後追いで対応
せざるをえないという構
造だ。日本にとって脅威
かどうか、形式的な議論
はあるだろうが、実態は
追認、追随でしかない」
 
ーこのまま法整備を
進めると、まずいと。
「米国の思惑で、日本
の有事対応が揺さぶられ
る。有事法制をつくるな
ら、同時に安全保障につ
いての主体性を回復しな
ければいけない」
 
ーそのために何が必
要でしょうか。
「二つの常識を取り戻
すことだ。独立国に外国
の軍隊が存在し続けるの
は不自然だという常識
と、米国は自らの世界戦
略に合致し、国内世論が
支持する場合にしか、日
本を守らないという常識
だ。米国は善意の足長お
じさんでも、ガードマン
でもない」
「有事法制論議がポン
と独立してあるわけじゃ
ない。この国の安全保障
の将来ビジョン、特に
米関係の再設計が前提
なければならない」
 
ー米国との関係はど
うあるべきでしょう。
「安全保障では、在日
米軍基地縮小と地位協定
の見直し。過剰な対米依
存を見直し、適切な間合
いをとる。同時に、中
国、ロシア、北朝鮮(朝
鮮民主主義人民共和国)
をも巻き込んだ、アジア
の多角的な安保対話の枠
組みをつくる努力もしな
いといけない」
「経済関係では、むし
ろ、より深い協力関係を
目指していい。日本はエ
ネルギー確保、食糧供給
の両面で米国に依存して
いる。自由貿易や紛争処
理の枠組み、投資促進策
などを盛り込んだ包括的
な経済協定を構想する時
だ。日米関係は軍事同盟
と経済同盟の2本の足を
持つべきだ」
 
ー国民の関心がいまひと
つのような気がしま
す。
「国民がこの国を愛
し、守らなければいけな
いという気持ちを強く持
たなければ、国を守ると
いう議論は成り立たな
い。今、多くの若者は、
自国を『根幹に大きなご
まかしを持った国』と直
感しているのではない
か。憲法9条と自衛隊の
関係を正す努力をしな
い。非核を掲げながら、
米国の核実験にノーと言
わない。これでは、国を
守るという議論もむなし
く響く」
「守るに値する国の背
骨が間われている。偏狭
なナショナリズムではな
く、近隣諸国からも理解
される、開かれた健全な.
ナショナリズムに立つ
て、国の主体性を回復す
るところから、有事法制
の議論を始めたい」
(聞き手・小沢秀行)
 
 
 
軍務拒否 もはや止められない流れ
  ペレツ・キドロン (元イスラエル兵士)
    朝日新聞3月1日
 
 私は平和主義者などでは
ない。、国境を武装警備し、
侵略に対して国土を防衛する
のは当然だと考えていた。
1967年にイスラエル国
防軍の予備兵として徴兵さ
れて以降、何度も兵役義務
を果たしてきた。命令拒否
は「捕らえたエジプト兵を
処刑しろ」と命じられた時
の一度きりだ。それ以外は
実に「いい子」だった。
 
 そんな私が心を決めたの
は、アーモンドの木の無残
な光景を見た時だった。
私たちパトロール部隊は
小銃を置き、ブルドーザー
がアーモンド並木を根元か
ら引き抜いていくのを眺め
ていた。人間の努力のたま
ものが、人間の手で破壊さ
れるのを見るのはつらい。
 
 もっと決定的だつたのは、
夕方のラジオニュースが
「イスラエル軍当局はシナ
イ半島の国有地にアーモン
ドの木を植えた違法居住者
たちに断固たる措置をとつ
た」と伝えたことだった。
 私は、キブツ(農業共同
体)で果樹栽培をしていた
ので、果樹のことはよく知
つている。根こそぎにされ
たアーモンドは成木で、新
しく植えられた若木ではな
かった。砂漠でその大きさ
に育つには、少なくとも数
十年の手入れを要したに違
いない。そこに住んでいた
のは新たにやってきた違法
居住者などではなく、長い
間住んでいる人たちで、イ
スラエル人が入植地をつく
ったため残忍にも追い払わ
れたのだ。すべて政府の見
え透いたウソだった。
 
 次に招集された時、私は
「良心と信念に基づき占領
地で軍務につくことを拒否
する」と上官に告げた。抗
議行動は個人的なもので、
公表もしなかったし、政治
的な影響もなかった。
 
 しかし、イスラエルがレ
バノンに侵攻した82年に事
態が一変した。それまで配
属先にこだわらなかった多
くの予備役兵士が「これは
やりすぎではないか」と感
じた。この感情は、私が活
動している団体「エシュグ
ブル(限度がある)」の名
称によく表れている。この
団体は、占領地での軍務拒
否兵士を支援するためにつ
くられた。現在もパレスチ
ナ領土の占領に反対し、パ
レスチナ人弾圧への加担を
拒む兵士を支援している。
 
 一昨年9月に新たなインテ
ィファーダ(パレスチナ民
衆ほう起)が始まつたが、
すでに400人を超える予備
役が占領地での軍務拒否
を知らせてきている。
 最近、エリート部隊の予
備役50人が「拒否の手紙」
を発表し、占領地での軍務
拒否を宣言した。何人かは
懲役刑を科せられたが、そ
れでも署名は増えている。
もはやこの流れをだれも止
めることはできない。
 
 昨年はパレスチナ人にと
って悲劇的だったし、良心
あるイスラエル人にとって
も困難な年だった。シャロ
ン政権の強硬路線が更なる
流血を招くことは明らか
だ。両民族が破滅を待つだ
けだ、と多くの国民が気付
き始めたのだ
 
 
フィリピンで死んだ米兵
         郷 富佐子マニラ支局
         朝日新聞2002年2月26日
 
 米軍のMH47ヘリコプター
がフィリピンの海に墜落し
た。米兵10人は絶望視されて
いる。数日前に見たばかりの
その機体を思い浮かべた。
 イスラム過激派組織アブサ
ヤフ掃討を目的とする米比合
同軍事演習に参加するため、
ヘリが初めて南部ミンダナオ
島入りしたのは今月なかばだ
った。サンボアンガの空軍基
地に到着したとき、巨大な黒
い物体に、周辺住民や比兵ら
は度肝を抜かれた。プロペラ
が回り出すと「あらしのよう
な強風」がおこり、基地施設
の屋根が吹っ飛んだ。
合同演習が始まったのは1
月15日。以来、何度も空軍基
地の滑走路横で米輸送機や米
兵らの到着を待った。米特殊
部隊兵に話を聞き、米国人人
質の家族に会った。アブサヤ
フが人質を拘束している島へ
も行った。それでも、やはり
違和感は消えない。なぜ、い
ま、フィリピンなのか。
 
 2年前、アブサヤフがマレ
ーシアでフランスやドイツか
らの観光客ら21人を拘束し、
比南部の島へ連行する事件が
あった。4ヵ月ぶりの人質解
放では、リビアが交渉を仲介
し、巨額の身代金を払つたと
される。欧州国に「貸し」を
作ることで国連制裁の完全解
除を狙った、といわれた。
 アブサヤフ、外国人人質、
身代金の要求。今回の事件は
2年前とよく似ている。た
だ、入質が米国入だつた。そ
して人質拘束後、同時多発テ
ロ事件が起きた。
 アロヨ比大統領は昨年11月
の訪米時、ブッシュ米大統領
に自ら「対テロ合同演習」の
実施を提案した。米側は合意
し、それまで「悪党」と呼ば
れていたアブサヤフが国際的
なテロリストに「格上げ」さ
れ、比は1億ドルのテロ対策支
援金を手にした。今度は直
接、米国と組んだのだ。
 
 しかし、アブサヤフ自体は
10年前から何も変わっていな
い。最貧困地域を本拠地と
し、金になる外国人を入質に
とり続ける。94年以降のアル
カイダとの関係を示す明確な
証拠も示されていない。
 
 アブサヤフはやはり、比国
内の問題だと思う。この東南
アジアのカトリック小国へ、
たった数百人の「悪党」をや
っつけるために米軍兵士が大
挙して乗り込むのは、どうみ
ても不自然だ。
(略)
 本当に「大人の外交」を求
めるのならば、比政府は外国
頼りの姿勢を変えるべきだ。
根本の貧困を解決しない限
り、問題は解決しない。たと
え米軍がゲリラ全員を抹殺し
ても、第2、第3のアブサヤ
フが必ず生まれてくる。
 
           戻る          TOPへ
 
シベリア抑留にも等しい蛮行
米政府の人権無視は許せない
        深津真澄(ジャーナリスト)
        (週間金曜日、2002.2.1号)
 
 「タリバン」や「アルカイダ」といった言葉
が、新聞の一面から姿を消してどのくらいた
つだろう。自爆テロの衝撃も一般市民を巻き
添えにした報復爆撃の不条理も、過去の問題
となってしまった観があるが、米軍に捕らえ
られたアルカイダ兵士らに対する米政府の人
権無視と国際法違反は見過ごせない問題であ
る。それは規模こそ違うが、第二次大戦後ス
ターリンが旧日本軍兵士をシベリアに長期抑
留した暴虐に等しい蛮行である。
 
 米軍がアフガニスタンの戦闘で身柄を拘束
したアルカイダやタリバンの兵士を、キュー
バのグアンタナモ海軍基地に移送し始めたの
は一月一〇日のことである。当初は最大二○
○○人を収容する計画だったが、収容施設
が間に合わないため一五八人を移送した段階
で一時中断、最終的には一〇〇〇人を収容す
る計画に縮小したらしい。米軍は徹底的に隔
離した環境で、テロ組織の実態や幹部たちの
行方を厳しく尋問する方針という。
 
 それにしても、アフガニスタンから見れば
地球の裏側にある治外法権の軍基地に敗残兵
を連れ込み、長期間身体の自由を奪って自白
を強要する権利は米国に与えられているのだ
ろうか。同時多発テロで大きな被害を受けた
米国がテロ工作への関与を追及し、テロ組織
の壊滅をめざすことは理解できる。しかし、
米政府は捕虜か犯罪者か法的地位を明らかに
しないまま勝手に行動しているのだ。
 
 ブッシュ米大統領は同時多発テロを「新し
い戦争」と呼び、報復爆撃を自衛権の発動と
した。とすれば、アフガニスタンの敗残兵は
「捕虜」として扱うのが妥当だが、その場合は
一九四九年のジュネーブ条約に従って「通信
の自由」などの権利を与え、「終戦」とともに
釈放しなければならない。捕虜は氏名や所属、
地位、生年月日など限られた情報しか供述す
る必要はないとされており、この点も米政府
にとって不都合なのだろう。
 
 一方「犯罪者」だとすれば、身柄拘束の法
的手続きや弁護士の接見など人権保護の規定
を尊重しなければならない。また、米国の法
廷に起訴した場合には証拠の認定などの訴訟
手続きが厳格になり、裁判がイスラム原理主
義宣伝の場にもなりかねない。そこで、米国
防総省は敗残兵をアフガニスタン国軍の正式
兵士ではない「不法戦闘員」だったというこ
とで押し通し、必要な情報を搾り取ったあと
特別軍事法廷で裁きたいのである。
(略)
 
 赤十字国際委員会は、アフガニスタン国内
で抑留されている約五〇〇〇人の兵士の状況
を調べ、グアンタナモ基地にも四人の専門家
を派遣した。同委員会の報道官は「これだけ
の数の人間が、国際法上の地位があいまいな
まま抑留されるのは異例のこと」と述べ、「戦
場で捕まったものは、だれでもまずは戦争捕
虜とみなし、疑問があればしかるべき裁判所
で判断するべきだ」との立場を明確にしてい
る(『読売新聞』一月二一二日付)。
 
 国際人権団体のアムネスティ・インターナ
ショナル(本部・ロンドン)は、ラムズフェ
ルド米国防長官に書簡を送り、タリバン兵士
に対する「残虐な仕打ち」を非難し、ジュネ
ーブ条約に基づく処遇に改めるよう申し入れ
た。また、ロサンゼルス在住のクラーク元司
法長官らの市民グループが、アルカイダ兵士
らの処遇は違法だとして人身保護令状を請求
する訴訟を起こし、審理が始まった。
 
 このように欧米の人権派は、無法な米政府
のやり方を厳しくチェックしているが、口本
の人権団体や有識者から全く反応がないのは
どうしたことか。(略)
 
 
占領は非人道的な行為パレスチナ人への抑圧がさらに暴力生む
        軍務拒否したヘブライ大講師  ハイム・ワイスさん(32)
                          朝日新聞2002年2月6日
 
 私は高校卒業後、3年間の兵役につき、士官となってさらに1年間、軍で務めた。その後は予備役として毎年、軍務についている。いまは大尉で、中隊の副指揮官だ。昨年は10月に26日問の軍務に従事し、ヨルダン川西岸の南部の幹線道路の検問にあたった。
 
 道路は西岸に点在するユダヤ人入植者が使うもので、パレスチナ人の車は原則として通さない。検問でパレスチナ人を通す通さないは、検問の兵士の判断に任される。急病患者ならどうするのか、老人や妊婦はどうするのかなど、いつも判断を迫られる。多くの場合、現場の兵士が入道的に判断して通している。しかし、数多くある検問では、兵士に経験がなかったり、必要以上に警戒していたり、中にはパレスチナ人に悪意を持っている兵士が、通行を拒む。その結果、検問で病入が死んだり、妊婦が検問で出産し、新生児が死ぬような悲劇が度々起こつている。
 
 占領によって、我々はパレスチナ人全体を封じ込め、移動の自由を禁じることで職を奪い、病院や学校に行く権利を侵害している。彼らは不満や怒り、憎悪を募らせ、イスラエルに対する自爆テロのような救いのない行為に走る。
 
 私は国を守る任務なら喜んで軍務につく。しかし、占領は、それ自体が非人道的な行為だ。社会経験を積み、世界の事も分かってくると、占領地で軍務を果たすのは人間として耐えられなくなった。パレスチナ人への抑圧がさらなる暴力を生む。占領の任務は国防にはあたらない。
 
 一昨年秋にパレスチナで衝突が始まり、状況は厳しくなっている。占領に疑問を抱いていたところへ、友人を通じて拒否運動を知り、賛同した。軍でのキャリアを放棄しようというのは簡単な決断ではないが、「拒否の手紙」に署名したのは、軍の刑務所に入れられようとも、占領地には行かないという意思表示だ
 
 
           戻る          TOPへ
 
空爆犠牲者への償いだれが
                 望月洋嗣  社会部/朝日新聞、2002年1月15日
 
 粉々に砕けた土色のれんがの山と、近代的なオフイスビルのがれきの山に、どんな違いがあるのだろう。昨年暮れ、NGO(非政府組繊)の活動をルポするためにアフガニスタンを訪れた。そこで米軍による空爆で崩壊した民家を見るたびに、こうした思いに上らわれた。同時多発テロの首謀者とされるオサマ・ビンラディンを迫いつめようと米軍が始めた空爆は、タリバーン政権の抑圧に必死に耐えていた人々にも、深い傷を負わせた。
 
 私が会った13歳の少年は、家族9人が寝ていた家を直撃され、ただ一人生き残った。左目の上をけがしたが、病院できちんとした治療を受けず、大きな傷跡が残っている。タリバーン政権になって職を追われた元警察官は「空爆で5歳の娘を失った」という。葬儀の最中に留守宅を狙われ、わずかな財産を根こそぎ奪われた。妻は「朝目覚めると、狼が家のどこかにいるのではないかと探してしまう。米軍は、せめて花を一輪でも供えてほしい」と悲しみに暮れていた。
 
 廃虚と化した建物と穴だらけの舗装道路。カブールの街角には、20数年におよぶ戦争の傷跡が生々しく残っている。タリバーン政権が去り、街には開放感が漂う一方で、空爆は少なからぬ人々の傷跡をさらに深くしたことは閥違いない。
 
 ニューハンプシャー大学のマーク・ヘロルド教授は、報道などからアフガンの民間人犠牲者を独自に集計した。根拠は明確でないが、空爆開始から2ヵ月の時点で3767人が死亡し、米同時多発テロの犠牲者数を上回ったとしている。
 
 現地では、アフガン暫定政権の発足式に向かっていた65人が空爆で犠牲になったことや、東部の村では100人以上が死亡したという情報を聞いた。暫定政権は早期停止を求めているが、米軍は爆撃を執ように続けている。
 
 朝日新聞も含めメディアは、民間人に犠牲者が出た場合に、しばしば「誤爆」という表現を使ってきた。だが、米軍による爆撃の命中率は85%といわれる。残りの15%で、民家などが巻き添えを食らうのは必然とも言える。「誤爆」という言い方は、その責任をぼやかしかねない。何の罪も責任もないのに空爆の犠牲となったアフガニスタンの人々への償いは、一体だれがどのような形でするのか明らかになっていない。現地で出会った人々からは「空爆の犠牲者や遺族たちにこそ、日本は支援の手を差し伸べてほしい」と求められた。日本は、後方支援という形で空爆に加担した。そのことで胸を張ろうとする人々は、空爆の犠牲を償う責任にも、思いをいたすべきではないだろうか
 
 
国家からの情報の危うさ
           島田修三(歌人)/朝日新聞eメール時評、2002年1月15日
 
 昨年、私は「昭和短歌の再検討(砂子屋書房刊)という昭和短歌史に閑する論集を数名で出版した。昭和史を不可欠な背景とする作業だったが、やはり戦争期の歴史には深く考えさせられた。満州事変から対米戦争に至る15年間、当時の国民には情報量が決定的に不足していたという事実を今さらながら痛感する。主として国家が愚民政策をとっていたからだ。
 
 歴史に「もし」はないから、その教訓は現在と未来に生かすしかない。アメリカとアフガンの戦争という現在を私は考えている。タリバーンは敗北したが、テロ組織アルカイダの指導者ビンラディンを逮捕するまでアメリカは攻撃の手をゆるめないらしい。しかし、ブッシュ政権がアフガンにそれほど執着する理由を、アメリカ市民は本当にテロに対する正義の報復というわかりやすい情報だけで納得しているのだろうか。
 
 トルクメニスタンの天然ガス資源をアメリカがアフガン経由で手に入れようとしていることや、大統領が石油企業を資金的背景にしている事実をアメリカ国民が知らぬはずもない。他にも、軍産メディアの複合体としての国家が権益がらみで戦争をしかけたか、と疑ってみるに十分な情報を私でも知りうるのだ。年金の準備資金を切りくずしてまで続けるべき戦争とも思えぬし、戦後のツケは必ず国民に回ってくる。もちろん軽々しくアフガン攻撃に加担した政府を支持する日本国民にも。
 
           戻る          TOPへ
 
裏の歴史”が問い直される
   豊下楢彦(関西学院大教授/国際政治論)
 
 米国は「9月11日」を境に反テロリズムを輪とした国際秩序の再
編に乗り出した。しかし、テロリズムの問題が国際政治の焦点とな
ればなるほど、これまで"裏の歴史"として扱われてきたCIA(米中央情
報局)を中心とする米国の非公式活動の諸問題が正面から問われざ
るを得なくなってきた。こうして例えば、コソボ問題において米国
が支援したコソボ解放軍というテロ組織とアルカイダとの「同盟」
関係の存在が明らかになるに伴い、米国のユーゴ空爆とは一体何であ
ったかが根底から間い直されようとしている。
 
 そもそも冷戦後の世界は、湾岸.戦争に際して「ボタンの掛け違い」
を引き起こしたのであろう。イラクのクウェ−ト侵攻については、
アラブの危険な独裁者に膨大な兵器を供与するという致命的な誤り
を犯し、紛争を誘発させた米国など諸大国の責任がきびしく問われ
るべきであった。ところが、「侵略を許すのか」というイスラエルに
は適用されない「普遍的」なスローガンのもとで、イラクの.軍事大
国化に何の責任もない国々にも「血を流す覚悟」が求められ、金しか
出せなかった日本が揶揄されると」いう倒錯した論理がまかり通るこ
とになった。
 
謀略がテロの温床に
 
 米国がフセイン政権の軍事強化に狂奔したのは、79年まで4半世
紀にわたって米国の中近東最大の拠点であったイランのパーレビ独
裁体制を崩壊させたホメイニ革命への対抗策だった。この対抗策は
隣国アフガニスタンではさらに謀略的な様相を呈し、ホメイニ革命
から5ヵ月後にはCIAが同国に潜入してソ連を挑発すべくテロ活動
を組織し、結果としてソ連は見事に「わなにはまる」こととなった。
かくして米国の「失われた拠点」イランの東と西の隣国が世界の火
薬庫と化し、卑劣なテロリズムの温床が生み出されていった。
 
 問題は、冷戦期には反ソ・反共で「正当化」され得た謀略的な対
抗策が冷戦後にも引き継がれ、それが新たな危機を醸成しているこ
とである。米国内での炭疽菌事件はそれを象徴している。米国は生
物兵器禁止条約を実効化させる査察体制確立にむけての多国間交渉
を、自国への査察を阻止するために葬り去り野放し状態を生み出す
一方で、国内ではCIAや軍部がテロヘの「防衛」を名目に秘密裏に
炭疽菌を培養した「模擬生物兵器」の製造工場を運転してきたのであ
る。今回の事件の犯人像がCIAや軍部の周辺に絞りこまれつつある
現状は、条約違反もいとわぬ謀略的対抗策と単独行動主義の結合が、
ついには米国の中枢からビンラデインにも劣らぬ恐るべきテロを発
生させるという皮肉きわまりない構図を示唆している。
 
軍事偏重から協調へ
 
 同時多発テロの悲劇が、冷静さを取り戻した米国市民において自
国の軍事外交政策のあり方を間い直す契機となることを期待したい。
米国の掲げる自由と正義の政治理念が、テロを再生産させる謀略的
で軍事偏重的な手段ではなく、建設的で多国協調的なリーダ−シッ
プをもって実現が目指されるか否かは、米国世論と同盟国の対応に
よっている。その成否はまた、世界の国内総生産(GDP)の0.5%に
も満たない「ならず者国家」の脅威を口実に、天文学的な巨費を投
じて「宇宙の軍事化」につきすすむ”世紀の愚行”の行方をも左右
するのである。
 
           戻る          TOPへ
 
 
これは「戦争」ではない
         辺見庸(作家)
 
 この身で風景に分け入り、ありとある感官を総動員して紡ぐ
言葉と、書斎で想像をたくましくしてつづる文言の「誤差」が、
どうにも気になってしかたがなかった。だから、私はカブール
に行ってみた。果たして、誤差はどうだったのか。ほんの短期
間の取材だったけれども、米軍によるアフガニスタン報復攻撃
につよく反対する私の考え方には、毫も変化がなかった。この
点、修正の要はない。いや、アフガン取材後、非道な報復攻撃
への憤りは、かえっていやましにつのった、といっておこう。
ただ、もともとの想定をあらためざるをえない点、そして、風
景の細部なのだけれど私にとっては大きな発見が、いくつかあ
った。
 (中略)
 
武力制圧者の「正義」
 
 だが、そんな遠近法は、実際には、荒ぶる風景にたちまちに
して壊されてしまう。国連機でカブールのバグラム空港に降り
立ったそのときから、怒り、悲嘆、疑問が、胸底でたぎりはじ
めるのだ。空港で私の荷物チェックをしたのは、アフガンの係
官ではなく、米海兵隊員とその軍用犬であった。いかなる手続
きをへて米国がそうした権限を得るにいたったか問うても、ま
ともな答えは返ってこないであろら。武力で制圧した者が、こ
こでは「正義」なのである。
 
 遠目にしていようという心のめ声を振りきって、私の眼はたく
さんの人の眼に吸い寄せられていった。たとえば、米軍による
誤爆現場で生き残った幼児のまなざし。ものすごい爆裂音で鼓
膜も破れてしまったその子は、精神に変調をきたし、たえず生
身を痙攣させながら声を立てて笑っていた。他のショック死し
た多くの赤ん坊や老人にくらべれば、その子はラツキーだった
といえるだろうか。眼が、しかし、笑ってはいないのだ。血も
凍るような光景を瞳に残したまま、これ以上はない恐怖のまな
ざしで、頬と声だけがへらへらと笑っているのである。ジョー
ジ・W・ブッシュ氏のいう「文明対野蛮」の戦争の、まぎれも
ない実相がここにある。全体、だれが野蛮なのか。
 
 カブールが「解放」され、女性たちがブルカを脱きはじめて
いるというテレビ報道があった。しかし、この遠近法には狂いが
ある。ほとんどの女性はブルカを脱いてはいない。やはりもっ
と近づいて見たほうがいいのだ。あるとき、私は煮しめたような
色のブルカを着た物ごいの女性に近づいてみた。凍てつやいた
路上に痩せこけた半裸の赤ん坊を転がして、同情を買おうとし
ていた。顔面中央を覆うメッシュごししに、彼女の眼光がきら
めいた。案外に若い女性であった。これほどつよい眼の光を私
は見たことがない。その光は、哀願だけでない、譴責、糾弾、
絶望の色をこもごも帯びて、私をぷすりと刺した。ブルカは脱
くも脱がないもない、しばしば、生きんがための屈辱を隠しても
いるのだと知った。
 
一方的「襲撃」だった
 
 夜の帳につつまれると、カブールではひどくたくさんの犬が
遠吠えをする。なにを訴えたいのか、ただ飢えているだけなの
か、長い戦乱の果ての廃墟で、まだタリハ−ン兵の死体が多数
埋まっているという瓦礫の上で、犬たちが臓腑を絞るような
深い声で鳴きつづける。じっと聞いていると気がふれそうにな
るから、ときどき両手で耳を覆いつつ、私は考えた。戦争の定
義が、武力による国家間の闘争であるなら、これは断じて「戦
争」ではない、と。だれに訊ねても、激しい交戦などほとんど
なかったというのだ。それでは、米英両軍によってなされたこと
とは、いったいなんだったのだろう。それは、国際法も人倫の
根源もすべて無視した、計画的かつ一方的「襲撃」だったので
はないか。
 クラスター爆弾の不発弾が無数に散乱するカブール郊外の麦
畑で、私はひとしきり想像した。まったく同じ条件下にあるなら
ば、米軍はアフガンに対して行ったような理不尽きわまりない
空爆を、ボンやリヨンやメルボルンに対し、やれるものであろ
うか、と。クラスター爆弾だけでない、戦術核なみの威力のあ
る大型爆弾(デイジーカッター)を、アフガンより数百倍も生活
の豊かなそれらの現代都市に投下することができるか。おそら
く、やれはしないであろう。そこにも、アフガンヘの報復攻撃
の隠された犯罪性があるのではないか。このたびの報復攻撃の
裏には、冷徹な国家の総理だけではない、だれもが公言をはば
かる人種差別がある、と私は思う。それにあえて触れない報道
や言説に、いったいどれほどの有効性があるのか一私は怪しむ。
 
本当の国家再建遠く
 
 それにしても、米国の支援でタリバーン政権を倒した北部同
盟軍の規律のなさはどうだろう。まるで清末の腐敗した軍閥
である。幹部が昼日中から街のレストランに居座り、飢えた民
衆を尻目に盛大に食事をしている。子細に見ると、それら幹部
は、いまのところ形勢有利なタジク系のスンニ派であり、かつ
てタリバーンを形成していたパシュトゥン人らは肩を落とし、
小さくなっている。だが、北部同盟軍の将兵らには何カ月も給
料が支払われていないという。彼らは、かつてタリバーン兵が
いた兵営で、なにするでもなく暮らしており、一部は夜盗化し
ているともいわれる。勝利の分け前を主張する北部同盟各派の
内訌は必至であり、本当の和平と国家再建には、なおいまだし
の感がある。
 
 ある日、米軍特殊部隊や北部同盟兵士らが、空爆で殺した兵
士らの遺体から、指を切り取って集めているという噂話を耳に
した。米側がDNA鑑定をして、オサマ・ビンラディンやその側
近のものか、確かめるためだという。山岳部を中心に猛爆撃を
加えては、死体の指を切り落とし収集するという、およそ文明
とも文化ともいえない作業を想像して、私は身震いしたことだ。
 この冬、飢え死にしかかっている何万ものアフガン民衆のこ
となどまったく眼中にない、ひたすら不気味な報復の論理だけ
が、ここには、まかりとおっている。
 
 私はカブール滞在中に、日本でのいわゆる「不審船」騒動を
知った。冷静な分析を欠いた過剰かつ居丈高な反応が相次いだ。
そのとき、脳裏をかすめたことがある。不審船の出所とみられ
る国への、有無をいわせぬ「米国方式」の軍事攻撃である。杞
憂であろうか。いや、アフガンにおける米軍の傍若無人のふる
まいを見るならば、この暴力方式の他地域への適用は、現実的
といわなくてはならない。いまからつよい反対の声を上げてお
くにしくはないのだ。
 
 
テロ撲滅」が暴力生み出す
    岡真理(京大助教授/現代アラブ文学)
 
 アフガン空爆における「誤爆」によって、いったいどれほどの人
間が犠牲になったのだろう。だが、「誤爆」をもってアフガン空爆と
いう事態が批判されるとき、一般市民に対する攻撃を誤った爆撃、
つまり「誤爆」と語ることで、それ以外の爆撃が誤りではないもの、
すなわち正しい爆撃として正当化されることになりはしないか。
 
 一般市民を殺傷するのは「誤り」だが、タリバーンを殺すのならか
まわないのだろうか。ミサイルで木々をなぎ倒し、カブールやカン
ダハルの街を破壊するのは罪ではないというのだろうか。
 「テロリスト」というレッテルがあれば、こうした疑問を間わず
に済ますことができる。「テロ撲滅のためなら限定空爆やむを得ず」
というわけである。そして、国際法上、何の合法性も有さない破壊
と殺裁が正当化される。タリバーンもまた一人ひとり、名をもった
固有の存在であることが忘れ去られ、あたかも害虫であるかのよう
にその「撲滅」や「根絶」が叫ばれる。タリバーンを殲滅し、この
世から抹消することで、タリバーンとはいったいいかなる者たちで
あったのか、何が彼らを生み出すにいたったのか、その歴史自体を
なかったものにするかのごとく。
 
正当化される「虐殺」
 
 これは今に始まった事態ではない。96年から翌97年にかけて起き
たペルーの日本大使公邸占拠事件においても、トゥパク・アマルの
ゲリラ兵士たちは、法的裁きを受けることなく、突入した軍によっ
て、投降した者たちも含め全員がその場で殺された。これが虐殺で
なくして何であろう。だが、彼らを「テロリスト」と呼ぶことで、
彼らが銃をとるにいたった背景にある現実それ自体は不問に付され、
虐殺は、「私たち」の安全と秩序を守るためのものとして正当化
される。この事件は、「私たち」の安全や秩序なるもの、それが、
いかなるグロテスクな暴力によって支えられてあるのかを、あから
さまなまでに明らかにしている。
 
正すほかない不正義
 
 「テロ撲滅のためには空爆よりも、テロの温床となっている『南』
の国々の貧困の解消やパレスチナ問題の解決が必要だ」という議論
がある。しかし、私たちがテロで殺されようが殺されまいが、南北
間経済格差やパレスチナ問題は、それが絶対的な不正義であるがゆ
えに、解決されねばならないのではないか。世界の関心の埒外に棄
ておかれ、たとえばアフガニスタンのように数十万もの人間が飢餓
で死んでいったり、あるいはパレスチナ人のように半世紀も難民キ
ャンプにとどめおかれ、生まれ故郷に帰る権利を奪われたまま虐殺
されつづけたりすること、それは人間の現実として、端的に不正義
であり、そして、不正義であるがゆえに正されねばならないのでは
ないか。
 
 いまイスラエルは、PLO(パレスチナ解放機構)をテロリストと一方
的に規定することで、「テロ撲滅」という大義名分によってパレスチ
ナ人に対するあらゆる暴力の行使を正当化しようとしている。私た
ちが自らの享受する安全や秩序を所与の前提とし、「テロ撲滅」を自
明の真理とするとき、それは平和よりもむしろ、さらなる暴力を生
み出す、それ自体がひとつの暴力であるだろう。
 
           戻る          TOPへ
 
言語学者ノーム・チョムスキー氏
 「アフガン」を語る
 
爆撃で罪のない人々を殺していいか、ノーだ
米国が反対すれば、国連は何も守ることができない。
         朝日新聞2001年12月21日
 
言語学者ノーム・チョムスキー氏(米マサチ
ューセッツ工科大学教授)は、アフガニスタン
ヘの米英軍の武力行使に反対する数少ない米知
識人の一人である。60年代にベトナム戦争反対
の声を上げて以来、その姿勢は揺るがない。し
かし、「左派」と目される同氏に米言諭界の主
流は冷淡だ。インド、パキスタンを訪ねて帰国
したばかりの同氏に、ボストンの大学研究室で
考えを聞いた。
(ニューヨーク支局長・五十嵐浩司)
 
ー現地を見て、考えは変わりましたか。
「いや。アフガンにいるだれかに対米テロを行った疑いがあれば、爆撃して罪もない人を殺してよいか。当然、ノーだ。もし認められるなら、ニカラグアは(反政府ゲリラを後押しした)米国を、ロシアは(爆弾テロを行ったとみられる)チェチェンを、英軍はIRA(アイルランド共和軍)の資金源があるとされるボストンを爆撃できることになる」
 
ー米英軍が勝利しつつあります。オサマ・ビンラディン氏を排除すればテロの脅威は減ると思いますか。
「米国が勝つのは当たり前、話す価値もない。世界史上例のない圧倒的な軍が、中世のような敵と戦っているのだから。米国がビンラディンの関与を疑うなら、まず証拠を集め、適切な機関に提出し、犯罪者を裁きにかけるよう国際社会に働きかける。こうした手順は十分可能だつたはずだ。タリバーンは引き渡しに証拠の提示を求めた。実にまっとうなこと。それをけって攻繋するのはテロ国家のすることだ
 
「国連安保理決議(1368)が米国の自衛権を認めたものかどうか、学者や法律家が議論している。意味のないことだ。明確な承認が欲しければ米国はそうする。自衛権はだれかに認めてもらう筋合いのものではないと考えただけのこと。『大国は望むようにやり、小国は課せられたものに耐える』。これが国際政治の現実だ」
 
ー国連は米国を抑える力にはなれない?
米国が反対すれば、国連は何も守ることができない。先週、安保理がパレスチナ問題で国際監視団派遣の決議を通そうとして、米国が拒否権を使ったのがよい例だ
 
ー日本に比べ、米国では武力行使に反対の声がずいぶんと小さい。
「(日本が中国を侵略した)30年代に日本でどれだけの人が反対の声を上げたかね。実質、ゼロだろう」「いま米国で『テロヘの軍事力行使を認めますか』と聞けば、ほとんどがイエスだろう。私も多分イエス。だが、『罪のない人々が飢えて死ぬことになつても、アフガンヘの武力行使を認めますか』と聞けば、人々はノーという。人々に武力行使の実態を知らせるのがメディアの仕事だ
(略)
ー今、国際社会はアフガンとその国民のために何をすべきでしょう。
アフガンの破壊に責任があるのは、侵攻したロシア(当時はソ連)と米国。まずこの2カ国が補償金を払うべきだ。対ロシアで北アフリカやサウジアラビアからイスラム過激派の殺し屋たちを集めたのは米国だ。当面、両国は緊急食料援助を急ぐ責務がある」
 
■略歴28年生まれ。55年からマサチューセッツ工科大学(MIT)で
教える。生成文法理論を提唱した言語学の大家ながら、反戦平和活
動家としても知られる。「文法の構造」「お国のために」「知識人と国家」
など幅広い分野で料書多数。同時多発テロを扱った近著「9・11」は日本
語版(文芸春秋)も出ている。
 
 
 
テロは世界を変えたか 
   南米出身で米国で活動する劇作家
   アリエル・ドーフマン氏に聞く
                       朝日新聞2001年11月28日
 
米国はなぜ嫌われるのか   他者の悲しみへの理解を
 
ー9月11日のテロの後、二
つの「9・11」を語ってこられ
ましたね。
 
チリのアジェンデ政権に対
するクーデターが起きたのが、
28年前の同じ日、同じ火曜日だ
った。軍事政権によって愛する
人を失い、行方知れずにされ、
数十万人が拷問されたことを知
る者は忘れない。しかし、あの
日は世界を変えはしなかった。
ルワンダで数十万人が殺されて
も、世界は変わらなかった。広
島での原爆による暴力は世界貿
易センターよりもはるかにすさ
まじかった。今年の9月11日
は、最強の国に恐怖を与え、暴
力と報復を呼び込むことで世界
史を変えたのだ」
 
ー米国自身はどう変わった
のですか。
 
「二つある。一つは正義より
も報復を求める動きだ。米国は
あらゆる問題を解決できるし、
米国人自身がよくいうように、
米国は『丘の上の町』であつ
て、谷間に居並ぶ他の国々とは
別格なんだ、という意識を取り
返したい欲求だ」
「もう一つは、米国に何の責
任もないのかを問い直す動き
だ。ビンラディンは狂信者だ。
貧者の代表ではないが、貧困や
格差に苦しむ入々の不満をうま
く利用した。グローバルなシス
テムから利益を得られず、それ
が壊れても何ほどのことでもな
い人々が、世界には余りにたく
さんいる。『君たちも米国人の
ようになればいい』というだけ
では、問題は解決しない」
 
敗者は忘れない
 
ーニューヨークの現場で
「米国は世界に尽くしているの
に、なぜこんな仕打ちを受ける
の」と泣き叫んだ女性の声が耳
に残っています。事件は反米感
情の広がりも映し出しました。
 
「米国が嫌われる理由は、そ
の疑問のなかにある。米国が世
界で何をしてきたかを、彼女は
知らないのだ(注 チョムス
キーを参照)。米国人は、カブ
ールの街頭で女性が自由に踊れ
る日が待ち遠しいという。だ
が、女性がミニスカートをはく
ことができた体制の転覆を助け
たのは米国だった」
「チリの人々に聞いてほし
い。米国はチリに干渉し、ピノ
チェトのクーデターを助け、選
挙で民主的に選ばれたアジェン
デ大統領を倒させた。ピノチェ
トは、合法的にはできないこと
を暴力でやったテロリストだっ
た。米国はテロと戦うという
が、ニカラグアでテロリストを
武装させ、エルサルバドルのテ
ロリスト政府を助けたのも米国
だ。強者は忘れるが、敗者は忘
れない」
 
ー二重基準ですね。
 
「それが恨みを残す。介入の
犠牲者は、米国が忘れることも
記憶するからだ。爆撃するだけ
して、帰ってしまう。そのこと
も反感を呼ぶ。怒りは、米国の
行動そのものよりも、むしろ背
後にある偽善に向けられてい
る。米国が自分のしたことに責
任はないといい続ければ、憤り
が生まれる。アメリカ人は常に
正しい理由の下で行動したと思
いたがる。日本でも同じ問題が
あつた。しかし、歴史から学ば
なければならないのだ」
 
ー大国の身勝手ですか。
 
「国家というものは、強力で
あればあるほど倫理を重んじ、
他から信頼されなければならな
い。例をあげよう。もし米国が
60億ドルを出してワクチンを配れ
ば、中南米、アジア、アフリカ
の数百万人の命を救うことがで
きる。だが、現実は、犯罪者を
かくまったからと、その10倍の
資金を使って貧しい国を爆撃
している。これでは、ニュー
ヨークで死んだ数千人の命が、
・エイズや感染症で死んでいく
数百万人の命よりも尊いと考え
ているかのように見えてしま
う」
(略)
ー「米国の味方か、テロリ
ストの味方か」という、ブッシ
ュ大統領の二分法は。
 
「テロによる死者を悼み、同
情することは、彼らがその後に
やることすべてに同意するとい
うことではない。女性が暴行さ
れたら、だれもが被害者に同情
し、慰める。しかし、彼女が
『私の味方か、さもなければ敵
だ』といって、手当たり次第に
男性に爆弾を投げつけるとした
らどうだろう。世界を分断して
はならない。校長が『教室で笑
った生徒は退学だ』と脅すよう
なやりかたは、他の人々を子供
扱いすることだ。世界はテロに
対して団結できる。他の人々と
一緒に取り組むことだ」
(略)
ーアメリカ人に何を求めた
いですか。
 
「ニューヨークで、行方不明
になったままの家族の写真を胸
に掲げて歩く人々がいた。チリ
で、軍事政権に連れ去られたま
まの家族の写真を掲げて歩く女
性たちと同じ光景だった。米国
ではそんなことが起こるはずが
なかった。いま米国の悲しみに
世界は同情し、共感している。
だからこそ、他にも数多くの9
月11日が存在していること、世
界には他にも多くの悲劇がある
ことをわかってほしいのだ。世
界が米国の悲しみを理解してい
るように、米国が他の入々の悲
しみを理解することは、とても
重要だ。米国はその巨大な力
を、他者をはじき出すのではな
く、とり込むために使わなけれ
ばならない。世界に語りかけ、
世界の声を聞く。悲劇がその契
機になれば、と思う」
 
           戻る          TOPへ