広めよう この地に 賛美と福音の光

 今週のトピックス
2015/4/05
「復活の信仰は自我を越える力」


 マタイの福音書 16章 24−25節


「それから、イエスは弟子たちに言われた。
 『だれでもわたしについて来たいと思うなら、
 自分を捨て、自分の十字架を負い、
 そしてわたしについて来なさい。
 いのちを救おうと思う者はそれを失い、
 わたしのためにいのちを失う者は、
 それを見いだすのです。』」

 復活を信じることは信仰の奥義です。福音の中心は復活の信仰ですが、現実として、なかなか理解も、受け入れることも難しいことです。復活の出来事はあまりに大きなことですし、私自身、最初に信仰を持った時は復活についてはあまり深く考えませんでした。考えても良くわかりませんし、何よりも目の前に、切実な問題や悩みが沢山あり、ずーっと先の「死後の世界」の事まで考える余裕が無かったのかも知れません。
 しかし信仰生活が長くなり、どこまでも捨てきれない「自分の自我」の問題が明確になって来た時、どうしても復活の信仰が無ければ、自分を捨てきれないと示されました。
 「いのちを救おう」とは肉のいのちのために自分の命を使うことであり、そこには滅びしかありません。しかし「わたしのためにいのち失う」とは、イエス様のために命を使うことであり、永遠のいのちを刈り取ります(ガラテヤ6:8)。

  この時、復活の信仰がなければ、それは人間の頑張りや我慢に過ぎません(よけいに自我が強くなります)が、復活の信仰があれば、自分を捨てることが喜びと希望になります。すべての方々が、復活の信仰により、自我を超えた希望と喜びの人生を持たれることを祈ります。

(文=松本俊雄 牧師)


バックナンバーはこちらから

 copyright(c)2012 単立町田バプテスト教会 all rights reserved