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2015/2/22 「空の鳥と 枝に とまっている鳥」 マタイの福音書 5章 26−31節(抜粋) 「あなたがたの天の父が これを養っていてくださるのです。 あなたがたは、鳥よりも、 もっとすぐれ たものではではありませんか。 …、などと言って心配するのはやめなさい。」 思い煩いに沈むことがあります。考えても仕方のないことをあれこれ考え、いつの間にか心配が心配を生み、悪循環に陥ってしまいます。マタイ5章の空の鳥、野のゆりのたとえは、思い煩いからの解放に多くの導きを与えてくださいますが、先日ある信仰書を読んでいましたら、「空の鳥と、枝にとまっている鳥」と題して、解釈が次のようにされていました。「イエス様は、空の鳥と言われました。鳥は空を飛ぶために、翼を動かし、気流に乗り自分のできる最善の努力をして生きています。枝にとまって何もしない訳ではありません。」 この事を読んで、自分は「空の鳥ではなく、枝にとまっている鳥ではないか」と強く示されました。なぜ空を飛ぶのを止めて、枝にとまってしまったのか?理由はいくらでも出てきます。自分の能力の無さ、仕事が多すぎる、加齢による体力の衰え、社会も人間も複雑すぎる・・・と、きりがありません。しかし、さらに考えてみますと、枝にとまるということは、現状が何も変わらないという事だと思います。しかし、空を飛んでいれば、周りの状況は刻々と変化し、解決の糸口が見えてくるかもしれません。 そう考えると、枝にとまっていては自滅の道だと思いました。それに対して、多少大変でも空を飛び続けなければと勇気が出てきました。 (文=松本俊雄 牧師) バックナンバーはこちらから |