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2015/10/18 「主の訓練を大事にする」 ルカの福音書 12章 11節 「すべての懲らしめは、 そのときは喜ばしいものではなく、 かえって悲しく思われるものですが、 後になると、 これによって訓練された人々に 平安な義の実を結ばせます。」 19歳でバプテスマを受けた時、バプテスマ準備会も、学びも何もありませんでしたが、牧師先生から一冊の本をもらいました。「人生の訓練:Vレイモンド・エドマン著、いのちのことば社」と言う本でした。その本は、弟子としての訓練、危険に対する訓練、敢行の訓練、・・・等、項目別にみことばとその解説が詳しく書かれてありました。半分ぐらい読みましたが、浅はかにもこんなことは、自分はもう十分出来ているから読むほどでもないと止めてしまいました。 ところが50年も経って、自分の弱さ足りなさを改めて示され、もう一度読み始めようと本を開きました。ところがその最初に、「幼いころに受ける訓練は、その柔らかな心に、生涯忘れることのできない印象を焼きつけるものです。」とありました。もう遅かったのか、という思いと共に、訓練の本当の意味は「自分は訓練が必要だ」と気づくことではないかと思わされました。 ローマ5章3節に「患難さえも喜んでいます。」と言うみことばがありますが、それは訓練の価値を本当に理解した時、自分のものになるような気がします。そういえば、今まで何と多くの訓練の機会に、いろいろと理由をつけて逃してきたのかを思い出されます。人生の時間もあまりなくなりましたが、自分から訓練の時を大事にしたいと願っています。 (文=松本俊雄 牧師) バックナンバーはこちらから |